第六章(1)
それはいつもと同じようにアーサーの屋敷に手紙をとりに行った帰りだった。
「マリ、マリ、大変だ」
急に上から声がすると思ったら、馬車で走ってきたロバートだった。
「大変、大変って何が大変なの」
「アーサー様の父親にバーバラのことがばれちまったみたいだぞ」
「えっ、それって」
「アーサー様の恋人はアンナお嬢様の屋敷の使用人だってことがばれたんだ」
「ほんとに?!」
マリは目を見張った。何もかも順調だと思ったのに。
「アーサー様の父親はかんかんらしいぞ」
「なぜ分かっちゃったのかしら」
「使用人の口から口を伝わってってことらしいぞ。ほら、馬車に乗れ。屋敷まで連れて行ってやる。早くバーバラに知らせてやれよ」
「うん」
マリは慌ててロバートの御者台の隣に座った。馬は全力疾走で走った。
屋敷に戻ると、マリはすぐにバーバラを捕まえて、事の次第を伝えた。
「なんですって」
バーバラは青ざめ、身体を震わせた。
「ここの屋敷のメイド達には知られてないのかな」
「そう言われれば、なんとなくこそこそしているような気がするわ」
彼女は頭に手をやって、どうしたものかと考えこんだ。
「とにかくアーサーの手紙を読みなよ」
バーバラは心を落ち着かせ、手紙の封を切った。
その手紙にはこんなことが書いてあった。
「親愛なるバーバラへ
父親に君のことがばれてしまった。使用人を嫁にするなど何事だと、とてつもない剣幕だ。
絶対許さないと言われた。私にはヨークシャ家の令嬢をもらってもらうと言われた。
私は君以外の人と結婚する気はない。だから私は君と駆け落ちをしたいと思う。何もかもを捨てて君と一緒になる覚悟はある。
どうか私と駆け落ちしてください。
日時は今日の夜十二時です。あなたの屋敷の裏で待ってます。
愛するアーサーより」
「駆け落ち?!」
マリは目を丸くした。心臓がどきどきして何とも言えない気持ちだ。
バーバラの横顔を見ると彼女は悲痛に顔をゆがめていた。
「駆け落ちするのが怖いの?」
マリがそう訊くと彼女は頭を振った。
「私はかまわないけど、アーサー様が私ごときのために全てを捨ててしまうということがとても恐ろしくて。私はどうしたらいいのかしら」
バーバラの意見には納得がいった。何不自由なく暮らしてきた貴公子が食べるものにも困ることになるかもしれないのだ。優美な舞踏会もなくて、あくせくと働かなくてはいけないのだ。彼女が悩むのも無理のないことだった。
けどどうだろうと、マリは考えた。好きでもない人と一緒になってアーサーは本当に幸せだろうか。楽しく暮らせても、それは本当に楽しい暮らしだろうか。アーサーもそれを考えたに違いない。本当に好きな人となりたい。
マリには大人の話すぎて、ちょっとついていけなかったけれどもロミオとジュリエットの話をふと思い出した。ジュリエットが死んだと思って、ロミオは死んでしまう。こんな悲劇を起こさせてはいけない。劇は劇。現実は現実。現実はハッピーエンドじゃなくちゃ。マリは言った。
「アーサーが駆け落ちしようと言ってるんだから、ついて行ってあげなよ」
「そんなマリ。そんな簡単には決められないわ」
バーバラは泣きながらそう言った。
「でもアーサーのことは好きなんでしょ」
「それはそうよ」
「だったら迷うことはないよ。アーサーは駆け落ちしてもいいほど、バーバラのことが好きなんだから。気持ちに素直になろうよ」
「気持ちに?」
「そう、気持ちに」
マリの言葉で、バーバラは少し平静さを取り戻したようだった。まだ迷ってはいるようだったが、バーバラは駆け落ちで持っていく荷物を整理し出した。
それにしても今夜だなんて、本当に急だ。事件というのは、本当に突然起こるものなんだ。私がロンドンにいられるのも今日で最後かと思うと、なんだか寂しい気がする。
マリはアーサーとバーバラの駆け落ちがうまくいってからロンドンを離れるつもりだった。それで自分の役目は終わりなのだと堅くそう信じていた。
すべての仕事が片付き、バーバラが物置き部屋に戻って来た。彼女はまだメイド服姿のままだった。
「そろそろアーサーが迎えにくるんじゃないの。早く身支度整えないと駄目じゃん」
「ええ、分かってるわ」
バーバラの目はとても落ち着き払っていた。
「でもその前にあなたを見送らないと」
「えっ、私を見送る?」
「そうよ、あなたを見送るのよ」
「私はバーバラを見送ってからと思ってたんだけど」
「それじゃあ、駄目よ。私がいないこの屋敷でマリの身の上に何かあったら困るもの。私が今いる状態でマリを送りたいの」
バーバラの言い分も分かるような気がするとマリは思った。けれどもマリは心配だった。無事にバーバラとアーサーの駆け落ちが成功するかどうか、気が気でなかったのだ。
「でもそれじゃあ、私が二人のこと心配だよ」
「私達のことは大丈夫。ロバートに頼んで馬車で運んでもらうことにしたから、遠くに逃げられると思う」
それを聞いてマリは少しほっとした。ロバートだったらうまくやってくれるだろう。




