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第30話 奈落の底、再び

『着いたよ、タクマ。大丈夫?』

「ああ」


 エリスの声が耳を通さずに直接頭に響いてくる。

 それは、彼女が獣姿になったときの会話の方法だ。


 そう。

 崖を降りる前にエリスは白銀の獣に姿を変えている。

 オレを背中に乗せて崖を降りるために。


 オレはエリスの首回りにしがみついていた腕を緩め、跨っていたエリスの背から降り、奈落の底の地に足を付けた。


「助かったよ、エリス。オレ……重くなかったか?」

『それは全然大丈夫。でも……』


 今のエリスの姿は大型の犬くらい、と言えば分かりやすいだろうか。

 見た目の印象よりパワーはあるみたいで、オレ一人くらい乗せて崖を降りるのは全く問題無いと本人は言ってくれていた。


 最初はオレも、自力で降りるつもりだったのでロープとかも用意はしていた。

 だけど、それだとかなり時間がかかるとエリスに指摘され、それに反論しにくかったのは確かだ。だがそれでも、エリスの「抱っこがいい? それともおんぶがいい?」などという、どちらもありえない選択肢は断固拒否させてもらった。


 いくらなんでもそれは男として情けなさすぎるだろう?

 ……そりゃあ、今更かもしれないけどさ。


 その後に出された「じゃあ獣姿になるからそれにしがみついてね」というエリスの提案に、まあそれならいいか、と頷いてしまったわけだが……


 後から考えてみると、これって、最初に無理難題のような大きな要求を出しておいて、断られてから比較的受け入れやすい要求に切り替えるという、よくある交渉術で丸め込まれてしまった気もしないでもない。


 だから、誤解しないで欲しい。

 これは時間的な問題であって、仕方なくだったんだ。

 けっして、しがみついて、エリスのふわっふわな毛並みの感触を堪能していたわけではない。


『でも頬ずりされてたのは、ちょっとだけ、くすぐったかったかな?』


 ……………………けっして、違う……よ?


 獣姿のエリスの目が少し半眼になっているように見えるのは、きっと気のせいに違いない。うん。きっとそうだ。


「ゴ、ゴホン。……じ、じゃあ、行くかエリス」

『うん』


 奈落の底も当然ながら薄暗い。

 一応ここにも蒼光石があるらしく、全く見えないという程ではない。

 エリスにはそれで十分らしく、その足取りはしっかりしている。

 オレはエリスの背に左手を載せ、ゆっくりと足を進める。


 岩や壁があちこちからせり出している。

 一本道ではあるが、複雑にうねっているような細い通を進む。


 しばらく歩くと、ふいに僅かな空気の流れを感じた。

 微かではあるが、正面から風が吹いているようだ。


「……近い……な」

『……うん』


 さらにゆっくりと、そして慎重にオレたちは歩みを進める。

 一本道の先に、明るい光が見えてきた。


 いよいよだ。

 オレたちは、これからS級モンスターに戦いを挑むことになる。

 しかもたった二人でだ。

 普通なら考えられないような暴挙だろう。


 おかげで、さっきからオレの心臓は高鳴りっぱなしだ。

 喉の奥もヒリヒリしてくる。


『タクマ、止まって』


 エリスの足が止まる。

 同時に、オレも歩みを止めた。


 オレとエリスの視線が交差する。

 一度頷き、オレは壁を背にしながら、漏れて来る光の先に視線を向けた。


 ――あった!


 ここが迷宮の中だというのを忘れてしまいそうなくらい広く開かれた場所。

 そのど真ん中で宙に浮いた、オレの背丈の倍以上もありそうな大きな紫水晶アメジスト

 それがゆっくりと回転している。


 そして紫水晶アメジストの下部分、尖った先から僅かな間隔を置いて静かに垂れ落ちている金色の雫。


 四年前に見た通りだ。

 あの時と全く変わっていない。


 ……いや、変わっていることが一つあった。


「……アイツは、何処だ?」


 傍にいるエリスにだけ聞こえるくらいの小さな声で呟く。


 そう。イフリートがいない。

 四年前に見た時は紫水晶アメジストの近くにいた。

 腕を組み、目を閉じ、まるで眠っているかのように微動だにせず、紫水晶アメジストの近くにいた炎を纏いし巨人。


 だが、今はその姿が何処にも見えない。


「……もしかして、いない、のか?」


 まさか、崖を降りる前に言っていたことがホントになった?

 確かにあれから四年もの時間が過ぎた。

 その間に何らかの事情でいなくなってしまったのか?

