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その血は甘く、切なく  作者: ハクトウワシのモモちゃん
6/8



 彼女はこっちへ歩いていた。伊織は大きな交差点で立ち止まり、右左を見渡す。あの格好と容姿ならすぐに見つけられると思ったが、繁華街の中を人ひとり見つめるのは困難であった。

「くそ」

 本能的に飛び出してきてしまったのが悪かったか。だがどうしようもなく焦る。理由がまったくわからないが非常に焦っている。あの表情を見ると嫌な予感しかしないのだ。

 がむしゃらに走った。

 日が傾き始めているが炎天下だ。そんな中を全力で走るのは吸血鬼にとって苦痛でしかない。息は乱れ、疲労が蓄積し、滴る汗は玉のようだ。キャップを脱いで額の汗を拭いが止めどなく溢れた。

「あいつ……どこ行ったんだよ……」

 ぜはぜはと息を切らし毒づく。ただでさえない体力が無駄に消耗していった。伊織はビルの外壁にもたれて日陰に逃げ込んだ。

 疲れた。脚もがくがくと震えている。

 もう諦めよう。そんな考えが脳裏に駆け抜ける。だいたいどうして彼女を追う必要があるのか。彼女は人ならざる者と戦うためにここにいる。一度は殺されかけて怪我もした。そんな奴を気に掛ける必要なんてないのだ。

 伊織は息を整え、しかしその漆黒の目はまだ輝いている。

 ほっとけない。

 あんな考え方は間違っている。極悪の魔族を倒すのは良い。だけど命を懸けてやることなのか。親の仇を討つことだけが彼女の望みなのだろうか。

 敵を討ったあと、彼女はどうするのだろうか。

「教えろよ、ユーグネー」

「――何を? その前になんでおまえがここにいる?」

「ハッ?」

 声に驚いて振り返ると探していた人物がいた。シルビィ・ユーグネーは土曜日にも関わらず制服を着て、エメラルド色の瞳を厳しく細めていた。

 間違いなくシルビィであることに伊織は戸惑い、焦った。

「え……えっ? なんで……?」

「それはこっちの台詞だ。魔族の気配が増えたと思ったから引き返してきたらおまえだった。こんなところで何をしている?」

 腕組みをして憤然とするシルビィに、伊織は心底安堵して頬を緩める。

「よかった……」

「なんだ気色悪い顔をして」

 半歩下がる彼女を失礼だと思ったが今はそんな問答をしている暇はない。さきほどのシルビィの問いに答えるように伊織は口を開いた。

「おまえを見かけたから追いかけてきた」

「なぜ」

「だって怖い顔してたから」

「……」

 眉根を寄せて黙り込むシルビィ。訝しむようにこちらを推し量る視線が突き刺さる。正直射殺されると思った。が、伊織は頑張って耐えて目を逸らさなかった。

「おまえには関係ない。さっさと立ち去れ」

 そう吐き捨て踵を返すシルビィ。無論伊織はそれを阻止する。素早く手を伸ばして彼女の腕を取った。

「待てって」

「触るな離せ」

 振りほどこうとして乱暴に腕を揺らすが力いっぱい握った。

「見つけたんだろ」

 その一言にシルビィは息を飲む。小さな肩が一瞬だけ震えたがそれ以外の動揺はない。停止した隙に伊織は言い募る。

「だったらあとは竜道寺さんに任せればいいじゃんか。別におまえが行く必要はないし、竜道寺さんのほうが経験も積んでるだろうし強――」

「おまえに何がわかるんだ!」

 シルビィが叫んだ。バッと腕をほどかれ、キッと睨まれた。通行人が金切り声に振り返って若い男女だとわかると、複雑そうな顔をして過ぎ去っていく。

 憎悪に燃える瞳は涙に濡れていた。

「なんで私の邪魔をする、私に同情するな! ヴァンパイア風情に私の気持ちなどわかってたまるか! あの男は後始末以外は私に任せると言った。だったら私は何が何でもアイツを殺す! たとえ刺し違えてでも!」

