第二章(4)
「よし。了解だ。バーバラにもよろしく伝えてくれ」
「うん、もちろん」
マリは大きくうなずくと、ロバートと別れ屋敷へと戻った。
屋敷の玄関には人気がなく、マリはこっそりと玄関から二階へとあがって行った。するとアンナお嬢様のいる部屋からこの世のものとも思えないだみ声が聞こえてきた。
「バーバラ。私の今の歌声どう思う」
「それはもうとてもすてきでしたが、殿方に聴かせるには刺激が強すぎるような気がします。」
「刺激が強いとはどういう意味だい、バーバラ」
「その。お気持ちは歌ではなく率直に言葉で伝えられるべきと思われます」
「まあ、なんておまえは下品なんだ、バーバラ。言葉でただ伝えるだけだなんて、芸術性のセンスがまったく感じられないじゃないか。おまえに歌など聴かせるべきではなかった」
「申し訳ございません」
「まったくおまえはドレスを作るしか能がないんだな。所詮、メイドはメイド。明日は朝が早い。もう出ていっていい」
「失礼します」
マリは二人の会話を思わず聞いてしまって、その場に立ち尽くしていると、中からバーバラが出て来た。マリの姿を見て、バーバラは、はっとしたが、何事もなかったようにアンナお嬢様の部屋を閉めた。そうしてマリに小声で
「物置部屋へ」
と言った。
二人は急いで物置き部屋へと行くと、ひと息ついた。
「あの歌はひどい。あんなの聴いたらみんなどっかに行っちゃうよ」
マリはなんの躊躇もなくそう言い切った。
「バーバラはほんとのこと言ったのに、ひどいね、あのアンナお嬢様って」
「いつものことよ。私の意見なんて聞いてはくれないのよ。それが使用人の仕事」
バーバラは疲れたようにつぶやいた。
「どこらへんが芸術のセンスなんだろう。変なの」
「そうね…。って私ったら何言ってるのかしら」
彼女は一瞬顔を赤らめて自分の言葉を恥じた。
「そうそう。そんなことより馬車が手に入ったよ。でも馬車といってもね」
そう言って、マリはロバートと一緒に作った手作り馬車のことを話した。
「まあまあ。ほんとに? 二人ともそんなに私のためにがんばってくれたの、ありがとう」
バーバラは涙を浮かべながら、メイド服の裾を握りしめた。そんな様子のバーバラを見て、マリは思った。
本当に本当に悔しい思いをして今まで過ごしていたんだろうなあ、バーバラは。それが明日一日だけでもお嬢様になれるんだもの。これってほんとにすごいことだよね。ロバートと苦労して作ったかいがあった。明日は本当に素敵な舞踏会にしよう。誰にも邪魔はさせない。あのアンナお嬢様にも。マリは心の中でそう誓った。
「ところでアンナお嬢様は学校に行ったことがあるの」
芸術のセンスがどうのこうの言ってたので、マリはなんとなく気になった。
「アンナお嬢様は家庭教師を雇ってもらって勉強しているわ」
「へえ、家庭教師」
お嬢様というものは家庭教師が学校代わりなのかとマリは目を丸くした。
「バーバラは学校に行ったことあるの」
「ないわ」
バーバラは面白くなさそうな表情を浮かべた。
「マリは学校に行ってると行ったわね」
「えっ、うん」
マリは慌ててうなずいた。
「いいわね」
バーバラは初めて恨めしそうな顔をした。
ロバートは学校に行くのは馬鹿々しいと言ってたけど、バーバラはそうじゃないんだ。
「バーバラも行きたいの、学校」
「そりゃ、行きたいわ。字も読めるようになるし、計算だってできるでしょ。それにもっと多くのことを学びたいわ」
「もっと多くのこと?」
「でも私には無理だから、マリにはがんばって欲しいわ。私の分まで勉強してね」
バーバラは負け惜しみでもなく、本心からそう言ってにっこり笑った。マリはその言葉を聞いて本当に勉強しようと真剣に思った。ここには学校に行きたくても行けない人がいるんだ。私は今まで何をしていたのだろう。バーバラの悔しい思いを感じながら、マリは明日の舞踏会は必ず成功させようと思うのだった。