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前編

ごく平凡な少女セナはオスロの街の冒険者ギルドの洗濯室で働いていた。この世界ではアリステアと言う神から7歳になるとスキルを授けられる。セナはごくありふれた生活スキルである「洗濯」を授かっていた。

日々、穏やかに過ごす日常の中で、セナの能力は目立たないが、人並み外れた洗濯スキルは、ギルドの仲間たちや弟のノアの信頼を集めていた。

そんなセナがある日出会ったのが王都から派遣された神官シェルであった。彼に乞われたのは「あなたの洗濯スキルでこの世界を救ってください」という突拍子もないものだった。

 これは、ごく平凡な少女が世界を守る物語。

 

 今日も良い天気。

 風も強くなくて、日差しもあって、洗濯日和だ。

「セナー、そっち終わった?」

「うん、終わったよー。次は?」

 風にはためく洗濯物を満足げに見上げて、セナは同じ洗濯仲間で友人のユーリに応える。

 ユーリは2年ほど前に、王都の冒険者ギルドの紹介でこの街にやってきたここオスロの街の冒険者ギルドの洗濯室の職員だ。

「あとは、籠手がいくつかかなぁ」

「じゃあ、それは私がやるから、ユーリは自分の分終わらせちゃって」

「うん、そうする。いつもありがとう、セナ」

「まあ洗濯スキル持ちの使いどころだから」

 この世界では、7歳になるとスキルを神から授かる。それは一人につき1つが基本だが、たまに2つスキルを授かるものもいる。スキルは多種多様なため、どう役立つかは使い方次第だ。何より、どんなスキルであっても使わないと能力が寂れていく。

 セナは7歳の時、洗濯スキルを授かった。

 洗濯スキルはありふれた生活スキルで、授かる者も比較的多かった。

 生活に役立つスキルだとセナは喜んだが、2つ下の弟のノアは、大好きな姉の授かったスキルの地味さにがっかりしたものだ。

 どうせなら、冒険者向きのスキルが良かったのに、という弟にセナは「洗濯だって大事な生活スキルよ。それに洗濯スキルは、付与スキルがいくつかあるでしょう?私、それを全部使えるようになって、大きくなったら冒険者ギルドの洗濯室にお勤めしようと思うの」と言うと、弟のノアは「じゃあ、俺が将来冒険者になったら姉ちゃんに洗濯してもらおうかな」と笑った。そして、7歳になったノアに授けられたのは、冒険者に必須な索敵スキルと防御スキルだった。久しぶりに2つのスキル持ちが出たと、しばらく街は騒ぎになったものだ。

 攻撃に関しては鍛錬が必要だが防御と索敵に特化したスキルは冒険者向きで、10歳まで自己鍛錬を頑張ったノアは、2つの授けられたスキルを使いこなせるようになり、この街オスロの冒険者ギルドに登録し先輩冒険者に教えを乞うて、一人前の冒険者へ育っていくのだった。



 皮の籠手の洗濯を終わらせ陰干しすると、セナは今日はノアが護衛任務から帰ってくる予定の日だと思い出し、晩御飯はノアの好きなものを作ってあげようと決めた。着ていた服や防具も汚れているだろうから、しっかり洗ってあげなくては。

 洗濯スキルだって役に立つ。

 素材ごとにどう洗濯するのがいいのか見ただけでわかるし、洗濯スキル持ちが持つ洗濯に関するスキルを洗濯物に付与すると防御力が上がったり、汚れにくくなったり、穢れをはじいたりする。特に、洗濯スキルに確認されている付与スキルは防御や穢れ払いに特化したものが多く、それらをすべて使えるセナの洗濯技術はギルドでは重宝されていた。セナが洗濯すると通常以上に防御力が上がってるとまことしやかに冒険者の間ではささやかれるほどに。

「セナー、ノアが帰ってきたわよ」

 セナを洗濯場のある裏庭まで呼びに来てくれたのは、ギルド受付嬢のミリヤだ。

「ありがとう、ミリヤ。すぐ行くわ」

 洗濯かごをパントリーに片づけて、ギルドの受付に向かうと、何だかすごくにぎやかだ。

 その中心にいる一人が弟のノアだったので、何かやらかしたのかと思わず身構えてしまったが、どうもそんな様子ではない。

「あ、姉ちゃん!」

 先にノアに見つけられ、セナはゆっくりとノアに歩み寄る。16歳になったノアはずいぶん背も高くなって、そろそろ追い越されそうだ。

「ノア、おかえり。お疲れ様」

「ただいま!なあ、聞いてくれよ、姉ちゃん。姉ちゃんが洗濯したこれ着てたら、魔獣の爪を跳ね返したんだぜ!」

「え?」

 胸を張ったノアが着ていたのは、護衛任務に行く前の夜にノアに渡したごくありふれた冒険者用のマントを含めた軽装だ。

 ノアは防御職でもあるので、金属製の鎧を必須とする前衛職よりも索敵にも向いた軽装の恰好のほうが動きやすいとのことで、通気性のいいジャケットと服とパンツ、レザーマントに皮の籠手くらいしか身に着けていない。動きやすい半面、防御力は弱いので、防御スキルがあっても、圧倒的な力押しには勝てないという弱点がある。

