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その血は甘く、切なく  作者: ハクトウワシのモモちゃん
4/8



 あれから二日経った。今日は金曜日である。期末考査もすでに終わっていて、あとは夏休みまで適当に消化していくのみ。今日も伊織はダラダラと授業を受けて、ダラダラと自転車を漕いで帰宅する。橙色の夕日が照らす中でも日中の温度はさほど変わらなかった。

 そう言えば、また殺人事件が起こったらしい。しかも二つ先の駅。普通に自転車で行ける距離だ。別に事件などどうだっていいが、先日の出会いのおかげで気になって仕方がなかった。

 もし彼女の言う通り、この事件が魔族による犯行だったら必ず彼女は行動に移る。そんなこと、いつもなら気にも留めないのだが、家族の敵を討つことに猛進する彼女が脳裏に焼きついていた。

 しかし伊織には無力である。それに彼女とはこの二日顔すら合わせていないのでどうすることもできないし、刃傷沙汰に巻き込まれるなど体がもたない。優子も言っていたが自ら台風の中に飛び込む馬鹿はいないのだから。

 ひとりの、凡庸な吸血鬼がどうこう出来る問題ではないのだ。

 伊織はそんな着地点を見つけ、ペダルを力いっぱいに踏む。

 今日は漫画の新刊が発売されるから駅前の本屋に寄るところだった。河川敷を横切り、右に曲がって駅の方に漕ぎ出した。

「――ややっ、伊織君ではないか」

 信号待ちをしていたときそう声を掛けられた。その低い声に伊織はビクッと肩をすくめる。そのせいで信号が青になっていることに気づかなかった。ぎこちなく首を回すと、予想通りの人間がそこにいた。

