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異世界への渡航の自由は、これを認めない  作者: よしゆき
第8回 ナラヤナストラ
32/49

8-C ハーヒマスとの戦い(1)

 2月上旬に2度、式神の襲来があった。

 1回目は饕餮(とうてつ)、2回目はヒダル神だ。

 誰もが予想した通り、いずれと戦う際にも、影郎の〈帰神法〉は発動しなかった。太薙の不在が原因であることは、火を見るよりも明らかだ。

 トウテツは、らんが〈烈焔陣(れつえんじん)〉で焼き払った。ヒダル神は、早月が〈知恵〉(アンスール)で貫いた。


 そして4人は、2月16日を迎えた。


 影郎らが式神を待ち構えた場所は、静岡県伊東市、川奈(かわな)だ。

 伊豆半島の東岸。中央部よりも、ややつけ根寄りに位置する。


 その中でも、漁港からほど近い所にある広場を、4人は戦いの場に選んだ。

 円形で、広さは小学生がフットサルをするのが精いっぱいといった程度。足下はコンクリートだ。

 さん橋のように、岸から海に向かって出っ張るような形で、設置されている。

 4人は、その中央に陣どった。


 戦うのに向かない、狭い場所に相手が上陸すると分かったとき、晴日たちは少なからず、頭を悩ませた。

 周辺に与える被害を最小限にとどめるには、どうすれば良いかと検討した。その結果、敵が海上にいる間に、片をつけるほかないと、結論された。


 辺りは、ちょっとした集落と、砂浜があるばかりだ。夜にもなれば、波の音しか聞こえない。


 前回の教訓から、付近に初恵ら医事部の職員が、応急手当の用意を整えて、待機している。――付近といっても、すでに展開された〈十絶陣〉の影響を受けない程度には、離れているが。


