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異世界への渡航の自由は、これを認めない  作者: よしゆき
第10回 トゥスクル、起つ
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10-B 嶺の夢

 2月の終わりごろのある夜、嶺は自室で1人、悩んでいた。

 勉強机に向かい、腕を組んで前屈みになっている。ひじをデスクに乗せ、体重を預ける。そのまま、何時間も同じ姿勢だ。

 机は、長辺が壁と接するように設置されている。そのすぐ左の壁は、窓だ。


 母は、まだ仕事から帰ってきていない。

 兄は台所で、夕食の後片づけをしている。


 嶺が思い悩んでいるのは、友達についてのことだ。


 コンサートへ行く約束がお流れになった前後から、らんたちの表情が、暗くなった。

 特に、晴日の変化が著しい。いつもぼんやりとしていて、呼んでも気づかないこともざらだ。何かの拍子に涙を見せることも、珍しくなくなった。


 聞けば、一緒に演奏を聴きに行くはずだった友達が魔法使いで、魔法に失敗して死んだとか。

 嶺は、らんたちは大丈夫なのか、と尋ねた。少なくとも、晴日の友人と同じ理由で死んだり、けがをすることは、100パーセントあり得ない、との答えだった。


 1月下旬、太薙がアルバイト中に重傷を負ったと、学校で聞いた。

 太薙がらんたちと同じ仕事を始めたことは、11月のうちに、嶺も聞いている。だから、らんたちが「式神」と呼ぶ化け物との戦いで彼が傷ついたと、嶺には分かった。

 影郎はもともと近寄りにくい雰囲気を放っていたが、このころから、他人を拒絶しているような印象が、いっそう強まった。


 嶺はらんらに、仕事を辞めるよう、それとなく勧めてみた。

 皆その場で彼女の意図を察したらしく、心配をかけたことをわびるやら、逆に心配してくれたことについて、礼を述べるやら。しかし、それでも仕事は辞められないと言った。

 その際に、4人が見せた顔の苦しそうなこと。嶺の意に沿えぬこと自体が、相当な苦痛であると見える。

 嶺は二度と、このことは口にしないと決めた。自分の希望を理由に、らんたちが申しわけなさそうにするのを見るのは、忍びない。また、結果的にどちらのほうが彼女らのためになるか、嶺には計り知れない。


 だが、前の週ついにらんが倒れた。少なくとも、2月いっぱいは学校に来れないという。

 のみならず、早月までがおかしくなった。伏し目がちになり、言葉数が極端に減った。また、いつも何かにびくびくしているように見える。

 嶺が知っている早月は、いつも元気で自信に満ちている。傲慢か、ひとりよがりかというとむしろ逆だが、自分が誰かの役に立っているとか、誰かから頼られているという確信は、常に持っているように見えた。

