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2-C 再光教会の教祖

 灯巳、その両親、聖夫は、自動車で東京へ向かった。運転は灯巳の父がおこなった。


 灯巳が鶴見廟のホールを出る瞬間まで、化け物はパイプいすの山から、動かなかった。

 今もあの場所にいるかどうかは、分からない。


 聖君のいる廟は、東京都豊島区にある。池袋駅から、そう遠くない。

 規模も作りも、鶴見の廟とそう変わらない。


 灯巳ら4人はホールではなく、同じく2階にある、聖君の個室に入った。


 部屋には、2人の男がいた。

 1人は社長室に置いてあるような、重厚なソファに腰かける。もう1人は、ソファの隣で直立している。

 前者が聖君であることは、一目瞭然だ。


 聖君は、50才前後の男性だった。

 目は常に半開き。仏像のような、底知れぬ知性を感じさせる。いかにも、宗教の教主らしいカリスマを漂わせる。

 身長は、2メートルに届くか否かといった大柄だ。

 髪やひげを伸ばしたりはせず、清潔感のある身なりだ。黒い詰めえりの服を着ている。

 前屈みの姿勢で、ひじかけに両ひじを乗せ、体の前で手を組んでいる。


 灯巳ら4人は、ソファの正面で横1列に並び、気をつけをした。入り口に近いほうから、母、灯巳、父、聖夫の順だ。


 部屋の天井は、非常に高い。同一の階に、ホールがあるためだろう。先刻の鳥人でも、不自由なく飛び回れそうだ。

 窓はついていない。が、小学校の教室の半分近い広さがあるので、窮屈には感じない。


「その子がそうか」


 聖君は目だけを、灯巳に向ける。

 彼の反応から察するに、鶴見で起こった一部始終を、すでに聞き知っているようだ。


「神奈川教区の、武部灯巳というそうです」


 聖夫が言った。


「ふむ」


 聖君は組んでいた手を解き、右のひじを立てて、ほお杖をついた。


「聖君、いかがでしょう?」


 彼の隣に立っていた男が、膝を曲げて、何やら聖君に耳打ちする。

 彼は2、3度首を縦に振ると、灯巳に問うた。


「女。鳥の足を持った巨人というのは、今は見えるか?」


 灯巳は答えようとした。

 だが、またも息がうまく吸えない。今度は緊張のせいだ。

 10秒余り手こずった末、絞り出すようにして言った。


「いいえ。鶴見の廟にいるはずで……!?」


 灯巳は、一瞬目を疑う。回答どころではなかった。

 視界の右端、すなわち、聖君のいるソファのわずかに手前の壁際に、最前の怪物が出現したからだ。

 外観は先ほどのと、何ら異なるところはない。しかし、同一の存在なのかどうかは、分からない。確かめるすべもない。

 それは今度も、人を襲うそぶりを見せない。ただ大人しく、突っ立っているだけだ。


「見えます。いきなり現れました。ほら、そこ」


 灯巳は、巨人を指さす。

 彼女の指し示す辺りを、他の者が一斉に見やる。そして皆が皆、首を傾げた。

 聖君の目にも、化け物は映っていないようだ。


「例の半偶蹄人種をここに連れてこい」


 聖君は隣の男に命じた。男はやにわに部屋の外に出た。

 聖君が言った「半偶蹄人種」は、「裏切り者」に近いニュアンスの言葉だ。


 5分余り待つと、チンピラふうの男が4、5人、スーツ姿の男を引っ立てて入室した。誰も彼も、手に手に角材を持っている。

 うち2人を残し、他の者は時を移さず退出した。


 連れてこられた者は、頭を押さえつけられ、強制的にひざまずかされている。所々服が破れ、全身血まみれだ。


「お前を処刑する」


 聖君はただ一言、表情ひとつ変えずに言った。


「わたしは何も――」


 傷だらけの男が、息も絶え絶えに申し開きをする。


「お前は5年前、殺人事件の折に警察の聞きこみに応じたそうだな。偶蹄人種に協力するなど、なぜ先祖の罪に罪を上塗りするようなことをした?」


「確かに警察の質問には答えました。ですが、そんなことをしてはいけないとは、あのころは言われていなかった。あれが背教的な行為に該当すると初めて明言されたのは、たかだか1、2年前のことです」


「言いわけは見苦しいぞ。お前を(ちゅう)殺せねば、他の会員の感情が収まらんのだ」


「そんな……。あの殺人事件は、再光教会とは何の関係もないのですよ?」


 灯巳は男に、いたく同情した。

 なぜに、やった当時は特に問題視されていなかった行為を、後から糾弾されなければならないのか?

