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一日目①

 物心ついた時から、落ち込んだ日には決まって同じ夢を見る。何故か僕は傷だらけで、所々に青痣もあって、悔しいのか悲しいのか、何かに怯えたように咽び泣いていた。ズキズキしたりビリビリしたり、体のどこが痛いのかも分からないのに、胸の奥のほうをギュッと締め付けられる感覚だけがはっきりしていて、自分の体が遠くにあるみたいに感じられた。

 泣き止まない僕の頭を誰かが撫でていて、諭すような声音で何か語りかけているのだけれど、僕の耳にはそれすら遠く感じられて聞こえない。髪に触れる手が柔らかくて、暖かくて、それでも涙は止まらなくて、何とか目線を上げても、涙が滲んでよく見えない。辛うじて、どうやら髪の長い女性らしい事が推測できた。


 女性は僕に語り続ける。少しだけ首を傾けて、僕に微笑みかけたのがわかった。滲む涙でぼやける視界が大きく揺れだして、あ、目が覚める、気付いた瞬間、ほんの一刹那のあいだ、彼女の声が明瞭になった。


 「人に優しくありなさい」


 高く、朗らかな声だった。





 1


 起き抜けにホットミルクを注いで、紙袋からパンの耳を取り出して無造作に口に入れる。既に硬くなっていて味もしない。紙袋の口をしっかり結わなかったからだ。なかなか無くならない口の中の塊を、ミルクで無理矢理に流し込む。

 まだ日も出ない時間に身支度を整える。肩から提げる鞄には少額の貨幣とパンの残り。火の元を確かめ、戸締りをしっかりとして、最後に紺色のハンチング帽を被る。

 「行ってきます」

 返事は無い。


 木造の戸を開き表に出ると目の前には我が家より少し大きめの木造住宅がある。高齢の男性の一人住まいだそうだが、会った事は一度も無い。家を出る頃にはまだ眠っていて、帰ってきた頃には、もう寝ている。あの家の明かりが点いているところを僕はまだ見たことが無い。我が家を背にして右、町の南側は同じような住宅が何軒か連なり、まっすぐ行けば数分で町を出られる。反対に北側には、町の東西を一直線に分断する大きな舗装道路があり、その丁度中間辺りで城門へと続く道に垂直に交差しており、この城門から伸びる舗装道路もまた、この町を南北に分けている。舗装道路は町でこの二本だけで、残りは大体がけもの道だ。我が家の前も例外ではない。

 連日晴天が続いたせいか、普段より砂っぽい道を歩くこと数分、件の大きな道路に出て東へ。この辺りに来ると途端に石造の住宅が増える。昼夜を問わずそこそこに賑わっているから、安い木でおざなりに立てた家では、町の喧騒は防げないのだろう。往来の多くは異国から来た人間、それも商人や出稼ぎの冒険者だ。

 煌びやかな衣装を纏った商人、大袈裟な鎧を身に着けた冒険者、どちらも日常的に目にするものでありながら、日常とは程遠い。僕の日々の生活と言えば、他人の畑を耕したり、他人の牛舎を掃除したり、他人の店で店番をするくらいのものだ。僅かばかりの日銭を稼ぎ、たまに不要になった備品や売れなくなった商品を恵んでもらいながら生計を立てている。今日は僕の家から最も遠い、町の東南に位置する雑貨屋で店番をする予定だった。しかし今朝方、事情は大きく変わった。

 城門の前で立ち止まりハンチング帽の中から封書を取り出す。寝ている間に投げ込まれていたであろうその封書には、国璽と共に国王からの直々の勅令が書かれていた。


 「至急、謁見の間に参上されたし」、と。





 2


 「若いのによく働くねえ」

 店を開けてから三時間ほどして、本日六人目のお客様に突然声を掛けられた。四十代ほどの、よくいらっしゃるお得意様だ。といっても、週に数回働いている僕にとって顔馴染みなだけで、実際には然程来店してはいないのかもしれない。事実、冷やかしに商品を見ては店主と軽口たたき、何も買わずにに帰る、そんな事が多かった。

 ともあれ店主と懇意にしているお客様だ、粗相があってはいけない。ありがとうございます、お褒めにお預かり、そんな言葉をいくつか考えたが、突然の事だったので、ええ、とか、まあ、とか、そんな言葉しか出てこなかった。

 内気な少年の気の無い返答をどう取ったか、男性は嫌そうな顔もせずに続けた。

 「いくつになるんだっけ。この前十つになったんだよな」

 一体いつの話だ、と言いたくなるのを堪える。十二になります、と言ってみたが、思うように大きな声が出なかった。

 そうか、もうそんなか、と男性は何度も首を縦に振った。君も大変だねえ、いえいえそんな事は、と会話を続けながらチラチラと店の奥に目をやる。この雑貨屋は、民家の軒先に机を出して商品を並べただけの簡易的なもので、店の奥では店主の一家が生活している。雑貨屋とは名ばかりの、不要品を並べただけの店先には、足を止めてくれるお客様は多くない。大抵が冷かしだ。

 最近では店主が趣味で始めた木造彫刻も販売していて、今日はその製作作業の間、店番をしていてほしいとの事だった。客という客が来るでも無いのに店番など必要だろうか。そもそも盗まれて困る商品もないだろうに、僕を雇っては赤字になるのでは、と思うこともあった。黙って立っているだけで給料の出るこの仕事は、精神的にはともかく、肉体的には楽な部類だった。昼食を店主の家で頂き、夜まで店番を任される事も少なくなかった。毎日でも来てくれていい、と店主には言われていたが、何もしないで賃金だけを受け取るというのは悪い気もして、週に何回か、体を休めたい時に働かせてもらった。

 店主が店の奥から顔を覗かせた。交代の時間だ。



 国王からの手紙には明確な時間の指定は無かった。至急、と言われたところで、国王の起床時刻など僕が知るわけも無い。少なくとも正午には起きている筈だ、しかし昼食の最中だったら、など様々考えた結果、普段自分が昼食を取るのより少し早い時間には、王城に到着しているよう調整した。本来今日は終日雑貨屋の店番だったのだが、店主に頼んで午後の仕事を代わってもらった。元より杜撰な性質の店主なので、事情を話せば快諾してくれた。これが畑仕事だったりしたらこうはいかない。呼び出されたのが今日でよかった。

 大きな城門を目の前にして、深呼吸。今更ながらの緊張と後悔が襲ってきた。どう考えても待たせ過ぎた。不敬罪とかで首を刎ねられたりはしないだろうか。いや、そもそも何故呼び出されたのだろう。疚しい事など一つもないのに。

 再び、大きく深呼吸をする。謁見の間はともかく、この城門を抜けるだけなら、この町の人間なら誰でも出来る。国教であるアイシス教の礼拝堂が、城の一階に併設されているからだ。アイシス教徒であれば誰でも入ることができ、当然ながら国民全員がアイシス教徒だ。異教徒であっても迫害や刑罰の対象にはならないが、市民権を得ることができない。国民が改宗する際、不動産は国の物になるが、直接国を追われる事は無い。

 そうだ、国王は温厚なお方、齢十二の子供に向かって刑罰など与えよう筈も無い。思い直して、帽子の中から封書を取り出し、門番に手渡して用件を伝える。門番の兵は姿勢を正して、


 「お待ちしておりました」


と、険しい声で言い放った。






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