第46章 先見の能力
そのもう一人とは、執事ロンド=ガストン男爵の娘のアニス嬢だった。
艶やかなピンクブロントのウェーブヘアーに、黒い瞳をしたとにかく派手で綺麗な少女。
幼い頃に母親を亡くした彼女は、フォーケン伯爵家の使用人の人達に可愛がられて育った。
そのせいで、何か勘違いをしたらしく、坊ちゃまの結婚相手は自分だと思い込んでいた。
だから私に対する態度も横柄で、一つ年上だったこともあって、上から目線で話をしていた。
もちろん私の家の方が爵位が上であることはわかっていたから、それは人目の付かない場所に限られていたけれど。
そんなある日、私がフォーケン伯爵家の薔薇園で花を眺めていたら、突然後ろから彼女に背中を押されたのだ。
私は大きな薔薇の木に突っ込むように倒れ込んだ。
咄嗟に両手を前方に伸ばしてガードしたので、なんとかギリギリ顔は無事だったのだが、両手足は薔薇のトゲで悲惨な状態になった。
それを偶然アリス様が目にしていたのだ。
アリス様は烈火の如く怒ったのだという。
床に額を擦り付けて私の両親に謝罪する執事とアニス嬢に対して、アリス様はクビを言い渡した。
それに対してフォーケン伯爵は
「子供がいたずらでしたことではないか。そんなに大事にすることはないだろう。それにロンドがいないと私が困る」
と彼を守ろうとしたらしい。
伯爵は武闘派で大らかな性格だったので、アニスのしたことを単なる悪ふざけだと思っていたようだった。
すると、それを聞いたアリス様は今度は夫を睨み付けて、
「それなら私が貴方と離縁して、息子と一緒に出て行きます」
と言い出したそうだ。
愛妻家の伯爵が慌てふためいて、必死に謝って妻を思い留まらせようとしたのは言うまでもない。
そして今度は彼まで執事と共に、私の両親に向かって床に額を付けて謝罪したのだという。
最終的に私の母がアリス様を宥めて、ガストン男爵は辞めずに済んだそうだ。
しかし、アニス嬢はその日以降、フォーケン伯爵邸の出入りを禁止されたのだ。
その出来事以来、フォーケン伯爵や邸で働く使用人達の私への態度ががらりと変わった。
私に何かしたら夫人の怒りを買うことになる。つまり、私は夫人のお気に入り、という認識が出来上がったようだ。
そしてそれからまもなくして、私とフリュードはあの契約を交わし、ネックレスを頂くことになったのだ。
アリス様はアニス嬢を嫌っていて、フリュードに近付けさせたくなかったのかもしれない。
でも、ネックレスが重い……と正直思うこともあった。それはもちろん重量のことではない。そのプレッシャーのことだ。
私が悶々していることに気付いた母がある日こう言った。
「貴女がアニスさんに怪我をさせられたあの時、アリス様があそこまで怒ったのは、たしかに貴女のためもあったわ。
けれど、ある意味フリュード様を守るためでもあったのよ」
私の怪我の治療は結構時間がかかった。
両手足は薔薇のトゲであちらこちらに傷が付き、そこから血が滴り落ちていた。
私はその治療を受けていたから知らなかったのだが、フリュードが怒り狂って、アニス嬢を殴りつけようとして大暴れしたそうだ。
だから彼を鎮めるために、アリス様が悪役になったのだそうだ。
「でもアリス様はね、自分の代わりにフリュード様を守って欲しいとか、貴女を縛り付けたくて契約を結ばせたのではないと思うのよ。
なぜならあの方は、大昔から何人も聖女を輩出された亡国の元公爵家の流れを引く、貴い家柄のご出身で、先見の能力を持っていらしたから。
もっともそれは身内限定のものだと笑っていらしたけれど」
先見の能力? 聖女?
