第2話 二人だけの戦争(雪合戦)
「ん! いい天気!」
エリスがロッジの扉を開け、一歩踏み出したところでそう言いながら大きく伸びをした。
昨日は一日中雪が降り続いていたのだが、今日は打って変わって雲一つない快晴だ。太陽の光が雪で反射され、雪に埋もれた周囲の風景もキラキラとやたら眩い。
「ふふふ。私、いっちばーん!」
エリスはまだ誰にも踏み荒らされていない新雪に勢い良く飛び込んだ。
子供かよ。
とは思ったが、その気持ちはよく分かる。
オレ達が幼い頃に住んでいた村にはほとんど雪なんて降らなかったし、稀に降ってもほとんど積もったためしはない。ハンターになって、雪山に依頼で来るようになって、初めて大量の雪を見たくらいだ。
だからこれが初めてではないが、ちょっと浮き立ってしまう気持ちは、実はオレにもあったりする。
かといって、エリスみたいに飛び込んだりはしないけどな。
「ね、ね。タクマもおいでよ。気持ちいいよー」
「やだよ。冷たいじゃんか」
「えー。気持ちいいのに」
そう言ってエリスは顔を雪の中に埋めてしまった。
両手を大きく広げて、うつ伏せで、まるで雪を全身で抱きしめるかのように満喫しようとしているみたいだ。
ロッジの中でぬくぬくと暖まっていた身体には、雪の冷たさは確かに気持ちいいのかもな。
オレも一歩足を踏み入れてみる。
ズボッて感じで、なんとひざ下まで雪に埋もれてしまった。
おお! 結構積もったな。
右手で雪を大きく一掴みしてみる。
ははは。当たり前だけど、やっぱ冷たいじゃん。
でも、なんとなくこのきゅっきゅって感じもいいものだ。
ちらりとエリスの方に視線を向けてみるが、彼女はまだ雪を全身で満喫中だ。
オレはふと悪戯心が芽生え、両手で周囲の雪を抱えてからエリスの方に向かった。
「エーリス」
オレの声に反応して顔を上げたところへ、抱えていた雪を落とした。
それがザバッて感じでエリスの頭に落ちる。
「――っ!?」
「あっははははは」
「ううう……。タクマのバカァ! アホォ!」
そう言ってオレをちょっと睨みあげて来るエリス。
普段はふわっふわで綺麗な白銀の髪も濡れてしまい、さらには獣耳がなんかピコピコ動いている。
うん。怒った顔もやっぱ可愛いもんだな。
そんなことを考えてしまったオレに向かって、彼女は雪玉を投げてきた。
ひょいと躱して、ふふんって見下ろす。
もちろん分かってる。
オレだって伊達に何年もエリスの幼馴染をしちゃいないさ。
それで大人しくしているような女の子じゃないよな、エリスは。
「ううう……」
なんか変な唸り声を上げ、エリスが更に雪玉を作り出す。
どうやらなんかスイッチが入ってしまったみたいだ。
オレも数歩下がって、近くの雪をすくい上げた。
そして、他に誰もいない白銀の世界の中、二人だけの戦争が始まった。
◇
「はぁ、はぁ、はぁ。ちょっ、ちょっと待っ……うわっ! ぶっ!」
エリスから投げられた雪玉を顔面に喰らい、オレは後ろ向きに倒れた。
「どうしたの、タクマ! もう降参?」
白い息を弾ませながらも、まだまだ元気いっぱいのエリスが新たな雪玉を構える姿が見えた。
こいつの体力は化け物か!
「ああ、もう降参だ。もう無理!」
「もう! だらしないな」
勘弁してくれ。
そもそも獣人とそうでない人族では身体能力が全然違う。
スピードも、パワーも、体力も。
さらに言えば、エリスはその中でも特別だ。
もはや、同次元で比べること自体が間違っていると声を大にして言いたい。
「まだ小一時間しかしてないじゃん」
小一時間も、だよ!
