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第32話 絶望の淵で

 エリスの攻撃が幾度となくイフリートを襲うが、全くと言っていい程効かなかった。氷結の槍《フリージングスピア》や氷結の投槍《フリージングジャベリン》が効かなかったんだ。それよりも攻撃力が劣るであろう氷の弾《アイスブリット》も、氷の刃《アイスブレード》も、氷結の雨《フリージングレイン》も、当然ながらイフリート相手には豆鉄砲のようなものだった。


 氷系統だけじゃない。

 風系統も土系統も織り交ぜたが、傷一つ負わせることができない。


 オレも一度だけ、無駄かもしれないと思いつつも試しにと、収納したイフリートの魔法、火炎の渦《フレイムヴォルテクス》をヤツの頭上から落としてやったが、少し驚かせることができただけでダメージには全くつながらなかった。


 どうすればヤツにダメージを与えることができる?


 エリスとオレの視線が交差する。


 次はどうすればいい?

 何をすればいい?


 戸惑いと疲労からオレたちの攻撃が止まり、そこを狙ってか、イフリートが火炎の渦《フレイムヴォルテクス》を放ってくる。


 オレは収納魔法を発動し、イフリートの攻撃を収納庫ストレージに放り込む。

 収納するとき、イフリートの眼が僅かに細まったように見えた。


 これで何度目だ?

 オレたちの攻撃は適当にいなしつつ、何か考えるような素振りを見せながらも、隙あらばと火炎の渦《フレイムヴォルテクス》を撃って来る。

 そしてオレが収納するのを目を細めながらじぃっと見ている。

 まるでオレの魔法を観察でもするかのように。


 はたから見れば膠着状態に見えなくもないだろう。

 だが実際はそんな楽観できるような状況じゃない。

 オレたちの攻撃はまるで効かないし、逆にイフリートはまだまだ余裕があるハズだ。


 ヤツは火炎の渦《フレイムヴォルテクス》ばかりを撃ってきている。

 他にもあるハズなのに、それだけを撃ってきているのが不気味でならない。


 イフリートが何を考えているのか分からないが、何か手段を講じるなら今の内だ。イフリートが何かしてくる前に、こちらから何か突破口を開かないと。一度後手に回ると一気に持ってかれそうな気がする。


 だが、どうする……?


 顔には出さない様になんとか堪えているが、自分の中に焦りが生じてきているのは確かだ。ここまでエリスの攻撃が効かないなんて想像もしていなかった。甘かったとしか言いようがない。


 この現状を打破するには、残る手段はおのずと限られてくる。


「エリス。ブーストできるか?」


 イフリートを睨み上げながら声を細めて訊くオレに、エリスがコクリと頷く。


 ブーストとは、以前雪山での雪崩の時にエリスが使った、成体に近い力を一時的に引き出せる手段だ。


『でもタクマ。ここまでの戦闘でかなり魔力は使ってる。残りの魔力ではブーストしても……』


 エリスの口惜し気な声が頭に響く。


 ブーストは、一度に使える魔力量を増やすことにより、瞬発的に強い力を生み出すというものだ。つまりブーストしたからといってエリスが持つ魔力の量が変わるわけじゃない。魔力の残量が少なくなっている今の状態でブーストしても強力な魔法を使うことはできない。


 だが、手はある!


「何とか時間を稼ぐ。その間に《神水》を飲むんだ」


 《神水》は病気や怪我を治すだけじゃない。

 失われた体力や魔力も回復させると言われている。


 魔力を回復した上でブーストすれば高火力な攻撃魔法を使えるハズだ。

 ただし、回復した魔力を一気に使うことになる。

 撃てるのはおそらく一発だけだろう。

 できればもう少し相手を倒せる確実性の高い状況で使いたかった手段だ。

 だがもうそんなことは言ってられない。

 もうそれに掛けるしかない。


 もしそれでもダメだったら……?


