2-D 新しい仲間
9月上旬のある夕方、影郎、晴日、らん、早月の4人は、SSSのオフィスでくつろいでいた。
持ちこまれた仕事があらかた終わったので、手持ちぶさたなのだ。
影郎はいつも通り、部屋の奥のほうで、〈鬼道〉にまつわる書籍のコピーを読んでいる。
寄り人としての修行法だとか、ふさわしい生活習慣や心の持ちようなどについての記述が目当てだ。だが、そういった情報には、なかなか出くわさない。
運がいいと、過去に活躍した寄り人が、どのような日常を送っていたかや、〈帰神法〉を発動する際におこなった所作なんかが、書かれている。それでも、これらは断片的な記載にとどまった。
晴日たち3人は、ついさっきまで入り口側で話しこんでいた。しかしそのうち話題も尽きたのか、今はそれぞれ事務机に向かっている。
9月の頭というだけあり、外気温はまだまだ、30度を下らない。
環境に配慮して、冷房の設定温度は、28度が下限だ。
じっとしている分には、問題ない。が、わずかな距離でも歩いたりすれば、汗がにじむ。
晴日たちも各々、下じきをうちわの代わりにしたり、前えりをパタパタさせたりして、暑さをこらえている。
特に早月など、デスクに突っ伏して、死んだように動かない。机の表面が冷たいからか、ほおをじかにひっつけている。だらしないこと、この上ない。
「みんな、ちょっと」
辰午がオフィスに入ってきた。
右手でUSBメモリをつまみ、それを影郎たちに見える高さに、さし上げている。
「何だ、シンゴか」
早月は、上体を寝そべらせたままだ。
全く警戒していないことの表現ともとれる。そうはいっても、少々失礼に過ぎる気が、影郎にはした。
「何、それ?」
晴日が真っ先に、フラッシュメモリに気づき、それを指さす。
「明日の仕事に関することだよ」
言いながら辰午は、最も入り口に近い事務机のコンピュータをつけた。
翌日、式神が警視総監と、関東信越厚生局 麻薬取締部の長を襲撃することが、予想されていた。
影郎たち4人は、デスクの前に集まる。
辰午はコンピュータに記憶装置をさしこみ、JPEGファイルをダブルクリックした。
見る間に画像ビューアが起動し、写真が表示される。
画面に映し出されたのは、どこかの建物のオフィスだ。見たところ、SSSのものよりは、いくぶん狭い。
警察官の制服を着た男女が5、6人、引き出しの中身をひっくり返したり、ファイルにとじられた紙をめくったりしている。
部屋の中央には男が1人、棒立ち状態で、そのようすを見守っている。
「何しとるとこ?」
らんが画面に見入ったまま、尋ねる。
「捜索をしているところだよ。ここは、ある宗教団体が所有する建物でね。霊感商法の被害届けが相次いで、詐欺罪で捜査したんだって」
辰午は、静画が画面全体に表示されるようにした。
「何でこんなとこ、撮影したん?」
「捜索したときのようすだとか、差し押さえた証拠がどこに置いてあったかを、記録しておくためだよ。せっかく証拠を集めて起訴したのに、『捜索するとき家主を立ち会わせてなかったでしょ』とか、『その証拠、よそから持ってきたものなんじゃないの?』とか言われて、裁判官が証拠を見てくれなかったら、たまったもんじゃないからね」
「ニセモノの証拠はともかく、家主がその場におらんかったぐらいで、証拠を見てくれへんかったりするん?」
「事件の重大さとか、警察官の落ち度の大きさによってはね。捜索するときは令状を見せろだとか、家主を立ち会わせろだとか、細かく法律で決まってるんだ。でもそれを守らなくても、何のお咎めもないんだったら、警察だっていちいち、面倒な手続きを遵守する気にならないでしょ?」
「やからって、ホンマは悪いことした人を無罪放免にしとったら、本末転倒やん」
「らんだって3年前、逮捕状が発付されていないのに、5時間以上も交番から帰してもらえない憂き目にあったじゃん。ああいうのが横行したら、イヤでしょ?」
「うう、確かに……」らんは額に手を当てる。「で、これとウチらの明日の仕事と、何の関係があるん?」
「ここをご覧」
辰午は、写真の1点を拡大した。
