エピローグ
雲一つない、晴れ晴れとした空。ここ最近の天気など忘れてしまったかのように、暖かい陽気が憐明高校の校舎に降り注いでいた。
「はあー、……地球……滅びないかなー」
俺は机に突っ伏し、欠伸をしながらそう呟いた。
平和すぎ。何も張り合いがない。一言で言うなら、退屈だった。
憐明高校はかつての平穏な日常を取り戻しており、教師達も生徒達も以前と変わらない生活を送っている。校則の改定、ストーカーの逮捕……色々なことが一応は解決し、俺個人もいつも通りの優等生ぶりを発揮していた。
雄介と三枝は佳境になった部活動に邁進している。二人からはかなり力を借りることになったため、ぜひともお礼がしたいのだが……当分は無理そうだ。終礼後はすぐに部室へ向かい、彼らの姿が教室から忽然と消えてしまうからである。どんだけ切羽詰ってるんだよ。人生はもっとゆったり過ごしたいところだ。
錦織会長も相変わらず山積した仕事で首が回らないようだった。メールや電話が毎日のように届き、俺はそれを無視し続けている。校内で会った時は半べそかきながら追いかけてきたが、あの顔は傑作だった。写メも取ったから、今度これで遊ぼう。
そんな中、顕著な変化があったのは如月先生と桐生の二人だろう。先生は給料が減らされた上に、いざこざの全てを担当することになり、忙しい日々を送っている。あまりの多忙さに、最近では目の下にクマが出現していた。熊女と言われるだけはある。俺のことを散々苛めてくれたので、正直ざまあみろというカンジだ。
一方桐生は家庭の事情が知られたことで、クラスメイト達との間に壁を作る必要がなくなり、それなりに楽しい学園ライフを歩みつつあった。同級生たちが彼女を受けていれるかどうか多少は気になったが、問題なさそうである。ま、見た目は良いわけだから、男子は反対しないだろう。女子達も、男に付け回されたということで同情的な態度を取る者が多いようだ。
そして校則が改定されたことによって、桐生は憚ることなくアルバイトに勤しむことが出来るようになった。まだもう少しの間、手続きか何かが必要らしいが、いずれは彼女も忙しい身となるだろう。
とにかく何もかもが丸く収まり、こうして俺は放課後をプライベート空間で過ごせるようになったのである。
だが俺は大きなため息をついた。
「なんか面白いこと起きないかなー……なあ?」
余りにも暇になった俺は、室内に居るもう一人の存在に話しかける。
「……物騒なこと言わないで。……平和が一番よ」
声の方へ顔を向ける。
そこにはせわしなくペンを動かす桐生の姿があった。彼女はこちらを振り返らずに、黙々と勉学に取り組み続けている。
「……つまらん」
俺は机の上に広げたテキストに覆いかぶさる。ちょっと前までの大変さが嘘のように無くなってしまった。それが何だか寂しい。
それにコイツの反応が淡白すぎて面白くない。
「ねえねえ、彩ちゃん! 何か楽しいお話してよ!」
俺は目を爛々と輝かせ、星奈さんのように甲高い声を上げる。
「……」
それを聞き、一瞬だけ桐生の手が止まった。
そして無言で鞄からウォークマンを取り出し、イヤホンを耳に嵌める。……そのまま彼女は自分の世界へと旅立ってしまった。……はあ、何て事でしょう。あまりにも冷たい。これには俺も激おこだよ。
キッと睨み付けるものの、桐生はまるで気づいていない。というか完全無視。
以前の調子を取り戻したという点では喜ぶべきなのだろう。だがこれでは振り出しに戻ったようなものだ。少しは距離が縮まったと思ったのだが、蓋を開けてみればこのザマ。……この間のしおらしい態度はどこ行ったんだよ……。
「むう……、あ、そう言えば……」
一つだけ確かめたいことがあったのだった。
俺は勢い良く立ちあがり、桐生の前の席へと移動する。
「……よい、しょっと!」
俺は彼女の方へ向き直る形で、椅子に腰かけた。
すると眼前の相手は、目障りな存在がやって来たと言わんばかりの目つきになる。
「……何かしら? 邪魔なのだけれど?」
イヤホンを外し、桐生は忌々しげな表情を浮かべる。うーん、ちょっと違うなあ。この顔じゃない。
「怖いんだけど? もう少し、こう、可愛い顔をしてくれない?」
俺は不満を露わにし、彼女の表情をそう評した。
「…………今度は何を企んでるの?」
その言葉に呼応するように、増々桐生は顔をしかめた。うわあ、嫌そうな顔。もう少し愛想良くしてもいいんじゃないですかね?