「ユーグネー……」

「気安く呼ぶな化け物」

「っ……」

「私につきまとうな。次顔を見たら容赦しな――」

 そのときシルビィは突然言葉を切り、驚いたように首を彼方へ向けた。

 不思議に思った伊織が首を捻った矢先、ゾクリと全身が粟立った。

「ッ……!? な、なんだ!? 今の……!」

 寒気が全身を襲い、本能が警鐘を鳴らす。誰かに監視されているような不快感、優子に見つめられたときよりも感じる威圧感に心臓が早鐘を打った。

「あなたも感じたの? やっぱり吸血鬼の端くれね」

 しかしシルビィは平静を保ったままだった。

「近いわ」

 首からぶら下がるロザリオを握り締め、硬く呟く。

「急がないと……!」

「あっ、待てって」

 シルビィが駆け出して、伊織も痛む足を前へ踏み出した。するとシルビィが露骨に嫌な顔をする。

「ついて来こないで! 今度こそ死滅させるわよ!」

「だっ、だけど……っ!」

 彼女は路地に入る。彼女はスカートを穿いていることも構わず、室外機を軽々と乗り越え、その向こうにある金網のフェンスに足を掛けてひらりと飛び越えた。運動神経ゼロの伊織は慌てふためきながら室外機をけ、懸命にフェンスをよじ登った。スカートの中身が見えたこともあってますます泡を食った。

「あなた、馬鹿なの……」

 シルビィの心底馬鹿にした声が耳に届くが、伊織は立ちはだかる障害物と必死に戦っていた。


 * * *


 シルビィが足を止めたときにはすでに夜の帳が落ちていた。

 繁華街から一本逸れた狭い路地に入り、薄暗い隙間を縫うように歩いた。電車が走っている音が響いている。すぐそばで高架線があって、電車の明かりが伊織たちを照らした。酸化が目立つ二階建ての倉庫にソイツはいた。

「見つけた……」

 シルビィは感動にも似た声を上げる。笑みが零れる横顔が不気味だった。その五歩あとからは、ぜはぜはと息を整える伊織がいた。なんとか追いついたと唾を飲みこんで、シルビィの視線の先にある人影を見つめた。

 上背のある中年男性だ。山高帽にフロックコートを着て、ステッキを手にしている。百年ぐらい前の紳士のような風貌だった。

「んー?」

 その男はこちらを振り返る。整えられた口髭を撫で、鷲鼻をひくつかせる。黒縁の丸眼鏡の奥の眼がわずかに開いた。その瞳は濃い真紅に染まっていた。

 瞳の色に驚く伊織。男は一組の男女を訝しむように紅い眼を細め、ため息をいた。

「これはこれは、招かれざる客が釣れましたね」

 やれやれと首を振りながらシルビィを見やる。

「エクソシストが釣れるとは思いもよりませんでした」

「そう? 私は今、幸福に満ちているわ」

 シルビィは笑顔を見せて銀のロザリオを掲げて、翡翠の瞳を鋭利に輝かせる。

「覚悟しろ。私が貴様を完膚なきまでに……灰と化すまで、この世から消してやる」

「おやおや、血気盛んなお嬢さんですね」

 男はくつくつと笑い、ステッキをくるりと回した。

「今から同族食いでも始めようかと思っていましたが、先に貴女のようなエクソシストを相手にしなければならないなんて……不幸と言うできでしょうか」

「同族食い?」

 シルビィがその言葉に反応する。すると男は嬉々とした様子で口を吊り上げた。

「ええそうです。ニッポンには吾輩のような者どもが多くいますから。せっかくですからニッポン特有の、ヨーカイという存在を食してみたかったのです。このあたりで三つほど気配を感じましたのでね」