そこは撮影者から見て、部屋の反対側だ。赤や金の、豪華な飾りがついた壇がある。
壇の中央に、青銅製と思しき像がある。
人の姿をしているが、仏像などとは違い、中国の役人ふうの出で立ちだ。
ブロンズ像は、1枚の写真を踏みつけている。
写真に写っているのは、自動車と男性だ。後者のちょうど首が写っている部分に、くぎが刺してある。
「何、これ?」
早月が顔をしかめた。
写真とはいえ、人の体を刺すなど、見ていて気持ちのよいものではない。
「車に乗ろうとしているのが、御形さんだ。くぎを突き立てたのは、何らかの呪詛じゃないかと思う。さっき御形さんが、直々に持ってきてくださったんだ。捜索の途中で警察官が見つけたそうだよ」
「明日くる式神は、この呪いで呼び出されたかもしれない、てこと?」
「断言はできないけどね。警視総監なんて、色々な人から恨まれる立場だから。でももし、式神を放ったのが、この団体の関係者だったら、それは画期的なことだよ」
辰午の言からすれば、警視総監の名字が、「御形」であるらしい。
「〈サモンズ〉のできる魔法使いだから、見つけ出して、SSSにスカウトする方途もある、と?」
「そういうこと」
「ふうん。また1人、魔道士が増えるかもしれないんだ。どうせなら、年が近かったらいいなあ」
「あんまり期待はしないでね。過激派の組織を監視するのは、僕らじゃなくて警察だし。それにどのみち、人が魔法使いかどうかを判別する手段は、僕らにもないから。見つかったらラッキー、程度に思ってたらいいよ」
「それで、この団体は何て名前なの?」
晴日が尋ねる。
「『再光教会』っていうらしいよ。言ってみれば、かつての国家神道を、より先鋭化させたようなものかな。『日本は神国だ』って言う代わりに、『日本にはむかし神国があったが、現在の日本人の祖先に滅ぼされた』って主張する点が違うけど」
「大日本帝国?」
「……じゃないみたい。でも、似たようなもののようだね。よく分からないんだけど、『縄文人よりも前から日本列島に上陸して、建国した民族がいて、それが縄文人や弥生人のせいで滅亡したから、彼らの国家を蘇らせよう』っていう考えかたなんだってさ」
「それで、これがまつってる神様なの?」
晴日は、画面の中にある像を指さした。
「『櫟吝王』って呼んでるんだって」
「アララギノシワキの王……。聞いたこと、ないなあ」
「そりゃそうさ。この教団以外に、こんな神様をまつっている宗派なんて、存在しないからね」
「それにしても、霊感商法でガサ入れされたぐらいで、警視総監を呪うなんて……」
影郎は舌を巻いた。
「ひと昔前は、詐欺程度のことしかやっていなかったんだって。だけど、近ごろ急に過激化してるみたいだよ。特によその宗教への排斥運動がひどくて、神社に火をつけたり、お寺から仏像を盗み出したりしてるんだって」
辰午は、画像ビューアのウィンドウを閉じる。そしてコンピュータの画面最下段から、「フラッシュディスクのとり出し」という命令を実行した。
USBメモリを抜く前に行う処理だ。
「うわあ……。いっそ、禁教にでもしたほうがいいんじゃないですか?」
影郎がそう言ったのに対し、誰も言葉を返さなかった。
何やら周りの空気も、心なしか不穏だ。
影郎は、他の4人を見回す。
晴日たち3人は揃いも揃って、彼に険悪な視線を向ける。まるで、影郎に悪霊でも乗り移ったかのようだ。
辰午までもが、苦笑いをしている。
「どうした?」
影郎は、何が何だか分からない。
「そりゃこっちのセリフや。下手なカルトよりか、あんたのほうがよっぽど過激やわ。っちゅうか、それこそ戦前とおんなじやで」
らんはとりわけ険しい目つきだ。
「え?」
とぼけてはみたものの、影郎はこのシチュエーションに心当たりがあった。以前も、似たような状況に出くわしたことがある。
4月に初めて、饕餮と戦った日だ。
晴日が〈スルヤストラ〉で火炎旋風を起こし、それが大きく報じられた。
このとき影郎は、「記者を逮捕すれば?」などと口走った。その際、らんから完膚無きまでに、やりこめられた。
もしや、またしても同様の誤りを犯してしまったのだろうか?
