タワー型ダンジョン「市役所」
この作品はフィクションであり、実在する人物・団体・建造物・創作物とは一切、全く、これっぽっちも関係ございません。
無いんだってば!
「おーい、皆、大丈夫かー?」
ゴブリンの最後の一人に止めを刺したパーティーリーダーの山田さんが声を掛けると、他のメンバーからも無事を報せる声が返ってきた。
回復魔法使いのチュルライヤさんが山田さんに駆け寄って、パーティー内で一番重い怪我を負っている彼に回復魔法を掛けている。
精霊使いの田辺さんと火炎魔法使いのジャラードさんがゴブリンの死体を漁ってアイテムを回収している。これが案内料と合わせて彼等の収入になるそうだ。
僕がその様子を見ていると、格闘家のジェイソンさんが近付いて声を掛けてきた。
「旦那、大丈夫でしたかい?」
「はい。
でも本当に良いんですか?
僕、雷魔法なら得意だし、戦えますけど……」
「案内係が依頼人を戦わせちまったら信用と沽券に係わりやす。お気持ちは有り難いですが、勘弁して下せぇ」
「はあ……」
倒した十体の内、半分程の死体から漁ったところで時間切れになったらしい。ゴブリン達の死体が光の泡へと変化し、消えていった。
山田さん達がこちらへ引き上げて来る。
今日二十七回目の戦闘は、三千五百五ゼル――日本円で約七千円――の現金と幾つかの薬をパーティに齎して終了した。
書類一枚を提出するだけなのに、どうしてこうなったんだろう……
僕は小さく溜め息を吐いた。
§
今から十年程前、この世界と、別の世界――所謂「異世界」と呼ばれるもの――が融合してしまう事件があった。
僕達の世界にファンタジーで御馴染のゴブリンやスライム、ドラゴン等が現れて暴れ始めたのだ。世界は混乱と無秩序に覆われた。
その元凶だった某宗教系テロリスト最大手――異世界の似た様な人達を呼び出して両方の世界を纏めて牛耳ろうとしていたらしい――が協力相手の魔王共々滅ぼされ、一応の平穏を迎えたのが五年前。
以降、こちらの世界を「テラ」、あちらの世界を「ギガ」と呼び合いながら、二つの世界は混ざり合ったまま共存していく事になった。
因みに「ギガ」とは、あちらの世界の言葉で「人間の住む世界」を指す、こちら側で言うところの「地球」みたいな意味の単語なのだそうだ。
二つの世界の混ざり方には幾つかのパターンがあった。
良くあるのは、互いの世界を行き来する門が開いてしまうパターン。家の玄関がいきなり異世界に繋がってしまい、引っ越しや改築する破目になった人は多い。その上、今も新しい門が突発的に開いている。
僕がここに居る理由も、昨日、家のトイレがギガに住む誰かの家の物置に繋がった事を市役所に報告する為だ。
次にあるのが、一定の範囲の土地が交換されてしまうパターン。有名なところでは、テラの千代田区とギガの魔王城の交換がある。お陰で秋葉原へ行く為には、上野公園に出来たギガへの門――国立西洋美術館にある地獄門がこちらからの入口になっている――を経由しなければいけなくなった。
どうでも良い事だけど、秋葉原がギガへ行ってしまった為に、あちらでも「萌え」が大流行中らしい。今はスケルトン萌えが一番人気だとニュースで言っていた。
そして結構珍しいパターンとして、両方の世界の土地や施設が文字通り融合する場合がある。
例えば――
ギガにあるタワー型ダンジョン「試練の塔」と融合してしまった、僕の住んでいる街の市役所みたいに。
§
先程述べた様に、僕の家のトイレのドアがギガと繋がってしまったのが今朝の事だった。
この様な場合、最初にやらなければならないのは、繋がった門の入口を封鎖し、周囲の人間に警告する事だ。今回の場合、家には僕一人が住んでいるだけなので、一応トイレのドアに「注意。異世界と繋がっています。」と書いた紙を貼って済ませている。
