2-B 灯巳の仙骨発現
そのとき、ホールの入り口から、ギイという、金属のきしむ音がした。重厚な鉄製の扉が、勢いよく開かれたらしい。
続けて、硬いもの同士がぶつかる、大きなとよみが起こる。開ききったドアの端が、壁にぶつかったようだ。
何ごとかと、灯巳は後方に目を向ける。
そこには、3人の男が立っていた。それぞれ20代、40代、50代ぐらい。いずれも、半袖のTシャツに、薄手の長ズボンという出で立ちだ。
めいめい、手に木刀のようなものを持っている。
「神子を返してくれ!」
40代らしき男が、武器をふり上げて叫んだ。
「あなた、いったい何しにきたんだ?」
彼のいちばん近くに座っていた男性、すなわち、最も後ろの列にいた会員が立ち上がり、男の真ん前に立った。
「うるさい。神子を出せと言っているんだ!」
男は、木刀で会員を殴った。大上段に構えてから横ざまに、その頭を叩いた。
「あっ……!」
短い悲鳴を上げて、会員は倒れる。
「暴力はいけない。落ちついて」
男性の会員が次々と、入り口にかけつける。
「常日ごろお前たちが暴力をふるってるクセに、よくもそんな図々しいことが言える!」
3人の男は、おのおの得物をふり回して、暴れ出した。
灯巳の経験だけでも過去に2回、集会の最中に、外部の者が廟に乱入したことがある。いずれも、武器になりそうなものは持っておらず、たやすくつまみ出されていたが。
これらの際も侵入者は、誰かの名前を呼ばわっていた。どうやら、「正義の戦士」になった身内を、連れ戻しにきたようだ。
事実、灯巳は、「再光教会に入ろうとしたとき、家族から頑強に反対された」という話を、いくつも聞いた。
今回やってきた3人のうち、若い男がいちばん、元気がよくて厄介だ。当たるを幸い、会員を殴りつける。幾重にとり囲まれようと、簡単に抜け出してしまう。
女性や子供は座席を蹴って立ち、広間の奥へ避難した。
灯巳も逃げようとする。
が、パイプいすの列が乱れたのに邪魔されて、うまく歩けない。
「そこをどけ!」
約3メートル前方に、年少の男が立ちはだかる。彼は木刀をふり上げて、灯巳を威嚇する。
道を開けたいのは山々だ。
しかし身動きがとれない。どの方向にも、いすが密集している。
若者を動けなくしようとして、会員がパイプいすを押し固めたのだ。そこに、逃げ遅れた灯巳が巻きこまれた。
2人の周囲、半径5メートルほどの範囲が、いすで埋め尽くされている。
男の目尻が吊り上がる。思うように前に進めないことに業を煮やしたのだろうか。
今にも腹いせに、灯巳をめった打ちにしそうな剣幕だ。
灯巳は思わず身を伏せた。あたう限り体を低くして、手で頭をかばう。
1秒。2秒。いっかな、男が灯巳に殴りかかる気配はない。
さらに縮こまっていると突如、灯巳の首筋に、液体が滴った。生温かかったが、気化熱のせいか、灯巳はぞくっと寒気を覚えた。
次いで、前方で何かが、パイプいすの金属部分にぶつかる音が響いた。
次いで、床が振動する。何かがいすを巻きこんで、倒れたようだ。
灯巳はうっすらと、目を開ける。
すると、座席のいくつかが折り重なり、その上に最前の男が、うつ伏せで横たわっていた。
彼はぴくりとも動かない。
白いTシャツの背中の部分が、赤黒く染まっている。しみはまだ、少しずつ拡がり続けている。若者の血らしい。
灯巳は、うなじにかかった液体を、手でぬぐった。
果たせるかな、それも真っ赤だった。
気持ちが悪くなって、灯巳は血を、いすの脚になすりつけた。
その弾みに、青年が倒れている場所よりも、やや遠くの状況が視界に入った。
男よりも2メートルばかり向こうに、鳥の足が見える。それも、人間のものよりも太い。色は、赤みがかかった黄色だ。
指の先に、黒いカギ爪が生えている。灯巳の中指よりも、さらに長い。電灯の光を反射して、黒く輝く。
灯巳は顔を上げる。そして、この奇怪な足の持ち主の、全身を見た。
それは、ありていにいえば、化け物だ。
体の大部分は、人間の女だ。しかし、背中から鳥の翼が生えている。足首から爪先までも、鳥のものだ。
人間の部分は赤褐色。見た感じでは、石のような触感と思われる。容貌は美しく、年齢は20才前後だろう。