「跳ね返したってどういうこと?」

「それは俺が説明するよ、セナ」

 手を挙げたのは、ノアと一緒に護衛任務に就いていた冒険者のカインだ。

「カイン」

 カインはこのギルドでも古株の冒険者で、何かやらかして、王都から流れてきた冒険者だとうわさされているが、所詮噂は噂だ。セナから見たら、カインは気が良く面倒見も良いこのギルドでは皆の兄貴分のような頼りになる人だった。弓スキル持ちで、いつも左の手首に古いバンダナを巻いていて、たまにセナは洗濯してほしいとお願いされている。バンダナは古いが、とても良いもので、カインの大切なものだとわかるから、セナはカインにバンダナの洗濯を頼まれることがうれしかった。

「帰り道のオスロ山の峠で、ルーンベアが出たんだ」

「ルーンベア!?それはまたレアな魔獣が出たのね……」

 ルーンベアは、爪に攻撃魔法を宿すことができる魔獣だ。めったに出没する魔獣ではなく、セナも話でしか聞いたことはない。

「どうやら、オスロ山の遺跡の近くに生息してたらしい。すぐに全員逃げるように指示を出したんだが、ルーンベアの動きのほうが早かった。後方にいたノア目掛けてフレイムの爪で襲い掛かったんだ」

「俺もあわてて防御スキルを展開したんだけど、あいつの爪のほうが早くてさ。もうだめだ、って思った時、服が光って、俺たちの前に壁を作ったんだ」

「壁?」

「ああ、俺も見てたけど、ノアの服に紋章みたいなものが浮かんで、そこから光があふれて、ノアだけじゃなく、俺たち全員を包んだんだ。ルーンベアのフレイムの爪はその光に弾かれて、あいつは逃げていったから、俺たちは全員無事で戻ってこられた」

「……やっぱりセナにはアリステア様の祝福があるんだ」

「だな、セナが洗濯した服を着てると俊敏性も上がった感じするし、防御力も上がってるのわかるもんな」

 周りからそんな声があがって、ノアは嬉しそうにセナの手を取った。

「ありがとう、姉ちゃん。おかげで、俺もみんなも無事に帰ってこられたよ」

「私の洗濯スキルはごく普通のものよ。そんな特別な付与効果はないはずだわ。ノアの防御スキルが一気に強くなったんじゃない?」

「俺のスキルはまだそこまで強くないよ。絶対姉ちゃんの洗濯の力だって」

 ノアが頬を紅潮させて主張していると、二階からギルドマスターのモーリが降りてきた。

 今日も眠そうにあくびをしている。

「なんだなんだ、おまえら仕事が終わったのなら、依頼完了の報告をしてさっさと帰れよー」

 モーリの言葉で、場は散会となった。

「カイン、ノア、依頼完了の報告が終わったら、上の俺の部屋に来てルーンベアの報告を頼むぞ」

「わかりました」

 受付に向かうカインとノアにセナが声をかける。

「ノア。今日は晩御飯何がいい?無事に仕事が終わったお祝いに、ノアの好きなもの作るわ」

「やった!じゃあ、肉!」

「わかりやすいわね、いいわよ。あ、カインも晩御飯一緒にどう?」

「俺もいいのか?」

「ええ、もちろん。食事は人数が多いほうが楽しいから」

「じゃあ、お邪魔しようかな。だったら、これ、セナに」

 カインが手持ちのバッグから出したのは、ブラッディラビットの肉だった。

 凶暴な小型の魔物だが、群れでなければさして手こずる相手でもないし、何より肉がうまいと評判の魔物だった。

「ノアがこれ野営で食べて気にいったみたいだから、あとで渡そうと思ってたんだ。よかったら晩飯に使ってくれ」

「やった、それ、めっちゃ美味かったんだよなー。ありがとう、カイン」

 冒険者になりたての頃は、いろいろ教えてもらっているのもあってノアはカインのことを「カインさん」と呼んでいたが、カインが「同じ冒険者同士なんだからさん付けはやめてくれ」とノアに言ってからは、カイン、とセナもノアも呼ぶようになっていた。

 ノアが先にカインにお礼を言ってしまったため、セナは出遅れたが、ありがたく受け取り礼を言う。

「それじゃ、あとでノアと一緒に行くよ」

 今日はセナも自分の仕事は終わっている。

 市場に行って晩御飯の材料を調達してこようと、その日はセナもギルドを後にした。



 夕方の市場は人が多い。

 いったことはないが、王都の市場は、もっとにぎわっていて広いのだろうな、などとセナは考える。

 ここは王国の一地方に過ぎないが、人も多く、商人も集まり、ギルドもいくつか王都の支所があるくらいには栄えてる。領主の子爵は人が好く、領民にも好かれているので、平和な街だ。セナはこの町で生まれ育ってきたが、ノアが12歳、セナが14歳の時、両親は相次いで病気で亡くなった。

 幸い、洗濯スキルを買われたセナが冒険者ギルドで雇われたため、生活はどうにかなった。ノアも冒険者として登録し、街の清掃や周囲の森での薬草採取など小さな仕事から始めて、自分の防御スキルと回復スキルを育てて、今では護衛任務をこなせるくらいの一端の冒険者だ。

