1-F 早月の過去
夕食は案の定、半分近くが余った。その分は、夜中や翌朝にでも食べればいい。
その後、順次入浴しながら、勉強を続けた。
午前0時ごろ、晴日が立ち上がった。
「私、もう寝るわ」
「おお、晴日。今日は遅まで頑張ったやん」
らんは小さく手を振った。
「え? テストが近いのに12時に寝るのって、早くない?」
影郎は怪訝そうにする。
「晴日ちゃんね、いつもは10時ごろに就寝して、朝は6時ぐらいには起きてるらしいわよ」
嶺が事情を説明した。
「朝型なんだ……」
らんと嶺は、午前2時半ごろ、寝室に向かった。
「影郎は、さ。ふだん何時まで起きてるの?」
早月が尋ねる。
「だいたい1時ごろ寝て、7時に起きるかな」
「らんや嶺と同じだね。じゃあムリしないで、もう寝にいってもいいよ。ボク夜型だから、ボクに合わせないほうが、賢明だと思うし」
「どんな生活リズムなんだ、お前?」
「寝るのは3時。休日なんかだと、朝の10時まではぐっすりかな」
「それ、美容によくないんじゃないか?」
「大きなお世話!」
「あと、お前と晴日って、雨女と晴れ女で対立してるかと思ったら、夜型と朝型って点でも、真逆なんだな」
「雨女はボクじゃなくて、らん!」
「あ、そうだっけ?」
「もうっ……」
怒っては見せたが、別段そこまで、腹が立ったわけではない。
その後も少しばかり、早月は影郎に英語を教えた。
すると突然、影郎が問うてきた。
「ところで、早月って、どういう状況で、仙骨が発現したんだ?
「何、いきなり。どうしてそんなこと、訊くんだよう?」
「前に、晴日やらんが、魔法使いになったいきさつを、聞いたことがあるんだ。で、ちょっと気になっただけ」
「あんまり、思い出したくないんだけどなあ、あのときのこと」
と言いつつ、早月は昔話を始めた。
自分のことに興味を持たれるのが、まんざら嫌でもなかったのだ。
――早月は、イングランドのグラストンベリーという街で生まれ、12才までそこに住んでいた。
実は彼女は、幼いころはいじめられっ子だった。
2、3の友人も、いたにはいた。だが、嫌がらせをしてくる者のほうが、圧倒的に多かった。
早月が6才になってから、最初に迎えた冬のことだ。
ある日、早月は1人の親友ともども、初等学校の裏手に呼びつけられた。
校舎の裏側に、小さな物置小屋がある。両者の間はうまい具合に、校舎にあるどの窓からも見えない、死角になっていた。
早月と友達を、7、8名の同級生が、輪のようにとり囲んだ。
うち過半数は、男子生徒だ。が、女子も数名、交じっている。
はじめのうちはせいぜい、彼らは早月を、いつものように輪の中で小突き回したり、罵声を浴びせたりする程度だった。
だが、この日は違った。一団は早月をとり押さえ、服を脱がし始めた。
無抵抗の弱者に、自分たちの力を誇示し、生殺与奪の権を握る快楽に、増長したためらしい。
「やめてよう。どうしてそんなことするの?」
早月は泣きながら、嘆願する。
「黙れ、病原菌! いつも病気だとか言って、学校を休みやがって。今度も変なウイルスを運んできたんだろう。お前のせいで、オレたちまで気分わるいじゃねーか。お前が責任とれ」
リーダー格の男が怒鳴る。そして、早月のカーディガンを、乱暴に引っ張った。
飾りボタンがいくつかちぎれ飛ぶ。
いじめをする側は、自らの行為を正当化する根拠を、きちんと持っている。彼らは必ず、自分たちが暴力などをふるう理由を、相手の何らかの落ち度や欠点に求める。
ただその内容が、第三者の目線から見れば、あまりに幼稚で、とうてい同意できない支離滅裂なものである、というだけだ。
「ちょっと、あなたたち! いい加減にしなさいったら。それ以上やったら、誰かに言いつけるわよ」
早月の親友が、2人の間に割って入った。
「何だてめえ。邪魔すんな。そんな病原菌と一緒にいたら、てめえを介して病気が移るだろうが!」
男の子は、彼女を突き飛ばした。
「きゃあっ!」
バランスを崩し、後方に倒れる友人。
運悪く、彼女の後頭部が、花壇を囲うレンガの角に当たった。
それっきり、彼女はピクリとも動かなくなった。頭から、赤色の液体が流れ出る。
「ナナ! ナナっ! こんなの、どうかしてるよ。何でナナが、こんな目にあわなきゃいけないのさ!?」
早月が親友の元に駆け寄り、抱き起す。
しかし、彼女はやはり、微動だにしない。
「お、お前が悪いんだぞ。お前の病気が移ったせいで、よろけたんだからな」
「そうだ、そうだ」
さすがのいじめっ子集団の間にも、動揺の色が広がる。彼らは代わる代わる、責任逃れのようなことを、口にした。
このとき、リーダー格の男に対し、早月は生まれて初めて、明確な殺意を抱いた。