影郎は、前回赤っ恥をかいたときの気持ちを思い出し、早くもだらだらと、冷や汗をかき始めていた。
「影郎くん、禁教はマズいよ」辰午が諭した。「禁教って要するに、頭の中でその神様を信じることまで、ご法度にすることだよね。そこまでやるのは、デメリットが大きい割に、大してメリットもないんだ」
「すいません。よく分からないです」
影郎は少しの間だけ、自分の頭で考えてみた。しかし、辰午の言うメリットもデメリットも、思い浮かばなかった。
「デメリットというのは、1度それをやってしまうと、元に戻せない点。例えば罰則つきでキリスト教を禁止したら、その法律がどれだけおかしくても、誰も廃止しようとか言わなくなるんだ。みんながそれを守っている限り、誰もキリスト教徒じゃないワケだから、その法律に不満を持つ人もいなくなるでしょ? カルトが標的だと問題点が見えにくいけど、マトモな宗教に置き換えて考えると、あらふしぎ」
「なるほど……。じゃあ、メリットが少ないというのは?」
「窃盗とか放火を防ぎたければ、その行為自体に罰則をつければすむ話だからね。別に、『異教徒の迫害は正義』って考えることまで禁止しなくても、『本当にそんなことしたら、5年間は牢屋行きだぞ』とさえ知っといてもらえれば、抑止力としては十分でしょ? 頭の中で何を考えようと、その範囲にとどまる分には、ほかの人は誰も害を受けないんだし。人に迷惑をかけないことを、いちいち国が制限するのって、なるべく少ないほうがいいでしょ?」
「え? じゃあ、『男は女よりも一律に偉い』とか、『黒人は不潔だ』なんてことも、頭の中で思うだけならOKなんですか?」
影郎は意外がった。こんな極端な考えは、禁止してしまっても、問題ないと思えた。
「まあ、国として、規制はできないよ。推奨もしないけど。――とはいえ、いくら心は完全に自由だからって、いま言ってくれたような思想を持った結果、誰ともつき合ってもらえなくなっても、自己責任だけどね。そんな人と仲よくするかどうかは、相手に与えられた結社の自由の領域だから」
「ええっ!? それはそれでイジメになるんじゃありませんか?」
影郎はさらに驚く。
「もちろん、学校とか職場みたいな空間で、『あいつ危険思想だから孤立させようぜ』なんて第三者に働きかけたら、積極的な加害行為になるよ。でも、単に自分がその人と関わらないだけなら、他人からとやかく言われる筋合いはないね」
「影郎かって、もし垓神くんから『ぼくの仲間になれ。でないとイジメとみなすぞ』とか言われたら、『俺には自分で友達を選ぶ権利もないんかい!』って思うやろ?」
らんがつけ加える。
「お前らって、1度に色んな人間の事情を考えるんだな」
「足かけ3年も役人やっとったら、そうゆうクセがつくねん。手ぬるいって批判するモンは、絶対おるやろけどな」
らんがほほえんだ。
「ところで」晴日が口を挟んだ。「らんちゃん、明日、実質的に1人で戦うことになるわよね。本当に大丈夫?」
そうなのだ。
次の日はたまたま、2人の人間に、式神襲来の暗示がある。
先ほどまで影郎たちが話していたのは、そのうち、警視総監を狙う式神の出所に関することだ。
そこで4人は、二手に分かれてこれらを迎え撃つことになっていた。予定では、影郎とらん、晴日と早月でそれぞれ、チームを組む。
だが、影郎の〈帰神法〉は、成功率がおぼつかない。彼を戦力に数えるのは、かなり厳しい。
らんは事実上、1人で戦わなければならない。
「問題ないで。危のうなったら、〈土遁〉で逃げるさかい」
らんが右手を握り、自身の胸を軽く叩く。
〈土遁〉は移動や逃走に用いる魔法だ。これが使えるから、当てにならない影郎の相方に、らんが選ばれた。
「少しでもマズいと感じたら、早めに離脱するんだよ。いいね」
辰午が念を押した。




