11.予期せぬ味方
電車から降りて二十分ほど歩いた先にある住宅街。その中に桐生が住んでいる家はあるとのことである。借金があるためにアルバイトをしているというのに、一軒家に住んでいるというのは驚きだった。まずそれを売ればいいのではないだろうか。
「借家なのよ。父の知人が私達の事を不憫に思って、使っていない一軒家を貸してくれたの。家賃も良心的よ。その人の父母が住んでいた家らしくて、売るのも憚れていた。そんな所に私たちの事を聞きつけた……という経緯よ」
閑静な住宅街の路地を歩きながら桐生は俺にそう説明する。
なるほど、それならば住まない手はないな。双方にメリットがあったというわけか。
「ふーん……お! あれがお前の家か?」
見えてきたのは立派な一軒家だった。黒い屋根に白い壁。目立った特徴は無いが、とても借金に苦労しているような家庭には見えないだろう。
「女二人で生活するから、しっかりした家に住めるのはとても有り難かったわ。……でも結局、変質者に狙われてしまったわけだけれど……」
桐生は首を振りながら肩を落とす。
「それなりに苦労しているみたいだな。でも同情はしないぜ? 誰にだって程度はあるが悩みや苦労はあるもんだからな」
「そう言ってくれると逆に助かるわ。同情は私の最も苦手とする物だから」
俺の方を見ながらはっきりとそう告げる。引け目や劣等感などは全くない。目に宿った強い意志がそれを証明していた。
「取り越し苦労だったか。まあこれから毎日送ってやるから有り難く思えよ?」
「そうね、貸しにしておくわ。……じゃあ、また――」
桐生が俺に別れの言葉を言おうとした瞬間、何者かが彼女に襲い掛かった。
「――彩ちゃん~、ただいま! 寂しくなかった~?」
よく見るとそれは女性だった。白いシャツにデニムのズボン、髪型はショートカット。化粧をしているが、それを差し引いても相当な美人であることが一目で分かった。
「――お、お母さん!? こ、こんな所で、抱きつかないで!」
「……お母さん?」
俺はその言葉に驚きを禁じ得なかった。この女性が桐生の母親なのだとしたら、若くても三十代後半。……これが今はやりの美魔女なのだろうか。
桐生の母親は俺の方にようやく気付いたらしく、桐生を放して俺を見つめ始めた。
「……えーと、あなたはどなた?」
母親の顔が疑問の色で染まった。
「初めまして。桐生さんの同級生の朝霧鏡夜と言います」
俺はいつも通りの爽やかボイスで応対した。
「へー、お友達を連れてくるなんて、彩ちゃんにしては珍しいねー。初めまして、桐生彩の母親をやっています。桐生星奈と言います。よろしくねー」
星奈さんは絵顔で俺に会釈した。俺もそれに倣って頭を下げる。
「……彼は私をここまで送ってくれたの。……その、まあ、親切な人なの」
桐生は苦虫を潰したような表情で俺を星奈さんに紹介する。つーか、何で嫌そうな顔になるのだろうか。実際かなり親切だと思う。
「ふーん。……あれ、でもじゃあ……」
「ええ。彼は私がアルバイトをしていると知っているわ。だから夜遅くなる私を送ってくれたの」
星奈さんの顔がやや驚いたものになった。彼女は桐生の説明に耳を傾けながらも俺の方をじろじろと眺めている。
何だか値踏みされているようで嫌な気分だな。
俺はその何とも言えないような状況でひたすら苦笑するしかない。
すると星奈さんは何かを悟ったように目を閉じる。が、しばらくして桐生の方をニヤニヤしながら振り返った。
「フフフ……彩ちゃん。私には分かっちゃったよ! この子はズバリ彼氏さんでしょう!?」
うわ……絶対言うと思ったよコレ。齢を取った年配はすぐ子供同士の関係にこういう茶々を入れる。やられる方としては堪らないというのに。
俺は辟易とした気分で桐生の方を見やった。
視線の先の彼女は黙ったままだった。下らな過ぎて言葉も出ないのだろうか。
星奈さんはその桐生に対して更に捲し立てるよう話す。
「あの彩ちゃんが男の子を連れてくるなんて、お母さん嬉しい! せっかく可愛く産んであげたのに、全然そういうのに興味持たないから私心配だったの! でも杞憂だったみたいね。……子は知らない内に育つとは、よく言ったものだわ!」
年甲斐もなくキャッキャ騒ぐ星奈さん。美人でなければ軽くムカつくレベルだ。だがこの場は大人しくするしかない。とにかく桐生の発言を待たなければ、俺は『ハハハ』と笑ってごまかすしかない。
俺は桐生に場を収束するように目配せする。
桐生は尚も固まったまま動かない。
何やってんだよコイツ? お前の親だろうが、早く何とかしろよ! 俺はサンドバックじゃないんだぞ!?
