20.醜い笑顔
厚い雲で覆われた空模様が教室から確認できる。俺はテキトーに用意していた焼きそばパンを片手に、一人席に座って昼食に没頭していた。日時は週明けの昼休み。生徒たちは各々グループを作って集まり、談笑しながら食事を摂っている。
おそらく話題の中心は桐生彩の一件で間違いないだろう。
俺はストーカーと対峙した後、やってきた警察から事情を聞かれる運びとなった。桐生も同様に事情を聞かれていたようだが、最後に見た姿は呆然自失といった様子であった。今現在彼女がどのように過ごしているのか俺には分からない。
警察署に連れて行かれ、そこでの事情聴取に対し、俺は嘘偽りを含ませることなく淡々と答えた。桐生がストーカー被害に遭っているということ、警察に相談できなかった事情、どういう経緯で彼女と行動していたのか――等々。そうしなければ、護身用とは言え催涙スプレーを持っていた事の説明がつかないわけであるし、後になって隠し事でもばれたら心証が悪くなる。
結果として俺は自分の軽率な行動を咎められる程度に収まり、最終的には警察の人にも心意気だけは褒められるに至った。
だが問題は桐生の方だ。被害に遭った張本人というだけに、俺よりも長い時間話を聞かれたようである。どうやら星奈さんや如月先生も知らせを聞いて署までやって来たようだった。俺は彼女たちと直接顔を合わせることなくパトカーで家まで送り届けられたので、そこでお世話になった刑事にこれは聞くことが出来た。おそらくは、アルバイトの事なども深く掘り下げられたのだろう。
俺達の前に現れた犯人であるが、未だに逮捕には至っていないようである。俺や桐生の証言から人相についてはある程度絞れているため、いずれ捕まるだろうが……重大なのはそんなことではない。
現在桐生彩は登校していない。さらに如月先生は謹慎処分となっている。
仕方がないことだろう。ただストーカー被害にあっただけならいざ知らず、要因となったのが『学校に隠れて行ったアルバイト』であるのだから。規律を重んじる五十嵐校長からすればまさに言語道断。特に校長に対して真っ向から歯向かっていた如月先生が相手であるため、全く持って容赦がなかった。即日処分が言い渡されたほどである。
桐生に関してはショックなのか分からないが、自主的に休んでいるようだ。
そうして週明になり、このことは全校生徒が知ることとなった。朝、校内放送で『学内の生徒がストーカー被害に遭い、またその生徒が無断でアルバイト活動を行っていた。それに如月刹那教諭が独断で協力していた』といった内容で生徒達に伝えられた。桐生の名前は出していなかったが、そんな物はすぐに分かることになる。なんせ桐生彩は目立つのだから。事情を知る教師たちが口を滑らすことだって有り得る。
実際――俺のクラスは桐生の噂話で持ちきりなのだから。
そんな中、俺の話題というのは全く持って出てきていなかった。実は俺が関わっていたことを知るのは、現在校内において伸也と校長だけなのだ。
警察署から家に帰った後、何と校長直々に俺の下へと電話が掛かって来たのである。内容は『いつも通り学校に通い、今回の件に関しては何も喋るな』というもの。向こうからすれば、イザコザに関わる人間を一人でも除去しておきたかったのだろう。話題の中心は桐生なのだし、俺が口を閉ざせば誰も知ることはないだろう。
要するに俺は安全圏へと逃げることが出来たのだ。いやー、日ごろの行いが良ければこそだよね。校長に媚び売っといて良かった。
俺は残った焼きそばパンを口に詰め込み、窓の外を見ながら物思いに耽る。桐生との関係はこれでおしまいだろう。仲良くしておけば役に立つと思ったが、これ以上関われば自分に被害が及ぶ。これ以上俺に出来ることなんて無いのだから――
