22.策士の始動
携帯をポケットにしまった後、勢いよく俺は教室から飛び出した。目的はもう決まった。問題なのは、どうやって桐生を元の生活に戻れるようにするか……という手段を考えるだけだ。
廊下を小走りで走り抜けながらも、頭の中では策を練り続ける。
そのままクラスメイト達が談笑している教室に戻ってきた俺は、自分の席へと向かった。
「あ! 鏡夜! どこに行ってたの?」
俺の存在に気付いた伸也が声を掛けてきた。
「ちょっとな……でも、問題ない」
俺は軽い返答だけ残し、不思議そうな顔つきの伸也に背を向けた。
するとそこで予鈴が鳴り響き、教室内に散っていた生徒達は各々の席へと戻り、午後の授業の準備を始めた。
俺は周囲のクラスメイト達の様子を注意深く観察する。桐生が平穏な学園生活を取り戻すには、まずは蔓延した噂を何とかしなければならない。つまり今回の件を正しく認知してもらう必要がある。校則を破ったとはいえ、桐生がアルバイトをした経緯は誰もが同情する類のものだ。……だが、一度広まってしまった誤解を解くのは難しい。
俺がそのことで悩んでいると、教室の扉が勢いよく開かれた。
「……みなさん……全員揃っていますね?」
副担任の女性教諭が肩で息をしながら入室してきた。相当に急いできたのか、何だか慌てているように見える。彼女は呼吸を整えながら教壇に立った。
「単刀直入に言います。本日午後の授業は中止です。生徒の皆さんは、この後すぐに下校してもらいます」
彼女の開口一番に放たれた言葉に、教室内がどよめいた。
「え!? 一体どういうことですか!?」
クラス委員長である三枝が驚きを露わにしながらも、その理由を尋ねた。
「……学校宛に、生徒に危害を加える旨の文書が送り付けられたんです。先ほど職員を集めて臨時の会議が開かれ、授業の中止と集団下校が決定されました。警察にもすでに届出がされており、明日まで憐明高校は休校となります」
教諭の言葉にさらに生徒たちは動揺を示した。驚きで表情が固まった者や、中には青ざめてしまった者までいる。
学校に文書? このタイミングで? 一体誰が……。
「きょ、鏡夜! これは一体!? ……もしかして……!?」
伸也の方を見ると、不安げながらも思い当たる節があるようだった。俺と伸也、桐生の件を詳細に知っている者ならば、容易にこの犯人の正体を推し量ることができる。桐生をストーキングしていた犯人はまだ捕まっていないからだ。
「……この段階では犯人は確定できない。もしかしたら別人の可能性もある……」
とは言え、俺自身もこの人物以外に心当たりはない。タイミングも考えればほぼ間違いないだろう。
「とにかく皆さんはこのまま教室から出らず、しばらく待機していてください。この後、順次下校してもらいますので、それまでに荷物をまとめておいてください」
そこまで言って教諭は教室から小走りに去って行った。
「……おいおいおい! やべーよこれ! 不審者から手紙が来たってこと!? 俺たちが狙われてんの!?」
教諭が去って一瞬だけ静かになった室内だが、雄介の発言とともに堤防が決壊したかのようにざわめき始めた。
「マジかよ!? こんな事あんのかよ!?」
「怖いよ! みんな一緒に帰ろう!」
男子達は起こった出来事にやや興奮気味であり、対して女子達は怖がり、ひどく怯えてしまった者までいる。個々で差はあるものの、教室内の誰もが謎の不審者にその関心を集めてしまっている。
俺はその様子をじっと観察し続けた。
これは……とんだアクシデントかと思ったが、もしかしたら好機かもしれない。
俺はその場で立ち上がり、声を張って周囲の気を引くことにした。
「みんな聞いてくれ! さっき先生が話していた不審者だけど……俺、そいつに心当たりがあるんだ!」
俺は室内の誰もが聞こえるほどの声量で呼びかけた。案の定、クラスメイト達は俺の発言に食い気味で反応を示した。
「あ、朝霧!? お前、そりゃ一体どういうことだよ!? ……だ、誰なんだ? 俺達を狙っている野郎ってのは!?」
雄介が興味津々といった様子で問いかける。
「……犯人はおそらく……桐生さんをストーキングしていた奴だと思う」
俺は声のトーンを低くして返答した。
「……はあ!? 桐生って……ストーカー!? 何でそんなヤツが出てくんだ!?」
雄介はなぜ桐生、そしてストーカーの話になるのか分からないようだ。
「……朝霧君はどうしてそう思うの?」