それが出来たら、市役所へ異世界連絡門登録申請書を提出しに行かなければならない。仕方なく――本当に、仕方なく――僕は学校に理由を話して休む事を伝えて、市役所にやって来たのだ。
面倒事は出来るだけ早く片付けたかった僕は、始業時間である午前八時半には市役所の前に到着していた。同じ事を考えている人は結構多かったみたいで、僕の前には二十人程が始業開始を並んで待っていた。
「結構並んでるんだなぁ」
僕は呟きながら市役所を見上げた。
この街で過去に建造した戦艦をモチーフにしたらしい外観は、十階建ての塔みたいな本庁舎と煙突を模したと言われる議会棟が隣接して建っており、そう言われると軍艦ぽく見えてくる。また、本庁舎からちょっと離れて渦潮っぽい形の市民会館があり、本庁舎と陸橋で結ばれている。
始業時間になってチャイムと共に市役所の扉が開いた。
列の流れに沿って中に入ると、外観からは想像出来ない広さのロビーがあった。聞いた話だと、市役所の中の空間が歪んでいる為に、外観は今までと変わっていないけど中は本来の十倍以上の広さになっているらしい。
ロビーは一階と二階が吹き抜けになっているのだけど、見上げると天井が霞んでいて、高さが二百メートル以上はありそうな天井付近で豆粒の様な影――多分、グリフォンとかハーピーとか、空を飛ぶモンスター――が旋回していた。
広さの方も野球場が幾つか作れそうな位ある。
受付番号が書いてある紙――銀行や携帯ショップなんかにあるレシートみたいな奴――を貰ってロビーに備え付けの机で異世界連絡門登録申請書に記入していると、上空を飛んでいた影が一つ急降下して来るのが見えた。
最初豆粒程だった影はどんどんと大きくなり、すぐに翼の端から端までで十メートルはありそうなワイバーンに姿を変える。ワイバーンは床から五メートルの高さまで降下したところで向きを変えて、今度は急上昇を始めた。上空でロビーを覆っている結界に触れたのか、足の爪と尻尾の先に電撃が走る様子が見える。
記入し終わった申請書を持ってロビーの長椅子に座っていると、受付のお姉さんに番号を呼ばれたので、僕は窓口のカウンターへ向かった。
用件を伝えて申請書を渡すと、お姉さんは記入に問題が無いかを確認しながら僕に門の様子等を質問してきた。
僕が質問に答え終わった時には、お姉さんは申請書の問題点を全て修正して、窓口で受け付けた証明の判子を押していた。
「では、この申請書を持って四階の異世界連絡課へ行って下さい。
それと、四階では先週からゴブリンとオークの群が頻繁に目撃されていますので、斡旋所で案内係を紹介してもらって下さい」
お姉さんはそう言って申請書と案内依頼書を僕に渡すと、次に待っている人を呼び出した。
僕は二つの書類を持って、案内係斡旋所へと向かった。
§
ダンジョンになってしまった庁舎内を安全に移動する為、市役所では案内係と呼ばれる人達を雇っている。ゲームや小説で言うところの冒険者にあたる人達だ。
窓口から百メートルくらい歩いた所にある斡旋所のカウンターには、僕より先に受付を終えていた人達が案内係を紹介してもらっていた。
暫らく待っていると、カウンターに座っていた山羊の角を生やしたお姉さんが僕を呼んだ。
僕がお姉さんに案内依頼書を渡すと、お姉さんは手元の液晶画面――待機している案内係のリストが表示されている様だ――を見ながら眉を顰めた。
「四階の五十二層かぁ……さっき、四十層でジャイアントらしいものの姿を見たって連絡が入ってきたところなのよねぇ」
ウンウンと唸りながら画面のリストを睨んでいたお姉さんは、漸くお目当ての案内係の名前を見付けたらしく、僕に「ちょっと待っててね」と言い残して席を立った。
背後にある建物――ここはホールの中だけど二階建てのプレハブ小屋が何棟かあって、そこで待機中の案内係の人達が休憩しているそうだ――の一つに入って行った。
「ゴブリンにオークにジャイアント、か……僕も戦った方が良いのかな?」
