第三章(3)
屋敷の門をくぐり、玄関ホールに入ると、そこはまるで宮殿のような広さだった。二階からの階段がだだっ広く優雅に曲線を描き、真ん中にはふかふかの絨毯が敷かれていた。周りには豪華なネックレスをした淑女達が所せましと並んでいて、退屈そうに扇子を仰いでいた。
誰と誰のゴシックネタはないとかしゃべりあい、流行の服について細かくチェックし合い、今日の主役はどこにいったのかしらと、とりとめのない話をしていた。こんな中にバーバラをおいていくのはとても忍びなかったのだが、自分はメイドできているので、踊る場所に一緒にいるわけにはいかなかった。
マリは小声でバーバラに言った。
「私はじゃあ、あっちの廊下で待ってるからね。楽しんできてね」
「でも」
バーバラは不安そうに怯えていた。
「何かあったら、私がいるから。じゃ、うまくやってね」
マリはお嬢様方の群れから脱出すると、連れのメイドや執事がいる廊下からバーバラの様子を見守ることにした。早く踊りが始まればいいのに。そうすればバーバラだって楽しくやれるのになあ。
そっとのぞき見しながらマリはそう思った。
しばらくすると階段の上の方から水色の燕尾服を着た背の高い青年が下りてきた。金髪に白い肌に青い瞳が輝いている彼は男の人だというのに美しいという言葉がふさわしい顔立ちをしていた。
そこにいた女性達は、皆息をのんだ。バーバラも思わず赤面すると下を向いた。
「今日は私の誕生日のためにこんなにも多くの方が来てくださりありがとうございました。今宵は皆でダンスを楽しみましょう。」
青年が挨拶を終えると、皆が拍手を送り、舞踏会が始まった。音楽が流れ始め、紳士淑女がいっせいに踊り始めた。あの男の方はなんという名前なのだろう。こっそりのぞき見してたマリはわくわくしていた。
あの男の人とバーバラが踊ればいいのになあ。そうしたら、みんなの注目の的なのに。マリは好奇心に勝てずに他の方の連れで来ているメイドにこっそり訊いてみた。
「さっき挨拶されていたすてきな方はなんというお名前なのでしょうか」
「あの方はアーサー・マグリット様です」
メイドはけげんそうにマリを見た。
「まあ、そうなのですか。ありがとうございます」
メイドはそんなことも知らないのかと言わんばかりの態度だったが、マリは丁寧に礼を言った。
それはそうよね。舞踏会の主催者の名前も知らないなんて、メイドとしてあってはならないことかもしれない。ちょっと今後は気をつけよう。さてと、バーバラは誰かと踊り出したかなあ。
マリはカーテンの陰に隠れながら舞踏会の様子を見学した。
バーバラが一人椅子に座っていると、一人の男性がダンスに誘ってきた。赤毛に茶色の瞳の彼はまだ少年のようだったが、バーバラは構わなかった。
二人は広間に出ると優雅に踊り出した。足を交互に出しながら、ステップを踏み、くるくると回ると、バーバラの頬が上気し、薔薇色に染まっていく。純白のドレスは人目を引き、皆が一瞬そのきれいなドレスに一目ぼれする。ふんわりとした袖と裾が、ゆるやかにカーブを描き、ふわりと舞い落ちていく。それはまるで一羽の白鳥のようだった。
バーバラとってもきれい。純白のドレスだけでなく、踊りの身のこなしやステップがとてもすてきなのだ。あのアンナお嬢様なんて及びでないわ。
ところでそのアンナお嬢様はというと、アーサー・マグリットに愛の歌を披露していた。あれほどだみ声で聴けたものではないというのに彼女はお構いなしだった。アーサーは紳士らしく最後まで聴いてあげたが、彼女にダンスの申し込みをすることは決してなかった。彼は適当に言いつくろうと他の女性と踊り出したのだった。
バーバラはいろんな男性の人と踊った。夢にまでみた舞踏会で、しかもこのきれいなドレスで思う存分踊れるのだ。彼女の夢はまさに叶ったようなものだった。
マリはそんな満足そうなバーバラを見て、とても喜んだ。しかし十時まではまだまだ時間があった。
だんだんと退屈になり、マリは流れてくる音楽を聴きながら、そのうちステップを踏み出した。もちろん、ダンスなど今まで習ったことなどない。けれどもカーテンの陰から何度も見ているうちに覚えてしまったのだ。そのうちマリは自分がメイドであることを忘れ、ワルツにのって一人踊り出した。メイド服の裾をつまみながら、まるでドレスを着ているかのように上品にくるくる回り出した。空いている廊下をめいっぱい使いながら、マリはバーバラのように踊ってみせた。
すると一人の青年が拍手した。見るとそれはあろうことかアーサー・マグリットだった。彼は満面の笑みを浮かべてこう言った。
「一人で踊るのはお寂しいでしょう。私が一緒に踊りましょうか」
マリは顔から火が出るくらい恥ずかしかった。私がこの貴公子と踊るなんてめっそうもない。彼が踊る相手は間違いなくバーバラだとマリは直感した。
「それでしたら私の主人と踊って頂けませんか」
マリのその申し出にアーサーは快く引き受けてくれた。これこそまさにロミオだ。ジュリエットはバーバラで、ロミオはアーサーだ。マリは嬉しくなって、アーサーを引き連れて、バーバラの姿を探した。
彼女はちょうどダンスが終わったところで、一呼吸おいていたところだった。マリがアーサーを連れていくと、彼女は顔を真っ赤にして驚いた。
「私と踊ってくださるんですか」
「ええ、もちろんです。あなたはその…、とても美しい」
にこにこしていたアーサーが急に真面目な顔をしてそう言った。
マリの見ている前で、二人の青い瞳は真剣に見つめ合っていた。
これはひょっとして、ひょっとして私はとてもいいことをしたのかもしれない。マリは二人の様子を見てにんまりした。今日の私は間違いなくシンデレラに出てくる魔法使いのおばあさんだ。 嬉しくなったマリはまた一人で踊り出した。
そのあとバーバラとアーサーは片時も離れず、十時まで踊った。美男美女の出現に、他の人々も一瞬目を見張った。二人とも容姿だけでなく、踊りも上手だったので、たちまち広間の真ん中で中央をとって踊りし出した。皆がため息をつき、お相手のあの女性の方はいったい誰なのだと噂が噂を呼んでいた。アンナお嬢様もその噂を聞きつけたが、まさか踊っているのが、バーバラだとは、全く気づかなかったのだ。
十時になるとバーバラは踊りを止めた。
「あの、すみません。家の門限が十時までなのでこれで帰らせて頂きます」