それを聞いた時、私は素直にはそれを信じることができなかった。
たしかにここは元の世界とは違う異世界だとは分かっていたけれど、たまたま周りには魔力持ちがいなかったからだ。
そんな特殊能力は、大昔の絵本の中の話かと思っていたのだ。
ただし、その後続いた母の話を聞いて、もしかしたら本当かもしれないと感じた。
「アリス様は、私の上の二人のお産の日時や性別まで言い当てていたのよ。
でもその時はまだ半信半疑だったの。
でも、アリス様が初めて身ごもったとき、悪阻がとても酷かったから、私が毎日のようにお世話に行っていたのよ。
そしてようやく悪阻が治まってきた頃に、彼女が言ったのよ。
「いずれ私のお腹の子と、貴女のお腹の子は恋人同士になって、愛し合って、幸せな夫婦になるのよ」
その時、私はまだ自分が妊娠しているなんて気付いてはいなかったのに。
そのときにアリス様に封筒を渡されたの。子供が生まれた翌日に開封してねって。
絶句したわ。
だってそこには、前日夫が名付けてくれたばかりの貴女の名前が記載されてあったのだもの。
お祝いに来てくれたアリス様に、なぜ身内ではない私の出産まで分かったかと訊ねたの。
そうしたらアリス様から、私を身内同然に思っているからだと言われて、嬉しくて涙が出たわ。
私達は夫達とは違って純粋に友人として大切に思い合っているのがわかってね」
当時の私は気にもしなかったけれど、今考えると、父達とは違うというその言葉が意味深ね。
いくら幼なじみの親友だって、自分の家族よりも重きを置くなんてあり得ないもの。
それに親友を亡くしてからはその息子を、実の子よりも大切にしていたしね。
もっとも、今はその親友の子を悪人に仕立てて、家族から見捨てられないように足掻いているけれど。
「アリス様がフリュードを産んだのは、結婚して六年目のことだったわ。
愛妻家だったフロイド様は心臓の弱かった妻の体を心配して、元々養子を取るつもりだったみたいよ。
でも、アリス様がどうして子供が欲しいと望んだそうよ。
子供を産まなくても自分の寿命は変わらないとわかっていたのでしょうね。
それならば、限られた時間を夫と子供と共に暮らしたいと。
アリス様には、愛する夫と息子との短くても素晴らしい未来が見えていたのだと思うわ。
それに子供が生まれれば、夫の生きるよすがになるのではないかと考えたのでしょうね。
うちの旦那様とは違い、フォーケン伯爵様は妻一筋の人だったから」
そして母はこう続けた。
「アリス様はこうも言っていたわ。
フリュード様とルナシーが結ばれる未来は間違いない。けれどそこに至る道のりは厳しい。
二人を守ってあげたいけれど、私達夫婦にはにそれは難しいみたいなの。
だから、自分達の代わりに二人を守ってくれるものを贈りたかったのだとね。
それ以上は言わなかったけれど、きっと私達夫婦だけでは安心できなかったのかもね」
今思えばあの時、母は自分の命もそう長くないと薄々感じていたのかもしれない。
普通ならアリス様に信用されていないと捉えるだろうに、母は悲しんでいるようには思えなかったから。
フォーケン伯爵夫妻と自分が亡くなった後、自分の夫では娘達を守れない。そう母は感じていたのかもしれない。
だから、アリス様の先見の力のことをわざわざ私に話したのかもしれない。
「貴女達二人は必ず結ばれる運命なのだから、何も不安に思うことはないのよ。
でも、だからといって何の努力もしなかったら、結ばれたとしても幸せになるかどうかはわからないわ。
貴女がフリュード様との幸せな未来を築きたいのなら、お互いに努力しなくてはいけないのよ」
母のこの一言で私は逃げることではなく、挑むことに決めたのだ。
自分がどれだけフリュードに役に立つ、彼に相応しい人間になれるかを。
もし、将来私よりも彼にお似合いの女性が現れたとしても、努力を続けている限り、私が彼にとって不要な人間にはなることはないだろう。
私はそんな風に思って行動していたのだ。
彼の伴侶にはなれなくても、幼なじみとして友人としてならば、彼の近くにいることができるのではないかと。
父とフロイド=フォーケン伯爵のように、助け合って生きていくことが可能ではないか。
そうすれば、亡くなったアリス様もお空で安心するのではないかと。
異性との友人関係を続けることは難しいに違いない。でも節度を守った付き合いならば大丈夫じゃないかしらと思ったのだ。
やはり私はアリス様の先見の力を完全には信じ切れていなかったのだろう。
やっぱり自己肯定感が低かったのだろうな。
もし、私が母とアリス様のことを素直に信じて、必ずフリュードと結ばれるのだと盲目的に邁進していたら、この三年、フリュードとずっと手を取り合ってこられたのかな。
彼を一人で戦わせずに済んだのかな。
図々しいけれど、まだ間に合うのなら、この先の未来を一緒に進みたいと私は改めて思った。




