第27話 対決ホーンベア
第三層に降り、しばらく進んだところで、オレの少し先を歩いていたエリスの足が止まった。こんなところで足を止める理由なんて、一つしかないだろう。
……敵、か?
自然と少し腰を落とし、身構える。
視線を動かし周囲を確認する。
今オレたちがいるのはちょっと広めな通路のような場所だ。
横幅はざっくり言って、手を広げた長さの三倍くらいってところか。
高さもオレの身長の三倍くらいはあるだろうか。
薄暗い迷宮の先の方に視線を向けて目を凝らしてみる。
相手は闇に紛れているようで、オレにはよく見えない。
でも、何となく何かがいる……ような気がする。
エリスも目を凝らしているようだが、何も言わない。
この距離だと、まだ相手の正体が判断できないようだ。
……まさか、アイツか?
いや、でもまだここは第三層だ。
アイツは第四層にいるハズ……
でも、あれからかなり時間は経っているんだ。
第四層にいるとばかり思っていたが、層を移っていたとしても、不思議ではないかもしれない。
少し体が緊張してしまうのが自分でも分かる。
思わず息を呑んだ時、エリスの声が聞こえてきた。
「……ホーンベア、二頭」
「……へ?」
相手の思わぬ正体に、ついつい間抜けな声を出してしまった。
エリスが向いている方にオレも視線を向け、更に目を凝らしてみる。
相手の方から近付いてきたのか、その姿をなんとか視認することができた。
そこにいたのは、二頭の大型の熊のような獣。
っていうか、熊の一種か。
ホーンベア。
頭に二本の白い角を生やしたC級モンスターだ。
つまり、オレたちよりランクが上のモンスターだ。
その二頭がゆっくりとオレたちの方に近付いてくる。
その大きさはオレの倍以上はある。
二頭とも間違いなく成体だ。
あの巨体でありながら身軽で素早く、さらにパワーまであるという。
確か最近のハンターギルドのクエストにもあったハズだ。
D級のオレたちでは受けられないと読み飛ばした覚えがある。
だが、なんでホーンベアが迷宮に?
オレが知る限り、こいつらは主に森や山を生息地としているハズだ。
もしかして外から迷い込んだのか?
……だが、そんなことはどうでもいい。
それより、丁度いいかもしれない。
「エリス。オレがやる」
「え……?」
「この後の事を考えると、もう少し肩慣らしをしておきたいと思っていたんだ。まさかホーンベアがいるとは思わなかったが、むしろ丁度いい相手かもしれない」
エリスが何も言わずオレに視線を向けて来る。
信頼はしているが、それでも心配はしてしまう。
そんなちょっと複雑な心境を物語っているような目でオレを見ている。
オレを心配してくれる気持ちは素直に嬉しい。
だけど、ホーンベアくらい余裕で倒せなくちゃ、この先に出て来るであろう奴らの相手なんかできっこないんだ。
オレはホーンベアに視線を向けながら、余裕とばかりに笑ってみせた。
「大丈夫だ。エリスは下がっててくれ」
片手を軽く上げ、前方の獣から視線を外さず、オレはエリスにそう言った。
視界の端で、エリスが一度オレの方を見て、そして頷く姿が見えた。
「うん、分かった。ここは任せるよ。……でも、タクマ?」
エリスが後ろに下がりつつオレに声を掛けて来る。
「なんだ?」
「カッコいい所、見せてね」
――っ!?
はは……あははは……
さすがだよ、エリス。
さすがオレの幼馴染。
オレのことがホントよく分かってる。
こんなときにかけて欲しい言葉は、「気を付けて」とか「無茶しないで」なんかじゃないんだ。
エリスのそのセリフに、今度は自然と、オレの口角が上がってしまった。
「ああ、任せろ!」
オレはD級で、ホーンベアはC級だ。
安全マージンを考えれば、C級以上のハンターを数人含めたパーティで討伐するべき相手だ。
しかもそれが二頭もいる。
十人中十人とも口を揃えて言うだろう。
D級ハンターが一人でやるなど、正気の沙汰とは思えない、と。
だが、今のオレなら!
オレは少し腰を落として、素手のまま身構えた。
スリングショットはいらない。
剣もいらない。
たぶんスリングショットなんかじゃ傷一つ付けられないだろう。
剣だって、オレの腕では恐らく意味をなさない。
だから、いらない。
こいつらを倒すのは、そんな武器じゃない。
ホーンベアの一頭が徐々に迫って来る。
オレに向かって、その四本の脚で近寄って来る。
さあ、来い!
迫るスピードが上がる。
口を大きく開け、その凶悪な牙をむき出し、オレに向かって一直線に。
まだだ。
まだ早い。
慌てるな。
十分に引き付けてから……
そう思った瞬間、ホーンベアが右に跳んだ。
オレの視線もそれを追う。
さらに壁を蹴り、反対側へ跳ぶ。
噂通りの素早い動きで、ジグザグに黒い巨体を跳ばしながらオレに迫りくる。
右の壁を蹴り、天井を蹴り、地に降りた黒い巨体はもうオレの目の前だ。
勢いを付けたまま、オレに向かって飛び掛かって来る。
――ここっ!
