4-C トルコ料理店にて
「ケナン・アドナン」は、5分もしないうちに見つかった。
ハロウィーンにトルコ料理というのは、一風変わった組み合わせだ。にもかかわらず、店内は大盛況だ。
客の約8割は女性である。
幸いにも、6人で利用できるテーブルが、1つ空いていた。影郎らはそこへ案内された。
卓の端と接する壁に、トルコ共和国の国旗がかかっている。言うまでもなく、赤地に白の三日月と星、というデザインだ。
5人を席に通したのは、40代前後の男性だ。
たくましい体格で、シェフよりも軍人に見える。加えて、荒々しい口ひげを蓄えていた。だが、そのかんばせは柔和だ。
ワイシャツの上に、真紅のエプロンを巻いている。胸の位置に白い布が縫いつけられ、「アスラン兄弟の弟、アドナンです」と書いてある。
どうやら店名の「ケナン・アドナン」は、経営者兄弟の名前からとったもののようだ。
兄がケナン・アスラン、弟がアドナン・アスランというらしい。
「早月。今度という今度は、胃袋のキャパシティ弁えて注文するんやで」
早くもメニューをとり上げる早月に対し、らんがくぎを刺す。
「ううう。らん、厳しい」
早月は、大げさにうちしおれて見せた。
影郎たちが食べたのは、エズメ、オリーブの実、それからドネルケバブをピタパンで挟んだサンドイッチなどだ。
デザートに皆で、ロクムという菓子をつついた。ゼリーともガムとも飴ともつかない1品だ。
その甘さに、影郎は悶絶した。
だが彼以外の者は、おいしそうにほおばっていた。どうやら、影郎の味覚のほうが、当てにならないらしい。
「どうしたん、影郎。口に合わへん?」
らんが言った。
「すんげえ甘い……」
「こんなにおいしいのに、もったいない。じゃ、影郎の分はボクがもらうね」
早月が、影郎の真ん前にある菓子に、手を伸ばす。
(ドンドルマといいロクムといい、向こうの人たちも、晴日みたいに甘党なのか?)
影郎は邪推した。
異国の風味に舌つづみを打ちながら、歓談に興じる時間は、まこと甘々であった。
5人は食べ終わってからも、少しの間お喋りをした。
1時ごろ席を立って、代金を支払いに帳場へ向かった。
彼らに気がつき、先刻の人物とは別の男性が、カウンターの裏に回る。
顔は、アドナン氏と瓜2つだ。けれどもこちらは、エプロンの色が雪白だ。「アスラン兄弟の兄、ケナンです」とある。
そのとき、不意に殺気を感じ、影郎は左をちらと見た。
その目に飛びこんだのは、巨大な目だ。直径はゴルフボールよりもわずかに大きく、形は真円。真っ黒で、生気がまるで感じられない。
影郎からわずか1メートル向こう、彼の目よりも少し高い位置に、浮かんでいる。
「うわわわわっ!」
影郎は反射的に大声を上げ、飛びすさった。
そしてバランスを崩して転倒し、勘定場と食卓を隔てるついたてに、したたか背中を打ちつけた。
影郎は、体を丸めて目を白黒させる。
「お客さん、大丈夫ですか?」
ケナン氏がカウンターごしに、影郎をのぞきこむ。
「何やっとるん、あんた?」
らんは呆れ返ったようすだ。
「影郎、楽しいのは分かるけど、はしゃぎ過ぎだってば」
「…………」
早月のイヤミに弁解したいものの、痛さのあまり声が出ない。ふるえる手で、宙に浮かぶ目を指さす。
「何? 影郎、もしかしてこの飾りにビビったの?」
早月の声音が、皮肉の度合いをさらに増す。
「飾り?」
影郎は今1度、例の目を見上げた。
それは霊でも何でもなく、単なる壁かけだった。しずく型の青いガラスの塊で、その中央に目が描かれている。目は、白と黒の2色にしか塗り分けられない、実に簡素なものだ。