「お、セナちゃん、今日は仕事終わりかい?」

 市場の入り口近くの野菜を取り扱う露店の顔見知りの店主が、店の前で立ち止まったセナに声をかけてくる。

「おじさん。うん、今日は終わり。今日、ノアも帰ってきたから、晩御飯奮発しようと思って買い物に来たの。おすすめある?」

「なら、これはどうだ?ボリュームもあるし、ノアのやつ、好きだろ?」

 店主が差し出してきたのは、子供の頭くらいの大きさのドカボチャだ。甘くてボリュームもあるので、ノアもセナも大好きだ。

「じゃあそれください。半分にだけ切ってもらえます?」

「お安い御用だ。ちょっと待ってな」

 露店の奥にドカボチャを持って行った店主が鉈を振り下ろして、大きなドカボチャを真っ二つにして、セナの籠に入れてくれる。

「ありがとう。あと、これもください」

 店先にあった大きめのオニオールを3つ合わせて買うと、パンの露店に寄った。夕方なので、そこそこ焼きたてがそろっていた。

 セナはその露店でパンを買うと、さて帰るかと踵を返したところで誰かとぶつかって、尻もちをついた。

「いたたた……」

「申し訳ありません。大丈夫ですか、お嬢さん」

 手を伸ばされ、受け取って立ち上がると、そこには初めて見る神官服を着た人が立っていた。

「ああ、ちょうどよい。あなたはこの町の冒険者ギルドの職員の方ですね?私に冒険者ギルドの場所を教えていただけませんか?初めてオスロの街に来たもので不案内でして……」

 きれいな人だった。神官ということは男性なのだろうが、とてもたたずまいがきれいな人で、一瞬見とれたが、我に返って声を返す。

「あの、どうして私が冒険者ギルド職員だと……?」

「胸のギルドバッチはギルド職員の身分証でしょう?」

 セナの胸には、冒険者ギルド職員の証である、星形のバッチが光っていた。

「ああ、これで……。はい、たしかに私は冒険者ギルドの職員です。あの、あなたは?」

「私は王都の神殿から来ました、シェル=マナスと申します。身分証明が必要でしょうか?」

「いえ。神官様を騙るのは大罪になることはこの国の者なら誰でも知っています。それにその肩掛け……サーレムの色が紫なのは、王都の神殿でしか賜れないと聞いています」

「あなたはよく勉強なさっているんですね」

 微笑んだシェルの笑顔がとても美しくて、こんな美人に生まれて初めて会ったセナは褒められて少しうれしくなった。

「弟が冒険者をしているもので、王都の神殿でスキルを授かったんです。その時に私も一緒についていったので」

 7歳で授かるスキルは、基本、地元の神殿で授かるのだが、ノアは防御スキルを授かった後に街の神官に「ノアには隠されたスキルがもう一つあると神託があった。ここでは一つのスキルしか授けることができない。二つ目のスキルを授かるために、王都の神殿に行ってみなさい」と言われ、家族で王都に行った。あれが最初で最後の家族旅行だった。

「では、冒険者ギルドにご案内します」

 セナはシェルを案内して、冒険者ギルドに連れて行った。もうノアもカインもいなかったので、急いで帰らなければ、とシェルに頭を下げる。

「あちらの受付で、話はできると思います。すみません、もう私帰らないと。失礼します」

「ご案内ありがとうございました、お名前をまだうかがっていませんでしたね。教えていただけますか?」

「私は、セナ=ロアードと言います。この冒険者ギルドの洗濯室で仕事をしてます」

「そうですか。セナさん、ありがとうございました、助かりました」

 シェルからの礼の言葉がとても優しく感じられて、セナは良い気分で帰宅すると、待っていたカインとノアのためにドカボチャとブラッディラビットのシチューを作るのだった。



 翌日ギルドに出勤すると、モーリに呼ばれてセナは二階のギルドマスターの部屋の扉をノックした。

「セナです、ギルドマスター」

「おー、おはよう、セナ。入ってきてくれ」

 部屋に入ると、応接ソファにシェルが座っていた。

「昨日はありがとうございました、セナさん」

「シェルさん、おはようございます。いえ、お役に立ててよかったです」

「セナ、マナス神官の前に座ってくれ」

「え?」

「大事な話があるんだ」

 言われるままシェルの目の前に座ると、シェルがセナに一枚の紙を差し出す。

「セナさん、この魔法紋に触れてみてくれますか?」

「……は、はい……」

 紙に描かれた魔法紋は見覚えがある。

 以前王都の神殿で、ノアがスキルを授かるときに使った石板に刻まれていたものだ。

 恐る恐る魔法紋に触れると、紙からゆらりとした光が立ち上った。

「はい、ありがとうございました、セナさん」

「セナ。おまえのスキルについて、マナス神官からお話がある」

「……はぁ」

 居住まいを正すと、シェルがセナの前に報告書を出した。

「オスロの山の峠にルーンベアが出現したという話はご存じですよね?」

「はい。うちの弟が護衛任務帰りに出くわしたと話してくれました」

 夕べ、夕食の時ももっぱら話はそのことで、初めてA級の魔物に遭遇したノアは興奮しきりだった。あれを仕留められていたら、ランクアップは間違いなしだったのに、というノアを、カインが諫めていた。

「ノア。あれから逃げられたのは運が良かったんだ。俺たちのレベルじゃ、まだあれには負ける」

「そうかもしれないけど、あの爪を跳ね返せたんだから、追い込んだら勝てるでしょ?」

「追い込んだら、な。あのとんでもない防御力が常に発動するとは限らない。普通なら、あの爪の先に掠られただけでも人間は死ぬぞ」

 カインのもっともな言葉に、少しだけノアはむくれたが、間違ってはいないので納得するしかなかった。

「それで、ルーンベアが何か?」

「王都の神殿に信託が降りたそうだ」

「信託?」

「はい。黒い霧を纏う獣が現れると。おそらくルーンベアの出現はその予兆なのだと我々は結論付けました」

 この国では信託は絶対だ。王すら、信託によって決まるのだから。

「そこで私は、過去の記録を色々と調べました。それで判明したのは、黒い霧の獣は過去にも現れ、人々に災厄をもたらしたというものでした。その時は、神の加護のスキルを持つ方のおかげで、封印し、退けることができたと記録されていました」

