第一章 覚醒の炎
これは――
世界を終わらせるかもしれない
二人の少女の物語。
もしよろしければ、
最後までお付き合いください。
はるか昔、この世界は――
**「魔王の時代」**と呼ばれていた。
それは、闇に覆われた歴史だった。
七人の魔王が大地を支配し、炎、深淵、疫病、死、そして戦争の力を操っていた。
人類の都市は炎の中で崩れ落ち、王国は恐怖の中で滅び、数え切れない命が絶望の中で消えていった。
まさに魔王の時代だった。
しかし――人類は滅びなかった。
長い絶望の末、各国の王家、教会、そして伝説の英雄たちが手を取り合い、史上最大の戦争を起こした。
後にそれは、こう呼ばれる。
封魔戦争。
その戦争は何年も続いた。
無数の英雄が倒れ、数えきれない都市が廃墟となった。
そして――
ついに人類は勝利する。
七人の魔王は打ち倒された。
だが――魔王は死ななかった。
彼らの肉体は滅びたが、魂は七つの宝石に封印されたのだ。
それ以降、歴史は書き換えられた。
教会は人々に宣言した。
「魔王は完全に滅びた」と。
しかし本当の真実を知る者は、ごくわずかだった。
魔王は死んではいない。
ただ眠っているだけだ。
新たな宿主を待ちながら。
そして数百年後。
世界から忘れ去られた一つの孤児院で――
新たな運命が、静かに動き出そうとしていた。
その夜は、とても寒かった。
激しい雨が空から降り注ぎ、強い風が古びた窓を叩き続けている。
木製の窓枠は、きしむような音を立てて揺れていた。
王国の辺境、小さな町の外れに一軒の古い孤児院があった。
建物はすでに老朽化している。
壁はひび割れ、屋根は崩れかけ、あちこちから雨漏りしていた。
薄暗い油灯が、かろうじて部屋を照らしている。
孤児院には十数人の子供たちが暮らしていた。
男の子も女の子も同じ部屋で眠り、粗末な毛布にくるまりながら寒さをしのいでいる。
部屋の一番奥の隅。
そこに二人の少女が寄り添って座っていた。
一人は、鮮やかな赤い長髪の少女。
炎のように目立つその髪はツインテールに結ばれている。
彼女の名前は――
神代・莉。
そして、その隣にいる少女は、夜のように黒い長い髪を持っていた。
腰まで伸びた髪と、深い黒い瞳。
彼女の名前は――
月影・露。
二人の服はどちらもボロボロで、埃や汚れにまみれている。
そのとき――
莉がこっそりポケットから何かを取り出した。
それは、一切れのパンだった。
彼女は得意げに笑い、小声で言う。
「今日、町で盗んできたんだ」
露は目を丸くした。
「ぬ、盗んだの?」
小さく眉をひそめる。
「院長先生、盗みはダメって言ってたよ?」
莉は肩をすくめた。
「だって、お金ないし」
そう言ってパンを半分に割り、片方を露に差し出す。
「一個しかなかったからさ。一緒に食べよう」
露は少し迷った。
盗みはよくない。
それは分かっている。
でも――
莉が嬉しそうに笑っているのを見ると、断れなかった。
露は静かにパンを受け取る。
露にとって大切なのは、パンではない。
莉が分けてくれたこと。
それだけだった。
二人は幼い頃から、この孤児院で暮らしてきた。
年も近く、どちらも孤児。
初めて会った日から、ずっと一緒だった。
一緒に食べて、一緒に眠り、
叱られるときも、いつも一緒。
互いにとって――
家族のような存在だった。
孤児院の生活は決して楽ではなかった。
建物は古く、雨の日には屋根から水が漏れる。
食べ物の多くは、町の店がくれる余り物だった。
孤児院の院長は八十歳を超えた老人だった。
背中は曲がり、頭は禿げ、
胸元まで伸びた長い白髭をたくわえている。
子供たちはよく冗談で言っていた。
「院長先生、いつ倒れてもおかしくないよね」
院長のほかにも、数人の修道女が子供たちの世話をしていた。
生活は貧しかったが、
それでも皆、支え合って生きていた。
だが――ある日。
院長が亡くなった。
葬式をするお金もない。
子供たちと修道女は庭に小さな墓を掘り、
そこに院長を埋葬した。
皆、悲しんでいた。
院長は、この場所で唯一の支えだったからだ。
数日後のことだった。
院長の遺品を整理していた修道女が、一つの鍵を見つける。
それは、見たこともない古びた鉄の鍵だった。
修道女は首をかしげる。
この孤児院で長く働いているが、こんな鍵を見た覚えはない。
しばらく考えた末、彼女は一つの場所を思い出した。
――地下室。
孤児院には、ずっと閉ざされたままの地下室があった。
院長は何度も厳しく言っていた。
「どんなことがあっても、あの扉だけは開けてはいけない」
しかし今、院長はもういない。
好奇心が迷いに勝った。
修道女は鍵を握りしめ、地下室へ向かう。
その後ろに――
小さな影が静かについてきていることには気づかなかった。
それは莉だった。
地下室の扉が開いた。
その先には、細く暗い階段が続いている。
修道女は慎重に階段を降りていった。
地下室の中は物置のようだった。
古い本、壊れた家具、カビの生えた箱。
どれも価値のなさそうなものばかりだ。
しかし――
部屋の奥に、一つの台があった。
展示台の上に置かれていたのは、黒い箱だった。