突然、早月は自分が、ついさっきまでとは全く違う存在になったことを、理解した。
己が望めば、大の大人をさえ、瞬く間に絶命させられると確信した。
「ぜったい赦さない。お前なんか、凍っちゃえ!」
早月は右手を伸ばし、相手の胸ぐらに掴みかかった。そうすれば、結果として何が起こるかも、熟知していた。
瞬間、彼の体が、氷のように冷たくなった。
早月が手を放すと、それは丸太のように、転がった。
見かけ上は、何の変化もきたしていない。しかし早月には、目の前に横たわるモノが、全身の水分すべてを凍結されたのだと、悟った。
「おい……。あいつ、何をしたんだ?」
「何か知らないけど、ヤバいよ。逃げなきゃ!」
最前まで彼女を包囲していた児童らは、クモの子を散らすようにして、走り去った。
早月はようやく、我に返った。
その後も長いこと、彼女は親友を抱き抱えて、泣いていた。
数分後、偶然そこを通りかかった上級生が、3人を発見した。そして直ちに、教員に異変を知らせた。
親友と、早月に氷漬けにされた男の子は、すぐさま病院に運ばれた。両人とも、辛くも一命をとりとめた。
逃げ去った子供たちは後日、口をそろえて、早月が犯人だと、大人たちに吹聴した。しかし、それを真に受ける者は、誰一人いなかった。
――早月の父母を除いては。
「早月。父さんには、本当のことを言いなさい。もし仮に、お前がやったのだとしても、僕たちは、お前が悪いとは、思っていないから」
父に促され、早月は両親にだけ、ことの真相を語った。
「早月。実はね、あなたのひいお婆ちゃん。つまり、わたしのお婆ちゃんなんだけど、あの人、魔法使いなの。あなたも、同じ力を持って生まれたのかも。だからわたし、あなたが人を凍らせる魔法を使えたとしても、少しも驚かないわよ」
こう言うと母は、その日のうちに早月を、曾祖母の所へと、連れていった。
イーファ・ブレトナハ。早月さえ、このときはまだ、1度も会ったことがなかった。
彼女もまた、早月ら一家と同じく、グラストンベリーに住んでいた。
街外れの、森にほど近い場所に一軒家を建てて、そこに1人で暮らしていた。
(怖そう……)
曾祖母を初めて目にしたとき、早月はそんな第一印象を抱いた。
実際、イーファは見た目どおり、厳格な人物だった。この点だけは、芽実と対照的だ。
父母が事情を話すと、イーファは重々しく、口を開いた。
「ええ。確かにこの子は、魔法使いよ。わたしはひと目見たときから、分かっていたわ」
「魔法使いだと、何か気をつけたほうがいいことは、ありますか?」
父が尋ねる。
「そうね。10才までは、重い病気にかからないように注意すること。それから、魔法は訓練しないと、自分の意図しないところで、効果が出てしまうことがあるの。だから、制御のしかたは、身につける必要があるわね」
このようにして、早月は彼女から、〈ルーン〉の手ほどきを受けることになった。
始めに早月は、イーファからこう、厳命された。
「いいこと? あなた自身や、大切な人を守るためだったら、魔法で誰かを傷つけることがあっても、わたしはとん着しないわ。でも、専ら相手を害する目的のためだけに、魔法を使うことは、絶対にやめてちょうだい。もしこれを守らなかったら、以後わたしはあなたに一切、魔法を教えないから」
早月は、曾祖母の死から今日に至るまで、この言いつけに背いたことはない――
「ま、こんな感じ。つまんなかったら、ゴメンね」
早月はこう言って、話を締めくくった。
「いや、そんなことない。それにしたって、お前もまた、想像を絶する幼児体験をしてきたんだな」
影郎が言った。
「そう? 晴日やらんだって、そんなに変わんないと思うけど。あの子たちからはもう、聞いたんでしょ?」
「あとお前、昔は体が弱かったんだ……」
「仙骨があると、10才ごろまでは、病気を患いやすくなるみたいだよ。それを過ぎたら、逆に長命らしいけど。前に、ひいお婆ちゃんが言ってた」
「そうか。じゃあもう、心配しなくていいんだな」
「まあね。――って、もうすぐ3時じゃない。ボクのことは無視して、眠くなったらさっさと布団に入ってよ。机に突っ伏して寝始めても、〈野牛〉で運んであげたりしないからね!」
「ああ、分かった分かった」
そう言いながら影郎は、3時ごろにはうつらうつらし始めた。3時半には、手が全く動いていない。
早月は痺れを切らし、強制的に彼を、部屋から追い出した。
早月も予定より早めに、4時には床についた。
翌朝、早月が起きて居間に現れたころには、他の4人は全員、勉強を始めていた。
このとき、早月は影郎がいることをすっかり忘れ、顔も洗っていなかった。その姿を彼にバッチリ目撃されたことは、早月の心に、一生消えない傷を残したのだった。