第21話 あの日の悪夢
暗い道なき道をひた走る。
息が苦しい。
脇腹も痛い。
だが、止まってはダメだ。
止まったら捕まる。
捕まったら、待っているのは死だ。
足元の突き出た岩に躓きそうになる。
周りは薄暗く、良く見えていない。
松明なんて、とうの昔に放り投げてしまった。
だから道幅も、天井の高さもよく分からない。
それでもひた走る。
――どうしてこうなった! どうして!
何度も何度もその言葉がオレの頭の中でリフレインする。
優しそうな人たちだと思ったのに。
お荷物と呼ばれているオレに、笑顔で声を掛けてくれた、優しい先輩たちだと思っていたのに。
オレは……見捨てられた。
オレは、囮にされてしまったんだ。
――くっ!
天井から突き出た岩に肩をぶつけ、その反動で反対側の岩壁に背を打ち付けた。
オレの足が止まってしまう。
――怖い。怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い……
死ぬのが怖い。
死ぬのは嫌だ。
まだ死にたくない。
ハンターになってまだ半年なんだ。
オレはまだF級だが、これから強くなって一人前の、いや、一流のハンターになりたいんだ。
こんなところで、オレはまだ死にたくない。
死にたくないんだ!
荒い呼吸をできるだけ抑えつつ、恐る恐る後ろに視線を向けてみる。
誰も……いない。
何もいない……?
アイツはどうした?
追って来ていないのか?
……もしかして、撒くことができたのか?
……オレは、助かったのか?
「……グブゥ」
――っ!
オレのすぐ後ろから獣の声が聞こえ、反射的にオレは身をよじった。
その途端、耳元でガシッと鈍い音が聞こえた。
獣が牙を打ち鳴らした音だ。
オレの頭をかじろうとした音だ。
間一髪避けることができたのは、ただの偶然に過ぎない。
背筋が凍るような気がした。
――いつの間に!
撒けてなんかいなかった。
オレのすぐ傍までやってきていたんだ。
全然気付かなかった。
「う……うわぁあああああ!」
オレは再び逃げ出した。
戦う?
冗談じゃない。
相手はA級モンスターだ。
F級のオレがたった一人で敵うわけがない。
今回のパーティは六人で、優秀と言われるC級ハンターも二人いた。
奴と対峙した時、最初は全員で応戦しようとした。
敵わないまでも、全員で助け合って、なんとか撤退しようとしたんだ。
だけど奴は強かった。
盾を持っていたハンターを簡単に払い飛ばし、こちらからの攻撃はすばやい動きで簡単に避けられてしまう。徐々に徐々にみんなの傷が増えていき、奴の身体には傷一つ付けることはできなかった。
誰の目から見ても、相手の強さは圧倒的だった。
もはや、全滅は時間の問題だとさえ思えた。
それでも何とか逃げ延びようと、上に続くトンネルのような場所をC級ハンターの一人とエリスの二人で先行させて逃げ道を確保した後、オレを含む残り四人がそのトンネルに入ろうとしたとき、隣にいたもう一人のC級ハンターの男の声が聞こえた。
「すまない。恨んでくれて構わない」
と。
その時は何のことかよく分からなかった。
一瞬、A級モンスターに出会ってしまったことを差して言ったのかと思った。
それは確かにとんでもなく不幸な出来事だったかもしれないが、それ自体は別にその人のせいじゃないと思っていた。
だから、彼が言った言葉の意味が、すぐには分からなかった。
そして、オレは敵に向かって突き飛ばされた。
それでようやく彼の言葉の意味が分かった。
オレは囮にされてしまったんだ、と。
他のメンバーが助かるために、オレ一人見捨てられたんだ、と。
だから「すまない」なんだ、と。
六人がかりで、それでも全然敵わなかった相手だ。
撤退すら絶望視する程の相手だ。
だから、オレなんかが一人で抵抗したって敵うわけがない。
むしろ、今なおオレが生きていることの方が不思議なくらいだ。
もしかしたら、ヤツはオレをいたぶっているのかもしれない。
オレのような弱い相手はいつでも狩れると、見下して、卑しんで、侮って、そしてなぶり殺しにするつもりなのかもしれない。
……嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない。
死にたくない!
もう何処をどう走ったかなんて覚えてない。
今、自分が何処にいるのかさえ分からない。
迷宮の四層か五層であることは確かだろうが、それ以外は全然分からない。
――うっ!
オレの足が再び止まった。
後ろからはヤツが迫ってきているというのに。
オレの足はそれ以上、前に進めなかった。
そこには大きな裂け目があった。
裂け目というより、もはや崖だ。
向こう側は遠く、とてもオレではその崖を飛び越えることはできない。
崖の底も見えない。
どれ程の深さか分からない。
事実上の、行き止まりだ。
思わず息を呑んだ。
それは、オレの人生の行き止まりでもある気がした。
後ろからヤツが近寄って来る気配を感じる。
ゆっくりと、ゆっくりと近付いてくる。
見たくなんかない。
だが、そんなオレの思いとは裏腹に、オレの視線はヤツの方へと向けられる。
暗闇の中、ヤツの六つの瞳が赤く光るのが見えた。
「……来るな」
オレの震える声が口から洩れる。
同時に、オレの足が一歩後退る。
「来るな、来るな、来るなぁあああああ!」
叫んだ時、オレの足元が崩れた。
――っ!?