体は、大人の男性よりも大きい。一般的な住宅であれば、天井に頭が届きそうだ。
かぶりものと首飾りのほかには、何も身につけていない。
「……っ!」
灯巳は悲鳴を上げようとする。
だが、声を出す以前に、息を吸うこともできない。立ち上がろうにも、足に力が入らない。腰が抜けている。
ところが、目の前の巨人に、灯巳を襲うようすはない。ただ、彼女のほうを見ているだけだ。
「う……、うわーっ!」
集会を邪魔した男のうち、残る2人が、大声を上げて、ホールの入り口へかけ出した。その叫び声たるや、死に物狂いで逃げようとしている、といった感じだ。
灯巳が2人に意識を向けるのと同時に、怪物が動きだす。
それは背中の翼で羽ばたき、進入者のあとを追った。扉まであと1メートル余りというところで、2人の頭上に達する。そして、両足でこれらの男を、ワシづかみにした。
鳥人の爪は苦もなく、2人の体を貫いた。さながら果物ナイフを、発泡スチロールのトレーにでも、突き刺すかのようだ。
2人は木刀をとり落として、大きくのけ反った。
眼球がぐるりと裏返り、瞳の上半分が、まぶたに隠れる。口角からは、泡がふき出る。
しばしの間、小刻みに体をふるわせる。だがやがて、完全に動かなくなった。
化け物は、男たちを蹴って舞い上がった。
2人はその場にくずおれる。
周りの床が、血の海になった。
鳥人は羽音を立てることもなく、最初にいた場所に着地した。ふつうの人間のように、まっすぐ立った姿勢だ。
灯巳は、今度こそ自分がやられると思った。
だが、怪物はただ、灯巳を見つめるばかり。
「今のは何?」
「どうして何もないのに、血をふいたんだ?」
襲撃者に打ち倒されていた者や、ホールのすみに隠れていた者が、集まってきた。彼らは、灯巳はおろか巨人にも目をくれず、血にまみれた3人の男ばかり見ている。
話しぶりも、やけに冷静だ。
人間よりも大きな動物が部屋に入ってくれば、ふつうなら、ざわめきぐらいするはずだ。それが、見たこともない生き物であれば、なおさらだ。
ましてやここには、女性や子供だっている。誰もパニックにならないほうがおかしい。
「灯巳、早くこっちに来なさい」
父母がいすをどけて、通り道を作ろうとする。
「お母さん……、立てないよ……」
灯巳はようやく、喋れるようになっていた。
「何を言ってるの? その人たち、もう死んでるじゃない」
母は、最初にやられた20代と思しき男を、指さした。
「お母さんこそ何いってるのよ? あれが見えないの?」
灯巳は化け物を指し示す。
それは、今も微動だにせず、灯巳のことを見ている。
「あなた、気が動転しているの?」
母は心配そうな目で、灯巳を見た。
ここで初めて灯巳は、鳥人が自分にしか見えていないのではないか、ということに思い至った。
だとしたら、あれは現実には存在せず、単なる幻覚に過ぎないのかもしれない。何も、気にかけることはないんだ。
怪物がいないものとしてふるまおう。そう、灯巳は心に決める。
その矢先、群衆の輪の中から、聖夫が進み出た。
「君、名前は?」
彼はパイプいすを踏み分けて、灯巳に近づいた。そして彼女の手首をつかみ、引き上げるようにして立たせた。
「武部灯巳です」
灯巳は、少しよろけた。だがどうにか、自分の足で体を支える。
「『あれ』とは何のことを言っているのですか? 君が見ているものを、ありのままに話しなさい」
聖夫は灯巳の手を引き、いすの山から連れ出した。
促されるまま、灯巳は語った。
巨人の見た目。それが男3人を、次々と刺し貫いたこと。いつからそれが見えるようになったか、などだ。
聖夫は、しばらく腕を組んで考える。その後、広間にいる者全員に聞こえるような声で、言った。
「今からこの娘を、聖君の元へお連れします。あなたがたは、この偶蹄人種の死体を片づけなさい。くれぐれも、警察にけどられないように」
「この子の言ってること、信じるんですか?」
母が聖夫の前に立った。
「それを決めるのは、わたしではありません。何だったら、あなたたちも一緒に来てくれて、構いません」
聖夫は、灯巳の母に目を合わせなかった。