「で、だ。セナ。おまえの洗濯した服から紋章が光り輝いて、ルーンベアの攻撃を防いだという報告をマナス神官にお話ししたら、ぜひおまえと話しがしたいと言われたから、こんな朝早くに来てもらったんだ、すまない」

「今、あなたが触れたこの紙の魔法紋は隠されたスキルを探るためのものです。セナさん、あなたのスキルはただの洗濯スキルではありません。何かがもう一つ隠されています」

「え……?」

「私は王都の神殿で、スキル探求の部署で働いています。今回の神託で、国内の色々なギルドから情報を集めていたところ、セナさんの洗濯した防具の防御力の上がり方が通常より遥かに勝っているといろいろな情報をもとに判断しました。それでこちらへ来たところ、ギルマスからルーンベアを撃退した話を伺い、あなたと話してみようと呼んでもらったのです」

 シェルの言葉にセナの理解は追い付かない。

「わ、私の洗濯スキルはごく平凡な生活スキルで……」

「洗濯スキル自体は確かにありふれたスキルです。ですが、神にいただいたスキルには持ち主との相性というものがあります。その相性次第では、どんどんとよくなっていくものなのですよ。実際、あなたの洗濯した籠手を見せてもらいましたが、通常の籠手であれば、攻撃魔法一つで壊れて当たり前なのに、10回攻撃魔法を加えても、かすり傷くらいしかつかなかったんです。これはありふれた、とは言わないものです」

 シェルの断言に、セナはもう言葉を返せなくなる。

(私のスキルにまだ何かあるの……?それが使えれば、ノアを守ることができる……?)

 セナにとって、最も大事なのは弟のノアだった。たった一人の家族を守るためなら、隠されたスキルについて知ったほうが良いのかもしれない。

「……シェルさん、私はどうしたらよいですか?」

「一度一緒に王都に来てほしいんです。今ここでは、セナさんの隠されたスキルの詳細は分かりません。王都のスキル鑑定盤を使えば、あなたの隠されたスキルの正体がわかるはずです。それが神託の黒い霧を纏う獣に対抗する手段になるならばご協力をお願いしたいのです」

 目の前で頭を下げるシェルに、セナは決めた。

 自分にできることがあるなら、それがこの街を、みんなを、ノアを守るために必要なことならやらないわけにはいかないと。




「と、いうわけで、王都に行くことになったの」

 ギルドに来たノアとカインに、王都までセナとシェルの護衛をお願いしたいとモーリから依頼され、突然の依頼にどういうことだと二人がモーリに詰め寄ったが、シェルの言葉とセナの決意に二人とも「わかった」と返すしかなかった。

 カインは少し複雑な表情をしていたが、ノアは姉の護衛任務に張り切っている。

「では出発は明日の朝、七つ鐘が鳴るころに、街の入り口で待ち合わせということで」

 今日は出発の準備で一日つぶれそうだ。

 セナとノアは家に帰り、旅支度をする。王都までは馬車を使って10日かかるが、途中の街で乗合馬車を乗り換えれば、もう少し早くつくはずだとカインが教えてくれた。ミリヤが「ギルマスがこれを貸してやれって」とセナに渡してくれたのは冒険者なら誰でも欲しい拡張バッグだった。

「旅に行くなら必要でしょう?あとはこちらで準備できるポーションとかは揃えておくから、セナは洗濯室から野営用のテントとか毛布とか出してきてね。セナが洗濯したもののほうが良いわ」

「わかった。ありがとう、ミリヤ」

「どういたしまして。王都の土産話、待ってるわ」

 セナは洗濯室へ行くと、洗濯済みの中から野営用のテントと毛布と着替えと防具を出して拡張バッグにしまう。それからギルドから提供されたポーションもしまうと家に帰り、ノアの支度を手伝った。拡張バッグにしまえるものはしまい、ノアには新しく作った洗濯済みのマントと籠手とブーツを出してやった。

「これ、全部新しいやつじゃん?いいの?」

「いいのよ。元々、ノアのために作ったんだし、本当はもっと早く渡すつもりだったし」

「ふーん。あーでもこれ軽いなぁ。助かるよ」

「シルフフェザーのマントとブーツだもの。軽くて丈夫だし、街の神殿で、籠手には防御強化の付与もしてもらってるから」

「え、それ、めっちゃ高くついたんじゃ……」

「命を守るためのものに出し惜しみはするものじゃないわ。何よりノアの命を守るためのものなんだから」

「……ありがとう、姉ちゃん」

 はにかんだように笑ったノアがセナに礼を言い、二人して旅支度を終わらせ、翌日の朝、街から乗合馬車が出る大門で待ち合わせた四人は王都に向かって出発した。

 


 途中の街で乗合馬車を乗り換え、8日かけて四人は王都に到着した。途中、小さな魔獣の襲撃は何度かあったが、カインとノアがしっかり狩って素材にしてしまい、拡張バッグの中には魔物の素材があふれていた。