「いや皺を増やすなよ。そうではなくてだなあ……」
上手い事説明できず、やきもきした気持ちになる。もうこうなったら仕方がないか。強硬策で行こう。
俺は真っ直ぐに桐生を見つめる。
「……な、何?」
桐生は俺が何をしたいのか、本当に理解できないといった様子である。
「先に謝るわ。すまん」
そう言って俺は彼女の両手を掴み、一気に俺の方へと引き寄せた。
「――え!?」
突然の行動に、彼女は目を見開いた。机を挟んではいるが、一見すると身を寄せ合っているように見えるだろう。
「……あ、え!? え、え!? ……な、何を!?」
彼女の頬が真っ赤に染まる。視線はあちこち動き回り、顔は百面相だ。
「……」
俺は無言で顔をゆっくりと近づけ、じっと顔を眺める。
「――ッ!?」
桐生は全身を震わせながら、何かを耐え忍ぶように俺から目を背けた。
しばらくの間、その姿を観察し続ける。
「……………………あ、あの?」
沈黙に耐えられなくなったのか、桐生は片目を少しだけ開いた。
「……ふーむ。やっぱ気のせいか」
パッと手を放し、俺は再び椅子に腰かけた。
どうやら俺の勘違いだったようだ。あの日見た、桐生の顔。あれ以来、俺の頭から離れず、どうにも悶々とした気持ちのままだった。もしかしたら……有り得ない事ではあるが……そういうことかもしれないと思い、念のため確認したのだ。
結果はやはり思い過ごしだった。一安心、一安心。やっぱりないですね。
俺は突っ立ったままの桐生に声を掛ける。
「……あ、もういいぞ。悪かっ――が!?」
その瞬間、側頭部に強烈な衝撃が走った。余りの威力に、俺はそのまま椅子から転げ落ちてしまった。
「――ぐ!? な、何をしやがる!?」
顔を抑えて、俺は抗議の声を上げる。見上げた先には、恐ろしい形相をした化け物が居た。
「分からなくていい。……ただ痛みを噛みしめろ……!」
握った拳を解くことなく、桐生は人を殺しかねない程の眼光で俺を見下す。怖っ! 何だよこれ!? まるで熊女――如月先生みたいだ!
「あはは……いやー違うんですよ、これは……」
俺は頭を掻きながら何とか釈明しようとする。
対して桐生はまだまだ興奮冷めやらぬ様子である。
「……全く、本当にあなた……少しは――」
するとそこで扉を開く音が聞こえた。
「あ、居た居た! 鏡夜、例のヤツが届いたみたいだよ!」
教室内に現れたのは、我が親友――谷垣伸也だった。
思わぬ来訪者に、桐生は慌てていつもの佇まいへと戻る。流石のタイミングです! おかげで助かりました。 あとでプリン奢りますね!
