6-C ギルタブルルとの戦い
5人が1か所に集まる。
すると、ちょうど川とは反対の方向から、誰かが歩いてくるのが分かった。
影郎たちと同年代の少女のようだ。その顔を見て、影郎はその人物に、見覚えがあると思った。――灯巳だ。
「晴日ちゃん!?」
灯巳は、〈十絶陣〉の手前で立ち止まる。呆然とした、虚ろともとれる顔つきだ。
「灯巳ちゃん、どうしてここに?」
晴日も同じように驚く。
それもそのはず、通常の人間であれば、〈十絶陣〉に接近することすら、ままならないはずだ。
考えられるのは1つ。灯巳もまた、魔法使いだということだ。
「まさか、晴日ちゃんだったの?」
灯巳は晴日の質問には答えず、己の問いを投げかける。
「何が?」
晴日も彼女の言いたいことが、分からなかったようすだ。
「わたしの随獣たちを倒してたの、あなただったの!?」
「随獣? ごめんなさい。何のことだか、私――」
「ライオンみたいな鳥よお! あなた、さっき見上げてたでしょ!?」
灯巳の声色に、次第に怒気がこもる。
「あれ、灯巳ちゃんがけしかけてたの?」
「そうよ! この1か月、角の生えた蛇とか、羽の生えた人とか、色々呼んだのに、1つも帰ってこなくて――」
「今までの、ぜんぶ灯巳ちゃんの式神だったってこと?」
晴日の肩がふるえる。
らんや早月も、互いに耳打ちし合う。
今月に入ってから、政府要人がやたら式神に襲撃されると思ったら、原因は灯巳だったのか、といった内容だ。
確かに、灯巳のいう「角の生えた蛇」や、「羽の生えた人」は、直前に戦ったバシュムや、アルダト・リリの特徴と合致する。
「やっぱり晴日ちゃんだったの? 誰が邪魔してるんだろうと思って、随獣のあとを追ってきてみれば……」
灯巳の目が、怒りと猜疑心に燃え上がる。
「でも灯巳ちゃん。あれにやりたいようにさせたら、人が死ぬのよ? それに議員さんなんかが死んだら、大混乱になるわ」
「わたしには関係ない! わたしは聖君の言う通りにしてるだけ。随獣が何をしでかしたって、聖君が後始末すればいい」
灯巳の投げやりな物言いに照らして、彼女とて「聖君」とやらに信頼を寄せているとは、とうてい思えなかった。
「聖君? 誰のことなの、それ?」
「もういいわ! これまでもわたしの言うことなんて、理解されないことのほうが多かったから。せっかく教化してあげようとしても、誰も彼もわたしのこと、ノラ猫に向けるような目で見てくる」
灯巳は、一方的に話を打ち切った。
間もなく、彼女を紫色の光が包んだ。
体の周りを、火花のようなものがちろちろと輝きながら、いく筋も行き交う。方向は特に定まらず、直線的に飛んでは消える。
「灯巳ちゃん……。それ、アウラ?」
晴日が呟く。
その間にも、灯巳の真ん前の地面に、にわかに真っ黒い染みのようなものが生じた。それはゆっくりと、時計回りに輪を描くように、拡がっていった。
影郎の目には、灯巳を撮った写真から、彼女をすっぽりと包む円を、ハサミで切りとっているように見えた。
漆黒の真円が、完全につながる。
すると、その内部に見えていた景色が、渦を巻き始めた。そして、円の中心に落ちこむようにして、消え去った。
影郎たちと灯巳の間に、直径2メートル程度の円盤が出現したような形だ。
影郎たちに向いている面は真の闇で、何も見えない。
彼らの位置からだと、暗闇がどれくらいの厚みなのか、分からない。その向こうが今、どうなっているかもだ。
当然、灯巳がそこにいるかどうかさえ、はっきりしない。
(あれ? この穴……)
影郎は、目の前にぽっかり開いている空洞を、過去にどこかで目にしたような気がした。
だが、そんなことをいつ体験したのか、見当もつかない。恐らく、単なるデジャビュだろう。
見ていると、輪をくぐるようにして、1匹の怪物が現れた。
それは、鳥の胴体から人間の上半身と、サソリの尻尾が生えたような姿だった。
人間の部分は筋骨隆々で、赤茶けた長いひげを蓄えている。また、角飾りのついたかぶりものをし、弓矢を携えていた。
身長は、後方に口を開ける暗黒の直径と、ほぼ同じだ。
