2-A 武部家の礼拝
この日、灯巳は両親と共に、再光教会の大会に参加した。9月第1日曜日の午前だ。
場所は、横浜市鶴見区。そこに、再光教会が所有する建物、いわゆる「廟」がある。
廟は鉄筋コンクリートの2階建てだ。郵便局よりも大きく、スーパーマーケットよりは小さい。
その2階にホールがある。常時、およそ150のパイプいすが、敷きつめられている。
部屋の奥は講壇だ。中央には、スタンドマイクが置いてある。
灯巳ら1家も、手近な席に腰を下ろした。広間の、最も入り口に近い辺りだ。
再光教会の廟は、東京、神奈川、大阪など、いくつかの大きな都府県に1軒ずつ、建っている。神奈川の廟があるのが、鶴見だ。
大会では、「聖夫」という地位にある人が、「正義の戦士」に向けて説教をする。聖夫は、キリスト教でいえば、司教に相当する階級だ。
午前9時ちょうど、壇上に聖夫が現れた。年は40代の半ばと見える。グレーのスーツに身を包む。
彼は、マイクを自分の正面に置き、重々しい声で、演説を始めた。
『あなたがたも当然知っているように、我々「正義の戦士」は日夜、「過去の哲学」を研究し、明るい未来を実現させるため、奮闘しています。過去を分析することなしに、よき未来を築くことができない。この事実を知っている点で、わたしたちは他の偶蹄人種よりも、格が高いということができるのです』
説法の間、灯巳は意識的に、よい姿勢を保つ。
そうすれば、呼吸が深くなって、眠気を防げる。それから、肩や腰が痛くなりにくい。
何より、姿勢が悪いと、集会の後で父母から、「まじめに聴きなさい」と叱責されかねない。
『これも、今さら言うまでもないことですが、「過去の哲学」はこの世で唯一、その内容が正しいことを、科学的に証明することができる学問です。なぜなら、「過去の哲学」は地動説も、ダーウィンの進化論も、ビッグバン説も、包含するからです。だからわたしたちは、「過去の哲学」と相反するどのような学問や宗教も、正しくないと信じることができます』
聴衆の中から、拍手が巻き起こった。中には熱狂のあまり、立ち上がって歓声を上げる者もいる。
『ですがその裏返しに、「過去の哲学」には弱点もありました。それは、わたしたちのような愚かな偶蹄人種には、その正しさを理解しにくいという点です。世間には、「過去の哲学」は論理的に破綻しているなどと、あらぬ中傷を試みる者がいます』
いる。
現に先月、灯巳は「過去の哲学」の矛盾点を指摘された。
『しかし「過去の哲学」に、そのような攻撃がふさわしい部分は、1つもありません』
(お母さんが言ってたことと違う)
灯巳は思った。
先月、母は確かに言った。「人間が作った論理のほうが正しくない。『過去の哲学』は、論理というルールよりも上位にある」と。
それが単なる出任せだったと、灯巳は悟った。
『そのことは、聖君の所有される「三夷史誌」を注意深く読むことによって、わたしたち偶蹄人種にも、感得することができます』
いま出てきた「聖君」とは、再光教会の教祖のこと。
そして『三夷史誌』は、教会における聖典だ。何でも、聖君の家の天井裏から、ある日とつぜん落ちてきたツヅラの中に、入っていたとか。
聖書と同じように、信徒の行動規範や、この国の歴史などが書かれている。
『さあ、皆さんも「三夷史誌」を開いてください。この地で過去におこったできごとについて、今いちど皆で、学び直そうではありませんか』
聴衆が1人のこらず、荷物の中から『史誌』をとり出す。
灯巳とその両親も、同様にする。
『わたしたち偶蹄人種の祖先は、3派に分かれて日本にやってきました。いわゆる縄文人、弥生人、渡来人です。縄文人は氷河期が終わったあと、台湾、東南アジア、ポリネシアのいずれかから、九州地方南部に船で上陸しました。弥生人は縄文時代の末期に、現在の中国江蘇省から来訪し、畿内まで進出しました。渡来人は4世紀から7世紀にかけ、吉林省や遼寧省から南下して、北九州に渡りました』
これは小さいときに、さんざん聞いた。
灯巳は幼いころから、『史誌』の内容を、何度も暗記させられた。
聖夫の話は、当時のものと、全く変わっていない。灯巳が知りたいのは、「過去の哲学」が論理的にどう整合するかだ。
『縄文人、弥生人、渡来人は、互いに混血をくり返しました。結果、足先に奇形を生じるまでに、血が汚れました。そのために、我々はこんにち『偶蹄人種』と呼ばれるのです。民族は、純血でなければなりません。純度の高い民族ほど、格が高いのです。その点、偶蹄人種は、形成された時点ですでに、家畜と同等の存在になり下がっていたことを、自覚することが必要です』
聴衆のあいづちを打つタイミングが、一様で面白い。
オリンピックのシンクロナイズドスイミングだって、ここまできれいにはそろわない。
よく訓練されたものだ。これを見ていれば、いくらかは退屈しのぎになる。
もちろん、灯巳自身も、まねしてうなずくことを忘れない。
『ところで、日本には縄文人が到来する前から、定住する人々がいました。彼らが世界で最も純粋な民族であることが、最新の研究で判明しました。化石人骨からとり出されたDNAが、それを証明したのです』
灯巳は早くも、足のつけ根が痛くなってきた。演説が始まってからまだ、30分も経っていないのに。
何だか座席が、いつもより硬い気がする。
周りに目を向けると、いすに座布団を敷いている者が、少なからずいた。灯巳も、クッションか何か持ってくればよかった。
『彼らのことは、偶蹄人種の歴史書にも、記されています。いわゆる『土雲』のことです。ツチグモは長年、滅亡したと考えられ、詳細は謎に包まれていました。彼らの歴史を初めて明らかにしたのが、「三夷史誌」なのです』
ちなみに『史誌』には、予言書も収録されている。
それによれば、いつかツチグモの王族の末裔が再来し、ツチグモの国をこの地に再建する。
その末裔というのが、聖君なのだという。これが、「過去の哲学」の核心部分だ。
『ツチグモは、世界中のあらゆる文明の大本となった、父なる民族でした。彼らは世界で初めて、文字や道徳を発明しました。釈迦やソクラテスの著書が、ツチグモからどれだけ影響を受けているかは、「三夷史誌」に書いてある通りです』
この2人は著作を残していない。教えの中身を、弟子が記録しただけだ。
こういう誤りがあるから、「過去の哲学」の内容はおかしいと言われるのだ。
『ツチグモは、紀元前3千年紀の半ば、この地に最初の国家を作りました。エジプト古王国と同時代のことです。これに対し、縄文人、弥生人、渡来人は、当時は未開の野蛮人でした。ツチグモはこれをあわれみ、彼らに文明を与えて教育しました』
スピーチはその後しばらく、ツチグモ王国の偉業に触れ続けた。
それによると、漢王朝やイスラエル王国と対等に交易を行い、靺鞨や月氏は彼らに朝貢した、と。
『にもかかわらず、偶蹄人種の祖先は、この恩を仇で返しました。彼らは、畿内に進出していた勢力を中心に同盟を結び、ツチグモを侵略したのです。いかに優秀なツチグモといえども、3方向からの挟撃には、耐えられませんでした。彼らは7世紀末か8世紀ごろ、ついに滅亡したのです。これが、偶蹄人種の罪です。世界で最も格の高い民族に、弓を引いたことが』