2-E アルダト・リリとの戦い
次の日の夕方、影郎とらんは、東京都足立区に来ていた。
荒川と隅田川の間が、最も狭まった所にある緑地だ。鉄道駅でいえば、北千住が比較的近い。
らんはサッカー場に、〈十絶陣〉を展開した。
2人は陣の中央を占める。左がらん、右が影郎だ。互いに、5メートルほどの距離をとっている。
足下は砂。対する方位は、南西だ。
数百メートル離れた場所に、自動車が渡れる大きな橋と、高圧電線の鉄塔が見える。
夜になって、彼らの前に現れたのは、人と鳥の中間のような姿をした霊だった。
頭、胴体、腕と、体のほぼ全てのパーツは、完全に人間の女だ。ただし、人よりは若干、大きい。
足の先だけが、人のものと違う。指は3本しか見えず、非常に細長い。その指から生えた爪は、カマに似た形だ。
肩の後ろから、翼が生えている。
人間の部分は焼きレンガの、爪は鉛の色だ。
体には、若干の装身具をまとうのみ。
彼女は見る間に、空中から十絶陣に近づいてきた。鉄塔よりも、高い高度を保っている。
「天使……じゃないよな? 足が鳥だし」
影郎はらんのほうを向き、彼女の意見を仰ぐ。
「ハルピュイアやったら、頭以外ぜんぶ鳥やし、これも違うか」
らんも、有効な回答は示せない。
「こういうときによりによって、正体不明の相手かよ。ついてないな」
影郎は歯がみする。
「アルダト・リリかもしれへん。確証はないけど」
「アルダト・リリ? 何だ、そりゃ?」
「メソポタミアで信じられとった悪霊やと。妊婦や赤ちゃんにとって、脅威やったとか。あれがそうかは、分からへんけど」
「で、何か有効打はあるのか?」
「そうやなあ。ウチも〈サモンズ〉を使う」
「〈サモンズ〉?」
「説明はあと。ものは試しや」
らんはそう言うと、桧扇を自分の真正面に掲げる。
すると、地面から黒い煙のようなものが、吹き上がった。
それは影郎たちの視界を遮らない程度に、辺りに満ちる。
煙が晴れると、らんのすぐ手前に、黄金の鎧をつけた戦士がいた。影郎にとっては、左斜め前の位置だ。
彼は、らんと同じ方向、すなわち敵のやってくるほうを向いている。
身長は、らんの倍ほどだ。
影郎からは、後ろ姿しか見えない。が、鎧はどうやら、古代中国のもののようだ。
なぜそうだと分かったかというと、影郎は昔、『三国志』のマンガを読んだことがあるから。
手には、青龍刀が握られている。身長よりも長い柄に、巨大な刃をとりつけられた代物だ。
「成功やな」
らんがニンマリした。
式神が急降下する。狙いはどうやら、らんのようだ。
「らん!」
影郎が叫ぶ。
らんも扇を構え直し、悪霊に向ける。
しかし、彼女が爪でらんを捉えられるところまで降りてくるよりも早く、らんの鎧武者が、大刀をふり下ろした。
一撃で、アルダト・リリの体が真っ二つになる。そしてそれは、空中で消え去った。
「え、もう終わり?」
あまりのあっけなさに、影郎は拍子抜けする。
「そんなつまらなさそうな顔、せんといてや。みせモンちゃうんやから、早よ終わるんに、こしたことないやろ」
らんが桧扇をしまうのと同時に、先の武人も、〈十絶陣〉の境界線も消滅した。
「さっきの甲冑の人、何だったんだ?」
「ウチの式神」
「式神……! お前も呼べたのか」
「そりゃそうや。前にシンゴゆうとったやん。式神は本来、陰陽道に固有の概念やって」
「何でそんな便利な魔法、今まで使わなかったんだ?」
「式神を呼び出す魔法、さっきゆうた〈サモンズ〉って総称しとるんやけど、ほかの術よりもかなり危険ねん。今日みたいに戦力が不足しとるとか、よほどの理由がない限り、やりたないんや」
「そんなに危なっかしいのか?」
「それはもう。例えば、式神が呼び出した本人に牙むいたり、相手の言うこと聞く代わりに、何か代償を要求したり」
「今のやつは、大丈夫なのか?」
「対価に関しては、心配いらん。でなかったらおばーちゃん、今の〈五雷天罡の法〉、ウチに教えてくれへんかったと思う」
「そうなんだ……」
影郎は少しだけ、安心する。
「まあでも、〈五雷天罡の法〉は、ウチにできる魔法の中やと、〈万仙陣〉と並んで、ハイレベルな技や。絶対に成功するとは、よう言いきらん」
「らんちゃあん!」
橋のほうから、晴日の声が聞こえた。
影郎とらんはそちらにふり向く。
みれば、そこには晴日と早月がいた。
2人はかけ足で、影郎たちに近づく。
影郎とらんも、走り出した。4人は、緑地に接する車道で合流した。
「あんたらもう終わったん」
らんが問うた。
「それはこっちのセリフだよ。ケガはない?」
早月がらんを気づかう。その表情は真剣だ。
「この通りや。っちゅうか、来る前に電話くらいしてくれたらええんに」
「何度もしたよ! らんも影郎も、全っ然でなくって、ホントに心配したんだから」
早月が声を荒げた。少しばかり、目がうるんでいる。
影郎とらんは同時に、スマートフォンをとり出す。
いずれにも、着信があったことを示すアイコンが表示されていた。2人は揃いも揃って、電話をサイレントモードにしたままだった。
「すまんすまん。まあとにかく、夕飯、食べに行こか。もう腹ペコやわ」
らんを戦闘に、4人はその場を後にした。
その後彼らは、北千住駅の付近でハンバーガーを食べ、しかるのち帝室庁に戻った。