 また辰午からは、「危険を感じたら早めに離脱するように」と厳命されている。


 2月の海辺は、身を切るような寒さだ。

 4人は狩衣(かりぎぬ)などの下に、温かい衣服をうんと着こんだ。

 が、それでも底冷えがする。吐く息は真っ白だ。


 月がいよいよ皓々(こうこう)と輝き出すころ、式神はやってきた。

 だが、その姿を影郎たちが確認するよりも先に、ある変化が起こった。


「あれ?」


 早月が最初にそれに気づき、首を傾げる。


「どうしたん?」


 らんが尋ねた。


「いや、何でも」


 早月は首を振る。あたかも、己の疑義を払拭しようと努めるかのようだ。


「気のせいや思うても、念のためゆうてみ」


「うん。その……、さっきと景色がちょっと違うような気がして」


 早月は水平線のほうを見やる。


「海の?」


 釣られて、らんもそちらを向いた。


「うん」


「どんなふうに?」


「何というか、海がさっきより狭くなったような……」


(しお)が引いた、ちゅうこと?」


「そうなのかな? でも、ボクらがここに来てから、まだ1時間も経ってないんだよ? 1時間で起こる汐の満ち干って、特に注意して見てなくても、気づくほどのものなの?」


「そらウチも知らんけど……。ちょっと、来てくれる?」


「うん」


 らんは早月を伴って、広場のすみまで歩いた。つけ根部分から先端のほうを向いて立ったとき、右端にあたる場所だ。影郎も、2人の後についていく。

 彼らはそこから、直立した姿勢のまま、真下の海をのぞきこむ。


「やっぱ分からん」


 らんは顔を上げて、肩をすくめた。

 仮に潮位が低下していたとしても、それを知るのは容易ではない。波で水の高さが、絶えず変化しているからだ。


「待って」


 早月はらんを手招きする。


「ん?」


 らんは早月の真横に立って、彼女の見ている先を、凝視した。


「あの船」早月は、港の岸壁につけられた漁船に注目した。「岸と比べてだいぶ低いよ。仮に今がいちばん、汐が引く時間帯だったとしても、これはおかしいんじゃない?」


 早月が見つめる船のデッキと、それが接する岸には、目測で1.5メートル以上の高低差がある。

 こんな状態では、乗り降りをするのもひと苦労だ。もしも干潮時は常にこうなるのだとしたら、船か港のどちらかの構造に、問題がある。


「見ろよ、あのロープ」


 影郎はらんのほうを向き、船を係留している綱を、指さした。

 もやい綱は完全に伸びきって、岸壁の角とこすれている。切れるのは、時間の問題だ。


「ホンマや。こら、不自然やな」


 そう言いながららんは、影郎から目をそらした。彼の視線を逃れようとするかのごとく、早月のほうを向く。


 デルケトーとの戦い以降、らんは影郎と目を合わせることを、避けるようになった。

 これまで通り口はきいてくれるし、邪険に扱われることもない。だが、目を合わせてくれないだけでも、拒絶されたような気持ちは催す。


 影郎が思うに、原因は間違いなく、彼が再び、お荷物になったからだ。その不甲斐なさに対し、愛想を尽かしたのだろう。

 こうなってしまっては、関係修復のよすがもつかめない。


 影郎がどうしたものかと考えていると、3人が見ている漁船の位置から、硬いもの同士がすれ合う音が響いた。

 音量からして、相当大きな力が加わったものと、想像される。恐らく、船底が海中の岩か何かに触れた音だ。


「みんな、こっち!」


 広場の突端にたたずんでいた晴日が、他の者を呼ばわる。


「何や何や?」


 らんが晴日のほうへかけ出す。むろん、早月と影郎もだ。

 その間に、港のほうから最前と同じ衝突音が2回、立て続けに聞こえた。別の船が2隻、着底したようだ。


「あれ見て」


 晴日は、沖に目を転じる。

 他の3人もこれに従った。


 見ると、湾内の水が、外に流れていく。それまで波打ち際だった所が、見る見るうちに、単なる岩場に変ずる。

 数分もすれば、海草が生えているような所までが、陸地に変わる。汐の臭いが一段と強まり、鼻につく。


 いつしか、小さな湾の全体が、磯のような地形になっていた。

 時折、何か光るものが、身を翻す。打ち上げられた小魚だろう。


 それでも、潮流の異変は止まらない。

 まるで、水平線の彼方に、巨大な栓があり、それが抜けて、海水が吸いこまれているかのような光景だ。


 影郎たちはそのさまを、あっけにとられて見ていた。

 時間にして、実に数十分のできごとだ。しかしあまりに劇的な眺めに、4人の目は、始終くぎづけだった。

 誰もがこれを、式神の所行であると確信した。


「今回はハーヒマスか」


 らんの言葉に、他の3名がうなずく。


 ハーヒマス。海を干上がらせたといわれる神だ。


 その後も敵は、姿を見せない。

 ついに、見わたす限りの海水が、()平線の向こうに消えた。


「来た!」


 早月が、新生大地の1点を指さす。

 他の3人も、その方向に目を凝らす。


 見ると、ついさっきまで海原だった場所を、1人の人間が歩いている。


 岸からまだ、1キロメートル以上はなれている。そのため、容貌も体格も、まだ分からない。

 ただ全身から、かすかな光を放っている。色は、うっすらと黄色がかった白だ。

 天変地異の前触れにしか見えない、乾いた海の真ん中を、悠々と横切っている。そのさまは、神々しいと表現して、何らさしつかえない。


 以上と、大海に突如現れた者が、〈十絶陣〉に接近しているという点。

 これらを重ね合わせれば、それが人間ではないと断じるに、十分だ。


