28.世界共通の何とやら
如月先生に弄ばれた翌日、俺は桐生家の前にまでやって来ていた。
「……はあ、何で俺が……」
何となくチャイムを鳴らすことが億劫だった俺は、何もせずにひたすら彼女が現れるのを待っていた。先生があらかじめ連絡を入れておいたと言うから、とりあえずやって来たが、……もう一時間はこのままだ。
時計を見ると八時を既に回っていた。
「……どう足掻いても、遅刻だ」
俺はため息をついて、その場にうなだれる。
眠たい体に鞭を打って出動したというのに、これはあんまりだ。昨日は特に疲れた。校長に直談判し、放課後は如月先生との一対一。俺のガラスハートはもうボロボロ。だれか俺を癒してくれないだろうか。
俺は呆けた表情のまま、ぼんやりと桐生家の玄関を見つめる。
そう言えば電話はしていたものの、あの時以来、桐生に直接会うことはなかった。期間としてはちょうど一週間ぐらいだろう。校則が変わることなんかは、彼女ももう知っているはずだ。如月先生が星奈さんに伝えたはず。……だが学校に通えるような環境が整ったとはいえ、桐生本人が本調子でなければ意味がない。俺としてもせっかく頑張ったのだから、引き摺ってでも学校に連れて行くつもりなのだが……。
そうこう考えていると玄関の扉が開いた。
「……あ」
現れたのは桐生彩だった。制服に身を包み、手には鞄が下げられていた。
「あ、朝霧君!? ……何で、ここに!?」
俺の登場に面食らったのか、彼女は大慌てな様子である。……つーか、どういうこと? 何でコイツ驚いてるの? 俺が来るって聞いてないの?
「いや……先生から、今日俺が行くって、連絡しておいたらしいけど……」
俺はとりあえず弁明だけはしておくことにした。だが俺の言葉を聞いても、桐生はあたふたと動揺し続ける。
「あー、朝霧君だ! 彩ちゃんを迎えに来てくれたんだね! ありがとー!」
桐生の背後から星奈さんが現れた。相変わらずのニコニコ笑顔である。
「あ、おはようございます。……あの、先生から聞いてますよね?」
俺の問いかけに対して、星奈さんは手をポンと叩いた。
「うん! 今の今まで忘れてたよー! ごめんね! もしかして、待たせちゃった?」
星奈さんは輝くような笑顔でとぼけ出した。
「はははー、いえいえ、気にしないでくださーい!」
俺は星奈さんの笑顔に応えるように、笑いながらそう言った。あれれー、おかしいぞー! 笑っているのに、どうしてこんなに釈然としないんだろう? まあ、いっか!
それを見ていた桐生は、申し訳なさそうな顔になった。
「……ごめんなさい。……そうとは知らずに。……でも、それならチャイムを鳴らしてくれれば良かったのに……」
桐生の指摘は尤もである。だがそれには理由がある。
俺は両手をヒラヒラと振りながら、彼女の疑問に答える。
「今日は先生に頼まれて仕方なくやって来たわけだから、いくら遅刻してもOKなのさ。……それなら、出来る限りサボってやろうと思ってな。早く行っても良いことなんてないし。……お前こそ、もっとゆっくり出てくれば良かったのに」
俺はため息をつきながらそう言い放った。
その言葉を聞いた桐生は複雑な表情になった。手をぎゅっと握りしめ、どこか気落ちしたような様子である。やれやれ、もしかして俺が心配して家まで迎えに来たと思ったのかな? 悪い悪い、そうじゃなくて。期待させちゃったか。
すると星奈さんが桐生のすぐ傍へと寄る。
「あらあら? インターホンの前を何度も行き来してたのに、それはどういうことかなー? 私はてっきり、恥ずかしくてチャイムを押せないのかと思ったよー!」
星奈さんはニヤニヤしながら俺の方を見る。……どういうこと? ……見てたの? 俺の行動を……っていうか、俺が居ること知ってたのなら、玄関出ろや!
「……ははは……何のことやら……」
俺は固まった笑顔のまま、抗議の視線を星奈さんに向ける。
「……あれ? あ、そっかー! 彩ちゃん出てくるまで、急かさないように気を遣ってくれてたのかな? 彩ちゃんの元気がなかったから、心の準備が出来るまで……じっと待ち続ける、と。うんうん! その優しさは男の子として、とってもカッコイイぞー!」
合点がいった様子の星奈さん。彼女の笑顔は五割増しになっていた。
勘弁してくれ! 何なのこれ!? どうしてこんなにも、いたぶられなければならないのか!? 俺が何かしたというのか? ……したけども……昨日からこんなのばっかり! いい加減、もう許して欲しい!