 いや、それを考えるのはまだ早い。

 できることを全てしてからだ。


 互いの攻撃が止み、周囲が静寂に包まれる。

 睨み合いながらも、先に口を開いたのはイフリートだった。


「……どうした。もうお終いか?」

「お前の方こそ」


 自分の声がずいぶんしわがれていることに気付いた。

 緊張の連続だし、喉はカラカラだ。

 かといって戦闘中に、しかもこれほどの敵を前にして悠長に水を飲むなんてできない。


 終わったら、後で《神水》をがっつりがぶ飲みしてやる。


 そんなことを頭の片隅で考えながら、オレは左手をそっとエリスの背に載せた。

 次にヤツが攻撃してきたら、それを収納してエリスを走らせる。

 それで勝負をかける!


「稀有な魔法には少々驚かされたが、分かってしまえば取るに足りぬものだ」


 やはり観察されていたのか。

 だがここは弱気になるべきじゃない。

 強気で行くべきだ。


「分かったからどうした? それでもお前の攻撃は全て防いでやる。オレはまだまだ……」

「それがおごりだと、死んで後悔するがいい」


 まだまだ収納できるんだ、と言おうとしたがその言葉を遮られた。

 イフリートが右手を高く上げる。

 そして頭上高くに現れる、拳より大きく一斉に燃え上がる炎たち。


 《フレイムヴォルテクス》じゃない?

 これは火炎の砲弾《フレイムキャノン》?

 数は十……いや、二十近くか。


 舐めるなよ?

 収納庫ストレージに放り込むには一つ一つ認識する必要があるが、オレの視界にあるならば十や二十、なんの問題も……


 だがそんなオレの視線の先で、火炎の砲弾がその数を急激に増やしていく。


 ――なっ!?


 三十? 五十? ……百?

 いや、まだ増える……だと!?


 オレの視界に収まらず、まるで天井が埋め尽くされるかのように増えていく。


 ――しまっ!?


 思わず息を呑む。

 オレの収納魔法は魔法の方向ベクトルを調整して取り出すことができる。だがそれは既に動いている魔法だけだ。動き出す前の止まっている魔法の場合、取り出すときに方向ベクトルを調整することはできない。そもそも動いていないのだから当然だ。


 ましてや収納したからと言って、それがオレの魔法になるわけじゃない。動いていない魔法に対し、「動け」などと命令できるわけじゃない。


 だからオレは、魔法が動き出してから収納するようにしていた。

 そうすることで、収納し、取り出すときに方向ベクトルを調整することができるからだ。


 だが今回は、それが裏目に出た。

 まだ動いていないからと火炎の砲弾《フレイムキャノン》を収納せずにいたら、その数が膨大になってしまった。

 これらが全て一斉に動き出し、オレたちを襲い始めたら?

 動き出してから一つ一つ認識して収納していたら、きっと間に合わない。

 収納しきれなかった《フレイムキャノン》がオレたちを襲うことになる。


「うぅ……うぉおおおおおおお!」


 その叫びは恐怖からだったのか、それとも気合を入れるためだったのか、自分でもよく分からない。


 オレは叫びながら全力で収納を繰り返した。

 視界にある《フレイムキャノン》を次々と収納庫ストレージに放り込む。


「くく、無駄なことを」


 イフリートの嘲笑を含んだような声が耳に届くが、構ってられない。

 顔を上に向け、視線を右へ左へと動かしながら目に映る全ての火炎の砲弾を収納しまくる。


 もういくつ収納した?

 だが一向に減らない。

 消えるたびに新たに現れる。

 どれだけ収納しても、次々現れる。


「消えろ」


 イフリートの声に合わせ、《フレイムキャノン》が一斉に動き出す。

 四方八方から、その全てがオレたちに向かって飛んでくる。


 ――くっ! 間に……合わない!


 それでもオレは収納する。

 飛来する火炎の砲弾を次々と収納していく。

 だがオレの眼がどれだけの動きをしたとしても限度がある。


 その数は、その限度を軽く凌駕していた。


 収納しきれなかった《フレイムキャノン》がオレ達に迫りくる。


 ――マズい! 避けられない。


『――《アイスウォール》!』


 声が頭に響く。

 同時にエリスがオレを押し倒す。


 ――っ!?


