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第六章(3)

「そうか、麻里がそんなに勉強したいなら、お父さんも協力するよ。行きたいなら塾へ行っていいぞ」

「ほんと、ありがとう。私一生懸命勉強するね」

麻里はにっこり笑うと、心の底から喜んだ。


やったあ。バーバラ達の国の言葉を勉強できる。あの時、バーバラにアドバイスできなかったけど、勉強したらそういうこともできるようになるかもしれない。今更っていう気もするけど、バーバラの勉強したい意志は確実に私の中にあるもの。バーバラは今ここにいる。


そう思って、麻里はあの手鏡をのぞくのだった。けれどもそう思っていてもバーバラとアーサーが本当に駆け落ちをしたのかどうかそれはとても気がかりだった。

今となっては知る手段がない。もし知る手段があるとすれば、あの純白のドレスと準備室の鏡のみだ。もう一度ドレスを着て鏡の前に立てば、過去のロンドンへ行けるのではないだろうか。麻里は真剣にそれを考えた。


 そうして彼女はそれをやってみることにした。やるのはあの時と同じ皆の帰った放課後の時刻。五時のチャイムが鳴ったのと同時に麻里はまたあの準備室へ行った。そうしてあの純白ドレスに身を包んだ。


 麻里は深呼吸を一つすると、じっと鏡をのぞきこんだ。じーっと、じーっと。しかし鏡は何も変わらなかった。鏡の中の少女は黒髪のままだし、鏡が曇ることもなかった。なぜ、なぜ。なぜ行けないの。急に麻里の目に涙が浮かんできた。もう行けないんだという思いと、バーバラ達の身の上を知ることのできないもどかしさが麻里の心の中でごちゃごちゃになった。


 その時鏡の上で変化が起こった。急に麻里の姿が曇りだしたのだ。麻里は夢中でその姿をこすった。するとどうだろう。麻里は一瞬にしてあの物置き部屋にいた。


やった。私、またロンドンに来れたんだ。で、これからどうしようか。

物置き部屋に置いてあるメイド服を着ると、麻里はアンナお嬢様の屋敷をこっそり偵察した。

 聞こえてくるのはアンナお嬢様の絶叫だった。

「あの女が私の愛しのアーサー様を奪うなんてとんでもない。なんとしても探してきてお母様、お父様」

「おお、かわいそうなアンナ。今四方八方を尽くして探索しているところなんだよ。アーサー様のところも一大事ということで探索しておられる。二人が捕まるのも時間の問題だろ」


なんだって。二人に追手がかかったなんて。逃げ切れるかな。こうしちゃいられない。

麻里は慌てて屋敷の外へ出た。外はもう真っ暗だった。そうだ。あの時アーサーの手紙には十二時にバーバラを待つとあった。まだいるだろうか。大急ぎで麻里はいつもの物陰に行ってみると、ちょうどバーバラとアーサーが会っているところだった。


バーバラが驚いた。

「どうして戻って来たの、マリ」

「そんなことより、二人に追手がかかったよ。このままじゃ捕まるよ。」

「なんだって、そんなにもう早く追手が来るなんて思いもしなかった」

御者台に座っているロバートが言った。

「私がおとりになるから逃げて。私、バーバラのあの純白のドレス着て馬車に乗って走るわ」

「そんな危ないことさせられない」

バーバラは必死にそう言った。

「いいから、いいから。それより馬車代もらえますか、私お金持ってなくて」

「分かった。お金はここにある。好きに使ってくれ。恩に着る」

アーサーはそういうと懐からいくらかのお金をマリに渡した。

「俺達は右の道を行くから、マリは左の道へ行ってくれ。それで少しは時間が稼げるはずだ」

ロバートは早口にそう言うと、バーバラとアーサーを馬車に乗せると、あっというまに駆けだした。


マリも慌ててアンナお嬢様の屋敷に戻ると、純白のドレスに着替えて、馬車屋を目指した。馬車屋はお金を渡すと一台丸々貸してくれた。御者は自分がすることにした。その方が目立つし、バーバラと勘違いされやすいと思ったのだ。それでマリは慣れない手つきで馬車を走らせ始めた。マリはバーバラ達とは逆方向へ夜の街中を駆けて走った。するとそのうち、バーバラ達を追っている輩が、四、五人現れ、

「その馬車待て待て」

と、追いかけてきた。


マリは追いつかれてなるものかと、馬にムチを入れた。馬はいななき、速度をあげていく。そのうち人だけでなくて、馬車も追いかけてきた。

「そこの馬車待ちなさい。悪いようにしないから」

今度は猫撫で声で話をつけようとする。


闇夜の中を純白のドレスは狂ったように踊り狂った。これは第二の舞踏会ね。マリはほくそ笑みながらも、馬車を止めずに走り続けた。マリは街中を走り抜け、森へと駆け込んだ。森の中には幾つも道があり、追手の馬車もかなり翻弄されているようだった。しかも森の中は暗く、マリのことを本当のバーバラと勘違いして追ってきているのは間違いないようだった。


この逃避行は明け方まで続いた。まぶしい朝日を見つめながら、マリは果たして本当にバーバラ達は逃げ切れたのかというと、正直、不安だった。マリはある程度逃げると、馬車屋に馬車を返して、アンナお嬢様の屋敷にこっそり戻った。すると階下からはうめき声が聞こえた。

「二人は逃げ切ったというの! もう駄目じゃない。私のアーサー」

「申し訳ございません」

 アンナお嬢様に執事が謝っているようだった。


 よかった。二人は逃げ切ったんだ。でもいったいどこに逃げたのだろう。お別れもちゃんとできなかった。とにかく私の役目は今度こそ終りね。


ほっとしたの同時にマリはどうっと疲れを感じた。しかしこのままこの屋敷にいるのは危険だと思ったマリは、現代へ戻ろうと、いつもの通り、鏡をじーっと見た。すると急におかしなことが起き出した。鏡がある情景を映しだしのだ。夜の闇の中を疾走していく馬車が一台見えてきた。見るとそこには御者台にロバートの姿が、馬車の中には不安そうなバーバラとアーサーが手を取り合っているのが見える。大丈夫。二人は無事に逃げきったはず。


そのうち鏡の中から朝日が見えてきた。あるところまで来たのか、三人は馬車を降り、ずっとむこうの地平線を指差した。きっと二人の住む新しい場所なのだろう。二人は安心したようにたたずんでいる。


 よかったね、バーバラ。そう思うと麻里の目からは安堵の涙が流れた。そしてそのうち、その情景は鏡から消えていった。鏡はいつもの麻里を映していた。純白のドレスを着た麻里を。


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