 その早月が、ここまで打ちのめされるなど、ただごとではない。

 ここ数日は、以前のような活気を、だいぶとり戻してきている。それでも、まだ開放的になりきれていない感がある。


 らんと太薙が負傷し、晴日、早月、影郎は陰気になった。

 学校に来ている3人は、嶺の前だと、なるべく心配させまいと思うのか、ぎこちないものの、笑顔を作る。

 また、質問したことにも、ごく一部を除いて、包み隠さず答えてくれる。

 だが、それがかえって痛々しかった。


 それで嶺にも、すっかりメランコリックな感情が、伝染してしまった。

 こうして、今みたいにもの思いに沈むことが、多くなった次第だ。


 考えるのはいつも同じこと。らんたちのために、自分ができることはないのか、と。


 嶺はふと、窓の外を見た。

 東京にしては珍しく、雪がちらついている。月明かりや街灯に照らされ、(しろがね)色や(こがね)色の粒となって、夜空にらんらんと舞い踊る。

 これを見ているうち、嶺はうつらうつらしてきた。


 どれくらいの間ぼうっとしていたのかは分からない。そばに人の気配がして、嶺は顔を上げた。


 窓枠に、男が腰かけている。

 両足を組んで、上になった足の先を、ぶらぶらさせている。


 見たところ、年は嶺よりもほんの少し上くらいだ。

 (そう)身で、中性的な顔立ち。肩や腰のラインから、辛うじて男性だと分かる。

 暗褐色の着物を身につけている。その両肩だけ、白く染められている。

 裾の先が(ふき)になっていて、こちらも白い。

 何よりも目立つのは、背中から生えた2枚の翼だ。こちらも、着物の大部分と同じ色をしている。


「あなたは、誰?」


 嶺は座ったまま、問うた。

 この青年に対し、ふしぎと、恐怖や警戒といった感情は、起こらなかった。


「お前のイトゥレンカムイ、とでも言っておこうか」


 若者も微動だにせず、答える。低く重々しい喋りかただ。

 だが声質は小学生のような、声変わりもまだまだ先といった感じのものだ。


「イトゥレンカムイ?」


()き神だよ。トゥスクルの武器なり体なりに宿り、魔法の力を与える神だ」


「魔法ですって?」


「そうとも。お前がいつもつるんでいる連中も、魔法が使えるようだがな。お前も奴らに負けないくらい、有能な魔法使いだ。その気になれば、叙事詩に語り継がれるほど、優秀なトゥスクルになれるだろう」


「どうして、わたしが……?」


「理由などない。多くはないが、ときどき生まれるものだ。オレもこれまでに、トゥスクルを3、4人は見たぞ」


「それじゃ、わたし、今までどうして魔法が使えなかったの?」


「オレが許さなかったからだ。戦いなんぞに身を投じれば、いくらお前とて傷を負うことは避けられない。現に、お前がいちばん懐いているあの女だって、そうだからな。……あいつ、もう少しで死ぬところだったんだぞ。今は安全だがな」


「らんちゃんが!?」


 嶺は愕然とした。

 らんの具合について、晴日たちから逐一報告を受けてはいる。が、一時は生死の境をさ迷ったなどとは、1度も聞いていない。


「あいつらは誰一人、たまに出てくるような野暮な魔法使いじゃない。みな()代の傑物だ。お前でさえ、あの中から1人でも敵に回せば、どうなるか分からないくらいのな。だが、そいつらが束になってもこのザマだ。それくらい厄介なことに、連中は首を突っこんでいるってことだ」