 そして紅い眼が捉えた。

「君が、その一匹でしょうか?」

「っ……」

 金縛りにあったように体が動かない。血の気が引いて思考が止まると思った。

さきほど殺気じみたものを放っていたのがこいつだ。

 こう面と向かう明らかな違いがわかる。全身から発せられる血腥(ちなまぐさ)い感覚は、同じ人ならざる者でもこいつは危険だと察知した。

 男は肩をすくめる。

「しかし、貴方はヴァンパイアのようだ。まさかあと二つもヴァンパイアなのでしょうか……」

 たぶんその三つは綾人の家族だろう。だから伊織はそれに該当しない。それよりも見ただけで伊織の正体を見破ったことに驚いた。

「非常に残念ですが……まあいいです、ヴァンパイアも個人差がありますが美味です。食べるか否ははらはたを取ってからにしましょう」

 しかし男には関係がないらしい。狂った捕食者に伊織は這い上がってくる胃酸を我慢した。

「それは一生できないわよ」

 シルビィが微笑みながら告げた。

「なぜなら私が貴様を消すから!」

 腰にあるポシェットに右手を突っ込んだ。そこから取り出すのは鈍い銀色を放つ回転式の拳銃。弾倉を外に押し出し、銀色の弾丸を一つずつ装填しながら呟く。

「これより悪鬼を打ち払う。我が主よ、どうかご加護を……」

 弾丸が込められていく度に拳銃が淡い光を放ち、キラキラと輝いて粒子を散らす。

 五発すべて入れ終えたシルビィは目を伏せて、空いた右手で胸元のロザリオをぎゅっと優しく握った。

「父さん、母さん、お姉ちゃん……私を見守って」

 それに応えるようにロザリオが光を放ち、レイピアに変わる。それを中空で掠め取り、シルビィはキッと力強く正面を見据え、レイピアを構えた。レイピアの切っ先がピタリと男の左胸を狙う。

「私は貴様を殺すまで、絶対に死ぬわけにはいかない!」

「…………」

 その宣告を、男は冷たい眼差しで見つめていた。

「これは、執念深い目ですね」

 彼は眼鏡に触れ、静かに呟く。

「吾輩に何かあるのでしょうか。よろしければ教えていただきたい」

「覚えていないのか……」

 シルビィの声が怒りに震える。男はあっさりと首肯した。

「はて。貴女とは初めて会うと思いますが?」

「消えろッ」

 拳銃が火を噴く。発砲音が室内に響き渡り、伊織は思わず耳を塞ぐ。しかし対峙する二人は何事もないように立っており、男は短く笑った。

「ハッ」

 ステッキを振るうと金属音が鳴り響いた。弾丸を弾いたのだ。悠々と立つ男はニヤニヤと笑ってステッキを肩に置く。

「この程度で吾輩を倒せると思っているのか?」

「私はシルビィ・ユーグネー! マウロ・ユーグネーの娘だッ!」

 激昂するシルビィは名乗り、レイピアを突き出す。一瞬で距離を詰めた彼女は鋭い刺突を放ち、男の喉元に迫った。

「おっ、と……!」

 男はレイピアの軌道を捉え軽々と躱してみせて、とんとんとステップしてシルビィから距離を置いた。舌打ちするシルビィはどうしてか男を追わなかった。

「ユーグネー? あのマウロ・ユーグネーですか! ハハッ、これは実に愉快だ!」

 そしたら男の顔は喜色に満ちていた。紅い眼を爛々と輝かせ、肩を揺らす。

「アンデッド狩りのマウロ! 貴女はその娘!? 何を馬鹿なことを……あの男の眷属は、吾輩がすべて殺した!」

「貴様は殺し損ねたのよ。私を」

「何?」

 男の胡乱に表情が変わる。シルビィはゆっくりと拳銃を彼に向ける。

「私は正真正銘、マウロ・ユーグネーの娘よ。だから私は貴様を殺す!」

「なんとっ!」

 シルビィはそう叫び地を蹴る。男は両眼を見開きながらもしかし冷静に、斜めに振り下ろされるレイピアを躱した。レイピアの剣圧が突風を起こしコンクリートの床に亀裂を走らせる。

 強風に帽子を押さえて男は耐え、不気味に口元を歪めた。

「仇討ですか、東の端まで追って来てニンゲンは暇ですね。……いいでしょう!」

 破顔し、男は楽しそうに両腕を広げる。

「恥は雪がねばなりません。獲物を取り逃がしたなど、なんたる恥辱、なんたる汚名でしょうか! 不名誉極まりありません」

 舞台に立つ役者のように優雅に右手をシルビィに差し向けた。

「さあ、さあっ! 五年前の続きと行きましょうか!」

「望むところ!」

 受け答えたシルビィはすぐさま引き金を引く。容易く躱す男に細剣を閃かす。柔く、しなやかに伸びる手足。突きに特化した武器は空を切り裂き、大気を唸らせ、男へ食らいつく。

 だが、男はほくそ笑みながら悠々と剣閃を躱して見せた。そんなことでシルビィは放心しない。相手は人間ではない化け物なのだから。シルビィが止まることは無い。短く息をき、突き出した右手を引き寄せる。地を滑るように足を摺り寄せ、下半身のばねを使って再度刺突を繰り出した。

