第三章(4)
バーバラの白い顔は紅色に染まっていた。
「もう帰られてしまうのですか。ならばお名前だけでも教えて頂けませんか」
アーサーは名残惜しそうにバーバラの手を握った。
「バーバラです」
「どちらの?」
「申し訳ございません。それは申し上げられません」
「そうですか。それは残念です」
アーサーは本当に残念そうに眉根を寄せた。
「今日の舞踏会はとても楽しかったです。一生の思い出になりました。ありがとうございました」
「私もですよ、バーバラ」
そう言うと、アーサーはバーバラの手に口づけをした。バーバラは恥ずかしさで頭がぼっとしたが、冷静を装って、その場を離れた。
一部始終を見てたマリは廊下に来たバーバラを見つけると、にっこり笑った。
「よかったね、バーバラ」
「ええ」
バーバラは嬉しそうに、けれども寂しそうに笑った。
それから二人はロバートの待つ馬車へと駆けた。急いで、急いでと言いながらも、マリは思った。バーバラの靴を落とした方がいいんじゃないかな。そしたらアーサーが探しにくるかもしれないしと、内心そんなことを考えていた。
ロバートのいる馬車にたどり着くと、彼は待つのにものすごくくたびれた様子だった。
「ようやく来たか。やっぱり俺は馬車屋は向いてないや。さっ、二人とも乗った、乗った」
二人は馬車に乗りこむと、屋敷へと急いだ。ゴトゴトとなる馬車の中でバーバラはどことなく悲し気だった。
「楽しくなかった?」
恐る恐るマリは訊いた。するとバーバラはとんでもないといった表情をするとこう言った。
「ものすごく楽しかったわ。アーサー様と踊っている時は最高に楽しかったわ」
それでもバーバラは夢見るような目つきで遠くを見つめた。
「でもね。本当に今宵だけのことだったのよ」
「アーサーのこと好きになっちゃったんでしょ」
マリはずばり訊いてしまった。それにたいしてバーバラもこくりとうなずいた。
私はシンデレラの魔法使いのおばあさんになったつもりだったけど、これって本当はよくなかったのかな。だって悲しむのはバーバラだし。屋敷の主人と使用人じゃあ、釣り合わない。恋の障害があるって、まるでロミオとジュリエットみたい。
バーバラは馬車の中で叶えられない夢を思い、ため息をつき、マリはマリでどうにかならないかとため息をついた。
屋敷に着くと、ロバートが馬車のドアを開けてくれた。
「さあ、お嬢様方、夢の世界はここで終わりですよ」
「ありがとう、ロバート。本当に助かったわ」
バーバラが礼を言うと、マリも礼を言った。
「今日は夜遅くまでありがとね」
「まっ、これも仕事だからな。じゃあな、お二人さん」
そう言いつつもロバートはにこにこしながら帰って行った。
二人は屋敷の中に忍び足で入っていった。まだアンナお嬢様の帰宅の時間じゃないので、誰も出てこようとはしなかった。二人は静かに上の物置き部屋へとあがって行った。
部屋に入るやいなや、バーバラがマリに抱きついてきた。
「本当に今日はありがとう。マリのおかげで舞踏会に行けた。私一生忘れないわ」
「苦しいって、バーバラ」
思い切り抱きつかれたので、マリは目を白黒させた。
「あ、ごめん」
「でもそう言ってもらえて嬉しい。私がなぜロンドンに来てしまったかその理由が分かったような気がするから」
「マリがロンドンに来た理由?」
「そうだよ。私がここに来ちゃったのはバーバラを舞踏会に出すためだったんだよ」
「だったらもうマリは帰るってことね、自分の世界に」
「うん、たぶんそういうことだと思う」
「ねえ、今日帰るのは止めてくれない」
「えっ、なんで」
「だって私マリにお礼したいもの。もうお金少ししかないけど、これでお土産を買ってきて」
「そんなお金だなんて受け取れないよ」
「でも私にできるのこれぐらいしかないの。ねっ、受け取って」
バーバラは強くマリにお金を握らせた。
「分かったそうする。じゃあ、帰るのは明日にするね。その時はこのドレス私が着ていっちゃうけどいいかなあ」
「もちろんよ。それはマリが着なくっちゃ。私は今日存分に着させてもらったんだから」
「うん、分かった」
「今日はもう遅いからお休みなさい」
「バーバラもお休みなさい。」
「私は着替えてアンナお嬢様の帰りを待たなくちゃ」
そうか、バーバラはまだ仕事があるのか。えらいなあ。私も見習わなくちゃ。そう思いつつも、マリのまぶたは既にくっつきそうだった。
「お休みなさい、マリ」
バーバラはマリに毛布をかけると、ドレスを脱いでメイド服に着替えた。そうして階下へとおりて行った。