鉄でできた箱だ。
表面には古い紋様が刻まれ、両側には金属の頭部の装飾がある。
まるで何かを守っているかのようだった。
修道女はガラスケースを開け、箱を手に取る。
錠前はすでに錆びていた。
少し力を入れると――
パキン、と音がして箱が開いた。
中にあったのは、二つの宝石だった。
一つは深紅の宝石。
まるで炎のように輝いている。
もう一つは、漆黒の宝石。
底の見えない深淵のような闇を宿していた。
二つの宝石は、古代文字の刻まれた鎖によって封じられている。
修道女はしばらくそれを見つめていた。
なぜか胸騒ぎがした。
そのとき――
上の階から別の修道女の声が聞こえた。
「シスター! ちょっと来てください!」
修道女は慌てて箱を元の場所へ戻し、地下室を出ていった。
そして――
彼女は気づかなかった。
暗闇の中から、莉が姿を現したことに。
小さな少女は素早く箱を抱え上げると、そのまま静かに立ち去った。
その夜。
莉は露のもとへ忍び寄った。
ポケットから黒い箱を取り出す。
それを見た露は目を丸くした。
「そ、それ……どこで手に入れたの?」
莉は小声で答える。
「地下室だよ。院長が死んだあと、修道女が鍵を見つけてさ。こっそりついていったら、これを見つけたんだ」
露は箱を覗き込んだ。
箱の両側には金属の頭部があり、ぴったりと閉じている。
箱を開けると、それらはゆっくりと離れる仕組みになっていた。
中には二つの宝石。
黒い布に包まれている。
箱の内側には、古代文字のような文章が刻まれていた。
複雑な紋様がびっしりと刻まれている。
すでに深夜だった。
部屋は暗い。
眠っている子供たちの寝息だけが聞こえる。
その中で――
宝石だけが、微かに光を放っていた。
宝石には古代文字の鎖が巻き付いている。
まるで何かを封じているかのようだ。
露は眉をひそめた。
「これ……なんだか変な感じがする」
一目見た瞬間、露は直感していた。
これは普通の宝石ではない。
しかし莉は違った。
彼女は目を輝かせていた。
「これ、絶対高く売れるよ!」
「売れば大金持ちだ!」
莉は嬉しそうに続ける。
「そしたら大きな家を買える!」
「孤児院のみんなも一緒に住める!」
そのときだった。
外から、激しい馬の足音が響いた。
次の瞬間――
ドォン!!
下の階から大きな音が響く。
扉が蹴破られた音だった。
やがて、一人の兵士が部屋に入ってくる。
銀の鎧を身にまとった男だ。
男は部屋を見回し、大声で叫んだ。
「聞け!」
「我々は帝国軍第七師団だ!」
「この場所に犯罪者が潜んでいるという情報が入った!」
「これより徹底的に捜索する!」
兵士たちは孤児院を荒らし始めた。
修道女たちが必死に止めても無駄だった。
「邪魔をすれば共犯とみなす!」
「帝都で裁判にかけるぞ!」
乱暴な言葉に、修道女たちは黙るしかなかった。
孤児院は徹底的に調べられた。
だが何も見つからない。
やがて地下室が発見された。
隊長は自ら地下へ向かう。
そして――
展示台を見た瞬間、顔色が変わった。
「……ここにあった物はどこだ!」
修道女は慌てて答える。
「わ、私は午後に見ました……」
「その時は確かにありました……」
隊長は冷たく言った。
「全員、身体検査だ」
兵士たちは修道女と子供たちを乱暴に調べ始めた。
中には卑しい笑みを浮かべる者もいた。
修道女に触れ、服を引き裂く。
抵抗すれば――
平手打ちが飛んだ。
そして隊長の視線が止まる。
部屋の隅。
露と莉だった。
「その二人を引き離せ」
露は兵士に乱暴に掴まれた。
莉が叫ぶ。
「やめて!!」
「露に触るな!!」
その瞬間――
箱が床に落ちた。
赤い宝石が転がり出る。
「隊長! これ――!」
「持っていけ」
隊長は迷いなく命じた。
露は連れていかれる。
莉は涙を流した。
もし――
私に力があったら。
露を守れたのに。
そのときだった。
声が聞こえた。
『力を求めるか?』
莉は息を呑む。
「誰?」
『我が名はイグニール』
『焚界の魔王』
『我が宿主よ――』
『力を望むか?』
莉は歯を食いしばった。
「欲しい!」
「こいつらを倒せるなら……!」
「どんな代償でも払う!!」
低い笑い声が響いた。
『よかろう』
『その怒り、受け取った』
『ならば誓え』
『汝の名をもって』
莉は叫ぶ。
「私は――神代莉!」
「すべてを差し出しても、力が欲しい!!」
声が答える。
『我は焚界の王――イグニール』
『汝の怒りを、世界を焼く炎としよう』
『今この瞬間より』
『汝は我が宿主』
次の瞬間――
赤い宝石が爆発的な光を放った。
部屋は真紅に染まる。
空気が一気に熱を帯びる。
建物全体が巨大な炉のように熱くなる。
そして――
兵士の喉が裂けた。
誰も見えない力。
血が噴き出す。
兵士は倒れた。
沈黙。
誰も何が起きたのか理解できない。
だが――
そこには少女が立っていた。
莉だった。
そして彼女は、もはや以前の少女ではなかった。
次の瞬間、莉の姿が動いた。
小さな身体が、信じられないほど軽やかに前へ踏み出す。
兵士が剣を振り下ろした。
だが――
キィン!!
