3-D セリーズとハナ・カフナの話
約5分経つと、2人が戻ってきた。ほおの汚れは、きれいさっぱり拭きとられていた。
「晴日……、覚えとくよ」
早月が晴日をひと睨みする。
「やだ、怖ぁい」
晴日は、腕を組むようにして、我が身をかばう仕草をした。
5人は食事を終えた後も、しばらく店内に居座った。
もちろん、早月のタンメンは半分以上、晴日の胃袋に収まった。
「なあ影郎。頼みがあんねんけど」
らんは合掌し、その手をほおのそばに引き寄せた。
「何?」
「北海道と関西には、投票せんといてくれへん?」
「断る」
影郎は即答した。もちろん、これは冗談だ。
「そうか。悪かったな、ムリゆうて」
影郎の予想に反して、らんはあっさりと引き下がってしまった。
「待て待て、今のは嘘だ。さっきも言ったけど、俺はどこへ行くかには、こだわってない」
影郎のほうが、拍子抜けして慌ててしまった。
「ホンマ? じゃあ、ほかの3つから選んでくれる?」
らんの顔がパッと輝く。
「いいよ。でも、何でその2か所がイヤなんだ?」
「北海道は嶺の地元で、関西はウチの地元やん? やから、行く旨みがあんまないねん」
「言われてみれば。でも、だったら総会のときに、行きたい場所を言えばよかったじゃん」
「イヤやって、スピーチなんかするの。そうするくらいなら、こうやって裏で根回しするわ」
「陰湿だなあ、おい」
「魔女ねんもん」
らんは開き直る。
カウンターの向こうにいる店員が、食器を洗う手を止めて、一瞬こちらを見上げた。だが、すぐに自身の仕事を再開した。
「私は魔女だ」などと言っても、少なくとも日本でなら、冗談だと受け止められるのがオチだ。
そして太薙はすでに、影郎ら4人が魔法使いであることを、知っている。
「っていうか、どこになってもいいんだったら、いっそのことハワイに投票してよ」
早月が言った。
「ハワイ?」
影郎は聞き返す。
早月たち3人は、こくこくとうなずいた。
「嶺もそこがいいってさ。あと自由行動の行き先も、ボクらに任せてほしいな。そしたら、地元の人も一部しか知らないような聖地へ、案内してあげるよ」
「ああ、分かった」
「やたっ! 恩に着るよ」
早月は右手で、握り拳を作って喜んだ。
(お前らの歓心は千金に値するからな、タダ同然の値段で買えるのなら、しめたもんだよ)
影郎はこっそり考えた。
「権藤くんもどうや?」
らんが太薙に目を向ける。
「僕は、もうちょっと考えようかな」
「そうか。絶対やないけど、もし最後まで決まらへんかったら、ハワイも考えてな」
「うん」
「話を戻すけど」影郎が再び口を開く。「早月は、ハワイに行ったことがあるんだな」
「私もらんちゃんも行ったわよ。中学1年のとき、おばーちゃんが連れてってくれたの」
晴日がスマートフォンを操作し、影郎の前に置いた。
画面には、写真が表示されている。
真っ青な海と空を背景に、晴日、らん、早月の3人が、こちらを向いている。3人とも、南国の太陽にも負けないくらい、笑顔が眩しい。
「海外旅行にも、連れてもらえたんだ。いいなあ」
「単なる道楽のためじゃなくて、セリーズちゃんに会うためよ」
「セリーズさん? どちら様?」
「セリーズ・ブライス。ヒロ在住のカフナよ」
晴日はまたスマートフォンを手にとり、別の写真を、影郎に示した。
写っているのは晴日たち3人、それから、彼女らと同年代の少女だ。
体は血色のよい小麦色。カラフルに染色された衣装を身にまとっている。首からは、ククイの実などでできたレイを下げている。
「カフナ?」
聞き慣れない単語を連発され、影郎はいくぶん混乱する。