三枝も得心がいかないといった表情で俺に問う。ここから先、嘘偽りを並べるのは危険だ。事実を正確に伝えなければならない。
一呼吸おいて、俺は話を始めることにした。
「みんなには黙っていたけど……俺、ここ最近は桐生さんと一緒に行動することが多かったんだ!」
「え!? どういうことだ!? ……何でお前が!?」
驚いた様子の雄介。周りのクラスメイト達も俺の発言に困惑気味だ。
「偶然だけど、桐生さんがストーカーに付き纏われて困ってることを知ったんだ……。だから、彼女と一緒に登下校したり、バイト先まで送ったりしていたんだ」
「そ、そうなのか……」
桐生と行動していたことを伝えるのは、俺としてもリスキーだ。しかし、そうしなければ事の詳細をなぜ知っているのか説明できない。
「彼女は駅の近くにある喫茶店でアルバイトをしていた。知り合いに見つからないように注意しながら……普段は厨房で働いていたんだ。……いろいろ噂が立ってるみたいだけど、桐生さんは人に後ろ指をさされるようなことはやってないよ」
俺は先ほど桐生の噂話をしていた奴らの方を見やった。バツが悪いのか、彼らは顔を逸らしてしまった。
「……でも、どうして桐生さんは校則を破って、隠れるようにバイトしてたの?」
三枝がさらに疑問の声を上げた。コイツはやはり賢い。さすがはクラス委員長になるだけはある。おかげで話がテンポよく進められる。
「それは彼女の家庭が大きな借金を抱えていたからなんだ。桐生さんの父親は事故で死んでしまって、母親が一人で返済している状態だった。それを桐生さんは何とかしようとして、如月先生に頼み込み――先生の許可を得て働いていた……ってこと」
「そっか、だから如月先生は桐生さんがバイトするのを許していたのね。事情を知っていたから……如月先生なら、確かに力になってくれそう」
俺の返答に三枝は納得したようだ。話を聞く他のやつらは、桐生の予想外の家庭事情に驚きを隠せないようだった。
「はあ……そんな事情があったんだな……でもちょっと待てよ。そこからどうしてストーカーが学校に脅迫状みたいなモンを送り付けるんだ!?」
じっと話を聞いていた雄介だが、肝心のところが聞けていないからか、悶々とした顔つきである。普段は馬鹿であるが、その問いかけはナイスだった。
「それはこれを見てほしい」
俺はあらかじめ鞄の中に用意していた封筒を取り出す。そしてその中身を全員に見えるよう机の上に置いた。
「……!? オ、オイ、これは!?」
「……脅迫状!?」
クラスメイト達が目にしたのは、以前俺の家に送られたストーカーの脅迫文である。真っ赤な文字で書かれたそれは、彼らの関心を集めるのには十分だった。
「これは俺の家に送り付けられたモノだ。桐生さんと行動するようになってすぐに届いたんだ。……もう捨てたけど、中にはカミソリまで入っていたよ。彼女の下にもこれと似たようなものが何通も送られてたみたいだ」
俺は淡々と事の経緯を説明する。すると俺の横に控えていた伸也が口を開いた。
「……桐生さんはずっと怖かっただろうね。みんなに隠れてバイトしているから、きっと誰にも相談できなかったんじゃないのかな……」
悲しそうな表情を浮かべ、消え入りそうな声音で伸也は話す。流石は我が親友。生徒達が桐生を擁護するように働きかけたのだろう。しかしこんなセリフを、この局面で言えるとは……。
周囲の生徒達も伸也の発言を聞き、同じような感想に至ったようだ。
「……まあ、そんな所かな。……そして先週、俺と桐生さんはとうとう警察に頼らなきゃならなくなった。……件のストーカーがナイフを持って、俺たちの前に現れたんだ」
脅迫状に注目していた奴らがその言葉を聞き、一斉に俺の方を見る。
「ちょっと待て! そんなこと、校長も先生たちも、誰も言ってなかったぞ!?」
まさかの展開に雄介は声が裏返っていた。ストーカーの一件は学校の誰もが知るところであったが、犯人が凶器を持って現れたとは思ってもいなかったようだ。
「口止めされたんだ。校長先生に……余計なことは喋るなって……」
俺は出来る限り申し訳なさそうな素振りをしながら答える。だが雄介は怒り心頭といった様子で、さらに捲し立てる。
「何だよそれ!? 桐生だけじゃなくて、お前まで危険な目に遭ってたのに!? 何でそんな大事なことを――」
「……ごめん……」
「……いや、お前を責めてるわけじゃないんだ……」