「それで、わたしが戦いたくても、戦えないように、魔法が使えないままにしていたってこと?」


「その通りだ。それだけじゃないぞ。オレは、お前が生まれたときから見守っていた。お前が危ない場所に踏みこまないように働きかけたのも、1度や2度じゃない」


「わたしが危ない場所に踏みこまないように……? もしかして、吉祥寺でコンビニに入ろうとしたとき、靴紐がほどけたのって――」


 嶺が言ったのは、6月にらんたちと5人で、吉祥寺で遊び歩いた際のことだ。


「そうだ。その日の朝、頭痛を起こすよう仕向けたのも、オレだ。薬なんぞでオレの気づかいを、ものの見事にフイにしてくれたようだがな」


「ひょっとして、映画を観た後に聞こえた声も、あなただったの?」


 同じ日、「アラビアンナイト3D」という映画の感想を言い合っていた折、「象を持ち上げて飛ぶ程度じゃ、大したことねえな」という声が聞こえた。

 嶺は当初、影郎が発したのだと思った。しかし本人は否定し、らんたちは何も聞いていないと言う。

 それ以降、嶺はこの声を、空耳かと思っていた。


「そんなこともあったな。フリ共はクジラを持ち上げやがるからな。たかが象ごときと思って、うっかり口走ってしまった」


「もう、勘弁してよ。わたし、すごく恥ずかしかったんだから」


「悪いな。――もっと言うと、お前があの死にかけた女と、初めて街に出ようとしたとき、それを止めたのもオレだ」


「あの死にかけた女と初めて街に……? まさか、4年前の春!?」


 嶺は中学1年生の4月、知り合ったばかりのらんと、新宿へ行く約束をした。ところが当日の朝、貧血になり外出することができなかった。


「お前、あのままあいつと歩き回ってたら、変な男に連れていかれるところだったぞ。――もっとも、あいつが魔法に目覚めたのも、あの日のことらしいがな」


「そうだったんだ……」


「今こうして、お前の夢に出てきてやったのも、そのことでだ。お前があの連中のことで、朝な夕な気を揉んでいるのが、見るにたえんのでな。お前には一生〈トゥス〉を使わせないつもりだったが、もしお前が本心から望むのなら、お前の力を解放してやろう」


「ぜひお願い。わたし、らんちゃんたちの力になりたいわ!」


 嶺は間髪をいれず、こう言った。


 憑き神と名乗る男は、あまりいい顔をしなかった。

 腕を組み、上になったほうの足首を動かす速度が増す。それが、彼が苛立ちを覚えたことを、暗に示す。

 音を立てて、長々と息を吐いてから、青年はまた口を開いた。


「軽率に過ぎるきらいがあるな。本来なら、右と左の脳みそで、6日ずつ考えた上で判断を下すのでも、悠長とは言えないくらい、重大なことだぞ」


「12日も!? そんな呑気なこと言ってたら、とり返しのつかないことになるわ。ひょっとしたら、晴日ちゃんと早月ちゃんまで――」


「そう、()くな。確かにお前が翼を広げれば、連中に降りかかる災難のほとんどは、打ち払ってやれるだろう。とはいえ、お前もタダではすむまい。それでもあいつらと一緒に、戦いたいと思うか?」


「そりゃ痛いのは大キライよ。でも、みんなが苦しんでいるのに、何もできないのも、同じぐらい辛いの。もし晴日ちゃんたちにまで何かあったら、わたし、きっとおかしくなっちゃう」


「お前がどれだけ心配しても、どうせあいつらは、自ら戦いの場に身を置き続ける。お前にはあいつらのことを見限って、別の仲間でも見つけて、そいつらと平凡に暮らす道も、あるんじゃないか?」


「ムリよ、そんなの。いったん知り合っちゃったんだから。なんにもないのに、わたしのほうから縁を切るなんて、わたしからしたら、あの子たちにケガをされるよりも辛いわ」


「もしあいつらも、お前のことを友だと思っているのなら、あいつらもお前を巻きこみたくないと考えるんじゃないのか? お前が今、あいつらの安全を願っているのと、同じようにな」


「そうだったら、いいな……。わたしがらんちゃんの立場だったら、きっとそうする。でも、わたしもみんなと同じように、魔法が使えるんだったら、最後は仲間に入れてくれると思うわ。条件はみんなと同じなのに、わたしだけのけ者にしたら、言いかたは悪いけど、所詮その程度の関係だってことよ」


「ほう」


「それにね。らんちゃんにとって、晴日ちゃんと早月ちゃんは大切な友達なの。――わたしもその1人だって、言ってもらえると嬉しいけど。晴日ちゃんたちがケガをする危険が減る選択を、らんちゃんがしないとは、思えないわ。晴日ちゃんと早月ちゃんだってそうよ」


「そうか……」


 若者は瞑目して黙りこんだ。片方の足首だけ、絶えず曲げたり伸ばしたりした。

 そのようすを、嶺はかたずを呑んで見守る。


 不意に、男は窓から離れた。

 2枚の翼を目いっぱい広げ、しかし羽ばたくことはせず、宙を滑るようにして、嶺に近寄った。

 彼は、いすに座ったままだった嶺の背後に回る。そして、彼女の背中に両手の平を当て、その体に溶けていくように、消えた。


(よかろう。オレの翼は、今からお前のものだ。仲間を守るがいい。お前もまた、守られるがいい)


 嶺の頭の中で、青年の声が響く。

 全身に、彼の意思と力が、行きわたるのを感じた。血液と共に、体中を巡っているような気がした。

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