「王都の冒険者ギルドで買取してもらうか。ただこっちのギルドの相場がわかんねぇな」

「だね。カインさん、王都の冒険者ギルドに知り合いは?」

「昔はいたけど、今はどうだかなぁ……」

「なら、私が一緒に参りましょう。私が一緒なら、非道な値打ちをつけられることもないでしょうから」

 シェルが申し出てくれたおかげで、王都の冒険者ギルドでの素材買取も問題なく終わった。

 神殿には先にシェルが戻り、この後のことを神殿上層部と相談することになり、三人は冒険者ギルドが斡旋してくれた宿で休むことになった。

 宿の食堂でお茶をしていると、神殿から使いが着て、明日の朝、三人で神殿のシェルのもとを訪ねることが決まり、神殿の門を通るために必要な割符を渡された。

「これを持っていけばいいわけね。宿は、ノアとカインが同室で、私は一人部屋かぁ……。ねえ二人とも、こっちの部屋で一緒に寝ない?雑魚寝も楽しいよ」

「セナ、おまえなぁ……ノアは弟だからともかく、俺は他人の男だぞ。できるか」

「でも一緒に野営してたじゃない」

「野営は仕事中だろ」

「今だって仕事中じゃない。カインとノアは私とシェルさんの護衛でしょ?」

 屁理屈だ、とカインは言いたかったが、頼みの綱のノアまで姉の味方に付いてしまった。

「カイン、俺も姉ちゃんも気にしないし、何より俺たちは護衛じゃん。護衛対象の近くにいるのが基本だろ」

 と、あっけらかんと言うものだから、この姉弟は本当に……とカインは頭を抱えた。

 カインはセナを好ましく思っていた。

 初めて会った時から世話になっているし、彼女の自分にできることを頑張っている姿はとても良いものだし、いつも笑顔で料理も上手で、ひそかにオスロの冒険者たちの間ではセナを射止めるのは誰か、などという話もあるのだ。

「明日は朝から神殿に行かなくちゃだし、今夜は王都のおいしいお店で晩御飯にしようよ。幸い、素材換金で潤ってるし」

「ノア。それはオスロに帰ってから報告必須のお金だってことを忘れちゃだめよ」

「わかってるって。でもこうやって姉ちゃんやカインと三人で王都に来るの初めてだし、思い出においしい晩御飯って良くない?」

「まあそれには俺も賛成だ。俺の知ってる店でよければ案内するぞ」

 カインの言葉に、セナも同意を示し、三人で向ったのはカインおすすめの王都近郊でしか作られていない小麦を使ったミルクパンが美味しいシチュー専門店だった。ノアもセナもシチューが大好物なことを知っているカインだからこそのチョイスだ。

 軽く酒も飲み、ほろ酔い気分で宿に戻ると、結局セナとノアの押しに負けて、三人でセナの部屋で寝ることになってしまった。カインはソファで、広めのベッドにはセナとノアが並んで寝ることになり、どうしてこうなった、俺が二人の押しに負けたからだ、とセルフ突っ込みをしながらソファで丸まって寝ることになったカインだった。



 翌朝、宿から神殿までは歩いてすぐだったのもあり、しっかり宿で朝ご飯を食べてから三人で神殿に向かった。

 入口ではシェルが待ってくれていて、案内されたのは、神殿の最奥のシェルの仕事部屋だった。

「ここは私の仕事部屋です。座って楽にしていてください」

 すすめられるままソファに座った三人は、シェルが出してきた両手で持てるくらいの大きさの石板を前に息をのむ。

「これはスキル鑑定用の石板です。もう一度説明しますが、セナさんには通常の洗濯スキルに加え、まだ何か隠されているスキルがあると判明したので、それが何なのかを鑑定したいと思います。弟のノアくんも2つスキルを顕現していますから、セナさんももう1つあっても不思議ではないですね」

 セナは自分の洗濯スキルを大切に思っていた。冒険者たちを、ノアを守るためのささやかな手助けができる力を持っていることが誇らしく嬉しかったのだ。だからこそいつも丁寧な洗濯を心掛けてきたし、手を抜いたことはない。そんな自分にもう1つ、ノアを守れるスキルがあるのならうれしいことだ。

「セナさん、石板に両手を置いてください」

「はい」

 シェルに促されるまま、石板の上に両手をのせると、ゆらりと指の間から光が立ち上った。

 (何だろう、何だか体の奥で高まってくるものがある……)

 心臓が熱くなるような不思議な感覚にセナは思わず息を止めた。


 ピシッ!


 光が立ち上ったかと思うと、石板にヒビが入り、驚いたセナの掌の下で、石板が真ん中から2つに割れてしまった。

「え?あ?私、壊しちゃった?」

「いえ、違います。石板のほうが、セナさんのスキル魔力を受け止めきれなかったのですよ。予想はしてましたが、これほどとは……」

 シェルが「手を放してください。欠片でけがをしたら大変です」とセナの手を石板から外すように言うと、ノアがセナの手を取って外してやった。

「姉ちゃん、大丈夫?」

「うん、大丈夫よ。ありがとう、ノア」

「やはりこれではだめでしたか……。セナさん、申し訳ありません、神殿のほうへきていただけますか?」

「は、はい……」

 シェルに先導され、セナ、ノア、カインの三人は神殿へと向かった。そこにはかつて、ノアが2つ目のスキルを授かった石板があった。

「こちらに触れてみてください」

「ま、また壊れたら……」

「こちらは大丈夫ですよ、これは2つ以上のスキルを持つ者のための鑑定盤なので」

 シェルに言われ、セナは石板に触れた。

 淡い光が石板からあふれ、セナを包み込んでいく。

 そして次の瞬間。

『洗濯スキル上位、魔障浄化を織るものと認めます』

 という声が響いた。

 全員が息をのんで、光に包まれたセナを見つめる。

「今の声……何……?」

 ノアの疑問に、シェルが答えをくれる。

「アリステア様のお声で間違いないでしょう。私も初めて聞きます」

「アリステア様って、加護を授けてくれる神様……!」

「そうです。神託の時でさえ、お声ではなく、石板にお言葉を刻まれます。セナさんのスキル名は魔障浄化を織るもの、とおっしゃいました。それは遠い昔、たった一人だけ持っていたと記録されているスキルです。黒い霧を纏う魔獣が現れた時、その浄化の力で魔獣を封印し、世界を守った加護者です」