疲れて口を開くのもしんどいオレは、倒れたまま心の中でツッコミを入れていた。
そんなオレにエリスが寄ってきて、オレを覗き込む。
その顔がにやっと笑った。
イヤな予感がする。
イヤな予感しかしない。
これ、絶対あかんヤツだろ。
「じゃあ、これで許してあ、げ、る」
そう言ってエリスはオレの顔の上に超特大な雪玉を押し付けた。
◇
「ううう……寒ぃ」
先程から体の震えが止まらない。
もしかしてオレ、風邪引いたかも?
「これぐらいの寒さで何言ってるの! むしろ心地いいじゃない」
いやいやいや。
お前こそ何言ってるの。
大雪が降るほど寒いんですよ?
しかもここは山の中なんですよ?
しかもしかも、誰かさんに付き合って小一時間も外で雪合戦したあげく、頭から雪被ったんですよ?
……もっとも、雪合戦の原因を作ったのはオレかもしれないが。
と、そんなことは口に出せず、オレは一言だけ返してみた。
「寒ぃもんは寒ぃの」
獣人はスピードやパワーなどの身体能力の高さだけでなく、こういう寒さにも強いらしい。
エリスは上着に薄いコートのようなモノは羽織っちゃいるが、なんと下はショートパンツだ。ロッジにいたときと同じく太ももをあらわにしている。
それがいつもの恰好と言えばそうだし。動きやすさを優先するのはハンターとして至極真っ当な判断だとは思う。……思うが、こんな寒い中外に出る時はせめてタイツとかストッキングでも着ればいいのに。
そりゃあ、オレも最初は眼福とも思ったよ?
なんていうか、エリスの明るい笑顔と、健康的で剥き出しの白い肌は、明るい日差しに照らされて煌めく銀世界よりもさらに眩く輝いて見えたんだ。
でもそれも最初のうちだけだ。
今じゃ見てるこっちのほうが寒くなる。
「もう。しょうがないなあ」
そう言ってエリスはオレの方に振り向き、自分の両手でそっとオレの両手を包み込む。さらに自分の口元に近付けて、「はぁー」と息を吹きかけた。
――っ!?
「どう? 温かい?」
「……ああ」
エリスが柔らかい笑顔でオレを見上げる。
オレは思わずその視線を外してしまった。
……やべっ。不意打ちを喰らった。
エリスの手はもちろん温かい。
だからさっきまでかじかんでいたオレの手もどんどん癒されていく。
だけど、それ以上にオレの顔の温度も上昇しているかもしれん。
心臓の鼓動が速くなってしまっているのは自分でも分かるくらいだ。
「……タクマ、静かに」
急にエリスが声を潜めてそう言った。
エリスに視線を戻すと、彼女は左のほうを向いて目を細めている。
なんだ?
オレも同じ方向に視線を向けてみた。
「ほら、あそこ」
小声で話すエリスの視線の先には白いウサギが一匹、ちょこんと顔を出していた。
「タクマ。もう手が大丈夫なら、タクマがやってみない?」
「オレが?」
「中遠距離用の武器を手に入れたって言ってたじゃない。どんなモノかまだ見せて貰ってなかったけど、ちょうどいいんじゃない?」
オレは再びエリスに視線を戻した。
エリスなら、たぶん一瞬のうちにあのウサギを狩ることができてしまう。
それをせずにオレにさせようとしているのは、オレが手に入れた新しい武器を見てみたいということもあるだろう。
だけど、たぶんだけど、それだけじゃない。
オレに見せ場をくれようとしているんだ。
オレがあのウサギを狩れば、きっとエリスは褒めてくれる。
それはもちろんオレも嬉しいが、エリスもきっとそれをしたいんだ。
だから、オレにやらせようとしている。
ったく。
この幼馴染はどこまでオレに甘いんだよ。
いいだろう。
ご要望にお応えして、少しはカッコいい所、見せてやろうじゃないか。
そしてオレは、何も無いはずの空間に手をかざす。
次の瞬間、オレの手には一つの武器が握られていた。