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第一章(2)

「待って。私はあなたのこと誰にも言わないわ。それにそのドレスとってもあなたに似合ってる」


ふんわりとした薄い絹のドレスはまさにその女性のためにあるようにしか見えなかった。色白に淡い唇に輝くような金髪、そしてほっそりとした胴周りはドレスを引き立てていた。どう見てもお嬢様にしか見えない。麻里は感嘆のため息とともに彼女に言った。


「そのドレスは、あなたが着るべきだわ。こんなドレスが作れるなら、もう一着作ってそっちをそのアンナお嬢様にあげたらどう?」

「でも時間がないわ。このドレスは舞踏会用のドレスなの。舞踏会は明後日なのよ」

緊迫した様子で彼女は口調を強めた。

「舞踏会?!」


麻里は彼女の言葉にのけぞった。金髪の女性が出てきたかと思えば、今度は舞踏会だ。舞踏会だなんて、ロミオとジュリエットの演劇じゃあるまいし。そうそう、ロミオとジュリエットは仮面舞踏会で知り合うんだしね。麻里はそしてはっとした。

「ねえ、ここってどこ?」

「ここはロンドンよ」

「ロンドン?!」


麻里は息がつまりそうだった。さっきまで小学校の準備室にいたはずの自分が、なぜか異国のイギリスにいるのだ。こんなことってあるのだろうか。麻里はびっくりして自分が出てきた鏡の方へと振り返った。


と、そこには亜麻色の髪をしたおさげの少女が映っていた。健康的な肌に茶色の瞳、茶目っけたっぷりのそばかすに麻里の作ったピンク色のドレスを彼女は着ていた。麻里は思わず後ろを振り返ったが、先程の女性がいるだけだった。麻里がその鏡に近づくと、その少女も近づき、麻里が腕を上げればその少女も腕を上げた。麻里は驚愕の表情のまま、顔を手で覆った。するとその少女も同じ行動をとった。麻里の口元から呻くような声がもれた。

「おー。おー」


驚きのあまり声を失うとはこのことだ。鏡に映っている少女は紛れもなく麻里だったのだ。

私が外人さんになっちゃった。だから外人さんの言葉も分かるんだ。

そんな麻里の様子を女性は勘違いしたのか、こう言った。


「あなたのそのドレス、とっても似合うわ」

にっこりと笑う女性とは対照的に麻里は口をぱくぱくさせた。しばらくしてようやく息ができるようになると麻里は女性に訊いた。

「ところで今は何年でしょうか」

女性は不思議そうな顔をした。

「今年は1864年よ」


部屋の置かれているランプや古風なドレスを見てひょっとしてまさかと思っていた麻里だったが、その予想が的中すると大いに驚いた。遠い異国の地だけでも大変なのに、自分の生きている時代とは全く違う過去に来てしまっていたとは。


タイムスリップ?! 耳慣れない言葉が麻里の頭をよぎっていく。麻里はとっさに自分の出てきた鏡に向かって突進した。

「ガンッ」

ものすごい勢いで麻里は頭を鏡にぶつけた。女性はびっくりして駆け寄った。

「大丈夫ですか」


彼女の目は正気の者を見る目ではなく頭のおかしな者を見る目に変わっていた。これはまずいと思った麻里だったが、この際彼女に本当のことを打ち明けるべきではないかと考えた。


もちろん、話したからと言って、彼女がそれを信じるとも思わなかったが、何も言わずに頭のおかしな者と思われるのも困ると思ったのだった。


そこで麻里は順を追って話した。自分は日本に住んでいる小学生で劇の準備を学校でしていた。そしてその準備室にあった鏡を通り、こちらの世界へ来てしまったのだと彼女に伝えた。


 彼女は目を皿のようにしてその話を聞いていたが、だんだん苦しげな表情になっていった。そして彼女は麻里に問うた。

「あなたの話が本当だとして、あなたは本当に日本人かしら。日本人は黒髪だというのを噂で聞いたことがあるわ」

麻里ははっとして自分の髪をさわる。鏡に映っている自分は、今は外人の姿なのだ。これはいったいどう説明したらいいのだろう。しかし麻里はくじけなかった。


「私もなぜこんなことになってしまったか分からない。それでも信じて欲しい」

麻里は日本にはこんなものがある、あんなものがあると熱心に話し、なんとか彼女の心を開かせようとした。彼女はますます困惑した表情を浮かべていたが、ある瞬間からふっと笑みをこぼした。


「分かったわ。あなたの言ったことを信じることにするわ。要はあなたは今は行くあてがどこにもないってことね」

その言葉を聞いて麻里の肩の荷は少しだけ軽くなった。


「そ、そうなの。行くところがないの」

「それは私も同じこと、この家の使用人としてここにしかいられない私と同じってことね」

ふうっとため息をつくとその場にあった椅子に座った。


「そして舞踏会でドレスを着られないってことも同じってことね」

彼女は肩をすくめてそう言った。それを聞いた麻里の胸はきゅうっとなった。


「ねえ、あなたは本当の舞踏会に出ようと思えば出れるんでしょ」

麻里は彼女の手を取りながらそうたずねた。

「無理よ。ドレスがないもの。しかも使用人の私が出るなんて許されないわ」

「ドレスはそのドレスがあるじゃない」

麻里は彼女の着ているドレスに目を注いだ。純白のドレスはランプの光の中で鈍く光っている。


「これはアンナお嬢様のドレスよ」

彼女はさっき言った言葉をまた繰り返した。


「だったら私が着ているこのドレスをアンナお嬢様にあげたら?」

「まあ、そのドレスをアンナお嬢様に?」


麻里も自分の口からそんな言葉が出ようとは思ってもいなかったが、それでも自分もそれなりに作ったドレスだ。本物の舞踏会に出したとしてもおかしくはないだろうと思ったのだ。


本格的な素晴らしい劇にしようと思ってあんなに一生懸命作ったのだから、アンナお嬢様にだって文句は言わせたくない。麻里の心は本気だった。

麻里の気迫に押されて、それでも彼女は弱気につぶやいた。


「もしアンナお嬢様に気づかれたら」

「気づかれたら?」

麻里の目にはいたずらを仕掛けるような得意げな光が宿っていた。

「これは二人だけの秘密。きっと気づかないわ」

「そうかしら」

「そうよ!」


麻里の心の中にはジュリエット役を射止めた須藤利恵の鼻の穴を明かしてやれるようなそんな気持ちがあった。なぜかアンナお嬢様がまさしく須藤利恵のような気がしたのだ。これはなんとしても彼女を舞踏会に出してあげなくちゃいけない。

「そういえば、あなたのお名前は」

「私はバーバラ。そういうあなたは何って言うの」

「麻里」

「マリ? そうあなたはマリというのね。これからよろしくね」

二人は目配せすると二人だけの秘密に浸っていた。



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