第31話 炎を纏いし巨人
「……ふん。出てきたのはただの人間と獣か」
オレの耳に聞こえてきたのは少しかすれたような、だが男性だか女性だか判断しにくいような声。それは間違いなくコイツ、イフリートの声だろう。
モンスターが人の言葉をしゃべることに少し驚いたが、考えてみればバハムートだって話すんだ。イフリートがしゃべっても不思議は無いのかもしれない。それもまた、S級モンスターならではなんだろうか?
一瞬、会話が成り立つなら、もしかしたら話し合いか交渉が可能か? などという考えが頭を過ったが、すぐにそんなことはありえないと否定した。
なにせ、こいつはいきなり攻撃をしかけてきたんだ。
問答無用でオレたちを排除する気が満々ってことだ。
話し合いや交渉が成り立つハズが無い。
「小物ではないか。もっと大物かと思っていたのだが、気のせいだったか?」
炎を纏いし巨躯を宙に浮かべ、両手を胸の前で組み、オレたちを見下ろし、まるで期待外れだとでもいいたげな口調だ。
……こいつ。
つまりは、何をどう勘違いしたのか知らないが、大物が来たと思って姿を消して隠れていたんじゃないか?
だったらお前のその行動も、小物のようなものだろうが!
と、言い返してやりたいところだったが、さすがに口にはしなかった。
確かにイフリートから見れば、ただの人間であるオレは小物以外の何物でもないのだろう。
オレは横にいるエリスにチラッと視線を向けてみた。
エリスは今にも飛び掛かりそうな雰囲気でイフリートを睨みあげている。
獣姿でいるのに、エリスの正体に気付いていないのか?
エリスがまだ成体でないからか?
確かにこの大きさでは、ちょっと小さめな白い虎といったところかもしれない。
……まあいい。
そんなことよりも、とにかく、こいつを倒さなければいけない。
改めてイフリートを見上げてみる。
体長はオレの三倍くらいあるだろうか。
黒ずんだ赤褐色の体、人のような手足。
その腕も脚もぶっ太くて、見た目パワーもありそうだ。
頭部は獣のようで、炎でできた鬣がゆらゆらと揺れている。
まるで、炎でできた毛並みを纏う獅子の顔の獣人、といった感じだ。
オレの視線が、イフリートの足元に向けられる。
宙に浮いているというのが気になっていた。
ふわふわ浮いているという感じではない。
空中に見えない足場があり、そこに立っているような感じだ。
これも、何らかの魔法なんだろうか?
おかげで、ケルベロスに使ったような、足場を収納して体勢を崩すという戦法は、どうやら使えそうにない。もし足場があるとして、それが認識できれば、もしかしたら収納してやることはできるのかもしれないが、見えないし、ホントにあるかも分からないのでは収納のしようがない。
忌々しいことに、こちらの戦法を一つ潰されてしまったようなものだ。
再び視線を上に向けた時、イフリートと目が合ったような気がした。
イフリートの二つの紅い眼がオレたちを見下ろす。
その鋭い眼光に、ゾクッとした。
明らかに今までのモンスターとは雰囲気が違う。
それらとは一線を画した、圧倒的な強者の風格のようなものを感じた。
……敵うのか? コイツに?
何かが、オレの中で震えだすような気がした。
いやっ!
弱気になるなっ!
もう、後戻りなんかできない。
倒すんだ、コイツを!
オレは宙に浮かぶイフリートを睨み返しながら、自分自身に気合を入れた。
――絶対、倒す!
「エリス!」
『――穿て! 《フリージングスピア》!』
オレの声とほぼ同時に、エリスの声がオレの頭に響く。
オレたちの頭上に現れた三つの氷塊が一瞬のうちに長く鋭い槍へと姿を変え、三本の氷結の槍《フリージングスピア》となってイフリートに向かい放たれる。
……これが今のエリスの、本来のスピアか!?