 その体躯がオレに覆いかぶさる。


「エリス! ダメだ。ヤメッ――」


 だがオレの声は轟音にかき消されていた。

 数多あまたの《フレイムキャノン》が次々に《アイスウォール》に撃ち当たり、大きな音とともにはじけて飛び散っていく。


 視界全てが猛火の色で塗りつぶされていく。鼓膜をぶち破るような轟音がオレ達のすぐ傍で鳴り響き、その激しい衝撃が振動となって伝わってくる。


 オレはエリスの下でもがいた。


 エリスがオレをかばっている。

 そんなことダメだ。

 オレがエリスを守らなくちゃいけないのに。


 だがエリスは動かない。

 その四肢と体躯でオレをがっしりと抑え込み、オレの力ではビクともしない。


 やがて視界を覆いつくしていた眩しい程の赤い光が収まっていく。

 いつしか爆音も聞こえなくなっていた。


『……タクマ、大丈夫?』


 頭に声が響く。

 そしてエリスはゆっくりとオレから離れた。


「バカヤロウ。オレの心配なんかより自分の……」

『私よりタクマだよ。私は結構頑丈なんだよ。知ってるでしょ?』


 ――そういう問題じゃねぇ!


 怒鳴りたい衝動を懸命に呑み込んだ。

 助けて貰っておいて怒鳴るなんてできっこない。


 体を起こしたとき、オレの右手が何かぬるっとしたものを感じた。

 一瞬で悟った。

 それが何なのか、分かってしまった。


 ……これは、エリス、の……?


「エリス。お前、怪我を……」

『少しだけね。悔しいけど、私の《アイスウォール》じゃ、全部は防ぎきれなかったみたい。でも大丈夫。大した事無いから』


 オレの右手が赤く染まっている。

 エリスの左後ろの脚の付け根が赤く染まっている。


 目の前が真っ暗になった気がした。


 エリスがケガを負った。


 オレを庇って血を流した。


 その事実に、オレは言葉にならない衝撃を感じていた。


 強力なモンスターと戦っているんだ。

 これは戦闘なんだ。

 怪我は付き物だ。


 分かってる。

 頭では分かってる。

 だけど、だけど……


 これは、オレの責任だ。

 《フレイムキャノン》を簡単に収納できると油断していた、オレの責任だ。

 イフリート相手に何とかなるんじゃないかと安易に考えてしまった、オレの責任だ。

 なによりも勝つことにこだわり過ぎていた、オレの責任だ。


 もう、認めるしか、ない。

 オレたちでは勝てないことを、認めるしか、ない。

 これ以上やって勝てる確信があるならまだしも、オレたちはまだダメージを負わせることもできていない。なのにエリスを傷付けて、それでもまだ続けるなんてできない。

 再び同じ攻撃を喰らったら、次も無事でいられる保証なんかない。


 敵わない。

 少なくとも今のオレ達では、まだイフリートに敵わないんだ。


 オレは右腕をイフリートに向けて伸ばす。


 奥の手を使うために。

 イフリートを収納庫ストレージに閉じ込めるために。


『……タクマ?』

「ここまでだエリス。奥の手を使う」

『でも……』

「これ以上は、ダメだ!」


 エリスも分かっているんだろう。

 それ以上何も言わなかった。


 そして、オレは収納魔法を発動させた。


 ……勝てなかった。

 オレ達では、まだ届かなかった。


 今後どれくらい強くなればコイツを倒せるのか。

 それは分からない。

 だが、やるしかない。


 いつか必ず。

 必ずだ。

 絶対強くなって、コイツを……


『……タク……マ』


 エリスの震えるような声が頭に響く。

 オレはその声に促されるかのように目を開き、エリスを見上げた。


 ……なんだ? どうしたんだ? イフリートはもう……


 そう思いながらエリスの視線の先に、ゆっくりと振り返る。

 オレの目が大きく開く。


 そこには、腕組みをしつつ、口角を上げているイフリートの姿があった。


 一瞬、自分の目に映るそれが理解できなかった。

 思わずオレの口から疑問の言葉が漏れる。


「な、何故……?」

「この感覚……。どうやらうまく抵抗レジストしたようだな」


 オレの疑問の声など気にも止めない様子でイフリートの呟く声が聞こえてきた。


 目の前の状況がオレには信じられなかった。

 理解できなかった。

 オレはコイツを収納したハズだ。

 収納するよう、魔法を発動させたハズだ。


 なのに……


「何故、お前がまだ、そこにいる……?」


 まさか魔法が発動していなかった?