「ギルタブルルか」
らんが即座に、新手の正体を判別した。
「ダメだよ。魔法円も描かずに〈サモンズ〉をするなんて!」
早月が灯巳の身を案じる。
化け物の全身が、完全に輪の外に出る。それと同時に、黒い円は中心に向かって、閉じるように消滅した。
その先には、灯巳が変わらず立っていた。最前よりもいくぶん、落ちついているようだ。
らんがギルタブルルだと断じた魔物は、灯巳のほうにふり返った。指示を待ってかしこまっているようにも、受けとれる。
「どう、晴日ちゃん? 強そうでしょ。この子なら、どんな相手でも息の根を止められるわ。それに、ふつうの人には見えないのよ。わたし、これと似たようなのを、いくらでも呼び出して操れるの」
「灯巳ちゃん、それで一体、何をするつもりなの?」
晴日が問う。
「わたし、今でも晴日ちゃんのこと、友達だと思ってる。だからわたしのところに来て。一緒に、わたしの随獣がこの世をメチャクチャにするの、見ていましょう」
「この世をメチャクチ……? それ、灯巳ちゃんが望んだことなの?」
「わたしじゃない! 聖君がやれって言ってるのよ。わたしにはそんなこと、どうだっていい」
「聖君? さっきも言ってたけど、誰なの? そんなに強そうな式神に言うことを聞かせられるのに、灯巳ちゃんも逆らえない人なの?」
「もういい! あなたたちのことは襲わないでって、この子にきつく言っておくから、安心するといいわ。でも、わたしにも果たさないといけないことがあるの」
灯巳はギルタブルルに目を向け、川のほうを指さした。その先には、東京の夜景が広がっている。
式神は、主人の指し示す方角へ、歩き始めた。
「いけない」
太薙が言った。
その直後、影郎の全身に、再度力がみなぎる。
彼に何らかの霊が降り立った。今しがた、イム・ドゥグドと戦うのに助力してくれたのと、同一の存在であるようだ。
影郎は猛然と走り出し、怪物に追いすがる。
相手はふり返り、弓をとり上げる。
だが矢をつがえるのよりも早く、影郎が化け物を張り倒す。すれ違いざま、腕全体をムチのように使って、敵を打ちすえたのだ。
影郎はまたも右足で、式神の咽喉を足蹴にする。
二者の体格差を考えると、影郎がこうもやすやすと、魔物を打ちひしぐことができたのは、極めて不自然だ。その点は、彼に手を貸す、霊の力ぞえあってのことと見える。
影郎はギルタブルルの手から、弓と矢を奪う。そして前者を、真っ二つにへし折った。
後者で、敵の目を刺そうと思った。しかし、彼は頭をのけ反らせていたので、それは叶わない。
代わりに、腹に矢を突き立てる。そのまま矢尻で、化け物の体内をかき乱す。
式神もこれにはたまらず、野太い雄叫びを上げる。加えて、手足をぴくぴくとふるわせた。
10数秒もすればその動きも鈍り、やがて完全に沈黙する。
時を移さず、ギルタブルルの体が崩れ去った。
とたんに、影郎の体もくずおれる。霊が抜け出たせいだ。
太薙がかけ足で近づいてくるのが、目に入った。
「灯巳ちゃん。やっぱりやめようよ、こんなの。灯巳ちゃんは、本当は何がしたいの? 最後に何がどうなれば、幸せなの? それは、わざわざ人を殺したり、この世をメチャクチにしたりしないと、達成できないこと?」
晴日が灯巳に呼びかける。
「分からない。どうしたいのか、自分でも分からないのよぉ!」
灯巳はしきりに、イヤイヤをした。
「ねえ。明日、みんなで一緒にコンサートに行く約束、覚えてる? 辛いこと、色々あったんだろうけど、全部いったん忘れましょう? 楽しいことをした後のほうが、前向きにものごとを考えられるよ。1人よりも、7人でとり組んだほうが、いい考えが浮かぶと思うし」
「晴日ちゃん……。あなたがわたしのこと、気づかってくれてるの、分かるよ。今でも、わたしの味方でいてくれることも」
そう言う灯巳はしかし、目に涙を浮かべていた。
「灯巳ちゃん、だったら――」