 シェルは感動に震えた。

 ある程度予想はしていたが、仕える神の声を聴き、神の選んだ加護の持ち主を見つけることができた。だからこそこの先の危機が現実になるのだと気を引き締める。

「セナさん。この先は私ではなく、教皇とお話をしていただくことになります。ノアくん、カインさんももう関係者です。ぜひご一緒に」

 三人で顔を見合わせ、シェルにしっかりと頷いた。



 教皇イスティダールは突然もたらされた神託に頭を抱えた後、神殿に集まる王国各地の言い伝えや冒険者たちの話を集め、神殿の神官たちを各地に派遣した。その中で1つ上がってきた情報が、かつて黒い霧を纏う獣を封印したというオスロの遺跡に近い街で、ルーンベアが現れ護衛任務帰りの冒険者たちを襲ったが、その際防御スキル持ちの冒険者の服が輝きルーンベアから全員を守ったという。

 それは、神殿に伝わる遠い昔、魔障浄化を織るもの、というスキルを持っていた加護者が使った魔物を封印する力かもしれないと考え、オスロの街にスキル鑑定を主とする神官、シェルを向かわせた。

 そこから帰ってきたシェルには同行者がいた。

 オスロの冒険者ギルドの洗濯室に勤めているという、洗濯スキル持ちの少女だった。

 洗濯スキルは、ごくありふれた生活スキルの1つだ。洗濯物の汚れが良く落ちたり、少しだけ防御力があがったり、洗った洗濯物を強化してやぶれにくくしたり。

 だが、彼女にはどうやら2つ目のスキルを持っている可能性があると進言があり、彼女のスキルを見極めるために王都まで来てもらうことにしたと言われては否やとは言えなかった。そして今、目の前には少し緊張した面持ちの少女がいる。

「教皇様、こちらの少女がオスロの街の冒険者ギルドの洗濯室に所属しているセナ=ロアードさんです。後ろにいるのは、護衛の冒険者で、セナさんの弟のノアくんと、オスロの街の冒険者のカインさんです」

 3人は軽く頭を下げて、目の前の教皇と呼ばれた人に挨拶をする。

「ようこそ、遠いところをいらっしゃいました。さきほど、シェルより報告がありました。アリステア様のお声が降りてきたと」

「はい。私も確かに聞きました。セナさんは魔障浄化を織るものだと」

「それは、神殿でもごく一部の者しか知らない称号です。遠い昔、黒い霧を纏う獣という災厄がこの国を襲った時、アリステア様のご加護を授けられた加護者が魔障浄化を織るものというスキルで織った、ピュリファチェインという力を使い、黒い霧を纏う獣を封印したそうです」

「え、えっと……つまり私がその黒い霧を纏う獣を封印するってことですか……?わ、私、ただの洗濯係で戦うスキルも経験もありませんが……」

「あなたに戦う力は求めません。私どもがお願いしたいのは、魔障浄化を織るもの、のスキルを使いピュリファチェインを作ってほしいのです」

 どうか、この通り、とイスティダールが頭を下げる。神殿の最高位である教皇が王以外に頭を垂れることなど、本来ならあってはならないことだ。

「……そのスキルの使い方が私にはわかりません」

「誰もスキルの使い方は知らないのですよ。詳細が伝わっているわけではないスキルなので。ですが、ヒントはあります。セナさん、あなたの洗濯スキルで洗った防具が、ルーンベアを跳ね返したと伺いました」

「あ、それについては俺、いや私が。姉の洗濯してくれた服が光って、紋章みたいなものが浮かんで、私たちの前に見えない壁ができました。そうしたら、目の前まで迫っていたルーンベアのフレイムの爪が弾かれて、あいつはどこかに逃げて行ってしまったんです」

「紋章、ですか?どのような?」

「それは俺……私からは見えなくて」

「私は何となくですが、覚えています。何か描くものをいただければ、覚えている範囲で描きますが」

 ノアを助けるようにカインがそう言ってくれたので、テーブルの上のペンと紙がカインに渡された。

「確か……こんな……」

 カインが記憶をたどりながら簡単な絵図を描いていく。

「真ん中に花みたいなのとそれを囲む蔓みたいな模様があったのは覚えてます」

 それは、こんな感じですか?とシェルがカインに見せてきた分厚い本を開くと、カインが、これに似てました、と指さした図があった。

 とがった花びらの開きかたが星にもたとえられる花で、それに蔓を葉が絡まっているかのような美しい模様だった。

「ああ、これは……加護者の方が残した魔法紋だと言われています。これが浮かんだのなら、確かにアリステア様のご加護で間違いないのでしょう」

 とイスティダールが頷く。

「この花は、魂を清める花だと言われています。ですので、魔獣に関わる事故などがあった場所に植えられていることが多いのです。それに回復ポーションの材料としても重宝されてます。セナさんたちも見たことがありませんか?」

