6-B イム・ドゥグドとの戦い
演奏会の前日、影郎たち5人は、多摩川緑地で式神を待ち受けた。
クリスマスが間近に迫った、金曜日のことだ。
川崎市中原区に位置し、多摩川の右岸。川を挟んだ反対側は、東京都大田区だ。
4月に影郎、晴日、らんの3人で、鬼女と対峙した場所でもある。
冬至が近く、夜の帳が下りるのも、早くなっている。影郎たちは、午後5時前には目的地に到着し、〈十絶陣〉の敷設を完了した。
5人はその中央に立って、南西の方角を向く。
「今日でやっと仕事納めね」
晴日が、誰に対してとなく言った。
「そやな。12月やからって、式神ら張り切って大量生産せんでもええんに!」
らんが応答する。多少、苛立っているようだ。
今月に入ってから、式神が送りこまれる頻度が、とみに増加した。
狙い澄ましたかのように、大物ばかりが標的にされる。
具体的には、衆議院議長、内閣総理大臣、最高裁判所長官などだ。特に警視総監には、3度も式神が放たれている。
今回のターゲットは、与党の次期総裁との呼び声も高い、ある有力議員だ。
式神の形も、特徴的だ。
あるものは、2本の足が生えた蛇だ。夜刀神のように、頭から角も生えていた。だがヤトの神のと比べると、だいぶ短い。
またあるものは、獅子の頭を持った人間だ。ひじや膝から先も、ライオンの足になっている。そこから鋭い爪を、出し入れしていた。
別のものは、翼の生えた牡牛だ。角が真っ青で、とてつもない大きさだった。
晴日たちはこれらについて、芽実の遺した資料に基づき、それぞれバシュム、ウルマフルル、グダナという怪物であると、結論づけた。
9月に襲来したアルダト・リリとも、再度戦った。
晴日が「今日で仕事納め」と言ったように、この日が年内で、最後の式神退治だ。それが終われば、肩の荷が下りた状態で、コンサートに行ける。
そして、年が明ければ影郎たちが出動する回数は、元の水準に戻る。
「ねえ、影郎」
早月が影郎に話しかける。彼女にしては珍しく、甘えるような声音だ。
「な、何だよ?」
影郎はうろたえる。
早月の尋常でない態度に対し、何かよからぬ頼み事でもされるのではないかと、危惧したのだ。
「たまには手加減してやってよぉ!」
案の定、早月はむり難題を突きつけてきた。
「はあっ!? 何でだよ?」
「このごろボク、出番がなくてつまんないんだよう」
早月は今度は、ダダをこねる子供のようにふるまう。
今月、戦う回数が増えたといっても、戦闘そのものは例外なく、開始後3分以内に決着している。審神者として新たに加わった太薙のおかげで、影郎の〈帰神法〉が毎回、のっけから成功したからだ。
影郎が神がかって、式神を引き裂いたり、絞め殺したりする。これが、近時恒例の勝ちパターンと化していた。
いつからか、〈十絶陣〉内部における、5人の配置も変わっていた。影郎と太薙がすぐさま行動に移れるよう、晴日たち3人の前に出たのだ。
そのため、12月に晴日、らん、早月が魔法を使う機会は、ついぞ訪れなかった。
早月が退屈そうな顔をするところを、影郎が見たのは、1度や2度ではない。
「ラクでいいじゃないか」
「そうでもないの。式神退治はボクの仕事でもあるから、誰かに任せっきりにすると、申しわけなさで居たたまれないんだ。自分が働くよりも、よっぽど疲れるんだよ」
「生マジメな奴め。寿命、縮むぞ」
と言いつつ影郎は、早月の気持ちが、痛いほどよく分かった。ついこの間まで、自分が彼女の立場だったからだ。
とはいえもちろん、影郎は早月のわがままを聞いて、敵に手心を加えるつもりなど、毛頭ない。
早月らに、自ら戦う機会を提供するということは、とりもなおさず、彼女らが直面する危険の程度を高める、ということでもあるのだから。
日はとっぷりと暮れた。
影郎が寒気を覚え始めたころ、式神が姿を見せる。
「来たみたいだよ」
最初に声を上げたのは、太薙だ。
5人の前に現れたのは、獅子のような鳥のような生き物だった。
猛禽の体で、頭は雄のライオンになっている。
たてがみと羽毛は、一様に真っ黒。鉛のような光沢がある。
頭の大きさは、動物園にいるライオンのものと同じだ。胴体もそれに合わせて巨大で、鳥類としてはあり得ないサイズになっている。
翼長は鶴の倍くらいある。足は、ダチョウのそれに匹敵する。
「イム・ドゥグドか」