「でも、ダメなの。これをやらなきゃ、お父さんもお母さんも、わたしのこと見てくれない。わたしに構ってくれないの。――どうして? どうしてよ神様!? わたし、生まれた瞬間から、あなたに何もかも与えてきたのに、わたしには、ふつうの人よりもわずかしか恵んでくださらない」
灯巳は、地面にぺたりと座りこんだ。そのほおを、大粒の涙が伝う。
「どうしたの? 何があったのか話してよ! 私にできることってない?」
「晴日ちゃん、わたしに優しくしないで! そんなことされると、余計に苦しい。――どうして? お母さんと、晴日ちゃん、どちらかしか手に入れちゃいけないの? 両方欲しがるのはわがままだっていうの? 親と友達なのにっ!」
灯巳は頭をふり回したり、自分の肩などを拳で叩いたりした。
再び、彼女の周囲に光が生じる。さっきと同じ、紫の火花だ。だが先刻よりも、色がはっきりしている。筋も長く太い。
閃光同士が衝突して、四方八方に飛び散る。
「ダメだ! これ以上感情をむき出しにしたら、魔法を制御できなくなる。まずは落ちついて!」
早月が、血相を変えて叫ぶ。
灯巳はなおも泣きじゃくりながら、我と我が身を傷つけ続けた。早月の言葉が、耳に入っていないみたいだ。
影郎は太薙を伴い、晴日たち3人の元に、とって返した。
「灯巳ちゃん……。もしかして、誰からも魔法を教わらずに――?」
晴日が言いかけたそのせつな、灯巳の頭上に、新たな暗闇が広がった。
この場にいる6名が、手をつないで作った輪ぐらいの大きさだ。そして、いちばん下のへりが、直立した灯巳の目の高さに相当する。
(まただ)
影郎は再び、デジャビュに見舞われる。
円の中から、新たな式神が、姿を見せた。
それは、完全に人間の格好をしていた。20才前後の男性だ。顔立ちは均整がとれ、気品がある。
髪と瞳は、赤褐色。ギルタブルルとは異なり、ひげは生えていない。
身につけた白い衣には、うろこのような模様が浮かんでいる。彼はそれを右肩で吊るす。丈は足首までだ。
今回も、式神が全身をのぞかせるや、黒い真円は、閉じるように消失した。
晴日、らん、早月の3人はめいめい、得物をとって身構える。
男は灯巳の目の前に舞い降り、呼び出し手に対面する。
「娘よ。汝が世を恨みかこつ愁訴、余の耳にしかと届いた。なれが求めれば、余はうつし世の常制を、根本から除き去ってやろう。なれに忍従を強いる世をくつがえしてやろう。そうすれば、なれと同じ理由で涙を流す者は、以後現れぬ」
「そんなことが、できるの?」
灯巳は顔を上げ、式神を見つめる。その目は、泣きはらして真っ赤だ。
「造作もない。余の意を受けるいにしえの神々が、なれの理想をことごとく、現出させよう。全ては、なれの望み次第だ」
「じゃあ、やる」
「ではその返報として、なれの命をさし出せ」
男は灯巳の前に、自身の手を突き出した。いかにも何かを要求するように、手の平を上に向けている。
「いいわ。わたしはもう、十分苦しんだ。これ以上、何を失うというの? 恐れることなんかないわ」
灯巳は迷わず、これに手を伸ばす。
「あかん!」
「灯巳ちゃん!」
らん、次いで晴日が叫ぶ。
ところが灯巳はこれを意に介さず、式神の手に己の手を重ねた。
次の瞬間、灯巳の全身が燃え上がる。
「……、……、……、……」
猛火の中で、灯巳の顔が苦痛に歪む。だが気丈にも、彼女は声を上げなかった。
「灯巳ちゃあああん!」
代わりに、晴日の悲鳴が辺りに響きわたる。
灯巳の体は、紅蓮の炎に溶けるようにして、消えてなくなった。火に包まれてから見えなくなるまで、ものの数秒と要しなかった。
「契りはなった。なれの願い、明けの明星シャハルが了承した。なれが過ごした永い夜は、余といにしえの神々が、必ずや光に代えてくれよう」
男は片手を高々とさし上げる。
ほどなくして、彼の真ん前に先ほどと同じ、漆黒のトンネルが開いた。
式神は、半空を滑るように移動し、暗闇の中におどりこむ。
彼が闇と同化してから間髪をいれず、虚ろな穴は、張りつめた空気の中に消えいった。
あとには、影郎、晴日、らん、早月、太薙だけが残された。
夜の大気に、晴日のむせび泣く声だけが、いつまでもこだました。