俺が変な油汗をかいていると、桐生が俺の方をじっと見つめ始めた。
「……………………あ、ありがと」
彼女は頬を染め、そっぽを向きながらそう呟いた。
だから止めろよ! そういうの! 言葉の暴力だぞ! それ!
俺は容赦ない言葉攻めに、ただただ黙って耐える事しか出来なかった。
****
星奈さんからのどうしようもない責め苦から脱出した俺は、桐生と二人きりで一路学校を目指した。ここ最近、年上の女性には苛められてばかりだ。そんな趣味はないというのに……どうしてこうなった。誰か責任者を呼べ。
そして俺と桐生だが、並んで歩いていたものの会話することはなく、着々と学校との距離は縮まっていた。途中電車を乗り継ぐ間も、彼女は口を開くことはなく、どこか落ち着かないといった様子だった。
そんな変な空気を保ったまま、俺と桐生はついに憐明高校の校門にまで到着した。
桐生はそこで立ち止ってしまい、俺もそれに倣う。
「……」
俺は何も言わず、桐生の表情を窺う。
彼女は無表情のまま、ただ真っ直ぐに昇降口の方を見ていた。何を考えているのか、何を感じているのかは俺には分からない。が、例えようのない壁が彼女の前に立ちはだかっているということは容易に想像できた。
「……怖いか?」
最初の一歩を踏み出せないでいる彼女に、俺は尋ねてみた。
彼女は前を向いたまま目を細める。
「……大丈夫よ。ごめんなさい……手間を取らせて」
彼女はそう言い残し、校門を通り抜けて行った。その後ろ姿からは、常のような強さは感じられない。俺の目から見ても、無理をしていることが分かった。
「……ふう」
俺は空を仰いで大きく深呼吸した。どうにもアイツの緊張が伝わってきたみたいだ。息苦しくて仕方がない。
俺は前を行く彼女の後を、ゆっくり追いかけた。
現在の時刻は九時過ぎ……一限目の授業が丁度あっている頃か。敷地内は静まり返っており、まるで人の気配が感じられない。まるで俺と桐生しかこの世界に居ないみたいだ。
靴箱までやって来た俺の視界に入ってきたのは、上履きに履き替ええたまま人形のように固まった桐生の姿だった。
「……オイ、お前全然大丈夫じゃないじゃん。顔青いぞ」
彼女はピクリと反応し、黙って俯いてしまう。
「……ごめんなさい、……すぐ……行くから……」
桐生の手足は微かに震えていた。
彼女の気持ちは俺にも分かる。クラスメイトや学校の生徒たちが彼女のことをどう思っているのか、それが分からずに彼女は恐怖を感じている。自分の事を批判する者、良く思わない者が居るかもしれない。彼らからどんな目で見られるのか……それを考えるだけで、足がすくみ、身動きが出来なくなる。
でもこれは彼女が越えなければならない問題だ。彼女が抱え、彼女が患った……独力で突破しなければならない試練。
「桐生、そんなに心配すんな。校則を変えることには、みんな賛成だったんだ。お前のことを悪く言うやつはいない」
俺は彼女の緊張を解そうとする。
「それは……そうかも、しれないけど……」
しかし桐生の表情は全く晴れない。今俺が何と言っても、彼女には気休め程度にしか聞こえないだろう。代弁した言葉など意味がない。
「……」
桐生は下を向いたまま立ち尽くしている。今にも消えてしまいそうな……弱々しい姿。
どうしようもない。俺にやれることは全てやった。もう助けてやれない。
「――ッ」
拳に力が籠る。また俺はくだらないことを考えてしまった。目の前に、確かに苦しんでいるヤツが居るのに、俺には何も出来ないなんて――
「……あ」
俺はある事を思い出した。
「…………桐生」
呼びかける声と同時に、俺は早速実行することにした――言葉を用いない、世界共通の何とやらを。
「……え!?」
俺は半ば強引に、彼女の右手を握った。
握手。
俺の右手と桐生の右手が、しっかりと重なり合う。
突然の行動に驚いたのか、その場には鞄を落とした音だけが響いた。
「……え!? ……あ、あの……な、何を!?」
