第四章(4)
マリの心配をよそにロバートは意気揚々としている。その勢いにおされてマリは、ロバートの役のセリフを順繰りに声に出していった。
しかしマリの心配は杞憂に終わった。ロバートはものすごく記憶力が良かったのだ。一回言ったセリフを立ちどころに覚え、身振り手振りを交え演じてくる。マリがこうしてああしてと言わずとも、彼は勘が働くのかすぐさま応えてくるのだ。マリはうなった。
「うーん」
「何だよ、俺なんか間違えたか」
ロバートは慌ててマリを見た。彼は焦って額の髪をかきあげた。
「ううん、その逆。ロバートって役者の才能あると思う」
「おまえ、ちょっと変なんじゃないか。俺には学校に行けとか言ったり、役者の才能があるとかなんとか」
彼は呆れたようにそう言うと、マリはかぶりを振って、ロバートを見上げた。
「私は変じゃない。正直に言ったまで。ほんとに才能あるって」
「まっ、おまえに言われてもしょうがないか。本物の役者に言われたなら意味あるかもしれないけどなあ」
「それはないんじゃない。素直に褒めてるのに」
マリはぷっと膨れながらロバートを睨みつけた。
「さあさあ、そんなことより、練習、練習」
彼はそんなマリには気にも留めず、畳みかけた。言われて、マリは時間を気にし始めた。
「そうね。早く劇を仕上げなくちゃ」
マリもこうしちゃいられないとばかりに、今度は自分のセリフも交えながら、ロバートと合わせ稽古をした。二人とも熱心に劇の稽古に取り組んだせいか、劇は二、三日のうちに完成し、マリもロバートも喜んだ。あとはもう本番を待つばかりとなり、マリはようやくバーバラにこの劇に招待することを伝えたのだった。
「まあ、ロミオとジュリエットを二人だけでやるの」
それを聞いたバーバラは目を丸くして驚いた。
「セリフ覚えるの大変だったんじゃないの」
「それがそうでもなかったんだけど」
マリは得意げにバーバラを見つめた。彼女は尊敬の眼差しをマリに向けた。
「それでね劇は夜の八時からやるんだけど、その時にはバーバラにあの白いドレスを着て観にきて欲しいの」
「まあ、ほんとに? あのドレスをまた着る機会が来るなんて思わなかったわ。ありがとう、マリ」
バーバラは、嬉しそうに微笑んだ。それを見たマリは、ほっとした。やっとバーバラが笑ってくれた。これで劇を観て本当に元気になってくれるといいんだけど。マリはこの小さな劇を是非成功させようと思うのだった。
劇の開幕の日の夜は少し薄曇りで、秘密の劇に呼ばれた観客のバーバラとしては願ってもない夜だった。
何しろバーバラはあの目立つ白い純白のドレスで出かけなくてはいけないのだから。彼女としては、以前の舞踏会と同じくらいドキドキした気持ちで、彼女の仕事場の屋敷からそっと抜け出したのだった。
午後8時に、ロバートの掘っ立て小屋に行くと、マリがそわそわした様子でバーバラを待っていた。
「よかった。来てくれて。仕事が終わらないんじゃないかと思ってた。それにドレスやっぱり似合ってる」
声を立てて喜ぶマリにバーバラは、にっこりした。
「仕事はうまく終わらせてきたから、大丈夫。このドレスも喜んでるわ」
闇夜に紛れながらも、バーバラのドレスはきらめく美しさをともなっていた。マリは改めて、見とれながらも急いでバーバラを小屋の中へと招き入れた。小屋の中はたくさんのろうそくがつりさげられ、灯されていた。
「まあ素敵な劇場ね、お招き頂き、ありがとう」
部屋で待っていたロバートに、バーバラはドレスの裾を持って、頭を下げた。
「お嬢様。今日は楽しんで行ってください」
ロバートは、にっと笑うと身体を折って、丁寧に挨拶を返した。それから、バーバラに小さな椅子に座ってもらうと、いよいよ劇の開幕となった。
まず最初の一幕はキャピレット家の召使いとモンタギュー家の召使いが鉢合わせをして、決闘騒ぎになるところから始まった。威勢のいい召使い同士の争いをロバートが巧妙に滑稽に演じると、バーバラは、熱心な眼差しを彼に送った。熱を帯びたセリフ回しは彼女のハートを劇の中へと引き込んだようだった。そこにロミオ役のマリが登場する。威厳とはほど遠そうな控えめな好青年役をマリは、上手に演じた。
「いや、恋の」
「かなわぬ嘆きだな?」
ロミオとロミオの友人の、恋に対するやりとりをロバートとマリはうまくこなした。ロミオは恋の苦しみを友人に訴える。そしてもっと他の女性に目を向ければ、きっとよいことが起きると友人に進言される。
次の場面ではキャピレット家のジュリエットの置かれている立場が披露された。清らかなジュリエット役はマリが演じた。マリの胸は弾んだ。それはそうだ。願ってもないジュリエット役を演じることができるのだから。マリは力の限り憧れのジュリエット役を演じきった。そして劇の方では好きでもない男との縁談が持ち上がり、ジュリエットは憤慨しながらも、母親の言うことに相づちを打って次の場面へと移った。
次はいよいよ、ロミオが友人達とキャピレット家の仮面舞踏会に行くシーンだった。それはまさにこの劇での一番での盛り上がりとなるところだった。何しろ、ロミオとジュリエットが初めて会ってダンスをする場面なのだから。
バーバラもどうなるのだろうと固唾を呑んで見守っている。
「あの美しい方はどなただ?」
そう言ってロミオ役のマリは手を額にかざして、バーバラをきっと見つめる。バーバラも同じく見つめるが、次の瞬間マリはこう言った。
「どうか私めと踊ってください」
その言葉はバーバラに言っているものだった。驚いたバーバラをよそにマリはバーバラの手を取って、小屋の真ん中でダンスのステップを踏み出した。
「まあ、私がジュリエット?!」
バーバラが感激で叫ぶと彼女の頬は紅色に包まれた。
「そうよ、ジュリエットよ」
そう言うと、二人は手に手をとって踊り出した。くるくると回りながら、ドレスの襞があの時の舞踏会のように、きれいに舞い降りてくる。二人はくすくす笑いながら、踊った。
バーバラの心はダンスとともに軽やかになり、今までのわだかまりが粉雪のように綺麗に消え去っていくような感じがした。彼女の心は叫んでいた。自由でいたいと。身分が何が関係あろうか、好きなら好きでそれでいいじゃないかと。もちろん、それはマリにも言えない気持ちだったが……。
その後場面はいくつも変わり、ロミオはジュリエットをキャピレット家から連れだし、二人は駆け落ちし、逃れた地で結婚した。
神父の前で永久の愛を誓う場面では、バーバラの目からは涙があふれた。
「こうして二人は永遠に結ばれました」
と、マリが結ぶと、バーバラは盛大な拍手を送った。彼女は微笑みながらも泣いていた。
「二人とも、とても素敵な劇だったわ。今日はほんとにありがとう」
バーバラは二人を抱き寄せると、感謝の意を込めてそれぞれの頬に接吻した。マリは慣れてない行為に、思わずぼーっとしたが、バーバラが瞳をきらめかせながら喜んでいることが分かり、とても安心した。もうバーバラは大丈夫。これで私も日本へ帰れる。そう思いつつも、マリは一抹の寂しさを感じるのだった。