 いや、そんなハズは……


 慌てて再び右腕を伸ばし、イフリートを収納するための魔法を発動する。

 だが状況は何も変わらなかった。

 いつもの、収納したという感覚がしなかった。

 イフリートはその場から消えることは無かった。


 イフリートを……収納……できない?


「無駄だ。言っただろう、お前の魔法がどういうものか分かったと。そういうことをしてくるやもしれぬと、あらかじめ抵抗レジストを掛けておいた。人間の魔法ごときで我の抵抗レジストを上回ることなど、できぬわ」


 オレの目が再び大きく開かれる。

 思わず立ち上がったが、足が力を無くし、もつれるように一歩後退った。


 そんなオレを見て、再びイフリートの口角が上がる。


「くく、残念だったな」


 そしてイフリートは右腕を上げた。


 一瞬のうちに頭上に展開された、途方もない数の火炎の砲弾。

 それを見上げ、瞬時に悟る。……悟ってしまった。


 無理だ、と。


 火炎の砲弾はさらに増えていく。

 天井を埋め尽くさんばかりに、増えていく。


 さっきでさえエリスの《アイスウォール》で防ぎきれなかったというのに、それよりも遥かに圧倒的に数が勝る火炎の砲弾たち。


 収納しても収納しても、それらは無くならない。

 いくら収納しても、それ以上の速さで増えていく。


 追いつかない。

 収納しきれない。


 オレは見上げていた視線をエリスに向けた。


 ……いつか、こんな日が来るかもしれないと思っていた。

 それがまさか、今日だとは思わなかったが。


 四年前のあの日、エリスがいなければオレは間違いなく奈落の底に落ちて死んでいた。

 エリスがいたから助かった命なんだ。


 だから……だから!

 今度は、オレのすべてを掛けて、エリスを助けたい。


「……エリス。オレが引き付ける。全力で防ぐ。お前への攻撃は必ず防いでみせる。だから、なんとか逃げてくれ」

『――ぜぇっっっっったい、イヤッ!』


 エリスの完全拒否の言葉が頭の中いっぱいに響く。


 ――くっ!


 そう言うかもしれないと予感はしていた。


 でも……それでも! 頼む! 頼むから!

 言う事を聞いてくれ!


「エリス!」

『――イヤッ!』


 分かってくれ!

 言い争ってるような余裕なんて、もう無いんだ!


「最後ぐらい素直に言うことを聞けぇ! このわからずやっ!」

『最後なんて言うなっ! このバカァ!』


 ――くっ!


 オレだって言いたくはない。

 諦めたくはない。

 だけど、奥の手も通じなかった。

 オレの見通しが甘すぎたんだ。

 もうホントに手が無いんだ。

 このままじゃ、二人ともやられるだけだ。

 だからせめて……


「御願いだエリス。御願いだから、言う事を、聞いてくれぇ」


 それでもエリスはかたくなに首を横に振る。


 どうすれば分かってくれる。

 どうすれば……


「エリス……」

『ダメだよタクマ。幼馴染なんだもの。私のことよく知ってるでしょ?』


 ……ああ、そうさ。


 知ってる。

 よく知ってるさ。

 オレは誰よりもお前の事をよく知ってる。


 頑固なところがあることも知ってる。

 こんなときに一人で逃げるなんてできないことも知ってる。


 でも……それでも!

 お前には、お前だけは、無事でいて欲しいんだ!


 だから……


「人と獣の、種族を超えた愛というやつか? 興味は無いな。続きは死後の世でやるがいい」


 イフリートが腕を降り下ろす。

 数多あまたの火炎がオレたちに向かって降り注ぐ。

 視界を埋め尽くし、灼熱の雨となって降り注ぐ。


 守り、きれない……ゴメン、エリス……


 その時――


「……やれやれ。これ以上は見てられんな」


 何処からともなく声が聞こえ、そして、オレとエリスを包み込むように白銀の煌めきが舞い降りた。




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