桐生は目をパチクリさせて、握られた自分の手を見ている。
……そんな目で見るなよ。俺だって恥ずかしいんだぞ。
俺は自分の行動に火を噴きそうになるほどの羞恥心を感じ、明後日の方を向いて言い訳することにした。
「……よく分からんけど、如月先生が言ってたんだよ。……握手すれば、何かこう……エネルギー的なものが、伝わって、……たぶん保存則に従って、だな……何か、まあまあ……結構イイ感じになるって……」
俺はしどろもどろになりながら、何とか言葉をつないだ。自分でも何を言っているのか意味不明だ。……オカシイ奴だと思われただろうか。
でも伝えなければ。今この瞬間に、彼女に言わなければならないのだ。
「……他のヤツが、お前の事を、影で何て言ったとしても、……その、俺が……」
声が震えている。そのことを俺は自覚した。
でも、それでも、知ってほしかった。
「――俺が、本当のお前を知ってる――」
そこ数週間の短い付き合い。その少ない時間の中ではあるが、俺は知っている。
――桐生彩が、ただの優しい女の子だと。
「……」
これが俺には精一杯。
これ以上は、捻くれてしまった俺には、無理だ。
どうか届いて欲しい。俺の気持ちの、ほんの一部でもいいから。
不安になった俺はチラッと彼女の方を確認した。
「……」
桐生は目の前の事態を飲み込めず、呆然としている。
……何か言えよ。……面白い顔になってるぞ。
しばらくそんな状態のままで時間が流れる。
握った手が汗ばんできたのではないかと心配になった。
「……………………ずるい」
そんな思考を、彼女の一言が打ち破った。
俯いてしまい、どんな顔をしているのかは分からない。
「……信じられない……本当にあなた、ゲス野郎だわ……こんなの反則よ……」
肩が先ほどよりも顕著に揺れている。おまけに声は嗚咽交じりだった。
「……最低……バカ……大っ嫌い……」
罵倒する言葉とは逆に、彼女の左手が俺の手に添えられた。
「……何だ……今更気づいたのか?」
もう散々知ったはずだ。俺は酷くて、最低で、どうしようもないゲス野郎なんだと。
俺の返答に、彼女はクスリと笑う。
「……そうね……そうだったわ……」
彼女は反芻するように何度も頷いた。
そしてゆっくりと顔を上げる。
それを見て、胸が高鳴った。
「……本当に酷い人。……でも、それがあなたで良かった……」
一切の曇りのない、優しさに満ちた笑顔。
吸い込まれそうな潤んだ瞳。
零れ落ちた涙は宝石のように眩しかった。
「……あ」
素っ頓狂な声が漏れてしまう。
そんな俺とは対照的に、桐生は目を閉じて、大事そうに俺の手を握り続ける。
その姿をじっと見つめる。
心臓の早鐘は止まる気配がない。
それが彼女に伝わらないかだけが、俺は心配だった。
****
その後、俺と桐生は靴箱から移動し、彼女の教室の前にまでやって来た。桐生はドアの前。俺は少し離れた所からそれを見守る。
彼女はじっと教室を見つめていた。
「もう大丈夫なのか?」
彼女の背中に問いかけた。
「ええ。もう平気。問題ないわ」
ハッキリとした声で答える。もう先ほどまでの弱さはなくなっていた。
俺はその返答に笑みを零す。
「それがさっきまで、泣きじゃくってたヤツのセリフか?」
いつものように、俺は彼女に軽口を叩いた。
「……私、決めたわ」
すると彼女は半身でこちらを振り返り、真っ直ぐに俺を見据える。
そして指を指し、こう宣言した。
「いつかあなたをギャフンと言わせてみせるわ。だから……今に見てなさい!」
その一言を残し、彼女は教室へと消えて行った。
教室の騒がしい声が次第に笑い声へと変わったところで、俺はゆっくりと立ち去ることにした。
「ハ……やれるものなら、やってみろ」
人知れず、俺はその挑戦に受けて立った。
そらな、こうなっただろう。結果なんて、分かりきっていた。
最後に笑うのはこの俺だ。
「……さてと、今日のスケジュールはどうなってたかな?」
俺は予定を確認するために、今日から新しくなった手帳を開いた。