「確か、オスロの山の峠に群生地がありますね。ギルドからよく採取依頼が出ている花です。確か名前はクレイナート」

 カインの言葉に、シェルが頷く。

「そうです。花びらが刃のように鋭いのが特徴で、採取時には指を傷つけないように気を付けないといけないですが、クレイナートで作る回復ポーションは安定した効果があります。あの山の遺跡近くには群生地があり、昔、加護者があの場所の浄化のためにクレイナートの群生地を作ったそうです」

「え?それって……」

「ええ、かつて黒い霧を纏う獣は、オスロの山に封印されたと伝えられています。これは王族と神殿でしか共有されていないことですので、皆様、他言無用でお願いします」

「……はい」

「あの、それで私は何をしたら……」

 セナの言葉に、イスティダールが本を閉じてセナの手を取る。

「セナさん、あなたの魔障浄化を織るもの、のスキルの強化が必要です。しばらく王都にいてもらい、スキル強化のための修行をしていただきたいのです。修行はシェルに任せようと思います。いいですね、シェル?」

「はい、もちろんです。できるかぎりのことを」

「ノアくんとカインさんは、王都の冒険者ギルドへの紹介状を書きますので、王都滞在中はそちらで冒険者のお仕事をしていただいて構いません。王都の冒険者ギルドには、戦闘技術や補助スキル強化のための修行部署がありますので、もし必要ならばそちらも使えるようにお願いしておきます」

「それはぜひお願いしたいです。姉ちゃん……姉のためにももっとできることを増やさないと」

 ノアが前のめりに頼むと、カインも「ノアに負けてられねーな。俺もお願いしたいです」と笑った。

「セナさんは修行中は神殿での滞在をお願いします」

「……あの、滞在中にノアやカインの服や防具の洗濯をしたいのですが……。いえ、二人のもの以外もできれば」

「それは構いませんが、どうしてですか?」

「私の洗濯スキルがなくなるわけではなく、新しいスキルが加わるということなら、もとからある洗濯スキルをおろそかにしたくないのです。ノアとカインが王都の冒険者ギルドのお世話になるのなら、私もできれば、スキルの修行しながら王都の冒険者ギルドの洗濯室のお手伝いができればと……」

 セナの言葉に、ノアが頷く。

「俺からもお願いします。姉ちゃんの洗濯スキルは、王都の冒険者のみんなの役にもきっと立ちます!」

 すっかり余所行きではなくなったノアの言葉の熱に、カインも推される。

「俺からもお願いします。セナの洗濯スキルで、王都の冒険者たちの防御力が上がればそれはとても良いことだと思いますし」

「確かにそうですね。セナさんの修行に関しては、冒険者ギルドにも協力をお願いしようと思っていましたし」

 そのまま話は進み、セナは神殿に滞在しながらギルドにも通うことになり、ノアとカインは王都の冒険者ギルドでしばらく仕事を請け負うことになった。




「さて、まずはこいつらをやっつけますか」

 セナの目の前には、毒に汚染された防具、呪いのマント、瘴気に汚れた神官服など、ありとあらゆる穢れの塊のような洗濯物が積まれていた。

 シェルの協力で、王都中の穢れを落とせないものが持ち込まれたのだ。

 さすがにそういったものを神殿内部に持ち込むわけにはいかず、神殿の裏庭の井戸の前に積まれた洗濯物の山を見て、セナは張り切ってた。

 セナには昔から「見える」のだ。

 どの洗濯物をどのように洗えば穢れを落とせるのか。これは洗濯スキルを授かったからだとずっと思っていたが、シェル曰く、洗濯スキルにはそのような見える目も落とす力もなく、無意識にセナの中の魔障浄化のスキルが見せているのだろうと。ならば、いろいろな穢れを落とすことで、スキル強化になるかもしれないということで、目の前に穢れの山が築かれることになったのだ。

「まずはこれからかな……」

 洗濯ものの山の一番上にある毒に汚染された金属の籠手を手に取ると、籠手の指の溝を丁寧に乾いた布でふき取る。

「このままじゃ汚染が進んで腐っちゃうな……」

 セナは籠手を汚染する毒がジワジワとしみこんでいくのが見えて、せっかく良い籠手なのに使えなくなるのはあまりにもったいないと心から思い、手に持った拭布へ想いを籠める。

(これは使う誰かとその誰かに守られる人たちのものだから……どうか、きれいになってください)

 するとどうだろう、セナが手にしている拭布にふんわりとクレイナートの魔法紋が浮かび上がり、拭布に毒がしみこんでいき、籠手の金属の輝きがくすんで腐りかけていたものから、美しい銀色へと戻っていく。拭布に浮かんだ紋章を見て、ああ、これがノアやカインを守ってくれたのかと思うと、ただただ感謝しかない。

「うん、きれいになった」

 あとで細かい汚れを落とせばよいだろう、と思い、セナは目の前にある穢れだらけの防具を1つずつ浄化し、洗濯していくのだった。




 あんなに山になっていた穢れの洗濯ものが1つ残らずきれいに洗濯され、物干しにはためいているのを見て、シェルは舌を巻いた。

 本来、穢れは一度目に見える汚れを洗濯で落とし、更に浄化の祈りの祭壇で時間をかけて落としてから再度洗濯に回すのが普通だ。しかもその際にわずかでも穢れが残っていたら再び汚染されていく。なので、あまりにも落ちない穢れであれば、どんな貴重な防具や武器であっても厳重に封印管理し、今後一切使えなくなるのが当たり前だったからだ。

 だが、目の前にある洗濯済みのものからは穢れのかけら1つ感じられない。洗濯物としての汚れもきれいに落ちていて、物干しで風に乾かされている。

 たった1回の洗濯でこれほどきれいになるとは……とシェルはセナの洗濯スキルに呻いた。

(これは……今までの常識が覆りますね)

