3-C 中華料理店にて
総会が終わるなり、影郎はパイプいすの上で、伸びをした。
体を左右にひねったとき、自分の右隣にいる人物の横顔が、目に入った。
「権藤!?」
影郎は驚いて声を上げる。
彼の横に座っていたのは、権藤太薙だった。
「人見? 奇遇だな。全く気づかなかった」
太薙も目を丸くする。
「俺も今わかったところだ」
2人は立ち上がり、カバンを拾い上げた。
「パイプいすを使った生徒は、部屋に入ったときのように、入り口付近に立てておくこと」
先生がマイクで、アナウンスする。
影郎と太薙はいすを畳んで持ち上げ、広間の入り口を目指した。
「総会、ずい分と長引いたな」
影郎はポケットからスマートフォンをとり出して、時刻を確認しようとする。だが、カバンとパイプいすとで、両手が塞がっていた。
「見ろよ。もう9時前だ」
太薙が、自身のスマートフォンを影郎に示す。彼はカバンを、けさがけにしていた。
「うわ、どうりで腰が痛いワケだ。始まったのが3時半だから、5時間以上も座りっ放しだったのか」
「6時には終わるって言ってたのにな」
(今日、仕事がなくてよかった)
影郎はふと思った。
「お腹、空いたな。晩ご飯、食べてから帰らないか?」
太薙は、スマートフォンをポケットに入れた。
「お、いいねえ。行く行く」
意外にも影郎は、高校に入学して以来、同性の人間と食事を共にするのは、これが初めてだった。
2人はいすを所定の場所に戻して、部屋を出る。そこで、ばったり晴日たち3人に遭遇した。
「影郎。2人で連れ立って、どこ行くん?」
らんが手を振る。
「晩めし、食べようと思ってな」
影郎は内心、遠回しにらんたちを誘う方法はないかと思案した。ところが、うまい言いかたが見つからない。
「どこで?」
「まだ決めてない。駅の辺りにしようかなーって、漠然と考えてたが」
上野駅の南に、飲食店が軒を連ねている。もう夕食の時間としては遅いから、比較的すいているだろう。
「ええ場所、知っとるで。中華やけど。いってみん?」
都合よく、向こうのほうから申し出てくれた。
だが相変わらず、影郎は即座に了承することができない。
「権藤、どうする?」
隣の人物の意見を仰いだ。心の中で、「頼むから断らないでくれ」と思いながら、だ。
晴日たちが何やら不満そうな顔をしているのに、影郎は気がつかなかった。
「いいじゃないか。人数が多いほうが楽しいだろ?」
太薙は快諾する。
影郎はほっとした。
上野駅から、その南にある御徒町駅にかけて、高架橋の下やその付近が、商店街になっている。
夏休みにライナと回ったアメヤ横丁も、この界隈にある。
影郎、晴日、らん、早月、太薙の5人は、個人経営と思しき中華料理店に入った。
壁やメニューの看板は、黄色を基調とした安っぽい装飾がされている。昭和レトロの趣きを漂わせもする。
本格的な中華料理店だと、テーブルは円形であることが多い。対して、ここの卓は長方形だ。いずれの机も、1辺が壁と接し、入り口側と奥に、いすが3つずつ並んでいる。
5人は、そのうちの1つに陣どった。
手前には壁際から順に、影郎と太薙が座る。奥に晴日、らん、早月がかけた。
影郎と晴日、太薙と早月が、それぞれ向かい合う形だ。
「ここ、めったに混んでない穴場なのよ」
晴日がメニューを、他の者に配る。
「それ、あんまりおいしくないってこと?」
影郎は、店員に聞こえないよう、声を落とした。
「違うわよ。まあ食べてみれば、分かるから」
「よく来るのか?」
「今日みたいに、学校から帰るのが遅くなったときは、毎回来るかな」
「それはそうと、宇吹さんはいないんだな」
「弓道部のミーティングだってさ。総会が終わったら、大急ぎで帰ったわ」
「そうなんだ……」
「嶺ちゃんがいなくて、残念だったわね!」
晴日の言葉尻に、皮肉がこもる
「いや、別に残念じゃないけどよ。ただ、いつもお前らと一緒なのに、今日は珍しいなと思っただけだ」
「ふーん」
影郎と晴日が話しこんでいる間に、他の3人は、注文する料理を決めてしまった。
しかたなく、影郎は太薙と同じ炒飯を、晴日は早月と同じ野菜タンメンの大盛りを頼んだ。
ちなみに、らんは天津飯だ。
料理がテーブルに運ばれると、太薙が唐突に言った。
「それにしても、雲路くんと女川くんの言い合いは、白熱してたな」
「確かに。最後は女川が、ちょっとかわいそうにもなったが」
影郎は、ハシをとろうとする手を止めた。
「総会の激論、いちいち聴いてたの?」
早月が口を挟む。
「ああ。行き先に興味はないけど、ディベートの技術を学べないかと思って」
影郎は答えた。