「げ……」

 ひたすらに呻く。

 黒髪を後ろに撫でつけ、黒に近いグレーのスーツを着た二十代後半の青年だ。面長の容貌は感情が乏しく、フレームの細い眼鏡を掛けているせいで余計無表情に見える。

 彼はすたすたとこちらへ歩み寄った。すぐに距離を詰められ、伊織は逃げることもできず、とりあえず挨拶を交わした。

「こ、こんにちは……竜道寺さん」

「久しぶりだな、伊織君」

 口元を薄く緩める。笑っているつもりのようだった。伊織はへらりと愛想笑いを返した。

 彼が竜道寺(りゅうどうじ)(れん)。警察官であり、陰陽道に精通する家系に生まれ、伊織や優子の正体を知っている人物である。伊織が苦手とする人だった。

 笑うと竜道寺は少し朗らかに話し掛ける。

「今日は一段と暑いな。上着はさすがにおかしいか」

「だ、だったら脱げばいいじゃないですか」

 早く立ち去りたいが、無視できない状態に陥った。ともかく面倒になる前に立ち去らねば……。考えていると竜道寺は薄い唇に人差し指を当てた。

「それはできない。事情がたくさんあるのでね。聞きたいかね?」

「不味いでしょ、一般人にいろいろ教えちゃ」

 どうでもいい。早く会話の切れ目を……。

「時に伊織君、」

「なんですか」

 こちらの気持ちなどわからない竜道寺は口を開いた。焦る伊織は早口に促す。すると竜道寺は目を細めて、伊織が来た道を見つめた。

尾行()けられているぞ」

「はっ?」

 素っ頓狂な声を上げてすぐさま背後を見やった。しかし誰もおらず、そしてこの行動はつい最近もやった記憶があると既視感を覚えた。

目を点にする伊織を意に介さず、竜道寺はスーツの裏から小さな紙片を取り出した。五芒星と梵字が書かれたそれを道路に突きつける。

「何者か知らないが、伊織君とは古い仲だ。彼の周りには虫一匹寄らせん。――“伯登(ハクト)、捕えよ”」

『御意に』

 竜道寺の紡ぐ言葉に紙片が青く燃えた。炎の中から弾けるように現れたのは大きな白い虎。虎は咆え、牙を剥いて数十メートル先にある電柱に襲いかかった。

「きゃあっ!?」

 途端に悲鳴が聞こえ、伊織は竜道寺の背後からそこに目を向け驚愕した。

「ユーグネー!? なんでっ?」

 電柱の横でへたり込み、涙目になって巨大な白い虎を見上げるのは金髪碧眼の美少女だった。すると竜道寺は伊織の顔つきに眉を上げた。

「ん? 伯登、止まれ」

『はっ……』

 白い虎は大きなおとがいをもたげて竜道寺の言葉に従い、犬で言うおすわりの姿勢になった。竜道寺は眼鏡の位置を修正し、伊織に言った。

「君の知り合いかね?」


 ***


「君はエクソシストだったのか」

「はい。あなたは陰陽師という者ですか?」

「如何にも。竜道寺と言う。以後お見知りおきを」

 自己紹介が横から聞こえる。どうしてかこうなった……。

 伊織は深々とため息をいた。

 ここは駅前のコーヒーショップ。さきほどの遭遇でなぜか伊織も連行され、シルビィと竜道寺に付き合わされていた。

「なんでおれまで……」

 伊織は頼んだアイスコーヒーにガムシロップを二、三個注いで毒づく。ちなみにお代は竜道寺持ちだということだ。

 すると向かいに座る竜道寺が薄く笑った。

「友人のガールフレンドだったら、出歯亀したくなるのは人間のさがだろ?」

「誰がガールフレンドですか!」

「誰がこんな奴と……!」

 二人の声が重なり、そして二人して睨み合う。二人を見て失笑する竜道寺は楽しそうだった。正直に出歯亀と白状するところから、やはり性格が悪い。

「ていうか、どうして竜道寺さんがこんなところにいるんですか?」

「知りたいか?」

「ええ、巻き込まれた身ですし」

 やや棘のある言い方をすると、竜道寺はコーヒーを一口喫して唇を湿らせてから口を開いた。

「例の殺人事件だ」

 ものすごく嫌な回答が返ってきた。伊織は呆れて物も言えなくなり、竜道寺を見つめていた。しかし隣の美少女は違う。

「やっぱり……!」

 シルビィは喜び勇んでテーブルに手をついて、竜道寺に問う。

「あなたは陰陽師だ。ならばこの件、魔族が関係していると予測しているのでしょうか?」

「いや。私は警官ゆえ、昨夜起こった件でこのあたりを聞き込みで回っているだけだ」

「え、では陰陽師としての責務は……?」

 戸惑うシルビィに竜道寺は淡白に返す。

「確かに、今回は人ならざる者が噛んでいると勘繰っている。しかし本家から何の指示も出ていない」

「……」

「まだ様子見の段階だろう。それに世間が、犯人は人間だと思ってくれるのだから、猟奇的連続殺人事件として警察に処理された方がまだ良い」

 彼の様子だとこの事件の犯人は魔族で間違いなさそうだ。伊織はアイスコーヒーを飲みながら、巻き込まれませんようにと願った。

「でも!」

 するとシルビィは我慢ならなそうに叫んだ。

「もう五人目です! そんな悠長に構えていてはもっとたくさんの犠牲者が出ます。相手が魔族ならそれ相当の対処をせねばなりません。あなたがニッポンのエクソシストなら、すぐさま魔族を――」

「伊織君」

「はい?」

 突然呼ばれて驚く。竜道寺はシルビィの言葉を無視してこちらへ顔を向けていた。彼は頬杖をついて、心底疲れ切ったようにため息をき、シルビィを指差す。

「彼女をどうにかしたまえ。蝉のように五月蝿い」

「せっ、蝉っ!?」

 ――ああ、始まったな。

 伊織は小さく肩をすくめた。わかっていた。竜道寺がシルビィをこうあしらうことを。

 黙っていると竜道寺は再びシルビィに目を向ける。

「君は何を根拠にそんなことを言ってるんだ? 詰まらない上にうっとうしいことこの上ない」

「え……」

「君は私を正義の味方か何かと勘違いしているのか? 陰陽師だから人ならざる者を排せばならんのはわかる。しかし今の私はただの巡査部長だ。そんな私に人を食う化け物と戦えと? 馬鹿も休み休み言え」

 竜道寺の口は止まらない。無表情に近い顔色を崩さず、睨むようにシルビィを眺める。

「西洋では誰構わず魔族を見つけたら滅すか? 法治国家が呆れるぞ……、残念ながら日本はそんな無法地帯ではないゆえ阿呆なことはしない。今の陰陽師は表舞台には決して出ない。世の闇の中……人を惑わす力を、人に触れさせず、密かに消滅させることが我々の使命だ」

 そこで息をき、コーヒーを一口。

「故に、貴様らのように野蛮で愚行をしないと言うことだ」

 竜道寺はそう言い捨て、コーヒーカップの中を空にした。

「……」

 一方的に話を打ち切られ、シルビィは呆然と竜道寺を見つめていた。無論竜道寺は取り合わなかった。

 伊織も口を挟まなかった。どうせわかっていたことだし、文句を言えば先日のような板挟み状態になる。諍いに巻き込まれたくなかった。

 竜道寺錬は優子以上に他人の意見を聞かない人間だし、相手が役立たずや厄介者だとわかればすぐに切り捨てる。伊織の知っている竜道寺錬という人間は冷淡で他人に容赦のない人であった。

 静かになった一角。ついっと隣を一瞥すれば、シルビィがスカートをきゅっと握っていた。なんだか彼女が可哀想になってきたが、竜道寺と話す気にはなれないし、なぐさめの言葉も見つからない。……そう言えば本屋に行かないと。