 シルビィは機関銃のように突きを連打する。のびやかで美しい剣技は、見惚れれば即座に蜂の巣にされる死の舞でもあった。

「なかなか、結構」

 男は笑いながら後退を続けるが、すべてを躱せるはずもない。コートの端が破けてしまい、男は小さく舌打ちを打った。

「これ高いんですよ?」

 シルビィの真横に着地した彼はステッキを彼女の脳天に振り下ろそうとした。

「愚か者め」

 シルビィは待っていた。足を止め、レイピアをぐっと握り込む。彼女に応えるようにレイピアの剣身が煌々と光を放った。その光に男の動きが止まる。もはや男を視界におさめる必要もない。シルビィは思いっきりレイピアを薙ぎ払った。

「ああああああああっ――!!」

 どす黒い液体が天井まで噴き上がり、男は絶叫した。直後に、床に鈍い音を立てて落ちるのは腕のような肉塊だった。

「ぐ、おおおお……っ!」

 男は崩れ落ち、ぼたぼたと血を滴らせた。砕けたステッキ、山高帽と丸眼鏡が血溜まりに沈む。男の顔は右頬を斜めに抉られ、右腕は肘から先が無くなっていた。

 シルビィはレイピアを血振りし、無表情で男を見下ろす。

「洗礼された私の武器に、貴様の汚らわしい物が当たると思って?」

「ぐっ、不覚を取りましたね……」

 ずりずりと体動かし、千切れた腕を拾う。男の表情から余裕が消えた。肉のただれた口元を歪め、忌々しげにシルビィを見つめる。

「レイピアの腕も中々。これからは油断せぬよう……」

「人間を見縊り過ぎたわね、化け物」

 シルビィは拳銃を男の額に突きつける。彼女は顔を引き締めるも、その声音は踊っていた。

「貴様もここで終わり。これで……これでやっと、終わるの」

「吾輩が諦めると? 冗談ではないっ」

 左腕を振り払う。持っている右腕が銃口に当たり、銃身がぶれた。その隙に男は態勢を整え、シルビィから距離を取る。

「逃がすものかッ」

 拳銃を撃つも男は千切れた右腕で防御し、弾丸を防ぐ。その瞬間、右腕はぼろぼろと崩れるように腐敗し、骨まで灰と化す。なんとか凌ぎ切った男は消えゆく腕をほうり、ハッと失笑した。

「腕はもう再生できませんね。これも吾輩の甘さが招いたもの、ですか……」

 深く息をき、紅い眼を怜悧に細めた。

「やはり若輩と言えどエクソシスト。……ならば吾輩も本気を出しましょう」

 襤褸のようなフロックコートを脱ぎ捨て、蝶ネクタイを取り、血に染まるウイングカラーの白シャツのボタンを二、三個外した。そして唇を三日月にした。

「これからですぞ。マウロの娘よ」

「……ッ!?」

 床のコンクリートが割れる。シルビィが目を剥いたときには至近距離に男の顔があった。伸びる左腕。それは荒々しく彼女の細い首を拘束し、セメントの柱にシルビィを打ちつけた。

 柱は煙を噴いて砕ける。煙を巻き上げるセメントの中からシルビィは放り出され、床に倒れて激しく咳き込んだ。外傷はあまりないが、得物を落としてしまった。

 影が落ちる。

「見縊っているのは、貴女のほうではないですか?」

 男の容貌は再生していた。骨が浮き出ていた右頬は桃色の組織に覆われ、歪む唇の奥には刃のような鋭い歯が覗く。そして耳は三角形に尖り、左手の爪は真っ黒になって鋭利に尖っていた。

 血のように濁った紅い眼が見下ろす。

「さあ、これからが本番ですよ」

 男は肉食獣のように獰猛に笑った。


 ***


 「なんだよこれ……」

 伊織は立ちすくんでいた。

 目の前で行われていることは本当に現実で起こっているのだろうか。彼女は刃物と拳銃を手にして果敢に男に立ち向かっていく。それを受ける男は軽々と弾丸と刺突をけ続ける。それはもはや人間の動きを逸していた。

 狂乱に満ちる屋内。埃と血が飛び、コンクリートが砕かれる。別世界に投げ込まれたような感覚を覚え、血が頬に当たったとき伊織は真っ青になって嘔吐した。吐瀉物に手をつきながら思った。