「映画で観たロック鳥ほどじゃないけど、やっぱり大きい」
「粘土板とか、持ってないよね? ……うん、見当たらない」
らん、晴日、早月が口々に言った。
「この式神、悪しき企みもて汝命が領域を侵しております。これを排することを望まれるならば、ここな寄り人をご使役くださいませ。この者には、汝命の御意に沿う備えができております。ご降下ください」
太薙が、誰もいない空間に向かって嘆願する。
その対象は影郎はおろか、訴えかける本人にも見えていない。
太薙の周囲を、煙のような白い光が漂う。
彼のアウラは影郎のものと、色も形も全く同じだ。さればこそ、ヨリビトとサニワという、1対の役職が務まるのだろう。
太薙が口上を述べ終えるよりも先に、影郎の意識が薄まる。
その心を、己の力に対する確固たる信頼と、それを誇示したいという衝動が覆う。
影郎はふらふらと前に歩み出た。そして、〈十絶陣〉の中央と、外層を隔てるラインの手前に立つ。
イム・ドゥグドが、獅子の声で2、3度吠える。そして、影郎を目がけて急降下した。
大口を開け、2本の足からはカギ爪を、これ見よがしにちらつかせる。
怪鳥は影郎の真上まで高度を下げ、長い足を彼に伸ばす。
影郎は、わずかに体をひねるだけで、それをかわした。
彼に乗り移った者からすれば、この地で生起する事象は、全てその意のままだ。
足下にあるアリの巣が、何層構造であるかから、川をさかのぼる魚が、いくつの卵を産むかまで。思い通りにならぬことは、何一つない。
ここで起こることは、過去から未来まで全て知っている。相手の爪がどこからどこをかすめるかも、例にもれない。
魔物が、影郎の立っている場所を通り過ぎる。
それと同時に影郎はふり返り、式神の尾羽を、右手でむずとつかむ。
彼は、敵の体を乱暴に引き下ろした。
イム・ドゥグドは、尾羽の先を中心とする円弧を描き、砂地に墜落した。
落下した速度の割に、勢いを欠いた音が立つ。もうもうと土煙が上がる。
怪鳥は頭をこちらに向けて、あお向けに横たわっていた。天に逃れ去ろうと、足や翼をばたつかせる。
影郎は、一足飛びに舞い上がる。そして相手から見て、左の脇に跳び移る。
着地するときの加速を味方にし、右足で魔物の首根っこを踏みつけた。
式神が、憐れみを乞うような声を出す。獅子の口から発せられたとはおよそ信じがたい、小鳥を思わせる哀鳴だ。
だが影郎は、敵の喉くびに当てた足に力を込める。彼にとりついた者の嗜虐心が、影郎にも伝わる。
イム・ドゥグドの口から、白い泡がこぼれ落ちる。
影郎はその姿勢を保ったまま、自分に近いほうの翼を両手で抱えた。そして力任せに、これを引きちぎる。
怪鳥は再び、獅子の声音で絶叫する。
羽をもぐため、一段とふんばったせいか、影郎の足下で、何かが潰れ、あるいは砕けた。その感触が彼にも伝わる。
相手の頸椎、ないし気管が破損したようだ。
魔物が致命傷を負ったことを、影郎は理解した。
ひと思いにとどめを刺したほうが、まだ慈悲深いとも考えられる。が、影郎を突き動かす者は、そのような情けを持ち合わせていなかった。
それは己の用事を果たすと、即刻、寄り人の体を離れた。
全身から力の抜けた影郎が、その場にへたりこむ。と同時に、敵の骸が消えいった。
(晴日たちでも、楽勝だったな)
自身の意識が、心のすみずみまで行きわたる。それを実感しつつ、影郎は思った。
今回のイム・ドゥグドに限らず、今月相手にした全ての式神について、同様の感想を持った。
「人見!」
太薙が影郎に歩み寄り、その肩に手を添える。
「ちょっと権藤くん。影郎のこと、『人見』って呼ばないで!」
晴日が太薙の後を追い、彼と影郎の間に、半ば強引に分け入った。
「男同士は基本、苗字で呼ぶだろ」
影郎が突っこんだ。
「あっそ。じゃあ私、影郎のこと『ヒトミちゃん』って呼ぶわよ!」
晴日が噛みつく。
「意味わかんねえ! っていうか、微妙にニュアンスがちがうだろ」
「……晴日、ご乱心やなぁ」
らんが早月に言った。
「まあとにかく、新丸子に行きましょうか」
晴日が太薙の代わりに、影郎に手をさし出す。彼女の言う「新丸子」は、最寄り駅の名前だ。
影郎は、晴日の手を借りて起き上がることをためらい、周囲を見回した。
案の定、らんと早月が2人に、視線を注いでいる。
だが、晴日の申し出を突っぱねるわけにもいかず、その手をとって立った。




