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1-A 武部灯巳

 武部灯巳(たけべともみ)は、呼び鈴を鳴らした。

 8月下旬の夕刻。神奈川県川崎市にある、学生アパートの2階でのことだ。

 誰かが出てくれるのを、じっと待つ。ほんの少しだけ、留守だったらいいと願う気持ちも混ざる。

 ちなみに、1階にある6つの部屋では、誰一人応答しなかった。


 およそ5秒経つと、インターフォンが作動するときの「ぷちっ」という音が鳴り、呼び鈴の上にあるスピーカーから、声がした。


「はい?」


 若い男の声だ。


 灯巳は深呼吸して、お決まりの口上を述べた。


「わたしは、未来を少しでも明るくしていくために、ボランティアで無料の講演会を開くなどの活動をしている者です。もしご都合がよければ、多少のお時間を割いて、お話だけでも聴いて頂きたいのですが、よろしいでしょうか」


 来訪の正しい目的は告げない。そんなことをしたら即、追い返されてしまう。


 それから、「ボランティア」という単語を出すと、耳を傾けてもらいやすくなる。ムゲに断りづらいからだろう。

 灯巳は無報酬で、しかも自発的にこの活動をやっているのだから、ボランティアをかたっても、嘘にはならない。

 これをやると、今後、真心から慈善活動に従事する者にまで、懐疑の目が向けられることになる。

 そのことに、罪悪感がないわけではない。

 とはいえ灯巳にも、己の目的とノルマがある。なりふり構ってはいられない。


「いいですよ。どうぞ」


 中の男は答えた。

 灯巳のこれまでの経験に照らせば、この状況で、インターフォンごしにただ「どうぞ」とだけ言うのは、「用件を玄関先で告げてもらう限度で、話を聴いてよい」という意味だ。

 だがこれでは、灯巳の本懐を遂げられる確率が、著しく低下してしまう。


「お見せしたい資料もあるので、お手数ですが、こちらまでいらしてほしいのですが、いけませんか?」


 灯巳は、立ちどころに切り返す。


「どうしてもダメですか?」


 相手は警戒しているようだ。


「できれば」


 強制するようなニュアンスの言葉は、なるべく任意の承諾を促すものに、言い換える。


「分かりました。ちょっと待ってください」


 しばらく考えたのち、男は聞き届けてくれた。

 最初に「話を聴いてやる」と言ってしまった手前、ドアを開ける程度の、簡単な頼みを断るのは、罪悪感が伴う。こちらの目的が押し売りだなどと思っていなければ、受け入れてもらえるはずだ。


 ややあってドアが開いた。扉は外開きだ。

 これで第1関門をクリアだ。卓越した訪販の販売員だと、ドアさえ開けさせれば、ほぼ確実に商品を売れるという。ぜひともそれを、見習いたいものだ。


 中から出てきたのは、20才前ぐらいの男性だ。

 胴回りが太く、運動していそうな体つきではない。この年にしては、白髪が多い。

 また、度の強そうな眼鏡をかけている。

 つい最近まで、勉強しかしてこなかったような第一印象を与える。


 灯巳はそれとなく、部屋の中をのぞいた。ほかに、人の姿はない。

 1人暮らしの大学生と見て、間違いなさそうだ。


「高校生?」


 男は灯巳の姿を見て、少しばかり目を見開いた。


「武部灯巳と言います。今年で16になります」


 灯巳は答えた。

 はぐらかしたが、高校にはかよっていない。

 再光教会(さいこうきょうかい)は、加入した者やその子供に対し、高校や大学に入ることを、勧めていない。

 教化活動に回す時間が削がれるのと、正しくない知識を植えつけられること。これが主だった理由だ。


「それで、どういった用件で?」


 内側から戸を支えながら、学生は尋ねる。

 それほど警戒しているようすではない。相手が年下の女となればそうだろう。

 喋りかたも、さっきより少々、横柄だ。


「わたしは、1人1人の未来をよりよくするためのアドバイスを通して、社会に奉仕する団体に参加しています。ご興味を持って頂けましたら、先ほど申し上げた講演会などに、足を運んでくださればと思います。今日わたしは、皆さんにわたしたちの活動を多少なりとも知って頂きたく、こうして各家庭を訪問して、明るい未来を築くには、どうすればよいかについて、概略をお伝えしているところです」


「もしかして、ケデロン士師団か何か?」


 男の顔に、再び警戒が浮かぶ。

 これと似たようなことを、今までいくたび言われたことか。


 ケデロン士師団は、19世紀のアメリカで興った、宗教団体の1つだ。キリスト教徒を標榜している。


「違います。わたしたちは、キリスト教とは関係ありません。現にわたしたちは、罪が本人以外の行動によって、帳消しになるとは考えませんし、人が罪人だとも教えません。『復讐してはならない』とも言いません。むしろ大いに奨励します」


「復讐を奨励……? それで明るい未来が作れるっていうの?」


 学生の瞳が、大きくなる。


 近ごろこのように、自分たちの思想が、キリスト教の教えと真っ向から対立することを明言すると、興味を持ってもらえることが、とみに多くなった。

 どうやら、中東の戦争を「既存の体制とテロの戦い」ではなく、「キリスト教とイスラームの全面対決」のように受けとり、なおかつテロリストに判官贔屓(ほうがんびいき)した者が、キリスト教に対して悪い印象を抱くようになったのが、原因らしい。

