第五章(4)
「ねえ、なんで私もついて行くの。せっかくアーサーと二人きりでデートできるのに」
マリはひどっくもったいないといった素振りを見せた。
それに対してバーバラは
「アーサー様と二人きりで歩くなんてとんでもない。外で誰が見ているか分からないわ。マリがいればアーサー様の買い出しにメイドが二人ついてきたように見えると思うの。それに、私のお店になるかもしれない物件をマリにも見て欲しいの」
そう言ってマリの手をとって懇願した。
バーバラは瞳を星のように輝かせ、心ここにあらずといった様子だった。彼女がこんなにも興奮しているのを見ていると、マリもあっさりと断ることはできなかった。
お店の物件を見る当日は、見渡す限りの青空がどこまでも続くような良いお天気だった。まるで二人の前途を祝福しているようだとマリは思いながらも、いつもと同じメイド服に身を包んでいるバーバラを憐れんだ。
せっかくのデートなんだから、もっとおしゃれな服を身につけたら、きっとアーサーも喜んだろうにとマリは思った。しかしバーバラは微塵もそんなことは思ってはいなかった。彼女はアーサーに会えるだけで幸せだったのだ。いつも手紙のやりとりと公園で少し会うだけ。会話すらもできない。それが今日は隣同士で歩けるのだ。それだけで彼女にとっては十分すぎるものだった。その上、自分のお店が持てるのだ、まさに夢のような話だったのだ。
マリとバーバラは待ち合わせの場所にそれぞれの思いを抱きながら、アーサーを待った。しばらくするとアーサーが現れた。彼は黒のスーツにシルクハットという出で立ちで現れた。手にはステッキを持ち、街中を行く、他のイギリス紳士と大差ない格好だった。
マリはちょっとがっかりしたが、まあお忍びなのだから、しょうがないかと思った。気を持ち直すと、マリはおとなしく二人の後ろをついて行った。
三人は店の立ち並ぶ通りを、せかせかと歩く人々の合間を縫いながら歩いた。赤煉瓦に白い窓枠に白いドア、そしてガラス張りのショーウィンドウ。その店の一番の商品がこれでもかといわんばかりに置かれている。その中でも宝石類の置いている店は一番きらびやかった。一般庶民の手では届くはずもない、その宝石達は赤、青、緑とさまざまな色を放ちながら、バーバラやマリのため息を誘った。そんな二人の様子にアーサーは笑った。
「もし結婚が決まったらプレゼントしますから、ご安心を」
「まあ、そんなつもりじゃなかったのに」
バーバラは慌てて、顔を真っ赤にした。
「いえいえ、とびきり上等のを贈らせていただきますよ」
彼はにっこり笑顔で応えながら、バーバラをエスコートしていった。
彼らは多くの店の前を通りながら、ようやくお店の物件にたどり着いた。そこはこぢんまりとした小さなお店だった。赤煉瓦に緑色のドアに小さな鈴がついている。
中に入ると、カウンターと空っぽの棚がいくつも並んでいた。そして窓にはガラス張りのショーウィンドウがあり、洋服を陳列することができるようになっていた。お店の奥には、小さなキッチンと寝床もあり、寝起きできるようになっていた。
「どうかなあ」
と訊くアーサーに対して、バーバラは、うっとりとしながら答えた。
「素敵だわ。ここが私のお城なのね。アーサー様ありがとうございます」
彼女は感激のあまり、目を潤ませた。嬉しそうな様子のバーバラを見て、マリの心もうきうきしてきた。
目の前にある空っぽの棚にはいつのまにか色とりどりのなめらかな布地が積まれ、その布地を手にとり、吟味している男性客や、カウンター越しからバーバラに話しかけている貴婦人など様々な客がこの店舗内を歩くさまが、マリにはすぐに想像できた。繁盛し、活気にあふれたお店の中でバーバラが切り盛りする様子は楽しい光景だった。マリはバーバラの手を取り言った。
「バーバラ、きっとこのお店はうまくいくわ」
「マリがそう言うなら、きっとそうなるわね。私は極上のドレスを作るわ。他の人がまねできないような素敵なドレスを」
「ええ、きっとそうなる」
マリも顔を上気させながら、瞳をきらめかせた。二人のそんな様子を、アーサーは優しく見守っていた。そして二人が満足したのを見届けると、彼はお店に鍵をかけ、お昼でも一緒に食べようということとなった。
バーバラはひどく緊張美味だったが、マリはイギリスに来てからというもの、残り物で済ませていたので、お腹がぐうと鳴るのを止められなかった。その音をすかさず聞いたアーサーは笑ってマリの肩を叩いた。
「今日は君の気に入るような食事をごちそうするよ」
彼はそう言うと、テムズ川のほとりにある小さな一軒のレストランに連れてきてくれた。
「ここの店は庶民的だろ。だから人目につかないようにしたい時はよく使うんだ」
へえ~と思って、店内を見回すと、ここの主人が釣ったのか、大きな魚の写真が飾られていた。ここは漁師が営んでいるお店なのだろうかとマリが思っていると、アーサーがメニューを渡してくれた。
「二人とも好きなのを頼んでいいよ」
と、明るく言われたが、メニューは英語なのでマリにはちんぷんかんぷんだった。とりあえず、fishとbeefの文字だけは分かったので、その二つを頼んでみることにした。こんなことなら、英語を習っておくべきだったとマリはここでも後悔した。
一方バーバラはバーバラで常に遠慮ばかりしていて、あまり料理を頼まなかった。マリが思わずバーバラを小突くと、小声で、もっとアーサーに甘えなよと助言した。するとそれを聞いたバーバラは恥ずかしさのあまりナイフとフォークを取り落としたり、ワインをこぼしたりと、大変な失態を演じてしまった。
マリはちょっとかわいそうなことをしてしまったと反省しつつも、自分の来た料理を見てびっくりしてしまった。とてつもなく大きな魚のフライとごってりとした一塊のローストビーフが来てしまったのだ。味はというと、まあそこそこは美味しいのだが、あまりの量に食べきれず、結局バーバラに手伝ってもらってなんとか完食できたという感じだった。
「もうお腹がはちきれそうよ」
あまりにもお腹がきつかったのか、バーバラは思わずそんな言葉を吐露した。それを聞いたアーサーはくすりと笑ったが、最後に彼はこう言った。
「よし。改めて乾杯しよう。二人の前途を祝して。そしてバーバラとマリの友情に乾杯」
「乾杯」
三人はワインで乾杯した。マリは初めてのワインを一口飲んで、目が回りそうになったが、それはそれで心地よいものだった。そしてこの楽しい一時が、いつまでも永遠に続いてくれればいいのにと思った。
そんな楽しい時期もあり、マリは安心していた。これなら私が日本に戻っても問題はないだろうと。バーバラはお店を開き、後にアーサーと結婚するのだ。私が見届けることはもうない。そう思ってた矢先、再び事件は起こった。




