第五幕 涙色
更新しました。最後まで読んでいただければ幸いです。
*この作品は『アヤカシ草子』の完全スピンオフ作品です。そのためネタバレが含まれています。そのため、本編を読破してから読んでいただくことをお勧めします。藤波真夏
良経が指をさした。そこには屋敷が見える。
「小百合! あれが佐野武士団の本拠地、清光さまのお屋敷だ!」
「ついた!」
小百合は早く着きたくて馬を急かす。佐野の屋敷の中へ入ると多くの大人の武士たちが小百合を見ている。声が聞こえないようにぐっとこらえる。すると奥から見たことのある姿が見えた。清光だ。小百合は馬から降りてお辞儀をした。
「よく参ったな。久しぶりだな」
「はい」
落ち着いた様子で小百合は返事を返した。まだ小百合がアヤカシであることが知られててはないらしい。清光は手招きをして小百合を部屋へと招き入れる。小百合は良経のほうを振り返る。良経は頷いた。小百合は意を決して屋敷の中へ入っていった。
「小百合だな。良経から話は聞いている。女だてらに剣術を習いかなりの腕前だと聞くが?」
「恐縮です。まだ良経さまの足元にも及びません」
小百合はもう目を泳がせていなかった。清光が見たあの屋敷の下働きだったころの挙動不審だったあの頃とは違かった。礼節が精錬されていた。
「どうだ? 私の息子とやりあう気はあるか?」
「ご子息?」
「私には息子が一人いる。お前と同じくらいのな。剣術の稽古相手にお前を指名したまでだ。しばらくこの屋敷で寝泊まりするといい。部屋も用意させた」
「ありがとうございます」
小百合は早速部屋へ通された。そこには着物と袴が用意されていた。小百合は部屋でじっとできず外へ出た。すると同じ年頃の少年とすれ違う。小百合は何かを察して振り返る。
「何?」
「あ、いや。なんでも・・・」
「もしかして君が父上の言っていた、僕に会わせたい人?」
「そ、そうなんじゃないですか?」
少年はつかつかと近づき小百合の顔を凝視する。小百合は怖くなって体が硬直する。銀色の瞳に気付かれるのは言いくるめられるからともかく、髪の毛の色を見られたら弁解の措置はない。
「ふうん。普通の女じゃん。僕、清丸。君は?」
「小百合、です」
清丸はそのまま振り返って行ってしまった。紹介される前に出会ってしまった。この数秒の出会いがのちに二人の運命に絡み合うことになろうとはこの時は誰も意識していなかった。
翌日から小百合は清丸の稽古相手になった。
「それでは始め!」
二人は向かい合い木刀を構える。先制攻撃を仕掛けたのは清丸のほうだった。清丸が四審する。それを小百合は避けた。
「え?!」
清丸はすぐに体勢を変えて再び向かい合う。互角に見えるが小百合が一歩先をいっていた。清丸は焦り始める。ついに木刀の先が狂い体勢を崩す。
「隙あり!」
小百合がとどめの一撃を食らわした。小百合の勝ちだった。この結果に周囲の人々は感心の声を上げる。しかしそれをよく思わないのは清丸だ。
「もう一回だ!」
何回も挑戦をしそれを小百合は受け入れ何度も稽古を重ねた。結果は小百合の勝ちが圧倒的だった。圧倒的技術の差だった。小百合は感心される一方清丸の視線に耐えかねていた。急いで部屋へ戻り着物に着替える。そして廊下を歩いていると運悪く清丸とすれ違う。
部が悪そうに視線をそらす。小百合も声をかけられずその隣を素通りしていく。
「なぜ・・・」
「?」
「なんで、僕は・・・勝てない・・・。稽古にたくさん励んできたのに・・・。なんでお前は・・・!」
その声は嫉妬がこもっていた。男ではなく女に負けたとなれば心はバキバキに折れて行く。小百合は声をかけようと手を伸ばすが清丸はそれを払いのけた。肌がぶつかる音が響いた。
「慈悲なんかいらない! 稽古を頑張ってきたのに剣術始めて日の浅いやつに助けなんて借りない!」
清丸はそう吐き捨てると走ってその場を立ち去った。小百合にはわからなかったが清丸の心の叫びを小百合は感じ取れた。
日の浅いやつに負けるなんて! 僕は努力してきたのに、あいつは簡単に打ち砕いた! 僕は・・・、僕は---!