下を向いた俺に対し、雄介は言葉を窮したようだ。分かりやすいぐらいに怒ってくれる雄介に、心中で俺は感謝の意を述べた。
「怪我はなかったの!? 刃物を持っていたんでしょう!?」
三枝が心配したのか、焦りながらも俺に問う。
「それはなんとか……。とにかく必死だったから、あんまり覚えてないんだけど……」
さすがに催涙スプレーの事は言わない方が良いだろう。この場はこれで乗り切る。
「……良かった……二人とも、怪我はなかったのね……」
三枝は俺と桐生に怪我がなかったことを聞き、ホッと胸をなでおろした。
「確か……ストーカーはまだ捕まってないんだよな? 朝霧……つまり、お前は……」
いつになく真剣な顔つきになった雄介は、俺に結論を求める。
「うん、たぶんそいつが憂さ晴らしか何かで……学校に脅迫状を送り付けたんだと思う」
これで一通りの説明は出来たはずだ。あとはコイツらの反応次第だが……。
生徒達の一挙手一投足すら見逃さないように、その様子をじっと観察する。幸い、俺の説明に全員満足がいったようだ。俺や桐生を批判するような発言もあるかと思ったが、そんなこともなさそうである。
「みんな……ごめん……黙ってて……。あんなことがあって、気が動転してて……話してもいいのか、今でも俺には判断できない。……でも、このままだと……クラスのみんなや他の人まで危険な目に遭わせるかもしれないから……」
念押しと言わんばかりに、俺は重ねてクラスメイト達に謝罪した。弱々しく反省するヤツを責められるほど、空気が読めないやつはこの場にいない。
「謝んなよ。話して正解だ。むしろ、話さないように口止めしていた校長の方が問題だ! それにストーカー野郎もな! だから、気にすんなよ!」
雄介だけでなく、所々で校長やストーカーを批判する声が挙がった。どうやら上手く桐生に向いた感情を他に向けることが出来たようだ。
すると伸也が一瞬だけ俺に視線を向け、周囲に聞こえるような声を上げた。
「……でも、僕たちは一体どうすれば良いのかな?」
伸也の疑問の声に対し、生徒達は虚を突かれたような反応を示す。何をすればよいかなど、すぐに思いつくはずもなく、雄介や三枝も考え込んでしまった。
俺はその様子を見て、クラスメイト達にある頼みごとをすることにした。
「……今話したことを、他の人にも正確に伝えて欲しい。こんなことになった経緯が分からないと、何も出来ないと思うから。……みんな、お願いできる?」
俺の最終的な狙いは『桐生の状況を正確に伝える』ということである。そのためには生徒達が桐生に同情し、伝えるだけの大義名分を得て、何よりも彼らの関心を集めることが必要だった。学校に脅迫状が送られたという状況は、それを後押しする助けとなった。なぜなら皆『一体誰が、何の目的で、こんなことをしたのか?』と思わずには居られないからである。
俺の予想通り、彼らは俺の頼みに頷き、協力の意志を見せてくれた。
「それなら任せとけよ! ついでに桐生が被害者だってことも教えないとな! ……それに如月先生も、このままじゃやべーよ!」
力強く応えつつ、如月先生のことを心配する雄介。すると男子生徒の一人が、雄介の言葉に頷いた。
「俺、まだ如月先生に担任やってほしいよ。美人だし、俺たちの話もちゃんと聞いてくれて……めっちゃ厳しいけど、あんな良い先生いねーよ!」
彼の言葉に呼応するように、他の生徒達も声を上げた。
「だよね! 私も先生に担任やってほしい。前相談ごとした時、親身になってくれたから」
「この事を他のやつも知れば、どうにかなるんじゃね!? だって仕方ないだろ。借金返すためにバイトしてたんだし……先生もそれに協力して……誰も悪いことしてねーじゃん!」
生徒たちは口々にそんなことを口にする。今や教室内の空気は、先ほどとは打って変わったものになった。
これならば、俺が期待する速度で噂は改められるだろう。
「……鏡夜、これで良いの?」
隣に居た伸也が、小声で俺に耳打ちしてきた。
「……とりあえずはな。でもこれだけじゃ、足りない」
真実が広まり、桐生と如月先生への同情が集まったとしても、それだけでは現状を打破することはできない。校則を破った以上、五十嵐校長は二人を罰するだろう。
だから俺のやることは……校長のその建て前を破壊することが目的となる。
「短期決戦だ。ここからは時間との勝負になる……」
ざわめきの止まないクラスメイト達の姿を視界に捉えつつ、俺は次の手を打つために携帯を操作し続けた。




