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異世界への渡航の自由は、これを認めない  作者: よしゆき
第10回 トゥスクル、起つ
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10-C 嶺の目覚め

 嶺は、はっと我に返った。机に突っ伏して、うとうとと眠りこんでいたのだ。

 窓を見やると、若者の姿はなかった。それどころか、雪すら降っていない。


 いつの間にか、肩に毛布がかけられている。兄がしてくれたのだろう。


 嶺は窓辺から、外をのぞいた。

 空に、雲はまばらだ。

 地面に雪など、少しも見当たらない。それ以前に、濡れてさえいない。


「何だ、ただの夢か……」


 嶺はがっかりした。


――夢だ。だが、真実だ――


 男の声が聞こえた。映画館で聞いたのと、全く同じものだ。


(らんちゃん、どうしてるかな……?)


 嶺がそう思った瞬間、信じられないことが起こった。

 彼女の頭に、ある映像が浮かんだ。真上から見た、自分の姿だ。


(これは……?)


 嶺がそう思うのも束の間、上から見た彼女の体が、小さくなり始めた。

 そうではなくて、「心の目」とでも呼ぶべきものが、高度を上げ始めた。

 天井が存するであろう高さまで上がると、真っ暗になった。次に脳内に結ばれた画像は、上空から見下ろした、自宅の屋根だ。


「心の目」は、なおも上昇する。やがて、その視界に、雲らしきものが現れる。

 頭の中に浮かぶ映像は、過去に見たものをただ思い出すのではあり得ないほど、リアルだった。

 映画を観た直後に、いちばん印象的だったシーンを思い浮かべるのでも、ここまで詳細には蘇らない。


 嶺は目を閉じる。

 あたかもまぶたの裏に、その風景が映っているかのように感じられた。


「目」は、北に移動し始めた。蒲田駅周辺の自宅から、港区の方向へ進んだ。

 教会、平和島、天王洲アイルなどが、現れては消える。やがて、東京タワーが見えてきた。嶺は何と、そのてっぺんよりも、上を飛んでいた。


 東京タワーが視界に収まる位置で、嶺は降下した。そして、あるビルの屋上に降り立った。

 真上から見ているので、ビルの高さは判然としない。分かるのは、東京タワーよりはだいぶ低い、ということだけだ。


 嶺はビルの屋上で停止することはなく、これを突き抜けて、中に侵入した。

 そこは、何の変哲もないオフィスだ。

 職員の人数を嶺が把握する間もなく、「目」は床に吸いこまれ、下の階であろう景色に切り替わる。


 これを何度かくり返したのち、嶺の心についに、らんの姿が映し出された。

 そこは病室のような部屋だ。ベッドが4台あり、そのうち1つにらんがいる。

 らんは、ベッドの頭側半分を立てて、折り畳み式の小さなテーブルに、教科書やノートを広げている。

 寝台の脇には、スツールが2脚ある。そこに、晴日と早月がかけている。2人はらんに、勉強を教えているみたいだ。


(あなたが見せてくれているの?)


 嶺は、今しがたの声の主に問いかける。


――そうとも。〈トゥス〉をもってすれば、こんなのは簡単なことだ。――余計なお節介だが、のぞき見はほどほどにしておけ。たとえ友の間でも、知っておかぬほうがいいこともある――


 心の中で、彼の声が聞こえた。

 同時に、まぶたの裏が、真っ暗になる。


(気づかいありがとう。わたしもその点は同感)


 嶺はこの日、早めに眠りについた。


 夢の中で、またも例の青年と対話をした。

 嶺はなぜか、ベッドから起き出す気になれず、寝転がった姿勢のまま、話した。

 座った状態でまどろんでいたときと同じく、若者は窓枠に腰かけていた。

 どことなく、鳥が木の枝にとまるのに似ている気が、嶺にはした。


「さっき、わたしが生まれたときから見守っていたって言ったわよね?」


「ああ」


「どうして?」


「似ていたからだ」


「誰と?」


「オレがこれまでに唯一、愛した人間。お前のしなやかに波打つ髪も、木肌のような瞳も、何から何まで瓜二つだ。葉擦れの音みたいなか細い声もな。間違いなく、お前はあいつの末だ。だから、どんな不幸も排除してやりたいと思った。友のことで心を痛めるのなら、その友ごと守ってやろうと思った」


「まあ、ロマンチック。その人のこと、もっと聞いてもいい?」


「構わん」


「その人とは、結ばれたの?」


「残念ながら、叶わなかった。嫁にしようと思って、人間に化けて近づいたんだが、いとも簡単に見破られて、クアリで捕獲された」


「クアリって何?」


「お前らがいう、石弓みたいなモンだ。あのアマ、一瞬オキクルミがオレを懲らしめるために、女装でもしたのかと思ったぜ」


「捕まったあとどうなったの?」


「あいつ、事もあろうに、『二度と復活しないように、バラバラにして、肉も骨もかわやの前にブチまけて、腐るまでそのままにしてやる』とかほざきやがった。そこでオレは、とりひきを持ちかけた。『助けてくれたら、オレがそのクアリに宿って、お前の憑き神になって、一生守ってやる』とな。交渉は成立。オレはあいつを嫁にはし損ねたが、一生そばにいることはできた。何せ一心同体だからな、旦那よりも近くにいられたと言っていい」


「その言いかただと、もうその人はいないのね」


「お前はあいつの末だ、と言ったろうが。とっくの昔に、この世にいない。だがな、オレはクアリに宿って、毎日のように熊を狩ってやった。おかげであいつ、ひ孫が作ったメシを食えるくらい、長生きしたぜ。逝ったときは悲しかったが、オレもあれが最高の結果だと思うから、立ち直るのにそう時間はかからなかった」


「何年くらい前の話なの?」


「自分の指より多い数など、数える気は起こらん。ただ、お前らが頭のてっぺんに、カラスをとまらせ始めるのよりも、昔だということは覚えている」


「ごめんなさい。さっぱり意味が分からないわ」


「オレもこれ以上、説明のしようがない」


「ところで、あなたのことは何て呼べばいい?」


「固有の名などない。そうだな、『カムイ』とでも呼ぶがいい」

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