「……ん? お取込み中だったかな?」
俺と桐生の様子に、伸也は若干困惑気味だった。まあ傍目から見れば、俺が蹲って桐生がそれを見下すという……一種のプレイに見えなくもない。
誤解を招かないよう、俺は埃を払いのけながら素早く立ち上がった。
「いや、大丈夫。……それよりも、もうアレは職員室に届いたのか?」
念を押すために俺は伸也に再度確認を取った。
「うん。……何かもう騒ぎになり始めてるよ」
伸也は歯切れ悪く、困ったような笑顔を浮かべた。
「……? 何かあったの? ……職員室で」
俺と伸也のやり取りに疑問を感じたのか、桐生はそう訊ねた。
その言葉に俺はニヤリと笑う。
「いやなに、今頃職員室では一悶着あってるだろうなー、と」
「……はあ? どうして?」
勿体ぶった言い方に、彼女はややイラついているようだ。やれやれ、しょうがないな。時間もないし、手短に説明するか。
人差し指を立てて、俺は桐生に説明することにした。
「……如月先生の影の呼び名が、再び進化する時が来たのさ。今度は『熊を喰らう女――如月刹那』ってところかな」
俺の言葉を聞き、桐生はじっと考え込む。そして何かに思い至ったのか、彼女は目を丸くして驚いた。
「……なら、職員室に届けられたのって……いや、でもそんな物を?」
半信半疑のようではあるが、何を俺が送ったのか察したらしい。
「……高級食材らしいからな……『熊の手』って」
おかげで小遣い数か月分が吹き飛んだ。前々から嫌がらせも兼ねて準備を進めていたが、ちょうど今回の事で苦労させられた……その仕返しをすることができた。――そして思わぬプレゼントにもなった。
ふと桐生の方を見ると、彼女は盛大な溜息を吐いていた。
「……あなた……バカなんじゃないの? こんなことにお金を使うなんて……」
呆れたと言わんばかりの物言い。というか若干怒っているみたいだ。貧乏ゆえに働いている彼女にしてみれば、俺のこの行動は許せないものなのかもしれない。
「……ま、良いだろ別に。あんまり怒るなよ。……せっかく食わせてやろうと思ったのに、文句を言う奴にはやらないぞ」
「……? え? ……何で私が出て来るの?」
俺の発言の意図が分からずに、彼女は首を傾げた。まあ仕方ないか。コイツには秘密にしていたんだから、知らないのは当然だ。
胸ポケットから俺は新しい『死海文書日記』を取り出す。
「……あ……それ!」
口に手を当てて驚いている桐生を尻目に、手帳のページを捲る。そして今日の俺のスケジュールを彼女に見せた。
「……今日は星奈さんの誕生日パーティを計画している。俺とお前、星奈さん、如月先生、それに伸也も加えて盛大にやる予定だ。『熊の手』は、そのために用意したんだよ」
淡々とそう告げる俺に対し、桐生は呆気にとられている。
「…………どうして?」
やっとのことで絞り出たのは、純粋な疑問の言葉だった。
「何でって……前からそういう話だったろうが! プレゼントも買ったし。お前が用意していた分は、俺が今まで保管しといてやったんだぞ! ……ま、その対価にこの手帳はもらっておく。おっと、抗議しても無駄だぞ! もうこれは俺の物だ」
腕を組んで断固とした態度で俺は桐生に向き直る。自分でもこの言い方は無理があるような気がしてならないが、こう言うしかなかった。
ポカンとした表情の桐生。やがて彼女は腹を抱え、声を出して笑い始めた。
「……ええ、別にかまわないわ。……そんなもので良ければ、好きに使って」
何がおかしいのか分からないが、彼女は今日一番の笑顔を見せている。何というか、非常に不服だ。バカにされている気がする。
俺が異議申し立てを起こそうとした矢先、間に伸也が割って入った。
「あ、あのー、楽しそうな所悪いんだけど……急がないと……先生が……」
「あ、そうだな。……じゃあ、行くか」
伸也の言葉に相槌を打ち、俺は帰り支度を始める。それに倣うように、桐生もテキスト類を鞄に直し始めた。
そして支度が整い教室を出ようとした所で、背中越しに桐生が声を掛けて来た。
「でも良いの? 如月先生にこんなことして? あなた、かなり前から仲良くしていたんでしょう?」
「……………………はあ?」
彼女の言葉に、俺は辟易とした思いなった。どうやらまだ理解が足りていないらしい。
彼女の方へと振り返り、再度俺という人間を分からせることにした。
「――如月先生が熊女って言われるようになったのは、いつからだと思う?」
「え? …………まさか!?」
彼女の顔は固くなり、やがて信じられない物を見ているような表情へと変わった。ふむ、俺のことを正確に再認識できたみたいだ。
あまりの滑稽さに、俺は口の端を吊り上げてしまう。
「さーて、この次はどんな悪名を付けてやろうかな!」
教室の扉を開き、俺は意気揚々と廊下へ飛び出す。
「……あなたって、本当に――」
桐生の一言。続きは聞かなくても分かる。俺自身分かっている。そういう人間だと。
でも今は、それでも楽しい。
今の日常を、俺は気に入っている。
「まあ、だって俺は――ゲス野郎だからな!」
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