氷結の槍《フリージングスピア》は、先日の雪山で使った火炎の槍《フレイムスピア》の氷バージョンになる。
エリスは《フレイムスピア》を使い、B級モンスターであるサイクロプスを一撃で倒している。あの時エリスは加減をすると言っていた。だがその時の《フレイムスピア》の大きさや威力を見て、内心、それでホントに加減をしたのかとちょっと思っていた。
でも、間違いなくあの時エリスは加減をしていたんだ。
それがよく分かった。
今放った《フリージングスピア》は、あの時の《フレイムスピア》の倍以上の長さがあり、あの時以上のスピードでイフリートを襲う。しかもそれが三本。
これがエリスの本来の力なのだとしたら、サイクロプスの時は、ホントにかなり力を押さえていたことになる。
イフリートはその場を動かない。
腕組みをしたまま、少しだけ眉を顰め、迫りくる《フリージングスピア》を一瞥した。
三本の氷結の槍が回転しながら炎を纏いし巨体を襲う。
――三つとも直撃だ!
そう思った時、三つの《フリージングスピア》がピタッと止まった。
イフリートにあと僅かといったところで、まるでそこに見えない壁でもあるかのように、完全に動きを止め、そして……
……と、溶かされている?
いや、溶かされているというより、蒸発させられていると言ったほうが正しいかもしれない。三本の《フリージングスピア》は見る見るうちにどんどん小さくなり、そしてあっという間に三本とも消えてなくなってしまった。
その結果に、その事実に、オレの目が大きく開かれる。
その時になってようやく気付いた。
三本の氷結の槍が止まったところに、何か揺らめく薄い膜のようなものがあることに。
――あれが、イフリートの火の壁《ファイアウォール》……か?
水は火に対し優位な元素だと言われている。
その水に冷を加えた氷系の魔法は、火を打ち滅ぼすとさえ言われている。
それなのに、エリスの《フリージングスピア》でも突き破れないとは。
もちろん一撃で倒せるとまで楽観をしていたつもりはない。
それでもエリスの氷系魔法が、ここまであっさり消されてしまうとは思わなかった。
これを打ち破らないと話にならない。
想像以上にやっかいかもしれないが、全く想定していなかったわけじゃない。
大丈夫だ。
エリスにはまだ、スピアの上があるんだから。
『……なら、これはどう! 《フリージングジャベリン》!』
エリスが再び氷系の魔法を放つ。
スピアの上位魔法ジャベリン。
より細く、より硬く、より長く、そしてスピードと貫通力を増した四本の氷結の投槍《フリージングジャベリン》がイフリートを囲んだ状態で現れ、間を開けずに四方向から同時にイフリートを襲う。
――今度こそ!
《フリージングジャベリン》が《ファイアウォール》に撃ち当たり、パァーンという高い音が鳴り響く。
それと同時にイフリートが組んでいた腕を解き、軽く両腕を振った。
「……ふん。ここまで来るだけのことはある、か。だが、取るに足りぬ小物であるには変わらんな」
気付けば、イフリートは片手に二本ずつ、自分の背よりも長い四本の《フリージングジャベリン》をその手に掴んでいた。
……ウソ……だろう?
そんなことが可能なのか?
エリスの《フリージングジャベリン》は《ファイアウォール》を抜いた。
スピアでは無理だったが、ジャベリンなら抜けることができる。
それは間違いない。
だが、そのジャベリンをイフリートは捕まえたんだ。
あのジャベリンを、こうも簡単に、まるで子供のおもちゃ扱い……かよ。
攻撃力不足……なのか?
今のエリスと、このイフリートとの間には、それほどの魔力差があるというのか?
「……ふん。児戯に等しいわ」
イフリートが氷結の投槍を握りつぶす。
いとも簡単に。
まるで薄い氷を割るがごとく。
砕け散った四本の《フリージングジャベリン》が一瞬煌めくが、あっという間に蒸発して消えていく。
この化け物が!
しかし、どうする?
エリスの《フリージングジャベリン》ですらこれでは……
いや、弱気になるな!
まだ手はあるハズ。まだ……
「……消えろ、ゴミ共」
イフリートからその言葉が聞こえた瞬間、頭上にもの凄い熱を感じた。
思わず見上げたオレの視線の先で、紅蓮の炎が渦巻いている。
――これは、火炎の渦《フレイムヴォルテクス》か!
それを認識した直後、オレたちに向かって巨大な火炎の渦が落ちて来る。
――させるかっ!