ギガの世界のモンスターがこちらにも現われる様になった関係で、最近は対モンスター戦闘を習うのが当たり前になっている。学校でも体育や家庭科、道徳なんかの時間を少しずつ削って、魔法や戦闘術なんかを教えてくれている。
僕は魔法使いの適性があったので攻撃魔法を勉強している。特に雷魔法に関しては校内でもトップクラスだ。
そう言えば魔法の杖とかの装備を持って来てなかったなぁ……とか考えていると、お姉さんが六人の人を連れて戻って来た。
「この人達ならジャイアント相手でも何とかなると思うわ」
お姉さんが紹介してくれたのは――
パーティーリーダーで戦士の山田さん。プレートアーマーを着て、片手剣とタワーシールドを持っている。二十五歳くらいの男性。
火炎魔法を得意とする魔法使いのジャラードさん。他にも風魔法や魔力付与が出来るそうだ。山田さんよりは若そうな女性。
精霊使いの田辺さん。精霊達が住んでいる精霊界から彼等を召喚して戦ってもらう魔法が使える珍しい人だ。パーティーで一番年上っぽい男性。
格闘家のジェイソンさん。格闘技だけでなく、理力を使った身体強化も出来るそうだ。二十歳くらいの女性。
因みにフォースとは、漫画に出てくる「気功」みたいなものだ。アメリカの有名な映画に出て来た超能力に似ているので、その名前で呼ばれている。
探索者の坂田さん。弓を使った遠くからの攻撃と、ダンジョン内の罠の調査、それと時々見付かる宝箱の鍵を開けるのを担当している。ゲームで言うシーフ役になるそうだ。三十歳から三十五歳くらいの、ちょっとくたびれた風の男性。
回復魔法使いのチュルライヤさん。攻撃魔法は得意じゃなくて、付与魔法――武器や防具の能力を高くする魔法――と怪我を治す回復魔法しか使えないらしい。年齢は判らないけど、声や話し方から判断して多分メス――じゃなかった、女性。
――と言うパーティーだった。
六人の内、ジャラードさんとチュルライヤさんがギガから来た人で、チュルライヤさんはコボルトと言う種族だそうだ。外見は二足歩行しているシーズーみたいだけど、ちゃんと日本語も話せる凄い犬――でなくて、人だ。
「百パーセント安全とは言わないけど、君を目的地まで無事に連れて行く事は約束しよう。よろしく頼む」
山田さんはそう言いながら鎧の篭手を外して、僕と握手した。大きくて暖かい手だった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
緊張しながら僕も答えて、僕達七人パーティーは四階にある異世界連絡課へ向けて出発した。
サッカーが出来そうな広さのエレベーターで新婚旅行に来たレッドドラゴンのカップルと一緒に四階一層まで一気に昇った――エレベーターは各階には停まれるけど、各層には停まれないのだ――僕達は、そこから徒歩で五十二層を目指す。
普段なら一層あたり一回から二回の戦闘が行われるところを、坂田さんの斥候と田辺さんのピクシーによる偵察で可能な限り避けながら、僕達は進んだ。そのお陰で四階三十九層へ辿り着くまでに行った戦闘は、二十七回で済んでいる。
結果として、モンスターとは殆んど出会っていない様に見えるけど、戦わずに回避したモンスターの数は、その四倍居たのだそうだ。
§
「ふぅ~。本当に多いですねぇ」
チュルライヤさんが、おっとりしているのか疲れ果てているのか微妙な口調を漏らしながら、通路に座り込んだ。他の人達もそれぞれ通路に座り込んで軽く食べたり飲んだりしている。
田辺さんが召喚した小さな精霊達――こちらで言うピクシーに似た姿をしている――に周囲を警戒してもらっているので、他のモンスター達に奇襲される事は無い。
「坂田が殺られたのが痛かったな。トラップを警戒し過ぎて進行ペースが落ちている」
「そして、その分襲われる率も高くなってやがる、って訳ですかい。やれやれ、ですなぁ」
一応、周囲を警戒しながら山田さんとジェイソンさんが愚痴めいた会話を交わしている。
