第23章 苦いコーヒー
「相変わらず仕事が早いね。もう作業を終えたんだね」
「おはようございます。そして、コーヒーをありがとうございます」
私は挨拶とお礼を言ってからマグカップを受け取った。
生徒会室には小さなキッチンと給湯器が設置されていて、いつでも温かな飲み物が飲めるようになっている。
だから男女や身分など関係なく各自勝手にコーヒーやお茶を淹れて飲んでいるのだ。
私は一口コーヒーを飲んで、ほっとした気持ちになった。
そしてもっと頑張ろうという気になれた。だから私は言った。
「作業は終わってなんかいないわ。まだ四つの言語の文字を書き込んだ見本がとりあえず出来上がったところなのだから。
あと二つの言語を加えるつもりだから、後でまた調整し直しをしないといけないし。
そして出来上がったら、それを国中に貼る分作なくちゃいけないのよ。むしろこれからが本番よ」
すると、フリルが不思議そうな顔をした。
そうだった。彼にはまだこの作戦について伝えてはいなかったのだ。
ルドルフ先輩はフリルにならば、転生の話をしてもいいと言っていた。彼はそれほどこの後輩を信用しているのだ。
もちろん私もだわ。でも、それでもかなり勇気がいるわね。
私は二、三度大きく深呼吸してから、自分が転生者であることをフリルに告げた。
そして昨日のルドルフ先輩やノルディン卿と交わした内容についても。
しばらくの間フリルは茫然自失状態に陥っていた。まあ当然よね。
しかしやがて彼は徐に私の書いたポスターを手に取って、それをしみじみと眺めた後でこう言った。
「いくらなんでも、書き込み過ぎじゃないかな。
一枚のポスターには母国語を含めて多くても三言語くらいにしないと、情報過多になって内容を理解できないと思うよ。
三通りのポスターを作った方が無難じゃないかな」
「でもそれだとかなりの紙が必要になるでしょう?」
「必要経費なのだからしかたないよ。それにポスターは再利用するから気にしなくても大丈夫だと思うよ。
そして見本が出来上がれば、君の分担は一旦終わりだよ。
次はそれを元に印刷して、各地に転送して、掲示板に貼ってもらう。
君は一休みして、演説の内容でも考えおいて」
「この国には印刷技術があるの?」
喫驚した私が思わず声を上げると、彼はますます呆れたようにこう言った。
「何を言っているんだ。あるに決まっているだろう? 君が普段使っている教科書が手書きだとでも思っていたのかい?」
「いえ、凸版印刷技術があることくらいわかっています。
そうではなくて、この国の文字だけでなくて、絵やデザイン文字まで印刷する技術があったとは思わなかっただけで」
私がそう言うと、彼はああ、そのことかと納得したようだった。
しかしその先に続いた説明に私は再び喫驚し、そんな作業はさせられませんと叫んでしまった。
だって、この世界にはまだ単に文字を判子のように印刷する凸版印刷の技術はあっても、やはりオフセット印刷の技術はまだないという。
それではまるで絵やデザインのようなこのポスターを一体どうやって印刷するのかといえば、「転写」魔法を持つ者に依頼するというではないか!
「ねえ、一度の魔法で何枚くらいの転写ができるのかしら?」
「その人の力によると思うけれど、王城に勤めている優秀な人物なら、かなりの枚数だと思うよ。
この国の主な市町村分くらいなら、問題なくこなせるんじゃないかな」
「でも、三種類のポスターを転写するとしたら、少なく見積もっても三度も魔法を使うことになるのでしょう?
でも、魔法を使うと堪えられないような激痛が走るのよね? しかも高度な魔法ほど痛みは大きいはずだわ。
転写のような高度な魔法を複数使ったら、ショック死してしまうかもしれないわ」
私がこう反対すると、フリルは平然とこう返した。
「たしかに魔法を行使すると体中に激痛が走るが、それで死ぬことはないよ。
それに今回「転写」魔法を使う皆達は、魔力量がかなり多い方々だ。
自ら進んで名乗り上げたのだから、君が心配することはないよ」
そのフリルの物言いに違和感を覚えた私は、こう訊ねた。
「その言い方だと、あなたも魔法を使ったことがあるように聞こえるわ。あなたも魔力持ちなの?」
「そうだよ。俺はこれまで何度も何度も魔法を使ってきたよ。
その度にたしかに激痛が走ったけれど、そんなのは僕の大切な人が味わっている苦しみに比べたら大したことじゃない。
そしてその人を守るためなら、これからも何度だって魔法を使うつもりだ。
今回「転写」や「転送」スキルを行使してくれる者達も、俺と同様の覚悟を持っているから、君の心配は無用だよ。
それにそもそも「転写」や「転送」魔法持ちって案外多くてね、一人の人間が請け負うわけじゃないんだ。
しかも同じ内容のものだったら、一度の発動で何枚だって転写できる。だから安心して」
そう……だったのか。
これまで知らなかった真実の数々に衝撃を受けた。
一人の人に負担が掛からないというのなら本当に良かったわ。
ポスターをどうやって全国に貼ろうかと正直悩んでいたから、魔力持ちの人に転送してもらえると聞けたことにもほっとした。
魔力持ちの人達は国を良くする覚悟を持って助けてくれるのだと聞いて、失礼な心配をしてしまったと反省した。
同じ魔法認定指導員でも、やはり魔力を実際に持っている者と、魔力無しでは大きな違いがあることを、改めて思い知らされた。
けれど、その中でも一番ショックだったのは、激しい痛みを伴いながらも何度もそれを酷使してまで、彼には守るべき大切な人がいたという事実だった。
心がぎゅっと締め付けられるような思いがした。
フリルはいつも私の側にいてくれて、無表情ながらいつも助けてくれた。
だから、もしかして自分に好意を持ってくれているのかと、心の奥底では思っていたのかもしれないわ。
無意識に考えないようにしていたけれど。
私はなんて図々しくて恥ずかしい人間なのだろう。
フリュードのことを一生思い続けるつもりでいたのに、いつの間にかフリルのことも好きだったみたい。
私って最低の二股女だったのね。結局噂通りの悪女じゃないの。
没落した幼なじみを捨てて、あっさり侯爵令息に乗り換えた冷酷で計算高い伯爵令嬢。
でも実際は数か月後にはさっさと解除されてしまうほど、魅力も何も無い惨めな伯爵令嬢。
しかも最後はその幼なじみには復讐され、少し親切されたら勘違いして将来有望な友人に好意を持ってしまった、残念な伯爵令嬢。
フリルのいつもの無表情の顔から視線を外し、空になったマグカップを見つめた。
一口目はほっとさせてくれたのに、飲み終えてみるとただ苦味だけが残ったコーヒーだった。