「わざわざひらけた場所、こしらえてくれたんは大助かりや。おかげで、周りのこと気にせんですむ」


 らんが言った。


「晴日」


 早月に促され、晴日は(けん)を差し上げて、祈祷文を唱える。


 円盤はコハク色の光彩を帯びた。そして見る見るうちに、輝きの度合いを強める。

〈バヤビヤストラ〉が宿るや否や、晴日は得物を投擲した。

 風天の武器は、式神に向かって、まっすぐ飛んだ。その軌道を中心に、海底の小石や泥が巻き上げられて、渦を巻く。


 敵の発する光と、〈アストラ〉のそれが1つになる。

 影郎らの立っている位置とは隔たりがあるためか、接触に伴う音は聞こえてこない。


 晴日は早くも、次の攻撃にかかる。

 らんと早月は、まだ行動に移らない。現在の距離だと、2人の魔法は届かないからだ。


 ハーヒマスは依然、新たな野を闊歩する。


 実のところ晴日たちは、この日までにハーヒマスの弱点を、特定できなかった。

 そこで、各種の魔法を続けざまにうちこみ、その場で弱点を割り出すことに、決めていたのだ。


 晴日は準備を終えるが早いか、〈バルナストラ〉を発射する。


 水天の武器は、斜め上に向かって飛んだ。そして上空30メートルばかりの所で、はじけた。

 虚空に水が、次から次へと生じる。風船を膨らますかのように、体積を増していく。

 大量の水が、式神に降り注いだ。滝のようというよりも、1つの塊が落下したときと同じ、一瞬のできごとだ。

 湾の中が、一時的に水で満たされる。水位は、影郎たちがこの場所に到着した時点の、半分ほどある。


 だがそれも、見る間に沖のほうへ流れていった。やがて元のように、海底が露出する。

 敵は今もって、歩を進める。


 晴日はすでに、〈スルヤストラ〉の密言(みつごん)()み始めている。


 間合いが多少つまったことで、影郎はようやく、ハーヒマスの全身を、つぶさに観察することができた。


 見たところ、50才前後の男性だ。胸まで届く長いあごひげを蓄え、これを細かく編んでいる。

 中背で、肉づきは特に精悍というわけではない。

 上半身は裸だ。腰に、1枚の布をまとっている。丈は膝までだ。

 頭には、冠か兜のようなものをかぶる。非常に山が高く、先端は槍の穂先のように、(せん)鋭だ。

 両手に、何かしらの武器を抱えている。形状は農具の(すき)に近い。だが、それにしては柄が異様に長く、彼の身長を優にこえていた。


「そろそろウチのも届くかな?」


 らんは桧扇を、ばっと開いた。それを手前に持ってきて、地面と垂直になるように構える。ちょうど、「止まれ」の合図をする際に、手の平を相手に向けるのと似た格好だ。


 すると、桧扇よりも50センチメートルかそこら前方を始点として、光の帯が出現した。

 その数、5本。いずれも、光度や色調を絶えず移ろわせる。周囲に火花を散らしている。

 それらは式神に向かって、中空を突き進んだ。ジグザグに折れ曲がったり、互いに絡まり合ったりしながら、5条の筋となって、闇を切り裂いた。


五雷(ごらい)〉の術だ。6月に吉祥寺で、強盗に対し使用した魔法だ。

 だが外観からして、あのときとは規模が、まるで違う。光の柱の太さは、1本1本が雨雲を走る稲妻と、そう変わらない。

 らんは前回、〈五雷〉の威力をかなり抑えていたらしい。それもそのはず、影郎がいま目にしている電撃は、人間が受ければ1発で、絶命しそうなものだ。


 5条の稲妻が、相次いで対象に命中する。

 数秒おくれて、重低音が港にこだまする。


「きっと、まだだわ」


 晴日は結果を確認するより先に、圈を投げつける。


 日天の武器はまばゆくきらめきながら夜空をかけ、〈バルナストラ〉と同様、空中で炸裂した。

 真夏の正午よりも強烈な閃光が、辺りに満ちる。

 影郎たちのうち、誰もが目を閉じ、まぶたに手を当てた。


 閃光は、ものの数秒で止んだ。だがその後も、あちらこちらに火の手が上がる。

 影郎たちから見て、いちばん右手にくすぶる炎と、左手のそれとの間には、数百メートルの距離がある。〈スルヤストラ〉はそれくらい広い範囲に対し、ものが発火し得るほどの高熱をもたらした、ということだ。

 晴日の攻撃もまた、影郎が過去に見てきたのよりも、格段に火力があった。彼女は今まで、式神と戦う場所の広さに合わせて、魔法の出力を加減していたのだ。


「ダメだわ。あんまり効いてない」


 晴日はきゅっと歯がみした。


 敵は健在だ。目立った傷はどこにも見られない。

 彼は今も、陸地を目指して行進を続けている。すでに、湾の内側まで進入された。


 その後、晴日は〈マヘンドラストラ〉を、らんは〈発手群石(はっしゅぐんせき)〉を放った。

 だが案の定、成果を挙げることはなかった。


「風、水、木ぃ、火ぃ、土。何でどの魔法も通じへんねん!?」


 らんが、焦りもあらわに叫ぶ。

 金の属性を持つ魔法だけは、未使用だ。これは、該当する技を、らんしか習得していないため。また、らんの金の魔法にしても、全て近距離でしか、効果を発揮しない。


「このままだと、デルケトーと戦ったときの、二の舞だわ」


 晴日が困惑の表情を浮かべる。


 影郎の脳裏を、頭から血を流して倒れる、親友の姿がよぎった。


(権藤がいないと、何もできないのかよ、俺は!)


 影郎は、何らかの霊が、自身に降り立つのを祈った。これまで霊に乗り移られる瞬間に催していた感覚を思い出し、今まさにそれを体験しているかのような気分に、浸ってみた。

 それでも、彼に霊が降下することはなかった。

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