 そんなことがまかりとおったら、何をすることが許されて、何をやってはいけないのか、分からなくなる。これではどのような行動も、安心してできないではないか。


「女。そこにいるという巨人に、この男を殺させることはできるか?」


 聖君は再度、灯巳に訊いた。


「え――?」


 灯巳は戸惑う。そんなことを言われるとは、思いもしなかった。


 巨人は相変わらず、ぴくりとも動かないで、灯巳のほうを見ている。まるで、彼女の指図を待つかのようだ。


「灯巳、何やってるの? できないの?」


 母が灯巳の肩に手をかける。


「お母さん、でも――」


 灯巳は戸惑った。

 第一、怪物が彼女の命令に従うか、どうか分からない。

 それでなくても、人を殺すというのは、ただごとではない。少なくとも、母が子に催促するようなことではない。


「灯巳、やるだけやってみなさい」


 父も、灯巳の背中を叩いた。


 灯巳は悩んだ。

 親の期待には応えたい。「すごい」とか、「いい子だ」とか、優しい言葉をかけてもらいたい。それに今までのこともある。教化活動に失敗し続け、不出来な子と罵られるのを、終わりにしたい。

 だからって、人を殺していいのだろうか? 自分が不幸から脱け出すために、他人を身代わりにするのは、正しいことなのか?


 だがやはり、自分が可愛い。

 灯巳だって長い間、同情に値する境遇に耐えてきた。そろそろ、救いがあってもいいではないか。このような機会に巡り合ったこと自体が、もう苦しまなくてよいとする、神様の計らいなのかもしれない。

 灯巳は意を決して、鳥人に命じた。


「この人を、殺しなさい!」


 灯巳が言い終わるよりも早く、化け物は行動に移った。

 背中の翼をはためかせて上昇し、男の真上に移動する。そうかと思うと、足の爪を勢いよく、その背中に突き立てた。

 一連の動作は、鶴見の廟でやったのと、全く同じだ。


「ぐが……、ぶ……」


 意味の分からない言葉を吐きながら、男はけいれんした。

 目をかっと見開き、両手で鳥人の爪を引き抜こうとする。

 男は、胸から飛び出したカギ爪の先端をつかんで、前のほうに押している。その手にも爪が食いこんで、血で真っ赤に染まる。

 彼は、胸の側から刺されたと思っているらしい。


 10秒もしないうちに、彼は静かになった。ひざまずいたまま、前のめりに倒れた。


 灯巳はそのようすを、初めから終わりまで、まともに見た。

 トラウマになりかねないような、生々しい光景だ。けれどどうしても、目を離すことができなかった。


 怪物は飛んで、現れたのと同じ場所に戻った。


 辺りの床は、血の海だ。臓器の破片と思しき、固体のようなものも、浮かんでいる。


「見たか? 素晴らしい。奇跡としか言いようがないではないか。これこそ、『過去の哲学』が正しいことの証左に、ほかならない」


 聖君は手を叩いて喜んだ。大げさな身ぶりをするところは、小さな子供のように見える。


 それから灯巳がした体験は、一種のシンデレラ・ストーリーだ。

 聖君は、その日のうちに全国から、聖夫を集めた。そして彼らの前で直々に、灯巳が聖女であると宣言した。

 彼女はここでも、「半偶蹄人種」数名の処刑を命じられた。

 灯巳が目に見えない霊的存在を使役する力を獲得したのは、日ごろの信心深さの賜物、ということになった。


 灯巳ら一家は、揃って教化活動を免除された。

 彼女が願った通り、両親は「すごいじゃない」とか、「さすがぼくたちの子供だ」などと言ってくれた。

 ふしぎな力がなくなれば、また元通りになるのかという不安はあった。それでも、灯巳にはこの上なく嬉しかった。


 その後、聖君は灯巳に、1枚の写真を見せた。

 男が黒い自動車に、乗りこむところが写っている。手ぶれがひどくて、画像は鮮明でない。しかし、聖君と同じく50才程度と見られる。


「次は、この男を殺せ」


 聖君は言った。


「この人は誰ですか?」


 灯巳が尋ねる。


「警視総監だ。いつも我々を目の敵にする。すでに、30人もの『正義の戦士』が逮捕された。こいつがいなくならなければ、我々の計画が果たされることはない。必ず葬るのだ」


 灯巳は巨人に写真を示し、写っている人物の殺害を命じた。

 巨人は、間髪をいれずに部屋を飛び出す。ひと飛びで、壁をすり抜けた。

 灯巳の指示を理解したことについて、彼女自身が驚いた。

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