坂田さんは十五回目の戦闘の時に死亡して、ロビーにある復活の泉に戻っていた。
このダンジョンにいる間は、死亡しても所定の場所――案内係とか僕の様な市役所の利用者は一階ロビーにある復活の泉――に転送されて、そこで生き返る事が出来る。詳しい理由や理屈は解からないけど、ここはそう言うタイプのダンジョンなのだそうだ。
尚、死亡したモンスター達も僕たちと同じく――場所は違うけど――転送されて復活するそうだ。七回目の戦闘で倒した五人のオークは先日も倒した記憶がある、と田辺さんが言っていた。
ただし、転送されるまでの間に奪い取られたアイテムは戻って来ないので、坂田さんがやられた時も、彼の死体が消えるまで皆で守っていた。
「実際に戦ったものも含めて、三十九層で百五十回の遭遇か……かなり異常な数字だな。モンスターがここまでの層に集まり過ぎている。
……何かあったのか?」
山田さんが考え込んでいるけど、それらしい答えは思い付けない様だ。
「あの……本当に、僕も戦わなくても良いんですか?」
「ああ、大丈夫だ。
君に怪我させる訳にもいかないし、何よりパーティーの連携が崩れるからね。
気持ちは、とても有り難いけどね。
さて、そろそろ進もうか。もうすぐ四十層だ。ジャイアントの目撃例もあるから、今まで以上に警戒を厳重にしてくれ」
山田さんの言葉で皆が立ち上がる。僕も一緒に立ち上がって、パーティーの列の真ん中に並んだ。
出発準備の整った列を眺めて、先頭の山田さんが声を掛ける。
「よし、出発するぞ!」
僕達は警戒を強めながら四十層へ続く階段を見つけて昇っていった。
§
四十層から五十層にかけては、拍子抜けするくらいモンスターに出会わなかった。田辺さんのピクシー達による偵察で回避出来ているのもあるけど、それまでの遭遇数から考えると不気味な程モンスターの姿が無かった。
四回の戦闘で僕達は五十一層に辿り着いた。目的地まで後一息だ。
坂田さんが居ないので、大事を取って幾つかの宝箱を開けずに放置したままダンジョンを進むと、大きな広場に差し掛かった。野球のグラウンドくらいの広さと四階建てくらいの高さがあり、隅の壁に五十二層へ昇る為の階段が見えている。
「どうやらゴールまで百メートル、ってところかな」
「あいつが何もしてこなければ、な」
田辺さんの言葉に山田さんが返した様に、階段と僕達の間にはジャイアントが立ちはだかっていた。しかも、こちらに気付いて近付いて来ている。スピードはそれ程早くなく、ぎこちない歩き方だ。
戦闘準備に入る皆の中でジャラートさんが首を傾げた。
「ちょっと待って……ジャイアントにしては動きが鈍いみたいだけど……げ」
「……ひょっとして、ゴーレム、ですかい?」
ジェイソンさんがジャイアントを睨みながらジャラートさんに聞くと、ジャラートさんは顰め面で頷いた。
「しかも、金属ゴーレムみたいね。私の火炎魔法は通じないと思った方が良いわ」
それを聞いた全員の顔が蒼褪めた。これだけ大きなモンスターを倒すのにジャラートさんの魔法が使えないのは致命的だ。
「田辺、あれに対抗出来る精霊を召喚出来るか?」
「厳しいな。メタルゴーレムと相性の良い雷の精霊とは、未だ契約出来てないんだ。
手持ちで喚ぶなら土の精霊だが……今の俺の魔力では、精々、二分が限度だな。それで殴り倒せれば良し、だが……」
「ご、ゴーレムって、体の何処かにある呪文だか魔法陣だかを壊せば倒せるんですよね?」
「そうですよぉ~。このゴーレムだとぉ、頭の天辺に、それらしい模様が刻まれてますねぇ~」
ふと思いついて質問した僕に、チュルライヤさんが答えてくれた。
それを聞いたジェイソンさんが、ふむと呟く。
「なるほど。じゃあ、こち徒がちょいと行って、その呪文とやらを削って来ましょうかい。それが一番早そうだ」
「そうだな……