「で、どうだった?」
「うーん。第三者にアピールする場合に使えそうなテクニックは、いくつかあったよ。でも俺が知りたいのは、1対1で相手を退ける方法だったんだよな」
影郎は、カバンからメモ帳をとり出して、開いた。
「垓神対策?」
「バレたか。でも、そっちに関しては、何も収穫はなかったな」
「そりゃそうだよ。1対1だと、どっちの言ってることのほうが論理的かとか、誰も判断してくんないんだもん。へ理屈でも何でも、最後まで言い続けられたほうの勝ち。単なる持久戦だよ」
「やっぱそうなるよな」
「で、どんなこと書いたの?」
早月は影郎のメモ帳に目を移す。
「え、これ?」
影郎は見せるべきか迷った。
それもそのはず、メモの記載は、仮に題名をつけるとしたら、「効果的なレッテルの貼りかた」とでもいうべき内容なのだから。
「別にいいじゃない。見せてよぉ」
早月にせがまれ、影郎は結局メモを渡してしまった。
1対1の議論は持久戦だ、と教わったそばからこれである。
影郎は、自分にはディベートの才能が皆無であるという現実を、イヤというほど味わわされたのだった。
早月は、書かれていることのいくつかを、読み上げる。
隣にいるらんも、それをのぞきこむ。
「『印象の悪い言葉を、ひたすら相手に叩きつけよ』、『自分がそう思う根拠は示さなくていいから、同じ単語をくり返せ』……? 何これ? 影郎、こんなの実践する気!?」
早月は影郎に、あからさまな軽蔑の目を向けた。
「いや、その、自分がだまされないための参考にでもしようかと……」
影郎は、しどろもどろになっていた。
「総会でどんな話をしてたの?」
早月は影郎に、メモ帳を返した。
影郎と太薙は口々に、総会の間に交わされたやりとりを、かいつまんで説明した。
中でも特に、雲路と女川の舌戦について、力説した。
「――それで女川の奴、自分が使った『非論理的』とか『詭弁』とかいった言葉が、相手よりも自分のほうがよっぽどお似合いだってことを浮き彫りにされて、大恥かいてたんだ。あいつの自業自得なんだろうけど、それでもちょっと同情したよ」
「自分の投げた武器が跳ね返ってきて、大ケガをしたような感じかな」
2人は最後に、そう言って締めくくった。
「でも少なくとも途中までは、女川くんの主張のほうが、説得力があったんだよね? 影郎がメモに、そういうことばかり書き残したってことは」
早月は、至って真剣な面持ちだ。
「まあ、そうだな」
「何て言うのかな。分かりやすくて、インパクトが強い言葉の効能はすさまじいんだなって、いま改めて実感したよ。いったん出されると、相手や相手の言ってることをそういうふうに呼ぶのが適切なのかどうか、きちんと検討されないまま、単語を持ち出したほうが、勢いで押しきっちゃうんだね」
「そう考えると、確かに恐ろしいな」
「――そう言えば土浪さん、雲路くんたちの論戦は聴いてなかったのかい? 『総会の激論、いちいち聴いてたの?』とか、『総会でどんな話をしてたの?』とか訊いてたけど」
太薙が早月に尋ねた。
「ああ、それね」早月はカバンの中をまさぐって、何かをとり出す。「じゃーん。みーみーせーんー!」
いかにも、「とある未来の猫型絡繰」を彷彿させる声音と共に登場したのは、腕時計の文字盤ほどの大きさをした、半透明のケースだ。
形は正方形。素材は見たところ、プラスチックだ。
中に、オレンジ色の物体が2つ入っている。
らんも全く同じものを、机の上に置いた。
「何、それ?」
影郎は、早月が手に持つ箱に、目をやる。
「今、言ったじゃん。耳栓だよ」
早月がケースを握った手を、左右に振った。
中身が箱にぶつかり、かたかたという音を立てる。
「いや、そうじゃなくて……。総会の間ずっと、それで耳を塞いでたってことか?」
「だってボクたち、もう投票する場所を決めてんだもん。演説なんか、聴くだけムダなの」
「なるほど。それで、自習でもしてたのか?」
「寝てたよ。机がないと、勉強しにくいし」
「3人とも?」
早月とらんは。首を縦に振った。しかし晴日だけは違った。
「ねえ。もしかして、らんちゃんたちの口元に浮かんでる筋って……」
晴日が、早月とらんの顔の辺りを指さす。
影郎はらんの顔を一瞥した。
彼から見て左の口角から、うっすらと白い線が、下に向かって伸びている。
「ヨダレの跡?」
影郎が言うが早いか、らんと早月は勢いよく立ち上がった。
「ちょっと、見んといて!」
「っていうか声に出して言わないでよ、もうっ!」
2人は、口の周りを片手で押さえ、何やら悪態をつきながら、店の奥へ消えていった。