清丸の努力を小百合が簡単に打ち砕いてしまった。もうこれでは二人は好敵手になれない。小百合はその気持ちを察して心を痛めた。努力を打ち砕きこれが現実だ、と突きつけようか。でもそれでは清丸はだんだんと自信をなくしていく。小百合は清丸の気持ちをようやく理解した。
その日を境に清丸と小百合の仲は悪くなってしまった。稽古ではなく実践のような様子の模擬試合。話をしようともしなかった。
それを見た清光は考えてしまった。まさかこんな事態になるとは予想もつかなかったからだ。小百合はふと清丸の部屋の前を通った。隙間から見えたのはいつもの木刀。その持ち手には何か跡が見える。
黒くて何かが潰れた模様。
「まさか、血?」
小百合はその場を動けないでいると襖が開き、あの声が聞こえて来る。人の部屋で何をしてるんだ? と。小百合が振り返ると驚いている清丸がいた。小百合がすいません、と謝る。
「清丸さまは努力をしたんですね」
「何を言ってるんだ?」
「この木刀。持ち手に血がにじんでる。これって血マメの潰れた跡ですよね? たくさん稽古していたんですね」
小百合がそう言うと清丸は手のひらを思わず見てしまう。清丸の手にはほとんど残っていないがマメの跡がうっすらと見える。
「清丸さまは大丈夫です。努力を積み重ねてきたんですから」
「それをお前が打ち砕いたがな」
「それが現実だと思うのです」
圧倒的な差。しかし小百合は何度も考えてその努力に敬意を表そうとした。しかし小百合では逆効果かもしれない。しかし清丸は妙に落ち着いていた。
「小百合は努力をしたのか?」
「あれを努力というのかどうかはわかりませんが、でもかなりやってました」
小百合はまだ良経に助けられる前、気の棒を剣術のように振り回していた。それが努力だと小百合は解釈している。だから清丸さまの気持ちはよくわかります、と続けた。そして明日も稽古しましょうと伝えて小百合は部屋を出て行った。
一人取り残された清丸は木刀を見つめた。悔しさがこみ上げてくる。しかしそれが現実だと自分に言い聞かせる。いつのまにか子供は青年に姿を変えていた。
翌日から清丸と小百合は互いに稽古に励んだ。汗を流し、互いに力を高めあった。清丸の努力の結晶がついに輝くときがきた。清丸と小百合、互いに互角の戦いを展開し、いい模擬試合となった。
その夜。稽古を終え小百合は縁側に座っていた。髪の毛をスルスルと解く。銀色に輝く髪が顔を出す。夜にしか見せない本当の姿。もしこれを見られればもう居場所はない。用心しなくては、と思い続ける。
小百合が佐野の屋敷に滞在してもう数週間の時間が過ぎていた。小百合と清丸は信頼関係を良くして二人は好敵手となっていた。もう「小百合」「清丸」と呼び合う仲に。
その翌日。二人はまた稽古で模擬試合をすることになった。
「今日も頼む、小百合」
「いいよ、清丸」
二人は見合って木刀を振るう。さあ今回はどっちに軍配があがるのか、と周囲がそわそわしている。互いの強さは互角。どちらが勝ってもおかしくはなかった。小百合が身を翻した瞬間、清丸の木刀の先が小百合の髪を結っていた紐を直撃。紐はするすると解け、地面に落ちた。
小百合は動きを止めてしまう。動きの止まった小百合に清丸は不思議に思って声をかける。
「小百合? どうした?」
小百合は顔面蒼白でゆっくりと解けた髪に手をやる。小百合が結って隠していた銀色の髪が太陽の下にむき出しになっていた。小百合の体を駆け巡る恐怖。
周囲も小百合の髪に気づき始めている。清丸が小百合に近づくと清丸の目に入ったのは銀色の髪の毛。
「小百合。お前、まさかアヤカシか?」
小百合はゆっくりと清丸を見上げる。その目はアヤカシを嫌悪するあの目だった。しかしそれだけではない。裏切られた怒りの色も見え隠れしていた。
「裏切ったのか、僕を。小百合」
「清丸さま!」
「黙れ。僕はアヤカシが嫌いだ。お前を人間だと信頼できる人だって感じてたのに・・・。アヤカシは簡単に人を裏切るのか?!」
清丸に話しかけようとするも清丸が拒絶した。清丸は小百合を残して去っていく。周囲にいた武士たちも消えていく。中庭にただ一人残された小百合は呆然と立ち尽くした。