まず田辺、土精霊を喚んで、あいつを殴れるだけ殴ってもらってくれ。倒せなくても、かなりのダメージは与えられる筈だ。
それでゴーレムが倒れなかったら、ジェイソンが取り付いて魔法陣を破壊してくれ。
その間、俺とジャラートであいつの注意を引き付ける。
チュルライヤはサポート。攻撃を食らって危そうになったら、遠距離で回復してくれ」
山田さんの作戦を聞いた皆が無言で頷いていく。全員が了承したのを確認して山田さんが作戦開始を告げた。
「皆、行くぞ」
「「「「応!」」」」
僕達は近付いて来ていたゴーレムから距離を取る為に散開した。
ジャラートさんがファイヤーボールをゴーレムにぶつけたけど、ゴーレムの体の表面に付いていたゴミが燃えただけでダメージにはなっていない様だ。
攻撃を受けたゴーレムがジャラートさんを追い駆け始める。
それを見た山田さんがゴーレムの足に斬り付けた。「カーン」と良い音が響いて、剣が弾き返される。
ゴーレムが、今度は山田さんに向かって歩き出した。
田辺さんは、その場で精霊を召喚する呪文を唱え始めた。かなり強力な精霊らしく、詠唱が終わるまでに未だ時間が掛かる様だ。
僕とジェイソンさんはゴーレムの背後に移動していた。山田さんとジャラートさんが囮になっているので、ここは比較的安全な場所になっている。
チュルライヤさんは山田さんとジャラートさんの中間に移動して、どちらがダメージを受けてもすぐ回復出来るように備えている。
山田さんとジャラートさんが交互に攻撃すると、ゴーレムはその度に歩く向きを変えている。
今のところ、どちらにも被害は出ていない。ここまでは作戦通りだ。
「……せり!
応えよ、大地の守護者!
出でよ、豊潤の担い手!
遥けき精霊の地を治むる、大いなる王よ、今こそ我が願いを聞き届け給え!
召喚!
大地の精霊王、ラルグデューダレス!」
田辺さんの最後は大声で歌う様な詠唱が終わったと同時に、ゴーレムの右の空間が光り始めた。光はどんどんと膨らんでいく。空中に大きな光の穴が穿たれたみたいだ。
その光の穴から巨大な――ゴーレムよりも一回りは大きな手が四つ現われ、穴の縁を掴んだ。その手に見合った巨体が、穴を潜り顕現していく。
山田さんを追い駆けていたゴーレムが穴から現われた新たな敵に気付き、そちらへと向きを変えた。片足をダンジョンの床に踏み下ろした巨体――精霊王ラルグデューダレスの、丁度穴から出てきたばかりの頭に殴り掛かる。
精霊王は自身に向かって来た金属製の拳骨を穴の縁を掴んでいた手の一つで受け止め、残りの手と踏み出した足で勢いをつけて全身を引っ張り出した。
黄土色と焦げ茶色と深緑色の光で構成された四つ腕の巨体が、両の足でダンジョンを踏みしめながらゴーレムのもう一方の腕も掴み取り、残りの2本の腕で殴り始める。
両腕を押さえられたゴーレムは為す術も無く殴られていた。殴られた場所に罅が入り、表面の金属が剥がれ落ちる。
時折、自由に動く足で精霊王を蹴り付けるけど、効いている様子は無い。
「ラルグデューダレス! ゴーレムの頭頂にある呪文を砕く事は出来ませんか!?」
田辺さんが攻撃箇所を指示すると、精霊王は殴っていたゴーレムを四本の腕で頭上に持ち上げて、逆さに落とした。ゴーレムの頭が床にめり込み、暴れていた足の動きが鈍くなる。
精霊王は再度ゴーレムを持ち上げ――たところで、その姿が薄れ始める。
『ここまでか』
音ではない声を響かせて、精霊王の姿が消えてしまった。
それまでは何とか立ち続けていた田辺さんが、気が抜けた様に崩れ落ちる。気絶まではしていないけど、体力を消耗し過ぎて動けない様だ。
チュルライヤさんが慌てて田辺さんの傍に駆け寄った。
自分の身長とほぼ同じ高さから二度の落下を受けて全身に細かい罅が走っているにも関わらず、ゴーレムは何事も無かったかの様に立ち上がった。周囲を見渡して、倒れ込んでいる田辺さんを見つけると、そちらへと歩き出している。