 伊織はアイスコーヒーを飲み干した。竜道寺の奢りだから残すのはもったいない。

「話が終わったんなら、もういいですか?」

「うむ。興が冷めた。伊織君、ガールフレンドは選ぶべきだぞ」

「だからそんなんじゃないですから」

 彼の価値観を押しつけられるのは困る。即座に言い返し、シルビィの腕を掴む。

「ほら、帰るぞ。せっかくだから送ってやる」

「付き合ってもない女性にそんなことを言える君を称賛するよ」

「何言ってんすか」

 馬鹿にしたように薄気味悪く笑う彼に肩をすくめ、動かないシルビィを無理やり立たせた。

 会計を済ませる竜道寺の背中を見つめながら、伊織にもたれかかってくるシルビィ。女の子特有の甘い香りが鼻孔をくすぐるが、喜ぶ気にもなれない。すっかり憔悴し切った様子のシルビィに伊織は怒気を混ぜて言う。

「いい加減歩けよ」

「……私は間違っていない」

「あ? 別におまえの気持ちはわからないでもないけど、竜道寺さんにも竜道寺さんのやり方があんだよ」

「あの人の……?」

 重たそうに目を上げてこちらを見つめる。

「ハッ……上の命令でしか動けない人のやり方? そんなのおかしい」

 シルビィは短く嘲笑し、こちらへ向かう竜道寺を睨んだ。視線に気づく彼は眉ひとつ動かさず、口を開く。

「まだ何か言いたいのなら、外でしよう。ここでは邪魔になる」

「私は間違っていません」

「これ以上君の見解を聞く理由が私には無い」

 通り過ぎる彼を伊織は追いかける。やっとシルビィも離れてくれた。シルビィは険しい顔をして竜道寺の隣に並ぶ。

「私はソレを殺すために日本に来ました。私が絶対に成し遂げてみせます。同業者に反対されようとも」

「私の預かる場所以外で勝手にしたまえ。……いや、待て」

「何か」

 店を出て、竜道寺は足を止めた。自転車の鍵を外す伊織も顔を上げる。

「そうだ、こうしよう……」

 何か思いついたらしい竜道寺は口の端を吊り上げ、シルビィを振り返った。

「確かに化け物の蛮行を見るだけでは面白くない。君、私に協力しないか?」

「何を……? さきほど否定したのはあなたではありませんか」

「それは忘れたまえ。君はその化け物を殺したいんだろ? ならば全力でソイツを探し出せ。捜査資料も見せよう」

「竜道寺さん、それって違法じゃあ……」

「ばれなければ問題ない。――どうだね? シルビィ・ユーグネー」

 こちらの意見を切り捨て、竜道寺はほくそ笑みながらシルビィに言った。

「君は自由に化け物を追い、殺しても構わない。後処理だけをこちらに任せてもらえればいい」

「本当ですか?」

「これは本心だ。嘘はかんよ。契りも立てようか?」

 シルビィの顔色が目にわかるように喜びに変わる。

「約束だ! 必ず見つけ出し、私の手で滅する!」

「頼もしい言葉だな」

 竜道寺はにっこりと笑うと、シルビィはすぐさま踵を返してどこかへ行ってしまった。

「…………」

 しばらしくて、竜道寺はいつもの冷たい顔つきに戻りポケットに手を突っ込んで呟いた。

「使いやすい駒だ」

「竜道寺さんっ!」

「ん、何を怒るんだ? 君は」

 無感動にあっけらんとそんなことを言う彼が末恐ろしかった。

「人の世に災厄を振りまくあやかしは駆除せねばならん。そういったところではあの娘に同感する」

 シルビィが去った方角を眺めながら呟き、再び唖然とする伊織を見やった。

「気をつけたまえ。伊織君」

「何を」

 夕日が二人を照らし、その影が長く伸びる。竜道寺はちょうど西に立っているため、伊織は逆光に目を細めた。

「夕刻は、彼岸の者どもが夕闇に紛れて此岸こちらに近づいてくる。俗に言う、逢魔が刻だ」

 真っ黒の影になる竜道寺の顔は窺えないが、いつものような無表情をしているのだろう。

「今の世、悪鬼はどこにいてもおかしくない。君のようにね」

「どういう意味ですか……」

「ともかく危険なことに首を突っ込まないことだ。優子さんもそう言うだろうがね」

 わずかに口元が緩んだ。

 竜道寺は薄い笑みを浮かべて、別れを言った。

「またお茶をしよう、伊織君」

「……まぁ、そのうち」

 伊織も適当に返してその場を立ち去った。

 カラカラと自転車を押しながら帰路につく。シルビィと竜道寺と遭遇してなんだか寄り道する気力がなくなった。

 竜道寺は危ないことはするなと忠告された。そこに優しさは皆無である。彼の立場上、事件に吸血鬼がうろうろしては後々面倒だからだろう。

 だけど彼女は?

 思わず足を止めた。真横を自動車が行き交い、右側から温い風が吹きつける。この橋を渡れば住宅街だ。

 竜道寺は人食いと言っていた。正直そんな者を想像はできないが存在するのだ。彼女は優子の能力にも恐怖を感じていた。五人も人間を殺した魔族はどんな能力を持っているのだろう。

「…………」

 靡く黒髪をほうったまま、伊織は橙色に反射する川をじっと見つめていた。





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