「〈ハナ・カフナ〉っていう魔道の使い手。……じゃなかった。正確には、カフナの業を〈ハナ・カフナ〉って呼んでるのよ」
「ハワイの魔道まで習ったのか?」
「ううん。ワイルアっていう呼吸法だけ、教えてもらうつもりだったの」
「ワイルア?」
「マナを自分自身に蓄える技法よ。どの魔法を使う上でも有益だと思って、これを習得するのが、狙いだったの」
マナという言葉は、影郎も以前、聞いたことがある。確か、プラーナや〈気〉と同義である、とのことだ。
「『教えてもらうつもりだった』ってことは――」
「残念だけど、断られたわ」
「やっぱり、自分たちの技術を、赤の他人にそう易々と提供したりはしないよな。賢明だと思う」
「そうじゃないの。セリーズちゃん、秘教も含めて、ハワイの文物をよその地域に広めるのには、積極的だって言ってたわ。そのほうが、ハワイの伝統がより堅固な基盤の上に立つことになるから」
「じゃあ、どうして教えてくれなかったんだ?」
「ワイルアと似たような技法が、合気道にもあるんだって。無節操に色々な土地の知識を吸収するよりも、まずは自分たちの依拠する文化に適合した方法を試すほうがいいんじゃないかと思って、あえて伝えないことにしたらしいの」
「あくまで俺たちの利益が基準か。とことんいい人だな、セリーズさんって」
「本当よ。私たち、当初の目的は果たせなかったけど、代わりに色々と、ためになる話を聞けたわ。『水火の相剋』と似たような考えかたが、ハワイにもあるって知ったときは、すごくビックリしたし」
「水火の相剋って何だ?」
「五行の火と水って、ものすごい反発作用があるの。四大でも、火と水は対極にあるとされてるわ。〈陰陽道〉に即して言うと、火は陽の気が極まった状態で、水は陰の性質がいちばん強い元素なの。もしこの2つの魔法が接触したら、どうなると思う?」
「お互いがケンカし合う、とか?」
影郎は、当てずっぽうで答えた。
「その通りよ。水火の相剋の象意は『分断』なの。だから、我が身を引き裂かれるようなことになるんじゃないかな。実際に見たことはないけど、試す気にもならないわ」
「で、ハワイでも同じように、考えられてるのか?」
「そうなの。セリーズちゃんによれば、ハワイだと、火の神様と水の神様の確執によって表現されてるんだって。火山の女神が海の神や雪の女神に戦いを挑んで、溶岩をけしかけたりするんだけど、そのたびに海水や氷で冷え固められて敗走するっていう神話が、あちこちにあるらしいの」
その後、話の軸足は〈ハナ・カフナ〉に回帰した。
晴日たちによれば、チャントと呼ばれる祈祷文を詠唱して、洪水を起こしたり、病人を癒したりすることが、できるそうだ。性質としては、ライナの〈ラウル〉にやや近い。
影郎たちが店を出たころには、時刻は10時を過ぎていた。
5人は一路、上野駅に向かった。
らんは日暮里方面へ歩いていき、早月は上野東京ラインに乗った。他の3人は、山手線で東京駅へ向かった。
東京駅で、晴日は総武線に乗り換えた。
晴日と別れたあと、影郎は中央線のホームを目指した。そしてこれに、太薙も同行した。
「あれ? 権藤も中央線なのか?」
階段で、影郎が尋ねる。
「うん。最寄りは日野駅なんだ」
「あ、なるほど」
影郎や晴日らは、5月に日野市で常世神らしき式神と戦った帰り、太薙と偶然出会った。
影郎はその理由を、今ようやく理解できた。
影郎は阿佐ヶ谷駅で電車を降りたが、太薙は乗ったままだった。
阿佐ヶ谷は、吉祥寺や国立よりも東の新宿寄り。日野はそれらよりも西の、八王子寄りだ。
電車が発車して太薙が窓ごしに見えなくなるまで、影郎はホームで手を振った。