オレの身体が、ゆっくりと後ろへと倒れ、そして落ちてゆく。
思わず空中に手を伸ばすが、何も掴むことなどできなかった。
オレの身体が落ちてゆく。
奈落の底へと、落ちてゆく。
死を覚悟した時、幼馴染の顔がオレの頭の中に思い浮かんだ。
……エリスは無事に逃げることができただろうか。
それを最後に、オレは意識を手放してしまった。
意識が途切れる間際、視界の隅で何か白いモノが崖に飛び込んだのが見えた気がした。
◇
「……タクマ?」
その声にハッと目を開けた。
オレを心配そうに見下ろしてくるのは、白銀の髪と獣耳を持つ幼馴染。
「……エリス?」
「うん。大丈夫タクマ? 少しうなされていたみたいだけど」
オレは上半身を起こして、視線を一巡りさせた。
そこは間違いなくオレたちの家だ。
二人の共用部として利用している一階のリビングだ。
そこのソファの上でエリスに膝枕をしてもらいながら、オレはちょっとうとうとしていたんだ。
そうか。夢か。
オレは四年ほど前の、あの日のことを夢に見ていたのか。
「もしかして、あの夢を見てた?」
「……ああ」
あそこから何とか無事に生還できた後、しばらくオレはそのことを悪夢として見ていた時期があった。夜中に大声を上げて目を覚ましてしまったことも、一度や二度じゃない。そのことをエリスは知っている。
だが、ここ一年ほどは全くと言っていいくらい見なくなっていたハズだ。
それは、自分があの頃と比べて強くなれたからだと思っている。
帰ってきた後、もうお荷物などと呼ばれないように、もう二度と切り捨て要員などにされないように、頑張ってきたからだと。
実際、それまでは単に荷物を出し入れできるだけだと思っていた自分の収納魔法を、再確認するために色々と試した。オレにはこれしかないのだから、これをうまく使いこなして活用するしかない。
その結果、実はかなりの容量があることも、たんなる荷物だけでなく生き物さえ収納できることが分かった。更にはそれ以外のモノまでも収納できてしまうことも。
その反面、簡単には人に言えないモノであることにも気付き、余計な苦労も増えてしまった気もするが、それは仕方ない。
そして、エリスに協力してもらいながら、使いこなせるよう努力をしてきた。
それが自分の強さへの自信となり、あんな悪夢なんか見なくなったんだと思っていた。
なのに、なんで今更こんな夢を見たんだろうな。
一度心的外傷となってしまったことは、そう簡単には完全に払拭できない、ということなんだろうか?
「水飲む? タクマ?」
そう言ってエリスは、テーブルに置いてあった水差しからコップへと水を注いでくれ、オレに差し出した。
「ああ。ありがとう」
エリスからコップを受け取り、オレは一気にその水を飲み干した。
「ホントに大丈夫? 無理してない? 私にできることなら遠慮せずに言ってね?」
「ああ。ホントに大丈夫だよ。心配かけて悪かったな」
そう言ってオレはエリスの頭に右手を載せた。
エリスのふわっふわな白銀の髪を優しく撫でる。
その柔らかい感触がオレの気持ちを落ち着かせてくれる。
大丈夫。大丈夫だ。
オレは強くなったハズだ。
あの頃のオレより、ずっとずっと格段に成長できたハズだ。
今ならきっと……
エリスの目が細まり、オレに撫でられるのに任せてくれている。
獣耳が小さくピクピクッと動くのが見えた。
それが可愛らしくて、思わず指で軽くつまんでみる。
「んっ……」
エリスが目を閉じながら、少しだけ身体を強張らせた。
断りもせずに獣耳に触ったのはマズかったかな?
一瞬そう思ったけど、別に嫌がるとか逃げるとかするわけじゃない。
むしろ少しあごを引き、ほんの僅かではあるが、触りやすいよう獣耳をオレの方に向けてくれた。
エリスの頬がほのかに染め上がる。
そっと目を開け、オレを見上げながら、はにかむように微笑む。
その可愛らしい姿に目を奪われてしまう。
左手も使おうと、持っていたコップをテーブルに置いたとき、玄関の方から声が聞こえてきた。
「御免下さい。どなたかいらっしゃいますでしょうか?」
女性の声だ。
だが、その声に聞き覚えが無い……と思う。
少なくともセリカではない。
そもそもセリカだったら、「邪魔するわね」とでも言って、勝手に入って来るハズだ。
――誰だろう? 今いいところなのに、もう!
エリスがソファから立とうとするのを、オレは軽く手を上げて止めながら口を開いた。
「あ、オレが出るよ」
そう言ってオレは、名残惜しくもエリスの頭から手を離し、玄関へと足を運んだ。
そこには一人の女性が立っていた。
濃紺でロングのワンピースにフリル付きの白いエプロンを組み合わせたエプロンドレス。それをそつなく着こなし、肩まで伸びた黒髪に白いカチューシャを付けた若い女性。
それは、先日の湖で出会った黒髪メイドだった。