「旦那、ここから動かないでおくんなせい。こち徒ぁ、ちょいとあいつの頭に傷を作って来やす」
ジェイソンさんはそう言うと、両手をゆっくりと合わせた。気を練る様に呼吸を整えると、彼女の全身が薄い光に包まれた。フォースの力で身体能力を向上させたのだろう。
ジャラードさんの放った一際大きな火柱に包まれて、ゴーレムは攻撃目標をまたもや変更した。今までよりも少し速いスピードでジャラードさん目掛けて歩き出している。
向きを変えたゴーレムに、ジェイソンさんが走り寄る。
合わせる様に山田さんがゴーレムの正面に飛び込み、斬り付けた。弾かれた剣が半ば程で折れて、切っ先が何処かへ飛んで行く。
ゴーレムが折れた剣の飛び先を目で追う隙を狙って、ジェイソンさんがゴーレムの背中を駆け登る。そのまま頭の天辺まで走りきり、足下に刻まれているゴーレムを動かす呪文目掛けて抜き手を繰り出した。
フォースが集中して蒼白く輝く指先が、文字列のど真ん中に突き立つ。
「良いぞ! 抉り取れ!」
折れた剣の柄を握り締めながら、山田さんが叫ぶ。
ジェイソンさんもそれに応える様に突き立てた指に力を込め、ゴーレムの金属製の頭皮を掬い取――ろうとした時、横から殴られて吹き飛んだ。空中でクルクルと回転して、よろけながらも足から着地する事に成功したけど、その場で崩れる様に蹲る。
「これで!」
ジャラードさんがゴーレム目掛けてファイヤーボールを投げつけるけど、やはりダメージを与えられていない。
「糞! 後、ほんの一息なのに、駄目なのか!?」
山田さんが悔しそうに地面を叩く。
重い鎧を着ている為、ジェイソンさんみたいにゴーレムによじ登れない山田さん。
使える魔法全部がゴーレムに効かないジャラードさん。
精霊王を召喚して全ての体力と魔力を使い切った田辺さん。
攻撃魔法が使えず、田辺さんの回復に係り切りのチュルライヤさん。
渾身の一撃を跳ね除けられて、立ち上がる余力も無くなったジェイソンさん。
今のパーティーには、ゴーレムを攻撃出来る人が一人も居ない。
――僕以外には。
ジェイソンさんがゴーレムに弾き飛ばされるのを見たと同時に、僕は自分の使える中で一番威力の大きな雷魔法の呪文を唱え始めた。体の前で構えた両手の間に雷が発生して小さな球になる。
パーティーの皆からは絶対に戦うなと何度も言われていたけど、ここで全滅してまたロビーからやり直すのは嫌だったし、何より皆を助けられる可能性を残したまま死にたくなかった。
呪文が進むに連れて、両手の間の雷球はどんどんと大きく眩しくなっていく。
それに気付いた山田さんが、ジャラードさんに声を掛けて、折れた剣を構えてゴーレムに突っ込んだ。ジャラードさんも、またファイヤーボールをゴーレムに投げ付け始める。
ゴーレムが僕に向かわない様、二人で囮になってくれているのだ。
更にもう少しして呪文を唱え終わった時、雷球は直径一メートル程にまで大きくなっていた。蒼い光の球の中で、稲光がゴロゴロと音を立てている。
「行きます! サンダーボール!!」
叫びながら両手をゴーレムに向けて突き出すと、雷球はその頭目掛けて飛んでいった。後頭部の上の方にぶつかって弾けて、頭全体を稲光の中に押し込む。
何かが爆ぜる音が響くと、ゴーレムはゆっくりと背中から倒れていった。
土埃の中に、仰向けに寝転んだままで、まだ動こうとするゴーレムの影が映っている。
「今なら、行ける!」
山田さんがゴーレムの頭に回り込んで来て、今は手の届く高さに刻まれている呪文の、ジェイソンさんが開けた穴に折れた剣を突き刺した。梃子の原理を応用して剣をグイッと捏ねると、呪文が刻まれている部分が砕け、ゴーレムは大きく痙攣してから動かなくなった。
「やった……の……?」
「ああ、やった……やったぞ!!」
山田さんは大きな声を上げると、そのままひっくり返って大の字に寝転んだ。
他の人達も大声で喜ぶ余裕は無いみたいで、その場に座り込んだり寝転がったりしている。