次の瞬間、オレの目の前に大きな岩が現れる。
オレの身長くらいある大岩が、オレとホーンベアとの間に突如現れ、そしてホーンベアに向かって飛ぶ。
「ブゴッ……」
ホーンベアから、そんな声が聞こえた気がした。
それだけじゃない。
激しい衝突音と共にボキッとかバキッって音もさせながら、大岩に弾かれてホーンベアが吹き飛んだ。
そう。
この大岩は、たった今オレが出したモノだ。
以前からオレの収納庫に収納しておいたモノだ。
だが、ただの岩じゃない。
動きのある岩だ。
エリスに協力してもらい、かなり高い崖の上から落とし、地面に衝突する直前に収納庫に収納した岩だ。
オレの収納魔法は、動いているモノも収納できる。
その動きを保持したまま収納庫から取り出すことができる。
さらに、その動きの方向を好きなように調整することができる。
収納したときは真下に向かって落下していた大岩を、オレは今、ホーンベアに向かうよう、その方向を調整し、収納庫から取り出したんだ。
見た目通り、かなりの質量がある大岩だ。
それが高い崖からの落下スピードも加わり、しかも自分の突進にカウンターとして真正面からまともに喰らえば、熊ごときに耐えられるわけがない。
「タクマ、上っ!」
エリスの声が迷宮に響く。
――ああ! 分かってる。見えてる!
オレは既に視線を上に向けていた。
オレが放った大岩のさらに上から、黒い毛に覆われた巨体が迫る。
最初から見えていたよ。
先に迫ってきたホーンベアのすぐ後ろに、コイツがいたことが。
頭が良いのか、それとも本能的なモノかは分からない。
だがこいつは明らかに、もう一頭を盾にしてオレからその姿を隠していた。
オレが大岩を放ったとき、こいつは盾にしていたヤツの後ろから飛び出し、壁を蹴り、さらに天井まで蹴ってオレに迫ってきたんだ。
――ちゃんと見えていたさ!
爪を伸ばした腕を振り上げ、牙をむき出し迫りくる巨体に、オレは視線を向けながら魔法を発動する。
オレの視界の左――それはオレに襲い掛かるホーンベアの死角――から突如大きな岩が現れ、黒い巨体にぶち当たる。
「グボッ……」
こっちのホーンベアはそんな声を漏らしていた。
その鋭い爪はオレの頭を捉えることはなかった。
黒い巨体は現れた大岩ごと、オレの右後ろの方へと吹き飛ばされていく。
一瞬の後、大きな音が迷宮の中に響き渡った。
それは、大岩と迷宮の壁に挟まれてホーンベアの身体が潰された音だ。
「ふぅ……」
肺にあった空気を全て吐き出すかのように、大きく息を吐き出す。
やはりと言うべきか、それなりに緊張していたことが自分でも分かる。
だが、オレに怪我は一切無い。
ホーンベアからは一撃も受けていない。
そして二頭ともちゃんと倒せた。
さらに言えば、オレにはまだ奥の手だってある。
これならば、イケると思う。
改めて自分に自信がついたと思う。
「タクマ」
後ろからかけられた声に振り返る。
その先ではエリスが両手を広げ、満面の笑みを見せてくれていた。
「カッコ良かったよ! さすがタクマ!」
そう言いながら小走りでオレに近寄ってきて、その手でオレの服をぎゅっと握りしめる。
「……ホント、カッコ良かった」
少し俯きながら、呟くように出したその声は、少し震えているように思えた。
たぶん、気のせいじゃないだろうな。
二頭目のホーンベアがオレの目の前に来た時、エリスは声を上げていた。
つまりは、そういうことだろう。
「……心配、させちゃったか?」
「そりゃあ、どうしたって心配はするよ。あっ! で、でも……」
オレの服を握りながら、エリスはオレを見上げ、言葉を続けた。
「も、もちろん信じてたよ? ……ホントだよ?」
上目遣いでじぃっとオレを見上げるエリスがたまらなく可愛く見えてくる。
こんなところじゃなかったら、思わず抱きしめたくなる程に。
オレの指が思わずピクピクッと動いてしまう。
いやいや、ここは我慢だ、我慢。
……でも、全部終わったら、その髪と獣耳は存分にもふもふさせてもらおう。うん。
「タクマ?」
「な、なんでもない。さあ行こうか。目的地はまだ先だ」
「うん」
オレはエリスと共に再び歩き出した。
◇
第四層に降り立ち、周囲を警戒しつつ先へ進む。
しばらく歩いたところで、ふいにエリスがオレの服を摘まんだ。
――ん?
反射的にエリスの方に視線を向ける。
彼女は足を止め、睨む様な視線を正面に向けていた。
どうしたんだ、と問おうとしたオレの口は、その言葉を呑み込んでいた。
エリスのその表情に、今までに無いくらいの強い緊迫感が伝わって来る。
敵が現れたのだということは、すぐに察することができた。
だが、エリスにここまで張り詰めたような表情をさせるような敵?
思い当たる敵は、もちろんいる。
……アイツ……か?
すぐにエリスの視線の先にオレも目を向ける。
オレたちの視線の先。
蒼光石の淡い光だけが頼りの薄暗い中、二つの小さな赤い光が見えた。
目を凝らすと、どうやらそこは段差になっている。
その一段高い所に、寝そべっている大きな獣の姿が見えた。
そいつの姿を見た時、オレの心臓が、ドクン、と一度大きく跳ね上がったような気がした。
獣の頭が持ち上がる。
それと同時に、その横に四つの新たな赤い光が現れる。
全部で六つの小さな赤い光に、再びオレの心臓が跳ね上がる。
赤い光。
あれは、目だ。
ヤツの、目の光だ。
間違いない。
アイツだ。
四年ほど前に、さんざんオレをいたぶってくれたアイツだ。
思わずオレの口角が持ち上がる。
――とうとう見付けた!
再びこの迷宮に足を踏み入れた、その目的の一つ。
それは、お前に会うためだったんだ。
お前に、あの時の借りを返すためだったんだ。
今まで何度夢で見たことか。
その度にお前はオレをいたぶってくれた。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も!
だが、それも今日で終わりだ。
今日この場で、終わらせてやる。
覚悟しろよ?
A級モンスター、ケルベロス!