 だとしたら、事前に打ち合わせた通り、早々に《神水》を確保して……


 思わず気がはやり、オレの足が一歩進もうとした。

 その時――


『タクマ、ダメ!』


 エリスの声が頭に響き、踏み出そうとしていたオレの足はピタッと止まった。

 右足を少し宙に浮かせたまま、オレは視線をエリスに向けた。


『……いるよ。間違いなく、イフリートはここにいる』


 その言葉に、オレは息を呑み、浮いていた足を元に戻した。


「……何処に?」

『それは分からない。気配がうまく掴めないの。でも、四年前と同じで、そこから先に力場を感じる。たぶん……ううん、きっと、そこに足を踏み入れれば、イフリートに気付かれる』


 オレはもう一度視線を巡らせてみた。


 イフリートが隠れているというのか?

 何処に?

 そして、何故?


 この場所は今までの薄暗い場所と違い、外の昼間という程ではないが、十分な明るさがある。王都の闘技場さえすっぽり収まりそうなくらい広いのに、その端のほうまでオレの目でもちゃんと視認できるほどだ。


 その光源はよく分からない。

 蒼光石が他と比べて多いというのもあるかもしれない。

 紫水晶アメジストが淡い光を放っているというのもあるかもしれない。

 だけど、たぶんそれだけじゃない。

 それだけでは、この明るさは説明がつかないと思う。


 もしかして、その力場というのが関係しているのだろうか?


『……どうする、タクマ?』

「……このままここにいても始まらない。周囲を警戒しつつ《神水》の場所に向かう。イフリートが手を出してこなければ、《神水》を確保して撤退。出して来れば、そのときは……」


 エリスが白銀の獣の頭を縦に小さく振って頷く。

 オレは一度大きく深呼吸して、そしてゆっくり足を踏み出した。


 一歩、二歩と進み、一度そこで足を止めて周囲に視線を巡らせてみる。


 特に何も変化は……無い?

 エリスもオレの横で同様に周囲を警戒しているが、何も変化を感じていないようだ。


 このまま、手を出してこない……?

 そんな都合良くは絶対にいくわけないと思いつつ、少しだけ期待してしまう。


 再び足を進める。

 三歩、四歩と、ゆっくりと静かに、周囲に気を配りながら足を進める。


 息がだんだん荒くなっていくのが自分でも分かる。

 額にも汗が滲む。


 見えない敵。

 いるハズなのに、いまだ何も手を出してこない敵。

 そのことが、むしろ強大なプレッシャーとなってオレに伸し掛かって来る。


 これがかなり厳しい。

 現れないならそれに越したことは無いハズなのに、正直、現れるならさっさと現れろ、と怒鳴りたくなるくらいだ。


 そんな衝動を何とか抑えつつ、オレとエリスは足を進める。

 ゆっくりと、ゆっくりと。


 正面にはゆっくりと回転している大きな紫水晶アメジスト

 そこから落ちている金色の雫。

 ポチャン……ポチャンとある程度間をおいて落ちる音が聞こえる。


 ここからではまだ見えないが、この音からして、落ちた先にはきっと《神水》がある程度溜まっているんだと思う。


 周囲を警戒しつつ、静かに、ゆっくりと近付く。


 まだ見えない。


 見えれば、その時点でその溜まった《神水》を収納庫ストレージに収納して早々に撤退だ。


 まだ見えないのがひどくれったい。

 ここからなら一気に駆け寄って収納してしまうべきか?


 いや、ダメだ。

 そんなうまくいくわけはない。

 絶対にイフリートが手を出してくる。

 即時対応できるよう、一瞬たりとも警戒を怠るわけにはいかない。

 焦っちゃダメだ。


 唾を飲み込みながら、一歩、また一歩と紫水晶アメジストに近付く。


 もう少し、もう少しだ。

 もう少しで見える。

 もう、あと、一歩……


 ――見え……


『――タクマ!』


 ――ぐっ!


 溜まっていた《神水》が見えたその瞬間だった。

 エリスがほとんど体当たりのような勢いで、オレの身体を背中に乗せ、その場を飛び退いた。

 それは《神水》を収納する直前だった。


 一瞬で悟る。

 ヤツが現れたんだと。

 やはり、手を出してきたのだと。


 エリスに担がれるようにして宙を移動しながら、直前までいた場所に視線を向ける。


 ――こ、これは!


 そこには大きな地響きを立てながら、激しい炎の雨が降り注いでいた。


 自然と額に汗がにじむ。

 炎の雨による熱のためなんかじゃない。

 むしろ逆で、背中には氷の塊をたっぷりぶちこまれた気分だ。


 あれだけ警戒していたというのに、オレには全く気付けなかった。

 最後には《神水》に意識が行ってしまっていたのか?

 いや、そうでなくても、オレには分からなかったのかもしれない。

 もしエリスが気付いてくれなかったら、と思うとゾッとする。

 エリスはともかく、オレは間違いなくあの炎に焼かれて死んでいた。


 エリスが顔を上に向けて睨んでいる。

 オレもそれに釣られて視線を上に向けた。


 そこには、腕組みをしつつオレたちを見下ろす、炎を纏いし巨人が宙に立っていた。




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