第3章 異世界転生
私は転生者だ。
ニッポンという小さな島国の地方都市に住む、なんの特徴も特技もない平凡な高校生だった。
名前は「瀧野瀬 陽菜乃」「たきのせ ひなの」よ。
ひらがなならどうということもない名前だったけれど、漢字にしたら六文字で画数も多くて面倒だったわ。
四文字想定だと思われる小さな氏名欄に納まらないことも度々あったし、記入するのにも時間がかった。
そのせいで、テストの答案用紙に名前を書く度にいつも焦ってイライラしたわ。
習字のとき半紙に小筆で名前を書くときに、場所探しが大変で、毎回頭を悩ませていたものだ。
親を恨んだわ。結婚する相手は、北さんとか西さん、林さんなんかがいいなって思っていたわね。
まあ、その難しい名前を書く練習のために習字を習い始めたのがきっかけで、習字だけは得意になったのだけれど。五段だった。
でも、体力に自信がなかったので、書道パフォーマンス大会を目指すようなタイプではなかった。
私は単に読みやすくて美しい文字を書くことが好きだったのだ。
高校三年生のとき、どこの協賛だったか忘れたが、書道コンクールに参加しろと書道部顧問の先生に命じられた。
そして提出した作品が、思いがけず特賞を取ってしまった。
この平凡な私が嘘でしょ!と思ったら、式典の帰りに歩道を普通に歩いていて、飛び込んできた暴走車にはねられてしまった……
おそらく、あのときそのまま死んでしまったのだろう。
十歳のある日、ふと目を覚ますと私はベッドの中にいて、色とりどりのカラフルな髪や瞳をした人物達に見下ろされていた。
「ルナシー、ようやく気が付いたのね。良かったわ」
「フリュード君が手を引っ張ってくれていなかったら、馬車にひかれるところだったんだぞ。感謝しなさい」
「転んだだけで頭も打っていないのに、なかなか目を覚まさないから心配したのよ」
「まったくだ。心配させやがって」
ん? ルナシー? それって、どこかで聞いたことがあるわ。
たしか叔母が若いころに夢中だったバンドかなんかのグループ名じゃなかったっけ?
あれ? 叔母って? 父や母には弟しかいない。しかもみんな独身で結婚していないから、義叔母なんてまだいないはずだけど。
あっ……
そんなことを考えていたら、ルナシーが自分の名前だと少し経ってから思い出した。
カラフルな容姿をした家族の会話を聞きながら、私はもう一つの家族を思い出した。やはりこんな風にカラフルで明るい両親と元気な兄が二人いたな。
あっちは毛染めやカラコンで色を付けていただけだったけれど。
私がいなくなった後も、元気でやってくれていたらいいな。
なんて考えていたら、右手に何か握りしめていたことに気付いて、それを持ち上げて絶句した。
私がしっかりと手に掴んでいたのは、書道コンクールの特賞の記念品の布製筆ケースだった。もちろん大中小の毛筆入りだ。
よりによってこんなもの、この異世界で何に使うの?