 何にせよ、教化活動の助けになるのであれば、どんなことでも大歓迎だ。


「はい。わたしたちの研究する『過去の哲学』から、論理的に導かれるのです。今日わたしがここへ来たのは、まさにこの『過去の哲学』のさわりを、お伝えするためなのです」


「未来を明るくするために、過去を研究する、と?」


「はい。現在とは、わたしたちが過去にした選択の結果です。未来とは、わたしたちが今する選択の結果です。だとしたら、過去のどのような行為が現在を形作っているかを分析して、好ましい現状を招いたことがらを再現させ、そうでない事項を避ければ、必ずや未来は明るいものになるはずです」


「某心理学者は、『過去が人の現状を規定するのではなく、その人が現在いだいている何らかの目的に沿って、その目的に合致する過去を選び出す』と言っていたそうだけど……?」


「それは、全くのデタラメです。だって、今のあなたがどのような目的を抱くかに、あなたが過去にした経験が、影響しないはずないじゃありませんか。過去に見たことも聞いたこともないことを、どうやって目的に据えろというのです?」


「じゃあ、その『さわり』とやらを教えてもらおうかな」


「あなたはこれまで、苦しいことや悲しいことに、直面した経験はありませんか?」


 最初は、誰でも「はい」と答えるような、漠然とした質問から入る。それで「どうして分かったの?」みたいな反応が得られれば、成功は堅い。


「そりゃまあ、10何年も生きてれば、いくらでもそういう経験はするよな」


 これはあまり、理想的でない応答だ。それでもまだ望みはある。


「もしそれが、あなたの先祖に起因するものだとしたら、どうしますか?」


「先祖? 前世とか言うのならまだ分かるんだが、なぜに先祖がぼくの人生に関わってくるの?」


「例えば財産がそうです。あなたの祖父母が死ねば、その土地やお金は、あなたの親が相続します。親が死ねば、今度はあなたが親のものを引き継ぐ番です。でも、何よりも大切なのは、遺伝です。豚から人は生まれませんから」


「それで、とっくの昔に死んだ先祖をどうすれば、ぼくの将来が好転すると? まさか、墓石でも買えっていうんじゃないだろうね?」


「一般論としては、先祖のために立派なお墓を立てるのは、有効なことです。しかし、こと偶蹄(ぐうてい)人種に関しては、その限りではありません。わたしたちは逆に、お墓を打ち壊して、先祖の骨を粉々に砕き、野ざらし、雨ざらしにすることを、推奨しています」


「そんなことをしたら、後で祟られるんじゃない?」


「ご心配なく。そもそも祟りなどという、非科学的な発想は、偶蹄人種に特有のものです。信じるに値しません。それに、先祖をはずかしめるのは単に、先祖とのつながりを()ったことを実感するための、儀礼的な行為に過ぎません」


「先祖とのつながりを、なくせばいいの?」


「そうです。わたしたちは残念ながら、先祖から莫大な負の遺産を引き継いでしまっています。それを清算しなければなりません」


「負の遺産って具体的には?」


「一言で言えば、『罪』です」


「罪? でもさっき、人は罪人ではないって言わなかった?」


「はい、そうです。人とは本来、罪汚れのない正しい存在をいいます。罪を犯した者はその場で、人と呼ぶに値しない存在に成り下がります」


「じゃあ、地球上に人間は、1人もいないワケだ」


「全ての人類が罪人だと教えているのは、キリスト教です。わたしたちは、一般に人だと考えられている生き物の中でも、ごく一部だけが罪により、人性を喪失していると考えます」


「罪のある人とない人を、どうやって見分けるの?」


「結論から言えば、この国の人間は全て、先祖の罪を引き継いでいます。わたしたちはまさしく、これを清算する方法を宣べ伝えるために、行動しているのです」


「お墓を壊して先祖をはずかしめるだけじゃ、清算できないの?」


「そんなに生易しいものではありません。わたしたちの先祖が犯した罪は、途方もなく重いのです」


「じゃあ、別に先祖とのつながりまで断つ必要はないんじゃない?」


「はい?」


 灯巳は、男の言ったことが理解できなかった。このような指摘をされたのは、今回が初めてだ。


「だから、もしどのみち先祖の罪を償わないといけないとしたら、それをやりさえすればいいだけの話でしょ? この上さらに先祖との関係も断ち切って、何になるの? ぼくには、先祖の負債は返すのに、積極遺産は継承できなくなって、単純に損に思えるんだけど」


「それは……」


 出任せでも、論点のすり替えでもいいから、何か言わなければならない。なのに、適当な切り返しかたが思い浮かばない。


「あっ、ちょっとあなた! ここで何やってんのよ!? 帰りなさいよ! さ、早く」


 灯巳の後ろから、声がした。

 ふり返ってみれば、男と同世代らしき、女の人が立っている。


「あ、先輩」


 男は女の人に、軽く頭を下げた。

 どうやら灯巳の後ろにいる女性は、男と同じ大学に通う、先輩らしい。


「あなた、再光教会の人でしょ? 学校で貼り紙が出されてたわよ」


 女学生は、灯巳と男の間に割って入り、灯巳の肩を手で突いた。


「わたしはただ、みんなの未来を……」


「だからその決まり文句。それが再光教会の口グセなんだっての。ほら、しっしっ!」


 弁解の余地などなかった。灯巳はまるで相手にされず、一方的に追い払われた。


(また、ここまでの努力がムダになった……)


 灯巳は奥歯を噛み締める。

 まだ成功の望みがあった教化活動を、遮られたこと。エサにたかるノラ猫に対してするような、屈辱的な対応。

 そのどちらか1つだけでも、灯巳が瞋恚(しんい)の炎を燃やすには、十分すぎた。


「二度と来ないでよ! 来たら警察を呼ぶからね!」


 灯巳の背中に、女はさらに、罵声を浴びせる。

 立ち去る灯巳のほおを、涙が伝った。

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