金属が激しくぶつかり合う音が響いた。
莉は手にした巨大な赤い鋏で、その剣を受け止めていた。
兵士は目を見開く。
「なっ……!?」
まだ十歳にも満たない少女が、
成人した兵士の剣を受け止めている。
そんなことがあり得るはずがない。
しかし――
現実だった。
莉は軽く腕を振る。
それだけで兵士の身体は後方へ弾き飛ばされた。
そして次の瞬間。
赤い鋏が閃く。
ザシュッ――
鋏の刃が兵士の胸を貫いた。
男は自分の胸を見下ろす。
そこには、大きな血の穴が開いていた。
兵士は言葉を失い、そのまま崩れ落ちた。
別の兵士が左から斬りかかる。
その瞬間――
莉の左手に、深紅の炎が灯った。
炎は生き物のように腕に絡みつき、
次の瞬間、拳が振り抜かれる。
バキッ!!
兵士の剣が粉々に砕けた。
そしてそのまま拳が胸に叩き込まれる。
ドォン!!
兵士の身体が吹き飛ぶ。
壁を突き破り、外へ叩き出された。
それからの戦いは――
もはや戦闘とは呼べなかった。
数人の兵士が一斉に襲いかかる。
だが誰一人として莉に触れることすらできない。
鋏が振るわれる。
血が飛び散る。
炎が舞う。
兵士たちは次々と倒れていった。
やがて炎は建物へと広がる。
木造の壁が燃え上がる。
屋根が炎に包まれる。
孤児院全体が、巨大な火柱となった。
赤い炎が夜空を染め上げる。
地面には兵士の死体が転がっていた。
残っているのは――
隊長ただ一人。
男の顔は青ざめていた。
仲間は全滅。
目の前には――
炎の中に立つ少女。
恐怖が、理性を押し流した。
「覚えていろ!!」
男は叫び、逃げ出す。
外へ飛び出し、馬へ飛び乗る。
この地獄から逃げるために。
だが――
その瞬間だった。
炎に包まれた建物の中から、一つの影が跳び上がる。
莉だった。
炎と煙を背に、空中へ舞い上がる。
月光が彼女の姿を照らす。
その姿はまるで――
地獄から現れた悪魔のようだった。
巨大な鋏が、隊長へ向けられる。
隊長が顔を上げた。
そして見た。
空から落ちてくる少女を。
次の瞬間。
ズブリ――
巨大な鋏が、隊長の頭頂部を貫いた。
男は声も出せず、馬から崩れ落ちた。
戦いは終わった。
孤児院は炎に包まれている。
その前に、莉は静かに立っていた。
夜空を見上げる。
その表情には、何の感情も浮かんでいない。
まるで人形のようだった。
やがて修道女たちが子供たちを連れて外へ逃げ出してくる。
露もその中にいた。
彼女は呆然と莉を見つめる。
理解できなかった。
どうして――
莉がこんな姿になってしまったのか。
莉はゆっくりと振り返る。
そして露を見る。
二人の視線が交わった。
だがその瞬間、露は思った。
目の前にいるのは――
本当に莉なのか。
莉はしばらく沈黙した。
そして冷たい声で言った。
「……もう、私を探さないで」
それだけ言うと、莉は森の方へ歩き出す。
赤い炎に照らされながら。
やがてその姿は闇の中へ消えていった。
後に残ったのは――
燃え続ける孤児院と、
その場に立ち尽くす露だけだった。
第一章を読んでくださってありがとうございます。
ここから物語は
「二人の魔王」の物語へと動き始めます。
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