9.見えない悪意
錦織生徒会長に出くわした後はいたって平穏な時間が流れたのだった。
教室に戻った俺は伸也に大量のプリンをプレゼントした。そしてあの日の事を話のネタにして昼休みを過ごすことになった。
終始涙目の伸也だったが、俺は先輩から仕入れた事件の真実を聞き出すことに成功した。
何でも喫茶店での騒動の後帰宅することになった伸也は、急に女装した状態でいるという事実に耐えられなくなったらしい。桐生が居るため俺の下に戻るわけにも行かず、ビクビクしながら帰っていると、見回りをしていた警察官に声かけられたということである。堪りかねた伸也は身分と性別だけを言い残してダッシュでその場から脱出したとのことだ。
こういうわけで憐明に苦情というか連絡が入ったという次第である。そんな面白いことが俺の知らない所で起こっていたとは、痛恨の極みである。もしその模様を動画に収められたのなら、伸也が結婚式にビデオレターとして進呈するというのに。勿体ない。
「鏡夜! 今日はどうするの?」
終礼を終えた後の教室で伸也が俺に話しかけてきた。
「今日はこのままいったん帰るよ。その後ジムに行って、筋トレとランニングをしなきゃなんねー」
俺は定期的にジムに行って体を鍛えるようにしている。部活動はさすがに時間を使いすぎる。かと言って何もしなければ体力が落ちてしまう。体育やスポーツでも結果を出せるようにするため、ジムを使って補うようにしているのである。
「ふーん、そう。なら途中まで一緒に帰ろっか!」
伸也はにっこりと笑う。ここ最近不機嫌だった伸也は、どうにかいつも通りのテンションになってくれた。プリンは嫌がらせに買ったが意外にもご機嫌取りに使えたようだ。
「そうだな。早いとこ学校を出よう。誰かに呼び止められたら敵わない」
そう言って俺たちは素早く校舎を出て帰路に着こうと考えた。
だが靴箱で靴に履き替える時に俺は忘れ物に気づいた。
「……あれ? ……手帳がない……」
『死海文書日記』が胸ポケットになかった。教室かどこかに置き忘れてしまったらしい。これは非常事態だ。
「……やべえ。あれには今後の予定とか、校内の情報とか噂とか、俺のクソどもに対する罵詈雑言もしたためてあるというのに……」
「……それは大変だね。……どうするの?」
呆れたというような物言いの伸也。やれやれ、腹が立ちますね。
「言っとくけど、伸也の女装写真もプリントアウトして挟んであるからな? くそー、拾われたら一体どうなる事やら!」
「何考えてるのこのゲス!? 何で人が嫌がることしか出来ないの!? ……そもそも写真なんていつの間に!? このナルシスト! 変態! あーもう、すぐに探すよ!」
一瞬で怒り心頭となった伸也は校舎内へと走り出した。女装写真なんて手帳に挟んでないけど、やはりコイツを苛めるのは楽しい。ホント良い親友を持った。
俺は駆け出して行った伸也を追いかける。
「それで、どこに忘れたか心当たりはある!?」
胸倉を掴みかねないような剣幕で伸也が俺に詰め寄る。
「俺達の教室か……あとあるのは空き教室だろうか?」
「分かった。鏡夜は空き教室の方へ行って! 僕は教室を探すから!」
そう言って伸也は走り出して行ってしまった。……さすがにちょっと悪いことをしただろうか。できるだけ時間をかけて探した後、大丈夫だとメールで知らせてやるか。
そんなことを考えながら俺は空き教室へと歩を進める。
「……ん?」
教室の前にまでやって来た所で明かりが点いているのに気付いた。おかしいな。桐生は今日放課後、ここに来ないという事だったが。
この教室のことを知っているのは桐生に如月先生、親友の伸也だけである。如月先生は終礼後すぐに職員室へ向かっていたし、伸也は女装写真を処分するために教室を駆け回っているはずだ。となると中に居るのは間違いなく桐生だろう。
「……そうだ!」
俺は桐生を驚かせるために後ろの扉から静かに入る事にした。あの澄ました面を驚かすことが出来れば、俺の溜飲もいくらか下がるというもの。
俺は細心の注意を払いながら教室の扉を開ける。
中にはやはり長髪を持つ人物の姿があった。ククク……何に集中しているか知らないが、こちらには気づいていないようだ。
俺はさらに彼女の後方から迫り少しずつ距離を詰めた。
よしよし、あと少しでコイツを脅かすことが――
「……え?」
背後から忍び寄った俺は彼女が机に広げていた物に驚かされた。
それは何かのメッセージの様だった。
『君のことをいつも見ている』
白い用紙に血のように赤い文字でそう書かれていた。
「――え!?」
桐生は俺の存在に気づいたのか、こちらを振り返った。
「あ、朝霧君!? どうして!? 今日は来ないはずじゃ!?」
声も表情も今まで見た中で一番の驚きに染まっていた。
「……お前、それ……もしかして……」
彼女は俺の視線の先のモノに気づき、即座にそれを隠した。
だがもう遅い。俺は見てしまった。
「――お前」
いくらなんでもラブレターではない。毒々しいまでの真っ赤な文字。殴り書きで書かれたそれには好意でなく、悪意が感じられた。
そしてその文面から、桐生が置かれた状態は容易に想像がついた。
「……誰かにストーキングされているのか?」
俺の言葉に、桐生は青ざめたまま沈黙するだけだった。
放課後二人きりの教室で、当たり前だった日常が音を立てて崩れて行くのを俺は感じた。