壁にかかっているのではなく、紐で天井から吊り下げられている。
よく見ると、売り台のすぐそばの壁に、もっと小さなものが、いくつもかけてあった。いずれも、チョーカーやブレスレットなどに、加工されている。
どれも、値札シールが貼られている。売り物なのだろう。
影郎はやっとのことで、立ち上がった。
「大丈夫……?」
晴日は、心配そうにしている。かと思いきや、すこぶるにやついていた。
目玉を模した装飾品のみならず、レジ付近には、多種多様な商品が並んでいる。
ターコイズのネックレス。カッパドキアの遺跡と思しき場所が写ったポストカード。それからチャイという、紅茶のティーバッグなどだ。
食事のついでに、こういったお土産も売るのが狙いなら、なかなかの商売上手だ。
(もしかして、さっきのケバブ屋はここの宣伝も兼ねて……? いや、考え過ぎか)
影郎は勘ぐった。
「これ、何なんですか?」
らんは、目玉の飾りを指さして、ケナン氏に尋ねた。
「ナザール・ボンジュウといって、アナトリアに紀元前から伝わるお守りなんですよ」
ケナン氏は解説する。
「紀元前ってことは、まだヘレニズムの時代か」
早月が言った。
「イスラーム圏には広く、嫉妬や悪意のこもった目で見られると、不幸になるという言い伝えがあります。これは、その視線を跳ね返すと言われてるんですよ」
「へえ。でも何か、可愛いかも」
らんは、晴日や早月を見回し、意見を仰ぐ。
「うん、可愛い」
早月は同調した。
晴日と灯巳も、首を縦に振る。
(そうか?)
またも、影郎だけが孤立した。
「じゃ、これ下さい」
早月はキーホルダーを手にとった。
晴日らも続々と、同じものか携帯ストラップを、壁から外す。
「嶺にも1こ買うとこ」
らんは同一のストラップを2つ、手の平にのせていた。
料理とナザール・ボンジュウの代金を支払い、5人は店を後にした。
影郎はどさくさに紛れて、チョーカーを購入した。一方で、意外にも灯巳は、何も買わなかった。
「可愛いなあ。早速スマホにつけたわ」
らんは自身のスマートフォンを、皆に見せびらかす。
カバーに携帯ストラップをとりつけるための穴が出っ張っていて、そこにたった今入手したアクセサリーが結わえつけられ、ゆらゆら揺れている。
「なあ、らん」
影郎は、小声でらんに話しかけた。灯巳に聞かれないようにするためだ。
「何や?」
「ケナンさん、『悪意のこもった視線をはね返す』とか言ってたけど、本当にそんな効果があるのか?」
「知らん」
「は!? 『知らん』って何だよ?」
「試しもせんで、そんなこと分かるかい。ひと目見ただけでお守りとかの真贋を見抜く力ら、ウチらにないわ。あんたもそうやろ?」
「そりゃそうだけど……」
「可愛かったらええねん、これは」
らんは再度、ストラップを賞美する。
そのデレデレした表情ときたら、これまでに見たことがないくらいだ。
「まあ、それだけでも、存在意義としては十分か」
影郎も、自身の選んだものを、ためつすがめつ眺めてみた。最前よりは、愛らしく感じられた。
「でも、1つだけ明らかなことがある」
「何だ?」
「あんたを撃退できる。これは実証済みやわ」
らんは自身のスマートフォンを、影郎の目よりも少し上あたりに、突き出した。そこから垂れたナザール・ボンジュウが、彼の目の前で揺れる格好だ。
「ま、待てよ! あれはよく見てなかったからで――」
影郎は、顔全体が熱くなるのを感じた。
先刻の情けないずっこけかたを思い出すと、恥ずかしくてしかたがない。
「はいはい、そうゆうことにしといたるわ」
らんは手で己の口を覆った。