あそこまで大きなサンダーボールを作った事が無かった僕も、やっぱりその場に座り込んで呆けてしまった。
§
暫らくそのままで休んでから、僕達は五十二層への階段を昇った。
昇り切って廊下を十メートル程進んだ所に異世界連絡課のカウンターはあった。
壁に掛かっている時計を見ると終業時間である午後五時半ギリギリだったので、慌ててカウンターに居たお姉さんに申請書を渡す。
「家のトイレのドアがギガ世界の物置に繋がったんですね。報告証明書を持って来ますから、ちょっと待っていて下さいね」
お姉さんはそう言って、後ろの離れた席に居る偉そうなおじさんの所へ向かった。背中にある蝙蝠みたいな羽が半開きになってバサバサと揺れているのは、終業時間ギリギリで仕事が増えたからだろう。
お姉さんが持って来た申請書を見たおじさんが机のパソコンを操作し始めた。表示された内容を読んで、今度はお姉さんと一緒にもう一度読み直している。それから二人で何か相談をして、おじさんは席を立って僕の方へと歩いて来た。
「すみません、幾つか確認させてもらいたいのですが」
「はい。何でしょうか?」
「異世界と繋がったのは、あなたの家のトイレのドアですね?」
「はい」
「繋がった先の部屋には入りましたか?」
「一回だけ。
物置みたいでした」
「どんな物がありましたか?」
「ええと……大きな壺とか、甲冑とか……後、床に剣が刺さっていました」
「なるほど。
最後に、トイレの便器はどんな形と色ですか?」
「ピンク色の洋式です」
「ウォシュレットが付いていますね?」
「はい」
「なるほど……」
そう言っておじさんは腕組みをして考え込んだ。申請書の内容に何か間違いがあったのだろうか? ちょっと不安になる。
因みにトイレの色は母さんの選択に任せた結果だ。僕の趣味ではない。
「あなたの家のトイレの、繋がった相手が、判りました」
暫らく考え込んでいたおじさんは、ゆっくりと口を開いた。
書類の問題じゃなくて、繋がった先の方の問題なのかな?
「今、あなたの家に繋がっているのは、ボアボロシス城の宝物庫です」
「……え?」
ボアボロシスって言ったら、魔王を倒した勇者の名前じゃなかったっけ? 確か、ハイリレイオン・ボアボロシス。
「その宝物庫には、高価な物は少ないのですが……」
おじさんは天井を見上げながら、言葉を選んでいる。
何だろう。嫌な予感がしてきた。
「床に刺さっている剣が、ですね、魔王討伐に使われた聖剣だそうで……まあ、勇者でないと床から抜けない魔法が掛かっていますし、魔王も五年前に倒したばかりですから、すぐに必要な物でもないのですが……」
おじさんはそこまで言うと、気の毒そうな視線を僕に向けてきた。
その後ろの席で何か書いていたお姉さんが、書き上げた書類を何枚か持って僕の所にやって来る。
「まず、これが異世界連絡門登録証です。これをトイレのドアに貼って下さい。
そして、こちらが対魔族大規模兵器所有申請書と神聖武具所持申請書、それとボアボロシス城入城許可証申請書です。届け先の窓口は、それぞれ貼ってある付箋に書いてあります」
「え……と……」
「異世界連絡門登録申請書は確かに受理しました。
それでは、この三枚の書類をそれぞれの窓口に提出して下さい」
おじさんの「こちらの用事は終わった。直ぐに出て行け」オーラを感じながら、お姉さんから貰った書類に目を通す。こっちの書類が三階で、これが八階、そしてこれは九階?
……もしかして、これ全部、僕達が届けなきゃいけないの?
僕は後ろで長椅子に座り込んでいる山田さん達を振り返った。
視線に気付いた山田さんが、疲れた様な、諦めた様な、何とも言えない表情を浮かべる。
僕、今週中に帰宅出来るかなぁ……
回る~ま~わる~よ、盥~は回る~~
誤字脱字、ご意見、ご感想等々を頂けると作者が鳴いて喜びます。
2015年4月8日 文章の並び等を修正。