 こんなことが平然と今の世で行われていいものなのだろうか。

 そのとき何かが真横に吹っ飛んできた。轟音が建物を揺らし、伊織の髪を乱す。顔を上げると、側に拳銃とロザリオが転がり、片腕の欠けた化け物が笑いながらこちらに歩み寄っていた。

「おやおや。この程度で吾輩を殺すつもりでしたか」

 伊織は瞳孔を開いたまま首を回す。煙の中にはシルビィ・ユーグネーはぐったりと横になっていた。

「ゆ、ユーグネーっ」

 伊織は呼びかけることしかできなかった。

 ピクリと彼女の指先が動いたが、近づいた男が彼女の腕を掴み上げた。片腕だけで軽々と宙に浮く彼女の五体を男はまじまじと眺める。

「吾輩は右腕を失いましたね。同じ思いでもしてもらいましょうか」

 そして力を込める。みしみしと軋むシルビィの細腕は簡単に悲鳴を上げた。

「ああああああっ!!」

 シルビィの絶叫が反響する。男はうるさそうに肩をすくめ、あっさりと手を離した。

「骨が折れたくらいで喚かないでください。吾輩は腕が無くなったんですよ、それに比べれば痛くも痒くもないでしょう?」

 床に落とされ、のたうつシルビィ。その右腕は青く変色して腫れている。伊織は慌てて彼女に這い寄った。

「おいっ、ユーグネー……」

「どいてください、ヴァンパイア君?」

「え」

 奇妙奇天烈な男がこちらを見下ろしている。煌々と輝く紅い瞳に射竦められて、伊織は動けなくなった。そんな彼に男はため息交じりに言う。

「君、本当にヴァンパイアですか?」

「……」

「ヴァンパイアは常に偉そうで自分を高貴な存在だと思っている節がありますが、君からはヴァンパイアらしさが感じられません。まさか混血? いや、君はまさしくヴァンパイアのはず……」

「も、もうっ、いいだろ」

「ん?」

 伊織はガチガチと噛み合わない歯を揺らして、切実に請う。

「も、もう……満足しただろ。こ、殺す必要なんか」

「何を言っているのですか君は?」

 男はますます呆れた様子で吐き捨てた。

「この娘は吾輩を殺しに来たんですよ。自分の命が危ういときに君は諦めて殺されるんですか? ……命を狙われたのなら徹底的に相手を潰す。目には目を歯には歯を、ですよ」

 そこで言葉を切り、チラリとシルビィを一瞥した。

「復讐という正義は奇妙なものです」

「……」

「復讐を行う者は必死に。それを見ている者は同情を。そして、狙われている者にとっては、滑稽に映ります」

「こ、滑稽……?」

「そうでしょう? 無益に血を流し、こうして返り討ちに会う。まったくもって理解しがたい。報復をして何になるのでしょうか。それは正義とは言いません、ただの自己満足ですよ」

「ええ、そうよ……」

 低い声に振り返る。シルビィが青い顔をして立ち上がろうとしていた。

「そうよ、何も無いわ。貴様を殺しても誰も何も言ってくれない。そんなのわかってる……わかってるわよっ!」

 金髪を振り乱し、ふらつきながら二本の足で立つ。ぐっと拳を握りしめ、エメラルド色の瞳が狂おしいほど執念深く輝いた。

「だけど私は殺さないといけない! そうじゃないと私は前へ進めない! だから……だから! 貴様を殺すためなら死んだって構わない! 何だってすがりついて――!」

 咳き込むシルビィ。血の混じった痰をいた。伊織は思わず背中に触れ、撫でた。

 その様子を男は憐れに見つめ、やがて左拳を握った。

「吾輩が引導を渡しましょう、家族の元へ送ってあげますよ」

 伊織はハッとなって顔を上げた。男は左半身を引き、左手に力を込める。狙うのはシルビィの心臓。意識の朦朧とした彼女が察知する気配も皆無。

「シルビィ!!」

 すべてがスローモーションに見えた。

 伊織は地を蹴った。

 思考を放棄して、何も考えず、無我夢中で。

 気づくと彼女を抱くように前に立ち塞がり。

「――――ッ!!」

 背中が燃えるように熱を持つ。喉から込み上げる液体は酸の臭いではなく、鉄の臭い。

「なんと!」

「ワタヌキ……?」

 伊織は大量の血を吐いて、シルビィにもたれかかった。





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