第四章(3)
マリはそれを聞いて驚いたが、懇切丁寧に彼に教えてあげた。
ロミオとジュリエットのあらすじを聞いたロバートは眉間にしわを寄せた。
「どうしたの」
「それって悲恋だろ」
「悲恋だから美しいの」
「いやいや、美しいかどうかは、俺には分からないけど叶わぬ恋をしている人に叶わぬ恋の劇を見せても元気なくすだけだろ」
「あっ、そうか。それもそうだね」
マリはいけないとばかりに腕組みをした。
「どうしたらいいんだろ」
「なら、いっそのことハッピーエンドにしたらどうだ」
「えっ、劇の結末を変えちゃうってこと」
マリはびっくしりした表情をして、ロバートを見た。
「別にいいだろ、変えたって。それでバーバラが元気になるなら。それにロミオとジュリエットの内容バーバラは知ってるんだろ。だったら結末が変わってた方が新鮮味があって面白いだろ」
「そ、そう言われるとそうかも」
マリは目を輝かせた。それってなんかすごいかも。ロミオとジュリエットの結末を変えちゃうなんて、ものすごくサプライズでバーバラびっくりして元気になっちゃうかも。それならいっかあ。そう思うとマリはこうしてはいられない。劇のセリフも考えないといけないし、衣装は…。
「ねえ、衣装はどうするの」
「三人しか役者がいないのに衣装なんていらないだろ。そもそも一人で何役もやることになるんだぜ」
そう言われると、それもそうかもとマリも思った。現代劇でも、一人の役者が何役も語りだけで演じている一人芝居があったりするのだし、それと似たようなものだと思えばいいいのだ。彼女は納得すると、ロバートに感謝を述べた。
「ロバート、ありがとう。ほんと助かる」
「よせよせ。礼は成功してから言え。それに劇をやりたいと言い出したのはおまえだろ。俺は礼を言われる筋合いはないの。で、セリフはすぐできるか?」
「三日ぐらいかな」
「じゃあ、三日後の正午にまたここに集合なっ」
それだけ言うと、ロバートは帰って行った。
それから三日間。マリはバーバラに紙とペンを借りて執筆にいそしんだ。といっても前半はロミオとジュリエットの劇のセリフをそのまま書き写せばよいものだった。そのセリフはマリの頭の中に正確にインプットされていた。それだけマリはロミオとジュリエットの劇が好きだった。
夢中になって彼女はそれを書き起こすと、ラストはバーバラが喜ぶようなハッピーエンドを妄想しながらセリフを書き綴った。
バーバラはマリに、何をそんなに一生懸命書いてるのとか訊いてきたが、マリはにやにやしながら、なんでもない、なんでもないと言ってバーバラには劇の開幕までひた隠しにすることにした。
ロバートと別れてから三日後、マリはいろいろ理由をつけて、屋敷の外に出てきた。今日は珍しくロンドンは晴れていた。澄み渡る空に鳥が飛んでいるのが見える。自由に飛び回る鳥はマリの興奮している気持ちを象徴しているようだった。マリは意味もなく笑いたくなると、その直後にロバートが現れた。会った瞬間、彼女は
「あはは」
と笑い出した。
「いったい何がおかしいんだ」
ロバートもつられて笑いながら、マリの頭を小突いた。
「だってこの劇絶対いいと思うんだもん。バーバラもきっと喜んでくれる。でもまだ黙っているんだよ、私」
ロバートのいつものにやにや笑いが移ったかのように、マリの頬はつっぱっていた。
「へえ、そんなにいいセリフが書けたのか。それじゃあ、急いでセリフを覚えて早くバーバラに披露しようぜ」
「そうね。それがいいわ」
「それじゃあ、劇場に案内するか」
そう言うと、ロバートはマリをテムズ川から少し離れた林へと案内した。
劇場なんてどこにあるのかしらと、マリがきょろきょろしていると、林の入り口付近に掘っ立て小屋があるのが見えた。そしてその小屋の続きに小さな厩とこの間作った馬車が置いてあった。
「ここが俺のうちさ。小さいけど俺にはちょうどいい家さ」
掘っ立て小屋はいろんな端切れでつなぎ合わせてうまい具合に雨風がしのげるようになっていた。マリはそれを子供の作る秘密基地みたいだと思って、わくわくした。
「ロバートってほんとに器用なのね。住み心地よさそう」
先に小屋の中へと入ったロバートに続いて、マリは辺りを見回した。小屋の中はテーブルと椅子と、寝床にしているであろう毛布と藁が敷き詰めてあるベッドらしきものがあるだけで、あとは何もない粗末なものだった。
「劇場ってここ?」
「そうさ、ここでやるのさ。問題あるか」
「それはないと思うわ」
マリは劇場というので、もっと大きなものを想像していたが、よく考えれば観客は一人だけなのだ。ならば、ここで十分だとマリは思った。
「じゃあ、さっそく劇の練習をやろう」
そう言ってマリはセリフを書いた紙をロバートに手渡した。すると彼は照れくさそうに言った。
「あ、俺字読めないんだ。マリが声に出して読んでくれないか」
一方、マリはマリではっとした。自分の書いた文字は英語ではなくて日本語だったのだ。姿形も変わり、相手の言ってる言葉も理解できるのに、なせか書かれた文字は漢字だったのだ。これではいくら相手が文字が読めるイギリス人だったとしても、読めるはずがないのだ。
いったいなぜと思ったが、どちらにしてもロバートは字が読めないのだ。それならこの紙切れはロバートにとっては無用だった。マリは改めてこの劇が少し大変なことに気づかされた。劇を一度も観たことのないロバートが劇のセリフを台本を見ずに完璧にこなすなんて無理なんじゃないかと思った。
「さあ、始めようぜ」




