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第四章(1)

次の日の朝、屋敷は昨日のことが嘘だったかのように、いつもの日常が始まっていた。バーバラもいつものようにアンナお嬢様の部屋を掃除し、彼女のご機嫌をとり、何も変わったことはないように見えた。ただ一つ、バーバラがたまに大きなため息をつくぐらいは。


 マリは昨日バーバラからもらったお金でお土産を買って帰ろうと思った。それで他のメイド達がいないのを見計らってマリはこっそりと屋敷を抜け出した。


馬車が勢いよく走って行くのを見ながら、マリは何を買おうかと迷っていた。ネックレスや指輪は記念のものになるけど、そんなに多くのお金はもらっていない。


何がいいだろうかと、彼女はいろんな店を回った。雑貨屋に、靴屋にお菓子屋に本屋。なんとなくマリの興味のあるところを回ってみるのだが、反応はいまいち。これでもないあれでもない、そうして店のガラス越しに映る自分の姿を見て、マリははっとした。


そうだ。鏡がいい。この世界に来たのも鏡がきっかけだったのだから。もちろん姿見を持って帰ることはできないけど、手鏡ならいいよね。よし、決めた。そこでマリはインテリアのおいてある店に入り、小さな手鏡を買った。真鍮でできたものだったが、彫刻もほどこされていて豪華に見えた。


マリはその手鏡に自分の顔を映してみた。亜麻色の髪のおさげの少女。そばかすだらけのかわいい女の子。これが私だなんて信じられない。鏡を抜けると、私はただの黒髪少女に戻るっていうのに。なんだか変なの。自分の髪をいじりながら、マリは屋敷へと戻った。


 夕方、買ったお土産をバーバラに見せると喜んでくれた。

「いいのが買えてよかったわね。これがマリとの思い出になってくれたら、私嬉しいわ」

バーバラは口ではそう言っていたが、どことなく元気がなかった。

「ねえ、どうして元気がないのバーバラ。風邪でも引いた」

言われたバーバラは顔を真っ赤にした。


「ううん、そんなことないわ」

「だって舞踏会は楽しかったんでしょう」

「それはそうだけど……」

バーバラの目が宙をさまよった。

「ねえ、やっぱり何かあるんでしょ」

マリは気がかりでしょうがなかった。


「そんな元気ないんなら、私心配で日本に帰れないよ」

「ええ、そんな」

彼女はびっくりしてマリを見た。

マリの目は真剣だった。その真剣さに、バーバラもまたため息をついた。どうやらマリには本当のことを言うしかないと彼女は考えた。


「舞踏会の帰りの夜、馬車の中で私に言ったこと覚えてる」

そう言われると何を言ったっけと、マリは思った。急いで帰って来た。疲れて帰って来た。それだけが鮮明に頭に残っている。

「えーと、何っていったけ」

マリは申し訳なさそうにバーバラに訊いた。するとバーバラはこう言った。


「あなたは私にアーサーのこと好きになっちゃったんでしょと訊いたでしょ」

それを聞いてマリはああと思った。

「その時私はうなずいたわ。それが原因」

バーバラは恥ずかしそうにそう言った。


「私が初めて恋をしたのよ。だから元気がないの」

「恋をすることは悪いことじゃないでしょ」

マリはたずねた。

「それはそうだけど。相手がまずかったわ。屋敷の当主の息子に恋をしてしまったのですもの」

彼女は悲し気につぶやいた。


「私は今絶対叶わない恋をしているのよ。だから元気がないの。これで私の原因が分かったでしょ」

「うん、分かった」

それってまるでロミオとジュリエットみたい。マリはバーバラではないけれども、切ない気分になった。

なんとかできないだろうかと思いつつも、バーバラの言うように、それはなんともできないことのように思えた。


 私ができることはバーバラの気持ちの整理が少しできるまでついていてあげることぐらいじゃないかなあ。私と話せば、少しは気晴らしになるだろうし。そう思ったマリは、もう少しだけロンドンにいることにした。


マリは少しの間、ロンドンにいることにしたが、バーバラの意気消沈した様子はどうみても改善できなそうに思えた。しかし、かと思えば、彼女はたまに気分が高揚するのか、もしアーサー様がうちの屋敷に用があってお越しになるようなことがあったら、彼は私に気づくだろうかと、熱っぽく語ることがあった。


マリはそれに相槌を打ちながら、そうなったらきっとアーサーは間違いなくバーバラに気づくわ、そしたら二人は手を取り合うのよと言うと、バーバラは赤面して、いえいえ決してそんなことはないわ、そんなことはないわと言いながら、感極まって泣き出してしまうのだった。


う~ん。恋をするのって大変なんだなあと、マリは薄ぼんやりと思いながら、劇のロミオとジュリエットのことを思い出していた。あれは相手恋しさのあまり最期は自らの命を絶ってしまう、まさに悲恋だけど、とても美しい物語だ。


バーバラは、今そんな恋をしているのだろうか。マリはちょっと疑問に思いながらも、自分自身のことを考えた。自分はまだそんな恋をしたことが、一度もない。ちょっと気になる人ぐらいはいたけれども好きになったからといって食欲がなくなったり、胸がどきどきするようなことはなかった。好きな人か。


私にそんな人今までいたかなあ。その時ふと、ロバートの顔が浮かんだ。にっと笑う顔がまぶたにちらつく。しかしすぐさま打ち消した。


いやいや、ロバートのことを好きになることはないな。もちろん、友達としては好きなんだけど。そう思うと一人でくくっと笑った。好きになるとしたら、やっぱりバーバラじゃないけど、アーサーみたいな人かも。マリはこっそりそう思いながらもバーバラの気持ちが落ち込まずに元気が出るような何かを考えようとしていた。


しかし考えれば考えるほど、いい案は思い浮かばず、マリの頭はそのことばかりでパンクしそうになっていた。これじゃあ、バーバラの元気が出る前に私の元気がなくなっちゃうわ。マリは一息つくために物置部屋から出て外の空気を吸いに出ることにした。


ロンドンの街はいつも通り活気づき、シルクハットを被った男達が、せわしなく通りを行きかっていた。空を見上げると灰色の空がどんよりと広がり、冷たい空気がマリの頬を襲った。ううっ、寒いと思った時

「何やってるんだ。こんなところで」

いきなり、ぽんと頭を叩かれ、振り向くとそこにはロバートがいた。

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