そんな事を考えていると、クラスメイト達の談笑の一部が聞こえてきた。
「びっくりだよなー、桐生がバイトしてたなんて! おまけにストーカー被害に遭ってたなんてな!」
「バイト何してたか知ってるか? ……何でも風俗らしいぜ!」
「マジで!? なら俺も相手して欲しかったなー。……もしかしてストーカーって、桐生の客だったんじゃね!?」
「なんだか残念だなー、お淑やかな美少女だと思ってたのに、……幻滅だよ。ていうか、桐生の見た目ならもう何百万も稼いだだろうし、……俺にも分けてくんねーかな」
「桐生さんって、何だかお高く止まってる感じあったよね。きれいで頭良かったみたいだけど……そんな人だったのねー」
「もしかして成績良かったのも、教師に媚び売ったからじゃない? ほら、男の先生たちも桐生さんの事そういう目で見てたじゃん? ずるいよねー。ちょっと可愛いいからって、何でも許されると思ったのかな――」
その瞬間、何かが倒れたかのような音が教室中に響き渡った。
周囲の生徒達が会話を止めて、俺の方を驚いたように見ている。
「……え!?」
クラスメイト達がなぜ俺の方を見るのか分からなかったが、よくよく見渡すと俺の机が倒れていた。
「あ、朝霧……どうした!?」
狼狽した様子の男子生徒が俺に問いかける。
そんなこと言われても、どうすれば……。
「……えと、……急にトイレ行きたくなって……気合入れたら……こうなった……」
俺はおどけた様な笑みを浮かべながら取り繕った。……何やってんだ俺は!? 普段の俺なら、こんな失態――絶対ないのに!
俺は恐る恐るクラスメイト達の顔色を窺う。
すると教室中で笑いが巻き起こった。
「何やってんだよ朝霧!? そんなことしなくても、便所は逃げねーよ!」
俺に話しかけた男子は腹を抱えて笑っている。その周りの奴らも同じように、俺の滑稽な行動に堪えられないようだった。
「……ハハハ! 悪い! 食事中に失礼しました! じゃあ、行ってきますね!」
俺は事態を乗り越えられたことを確認し、わざとらしく敬礼しながら教室を後にした。
危ない危ない。俺の咄嗟の機転が無ければ、ヤバい奴扱いされるところだった。後でしっかりフォローを入れれば大丈夫だろう。
それにしても、なぜあんな事をしてしまったのだろうか?
特に用がない男子トイレの中で自分の感情と思考を分析する。そのまま俺は部屋の中に備えてあった鏡の前に立つ。
――そこには不細工な笑顔があった。
「……」
しばらくそこに映った醜い人間を見つめる。
気持ち悪い。誰だコイツは? 早く俺の前から消えて欲しい。
「……やっぱ、引っ掛かってんのか?」
そんな事をぼやきつつ、俺は胸ポケットから黒い手帳を取り出した。別名『死海文書日記』であるが以前装丁の一部を汚してしまっていた。
そして俺はさらにもう一つ、似たような手帳を取り出した。
汚れも書き込みもない――完全な新品である。
警察署から家に帰り着いたとき手荷物を返却されたのだが、その中には桐生が買ったはずのプレゼントまでが含まれていた。向こうの手違いなのだろうが、今の桐生に渡しても意味がない物だろうと思いそのまま預かっていた。そして中の商品が無事かどうか確認しただけなのであるが、……その中にこの新品の手帳があった。
――一応……借りも返さなくちゃならないし……
彼女が言っていた言葉が想起された。
「…………アイツは馬鹿か!?」
俺はトイレの壁を右手で殴りつける。痛みでなく、怒りで歯を食いしばっていた。
借金で首が回らないというのに、他人に金を使うなんて。ましてや俺に。俺が実際どんな奴かなんて、もう知っているはずなのに。
……俺に対して……そんな余計な優しさを……!!
もう一度鏡を見ても、そこに居る人間の醜悪ぶりは変わらなかった。