せめて万年筆とかシャープペンシル、サインペン、鉛筆だったらそれを参考にして生産できたのに。
この世界で売り出したら、きっとヒット間違いなしだったわ。
筆記具ではなくて、もっと文明の利器が良かったのに〜。なんて、あのときは心の中で叫んでしまったのよね。
制作者の方に申し訳ない。あんな高級品の筆だったのに。
混乱した頭の中でそんなどうでもいいことを考えていたら、一層キラキラと目の前が眩しくなって、意識が再び現世に戻った。
「ルナ、大丈夫?」
キラキラの正体は幼なじみのフリュードだった。
彼は隣の領地のフォーケン伯爵の一人息子で、明るい金髪に済んだ水色の瞳をした、私の初恋の男の子だ。
フリュードは誰よりも心配そうな顔をしていた。
「母上を亡くしてルナまで死んじゃったらどうしようかと思った……」
そんな呟きが耳に入ってきて、可哀そうなことをしてしまったと胸が苦しくなった。
前世の記憶を取り戻した私にとって、まだ十歳のフリュードは小さくて頼りなげな少年に見えたからだ。
その後暫くはついつい姉ぶって接してしまい、彼に鬱陶しがれていたわね。
母を亡くした後は対場が逆転して、彼に甘えるようになったけれど。
父は自領とフォーケン領の運営に超多忙で話をすることもできなかったし、兄達は王都の学園に入っていて近くにいなかったからだ。
もちろん姉替わりの侍女のオルガは側にいてくれたけれど。
そしてフロイド様が亡くなって一緒に暮らすようになってから一年後にあの告白をされたのだ。
本当に嬉しかった。でも、まるで夢みたいで現実だとは思えなかった。
たしかに平凡顔だった前世とは違って、この世界の私は一応美少女と呼ばれるような見目をしていた。少し吊り目気味で気の強そうな顔をしていたけれど。
とはいえ地味。
前世の記憶が蘇ったとき、家族やフリュードを見て思ったわ。
どうせ転生するのなら、髪と目の色がもっと明るい色だったら良かったなって。
両親の若い頃の写真を見て茶髪に憧れた。けれど、気弱で真面目を絵に描いたような私は勇気がなくて染められなかったのだ。
現世の家族は赤髪や緑髪に黄色髪。まるで信号機みたい。そして瞳の色も青目に緑眼、水色とカラフルで綺麗だった。
私に画力があったらこの家族をモデルにアニメ風のイラストを描きたかったくらいだ。
それなのに、なぜ自分だけがこんなに地味なのかしら。
フリュードと私なんて、見た目も頭の中もあまりにも段違いだったから、彼とは幼なじみポジションでいいのかもとも思っていた。
それなのに……天変地異のようなことが起きたのだ。
初恋だったのでもちろん嬉しさはあったのだが、何か胸騒ぎがした。
有り得ない幸運の後にはとてつもない不運が来るのではないかって。前世の記憶があったからなおさらだった。
ドレスの胸元に隠されたネックレスの石。
それをいつものように優しく触れながら、悪いことが何も起きませんようにと必死に祈ったわ。
それなのに、二年半前のあの日、その悪い予感は的中したのだ。
王立学園に入学する二月ほど前、元フォーケン伯爵家の屋敷の応接間で、私は婚約者を選択させられたのだ。
王家の使者やバルガーニ侯爵家、フリュード、そして家族が見つめる中で。
そして、私はバルガーニ侯爵令息のデビンを選んだのだ。
その直前まで当然幼なじみで初恋の相手であるフリュードを指名するつもりだったのに。
あの運命の日を思い返していた私は、ネックレスを握りしめながら、徐にデビンの方に顔を向けてこう訊ねた。
「バルガーニ侯爵令息様、なぜ今日、この場所でこのお話をなさったのでしょう? 我が伯爵邸ではなくて」
「それはもちろん君と静かに落ち着いて話をしたかったからだよ。
伯爵や君の兄上達がいる場で話をしたら皆さんが興奮して、自分の言いたいことを最後まで語れないと思ったから。
まあここでだって、君の護衛と侍女が今にも喚き出しそうだけれどね。
とりあえず君に理解してもらってからの方がスムーズに事が進むと思ったのだ。
それに君だって、嫉妬に狂って、僕に縋り付く姿を家族には見せたくないだろうと思ったのさ。これは僕の思いやり、優しさだよ」
それを聞いた私は思わず顔を背けて、こっそりと噴き出した。
冷静過ぎる今の私の状態を見て、なぜ私が嫉妬に狂うと思えるのかしら?
目が腐っているの? ここまで自惚れが強いと呆れるわ。まるで何も見えていないのね。
「そうですか。でもそれは無用な配慮でしたわね。私、貴方様に縋り付いたりするわけがないのに」
「君は相変わらず素直じゃないね。そんな屈折したところも少しは面白いと思っていたけれど、最後くらい素直になったらどうだい?
君は僕を好きで、本当は別れたくないのだろう? 何しろ君が僕にプロポーズしてきたのだから」
デビンがニヤニヤしながら気分よさげにこう言った。
扉の側に控えていた侍女のオルガと護衛のゾイドが怒りの表情をしているのが分かった。
彼らの溜飲を下げるためにも、少しだけ反論しておこうかしら。
本番は後のお楽しみに取っておくとしても。