迫りくる火炎の渦を睨みながら、オレにできる唯一つの魔法を発動する。
落ちて来る火炎を全て収納庫に放り込む。
「む? なんだ? 消えた?」
イフリートが少し訝しむように周囲を見回す。
本来なら今収納した魔法をすぐにでも返してやりたいところだが、炎のモンスターに炎の魔法を返しても、ダメージは期待できないかもしれない。もしそうならオレの手の内を晒すだけ無駄になる。
それならば、とオレはエリスに小さく話しかけた。
「エリス、今のジャベリンを二連発、いけるか?」
『うん。大丈夫、いけるよ』
「よし。合図したら頼む」
『うん』
再びイフリートに視線を向けると、ヤツはまだ眉をひそめながら考え込んでいるように見えた。
「……魔法解除? 魔法無効化? ……いや、違うな。そもそもそんなこと、人間ごときにできるわけがない」
敵を前にして、えらく余裕じゃないか。
それだけ、オレたちのことを大したことないと考えているということか?
いや、むしろ、オレたちを敵とすら認識していない気さえする。
オレたちを侮ってくれているなら、それでもいい。
その間に倒してやるまでだ。
そう思いながらも、少し癪に障ったのも事実。
それに、多少頭に血を昇らせて、少しでも冷静な思考を邪魔しておきたい。
そのために挑発もしたかったので、思ったことをそのまま言葉にしてやった。
「お前には理解できないだろうさ。イフリートごときの頭じゃな」
「……つけ上がるなよ、人間ごときが!」
イフリートの怒声と共に、再びオレたちの頭上に火炎の渦《フレイムヴォルテクス》が現れる。
それが落ち始めた瞬間を狙って、オレは再び収納魔法を発動した。
「む。また消えた。いや、消された……?」
オレの口角が自然と持ち上がる。
――何度やっても無駄だ!
「エリス!」
『はい! 《フリージングジャベリン》!』
イフリートの周囲に現れる四本の氷結の投槍。
それがイフリートに向かって動き出した瞬間、オレは魔法を発動した。
とたんに《フリージングジャベリン》が消える。
「続けろ、エリス!」
『――《フリージングジャベリン》!』
再び《フリージングジャベリン》が現れ、動き出すと同時にオレは収納する。
イフリートは《フリージングジャベリン》が現れるたびに、そちらへ視線を向けるが、動き出すと同時に消えてしまうことに眉をひそめている。
「……何のつもりだ、人間。恐怖で気が触れたか?」
二回分の《フリージングジャベリン》をオレは収納庫に収納した。だがそれは、イフリートからすれば、火炎の渦を消したのと同様に、自分たちからの攻撃さえも消してしまった、愚かな行為のように見えるんだろう。
それが意味することが、お前には分からないだろう?
教えてやる。
――それは、こういうことさ!
オレはたった今収納した《フリージングジャベリン》を全て取り出す。
八本の氷結の投槍が、ランダムにイフリートの周囲に展開される。
そしてその全ての方向をイフリートに向けて。
「――ぬぅ」
イフリートが唸るがもう遅い!
オレは収納庫から取り出すとき、その動きの方向は調整できるが、動く動かないまで調整できるわけじゃない。
つまり、動きのあるモノは、取り出したと同時に動き出す。
八本の《フリージングジャベリン》が同時にイフリートを襲う。
ジャベリンならば《ファイアウォール》を抜ける。
それは実証済だ。
四本では捕らえられたかもしれないが、八本なら!
――いけっ!
次の瞬間、八本全ての氷結の投槍がイフリートを貫いた。
――よしっ!
思わず胸の前で右手を強く握り込む。
だが、それと同時に違和感にも気付いた。
《フリージングジャベリン》は全てイフリートの身体を貫いている。
腕や脚、胸や腹など。
そのうちの一本は見事に右目から深々と頭を貫いていた。
……普通なら、倒れ込むなり、仰け反るなりする……ハズ。
なのに、微動だにしない?
「……くくくっ」
聞こえてきた声にゾクッとした。
この声は、イフリートの声……か?
そんなこと、考えるまでも無かった。
「わっははははは!」
イフリートが大きく笑い出し、そして、身体に突き刺さっていた《フリージングジャベリン》が次々と砕け散り、そしてあっけなく蒸発していく。
今の今まで突き刺さっていたというのに、傷一つ付いて……無い……だと!?
そんなことが、ありえるのか?
――でたらめにも程があるだろう!




