9-C らんの容態
その後の経過は、デルケトーと戦った後と、おおむね同じだ。
らんは初恵らから応急手当を受けながら、最寄りの病院に運びこまれた。
鴨川には初恵だけがとどまった。
影郎たち3人は、他の医事部スタッフが運転する車で、東京へ帰された。3人とも、らんのそばに残ると言い張ったが、容れられなかった。
彼らは、帝室庁で夜を明かした。しかし誰ひとり眠れず、仮眠室のある3階の廊下で、報せを待った。
廊下の突き当りに、休憩用のちょっとしたスペースがあって、スツールが5、6脚、並べられているのだ。
翌日になっても、誰も動こうとしない。この日は本来、学校の授業があるのだが。
午後、辰午がエレベータで3階に下りてきた。
スマートフォンを握る。初恵から連絡があったようだ。
「何か分かったの?」
早月、晴日、影郎が順に、辰午にかけ寄る。前二者が、辰午の真ん前に立つ。そのすぐ後ろが影郎だ。
「らんの左腕はもう、上がらないよ……」
辰午は、神妙な面持ちで語った。
「え?」
影郎は呆然とする。
心臓を直接ぎゅっとつかまれるような感覚と、頭の中を流れる血がぴたりと止まるような感覚が、同時に彼を襲った。
「あ……」
目の前にいる早月が、か細い声を上げる。その体がぐらつき、後方に倒れそうになった。
「おっと」
影郎が慌てて、彼女を支える。後ろから、肩を抱きとめる形だ。
それでもバランスを崩しそうになり、早月の両脇に、腕をさしこむ。
彼女の体温がじかに感じられ、影郎自身も顔が火照る。
しなやかなブロンドがひと房、彼のほおに当たった。石鹸の香りが、ほのかに伝わる。
「早月ちゃん!?」
晴日が驚いて隣に目をやる。
影郎は、早月の顔をのぞいた。
ただでさえ色白の彼女が、今や顔面蒼白だ。まぶたは閉じ、口は小さく開かれている。気絶したらしい。
「早月! 大丈夫か?」
影郎は早月に声をかける。だがすぐには、目を覚ましそうにない。
「やってしまった……」
辰午は額に手を当てた。
「何がよ?」
晴日は、早月の正面からその肩に手を添え、辰午のほうを向く。
「いや。今の、冗談なんだ……。らんの命に別状はないし、数週間で完治する程度のケガだよ。出血がひどかったけど、骨や内蔵を損傷したワケじゃないから」
辰午は先刻よりも、さらに殊勝な顔をした。
「バカ! なに考えてるのよ、シンゴ」
晴日が食ってかかる。
確かに、辰午にしては、このような不注意は珍しい。
「ごめん。場を和ませようと思って、つい――」
辰午はただ、平謝りした。
「本当に、らんは治るんですか?」
影郎が尋ねる。彼にとって1番の関心事は、この点だ。
「大丈夫だよ。ただ、危なかったのは事実らしいね。もう少し手当てが遅れていたら、左腕どころか、命も危なかったってさ」
影郎と晴日は、早月を仮眠室のベッドに横たえた。
「早月ちゃん、かわいそう……」
晴日は、早月の隣にある寝台に腰かけて、呟く。
「確かに、あの冗談はちょっとマズかったな」
影郎は、晴日が先ほど辰午のした失言を念頭に話していると思った。
「それもあるわ。でももっと重大なのは、らんちゃんを傷つけたことよ」
「あのとき早月、何をしたんだ? フレイルがあいつの言うことを聞かなくなって、暴れ回ってたよな」
「火と水の魔法を、同時に使ったの」
「火と水? あ……」
影郎は立ちどころに、「水火の相剋」という言葉を思い出した。
いわく、五行や四大の火と水には、強い反発作用があり、両者に属する魔法を1度に行使すると、術者自身が身を裂かれるような事態に遭遇する、とのことだ。
「早月ちゃん、直前まで〈ケン〉と〈リシュ〉をフレイルに宿してたんだけど、〈ラーグ〉と〈ニン〉に切り替えようとしたの。火を司るルーンとオガムから、水にまつわる文字にね。でも早月ちゃん、〈ケン〉と〈リシュ〉を両方ともとり外すんじゃなくて、先に〈ケン〉と〈ラーグ〉だけ入れ替えたの」
「〈リシュ〉と〈ラーグ〉が、フレイルにはまった状態になるよな」
「そうなの。見たでしょ、あのスパークみたいなの。私も実物を目にするのは初めてだけど、聞きしに勝る光景だったわね」
「そうだな。あのメスラムタエアを、一撃でこっぱみじんにしたんだから」
「前にも言ったかもしれないけど、水火の相剋の意味は『分断』よ。らんちゃん、胴体で真っ二つにされていても、おかしくなかったわ。指1本さえ欠けてないなんて、途方もない幸運ね」
「…………」
影郎は絶句した。らんが五体満足であることを、今になって天に感謝した。
「らんちゃんの〈十絶陣〉って、八卦の考えかたに基づいて配置してるんだけど、八卦は火と水とか、天と地みたいな対立するペアで構成されてるの。もちろん、中には山と沢とか、雷と風みたいな、割合い温和な組み合わせもあるわよ。だけど、やっぱり火と水の扱いにはいつも神経を使うって、昔らんちゃん言ってたわ」
「早月らしくないな。そんな凡ミスをするなんて」
影郎の知っている早月は、平時の小児的な言葉づかいに反して、戦うときは人一倍、用心深い。それはもう、怯懦という指摘を、甘んじて受ける覚悟があると思えるほどに。
現に、ヒダル神や常世神と戦った際、誰よりもリスクの少ない作戦を提案したのが、彼女だ。
「そうなの。早月ちゃん、本当に責任感が強くて、慎重な子なの。こんな初歩的なミスでらんちゃんを傷つけたなんてことになったら、どんなに自分を責めるかしら? らんちゃんのケガが治るって分かった今だから言えるけど、早月ちゃんのほうが、かわいそうだわ」
晴日の瞳は心持ち、うるんでいるように見えた。
早月はそれから2時間以上たっても、目覚めなかった。昨夜は一睡もしていないので、このまま半日近くは、眠り続けるだろうと思われた。
晴日がその隣で眠った。早月が起きたとき、1人にならないように、という配慮からだ。
影郎は、男性用の仮眠室で横になった。らんの傷が遠からず完治すると分かった安心も手伝い、1分もしないうちに、眠りに落ちた。
3人は、翌日の明け方まで熟睡した。
起き抜け、影郎と晴日は、早月にらんのぶじを伝えた。
早月は、子供のようにわんわん泣き喚いた。
らんが助かったことが嬉しくて泣いているのか。あくまで、己の過失を悔いているのか。影郎には、察し得なかった。