「……な……」
桐生はようやく口火を切る。なぜか顔が赤い。
「……何、ふざけた事言ってるのよ!? この人が彼氏なわけないでしょう!? どこをどう見たらそう言う結論に至るのよ!?」
とんでもなく大きい声で叫んだ。顔はかつて無いほどに真っ赤である。
予想外。桐生はこの手の弄りを母親に受けたことは無かったようだ。普段の冷静さが嘘のように成りを潜めている。
「えー、でもでもカッコいいじゃない、朝霧君! 礼儀正しいみたいだし。うん、これには母としてもOKと言わざるを得ない!」
星奈さんは俺の方を見ながら親指を立てる。おまけに良い顔をしている。ハハハ、許可もらっちゃった、どうしよう。
桐生はその光景を見て増々顔が紅潮する。
「ふざけないで! こんなゲス野郎となんで結婚しなきゃならないのよ!? 外見だけは良いかもしれないけど、性根は腐りきってるのよ!?」
誰も結婚するとまでは言ってないだろう。意外と発想が斜め上というか、妄想が捗るタイプなのだろうか。あと見た目はカッコイイと思っているのか。ちょっと嬉しかったのは秘密。
とりあえず桐生が使い物にならないので、俺が武力介入することにした。
「お母さん、俺と彼女は付き合っていませんよ」
「およ? そうなの?」
星奈さんは俺の言葉に、ヒートアップした矛先を一旦収めた。それを見て桐生の方も多少は冷静さを取り戻したようだった。
「……ようやく分かったようね……ありがと、朝霧君」
息を整えながら桐生はホッと胸をなでおろす。
あれあれ? この俺がただ仲裁に入ったと思ったんですかね、この女は。
「俺と桐生さんは如月先生にお世話になっている、ただの同級生です――今は」
「……は?」
桐生の表情が信じられない物を見たかのように引きつる。対して星奈さんは面白いネタの匂いを嗅ぎつけたのか、目をらんらんと輝かせている。
「俺、前から桐生さんの事、気になっていたんです。……しかもアルバイトの事知って、彼女、お母さんのために働いているっていう話じゃないですか!? 俺、感動しちゃって……。ますます彼女の事が……。だから俺、もっと彼女と親しくなって、何か力になれないかなって! そう思ったんです……」
俺は心にも思っていないことを若干涙交じりに告白した。
桐生は幽霊でも目の当たりにしたかのように俺を凝視する。体は完全に仰け反っており、見てわかるぐらいにガタガタと震えている。
星奈さんは俺の言葉を信じたのか、涙ながらに笑顔の言葉に答える。
「そうなの……彩ちゃんったら、私の心配ばかりで……苦労ばかり掛けてしまって……。友達とだって遊びたいでしょうに……。でも、あなたのような人が傍に居てくれるなら、私、安心できるわ!」
「お母さん!?」
自分の母親の言葉が信じられないのか、桐生はギョッとして星奈さんの方を向く。
非情に爽快です。コイツのこんな様が見られるなんて。
俺は楽しくなってきたので、さらに桐生を煽ることにした。
「……へへへ、お母さんにそう言われると、俺、自信が湧いちゃうな! これからは娘さんのこと、下の名前で呼んでいいですか?」
「もちろんよ! 今日は泊まって行って! 息子として歓迎するわ!」
「お母さん!?」
目の前の状況にただただ戦慄し、驚くことしか出来ない桐生。
ハハハハハハハ! 愉快ナリ! 痛快ナリ! もはや必殺技の許可を得た俺を止める事は誰にも出来ない!
俺は桐生の方へと歩み寄り、その両手をギュッと握りしめた。
「……これからもよろしくね! 彩ちゃん!」
星奈さんから見えない角度に位置取る。そして俺はわざと桐生にだけ見えるように悪意を全開にした笑顔を披露する。
桐生の顔から生気が抜けていくのが分かった。
さてさてこれからどう料理してやろうか? ふーむ、時間はたっぷりある。お母様の許可も頂けたことだし、思いつく限りはやってみよう! それにしても、母親が絡むと全くダメだなコイツは。よし、星奈さんは俺の重要人物リストのトップ3に追加しよう。
楽しい楽しい夜が始まり、俺は心が躍った。