小百合の目から涙を流した。人間界へ逃げてきて初めて流した涙だった。
なぜ、私は幸せを掴もうとすると全部すり抜ける・・・? 守りたいと願った人も、初めてできた好敵手も奪うつもりか?! 私は生きる価値がない! 死んでしまいたい。
小百合の言葉は何里も離れた場所まで届いた。
小百合は邸の部屋に閉じこもってしまった。もう部屋から出たくないの一点張りだ。清丸に拒絶されたことがかなりの傷になったらしい。小百合はずっと泣き続けた。
「小百合が?」
「ああ。おそらく清丸の逆鱗に触れたんだろう」
「清丸様のですか?」
小百合の保護者である良経は清丸の父清光と相談をしていた。小百合の様子がおかしいと言われ心配になってやってきた。しかしことは深刻だと清光は言った。
「清丸はアヤカシを嫌っているのだ」
「なぜそれを小百合に伝えなかったんですか? 言えば小百合も悲しい目に遭わなかったはずです!」
「私は期待していたのだ。いつか清丸がアヤカシを認めて手を取ることを。アヤカシも同じだ」
良経は清光の部屋を出て行った。小百合の部屋へ入ると小百合はぼーっと庭を眺めるだけになっていた。もう何も考えられない考えたくない、と虚無と化していた。
「小百合?」
「帰りたい・・・」
「?」
「森へ、帰りたい・・・。こんな苦しい世界、もう嫌。でも、私には森へ帰ることができない・・・。帰る場所なんか、私にはない」
小百合が無意識に呟いた言葉には良経がかなり重く感じた。良経は小百合に話しかける。
「小百合。屋敷へ帰ろう。千もお前に会いたいと言っているんだ。どうだ?」
良経は小百合の心を少しでも癒そうと落ち着く屋敷へ帰ることを提案した。小百合は頷いた。小百合の帰還日は明日になった。
その頃、清丸は部屋で木刀を布で拭いていた。清丸を支配しているのは小百合に裏切られた怒りだった。清丸の部屋を良経が訪れる。
「清丸さま。明日、小百合を連れて屋敷へ戻ります」
「そうか」
「小百合はとても落ち込んでおられます。彼女自身今まで壮絶な人生を歩んだゆえでございます。拒絶されることをとても嫌うのです」
「僕はアヤカシが嫌い。僕はあの人に会う気はない」
清丸は良経でさえ拒絶の気持ちを示す。良経は小百合の今まで歩んだ人生を知っている。それは人間でもアヤカシでもぞっとするようなものだ。
「清丸さま、アヤカシを差別することはミヤコに住む公家たちと同じです。毛嫌いしてしまっては世界なんて広がりません。野武士と馬鹿にされた俺たちはアヤカシと同等に扱われています。それ以上のことを彼女は経験しているのです。強がりはほどほどになさいませ」
清丸は黙った。
そして良経は清丸に小百合を連れて明日屋敷へ帰ることを伝えた。そのまま出て行ってしまった。清丸はただ部屋にこもるだけだった。
翌日になって小百合は佐野の屋敷を出て行ってしまった。もう佐野の屋敷にいる武士たちをまともに見ることができなくなっていた。小百合は逃げるように屋敷を出て行った。馬は軽やかに駆ける。銀色の髪を揺らして小百合はただ後ろを振り向くことができなかった。
「帰ってしまったか」
「・・・」
「清丸。お前も大人だ。元服の儀式を執り行おうと思う。よいな?」
「はい、父上」
小百合が屋敷に到着すると千が暖かく出迎えてくれた。小百合は千の姿で抑えていた感情が溢れ出し夜まで泣き続けた。彼女はずっと叫んでいた。
どうして私はアヤカシなの? どうして人間じゃないの? いやだ、いやだ---!
不安定になった精神状態で小百合が叫んだ声は外へ漏れ出し、声は数里先まで飛んだ。小百合は屋敷から出ることはあまりせず、ずっと屋敷内で稽古ばかりしてあの出来事を忘れるように努めた。
小百合が出て行った後、佐野の屋敷では清丸の元服の儀式が執り行われた。男子が大人の仲間入りを果たす成人の儀式だ。清丸はそこで大人の仲間入りを果たす。
清丸は名前を改め「佐野鎌清」と名乗ることになったのである。
最後まで読んでいただきありがとうございます。感想、評価等よろしくお願いします。藤波真夏