「セナさん、お疲れさまでした」

「あ、シェルさん。ここにあったのは全部終わりました。次の洗濯ものはどこですか?」

「今日の神殿での穢れた洗濯物はこれで全部です。午後からは、私が同行しますので、一緒に王都の冒険者ギルドに参りましょう」

「わかりました。あとは、今私が洗濯したものの仕上がりの確認をお願いします」

「はい。夕方の取り込みの際に、私とほかの神官たちとで確認させていただきます。今日、洗濯していて、何か気になったことはありましたか?」

「そうですね……。きれいになってほしいと思いながら籠手や防具を拭布で拭いていると、あの花の紋章が浮かび上がりました」

 ここに、と拭布をシェルに見せる。当然、今は何も浮かんではいない。

「それは、セナさんの経験では初めてのことですか?」

「はい、初めて見ました」

「なるほど……。それはセナさんが直接アリステア様の声を聴いたことで起きたことかもしれませんね……。スキルはアリステア様から賜る奇跡です。そして、セナさんの2つ目のスキル、魔障浄化を織るもの、は本当に特別な奇跡です。その奇跡の緒をアリステア様が見せてくださった気がしますね……」

「もしそうなら……私のスキルに奇跡の力があるのなら、これでノアやみんなを守れることが本当にうれしいです」

 ずっと守られる側だったセナにとって、この国の危機に立ち向かうであろう人たちのためになる力が自分にあるのなら、絶対にあきらめたくない。何より誰より大事な弟のノアを守ることができるのなら、なんだってできる。

「セナさん、冒険者ギルドに行く前に昼食にしましょう。今日は、私の知り合いの店に案内します」

「ありがとうございます。楽しみです」

 楽し気に笑うセナの微笑みは小さな花のように可憐で、シェルには少し眩しく感じた。



 冒険者ギルドにシェルと向かう道すがら、シェルに案内されたのは浄光茶屋、と看板が掲げられた店だった。

「ここは、私たち神官が良く利用する軽食屋なんですが、街の方たちにも結構人気なんですよ」

 と説明され、店に入るとテーブルごとに木の板で仕切られ、個室のようになっている。

「あら、シェル様、いらっしゃい!」

 シェルに声をかけてきたのは、神官服を着たあどけなさの残るまだ10代前半の少女だった。

「こんにちは、ラシル。今日は連れがいますので、奥のテーブルをお願いします」

「はい。では、こちらへどうぞ」

 店内の通路を歩き、案内されたのは、一番奥のソファ席だった。

「今日のお勧めはこちらのメニューです」

 と差し出されたメニュー表を見たシェルがセナに問いかける。

「セナさん、食べ物でも飲み物でも、苦手な食材とかありますか?」

「い、いえ!ないです、何でも食べますし飲みます!」

 セナの少し緊張した返事に、シェルが柔らかく笑いかける。

「ならよかった。ラシル、今日の日替わりを2つと、食後に清香茶をお願いします」

「わかりました。ふふ、今日は少し珍しいもの見せてもらえたから、サービスしますね」

 ラシルがメニュー表を持って下がると、シェルは、参ったな、とつぶやいた。

「ここは、見習い神官たちが接客を担当していて、さっきのラシルは私の姉の娘なんですよ。神官見習いをしながら、ここで街の人たちとの接し方を学んでいるんです」

「オスロの街の神殿にも見習いの方々が5人ほどいらっしゃいますよ。ノアなんて礼拝に行くと、見習いの女性神官の方によく声をかけられています」

「ノアくんは将来有望な冒険者ですからね」

「私はノアが幸せで楽しいなら冒険者でもなんでもいいんです。あの子が幸せになることは、両親の願いでもありますから……」

「セナさんとノアくんのご両親は……」

「私が15歳、ノアが13歳の時に、流行り病で二人とも亡くなりました。幸い、私に洗濯スキルがあったので、冒険者ギルドの洗濯室に雇ってもらえて、生活のほうはそれで何とか」

「そうですか……。ご苦労されてきたんですね……」

「いえ、苦労というほどのことは。オスロの街の人たちはみんな優しいし、色々と気にかけてくれて……。おかげで今も普通に生活できています」

「セナさんはあの街が好きなんですね」

「ええ、大好きです。生まれ育った場所だし、友達もいるし、賑やかだし。あ、王都ほどじゃないですけど」

「わかりますよ。私も少し滞在しただけですが、あの街はとても心地よい。よい領主様なのでしょうね」

「はい。領主は子爵様ですが、よく街にもいらしてて、街の人の話をきちんと聞いてくれます」

 そこで食事が運ばれてきたのだが、運んできたのはラシルではなかった。

「シェル」

 名前を呼ばれたシェルが、あちゃー、というセナが初めて見る顔を見せる。

「ほら、今日の日替わりだよ」

 とテーブルにプレートを置いたのは料理人の服を着た女性だった。

「今日は薬草パンとブラッディラビットのシチューだよ。良い肉が入ったからね。で?シェル?姉に連れの子を紹介してくれないのかい?」

 シェルが表情を戻すと、先にセナに声をかける。

「セナさん、いきなりすみません。この人は私の姉で、この店のオーナー兼料理人で、ライラ=マナスと言います。姉さん、この人は今、神殿でお預かりしているオスロの街の冒険者ギルドに勤めているセナ=ロアードさんです。私が世話係を教皇様から仰せつかっているんです」

「なんだ、やっとあんたにもいい人ができたみたいだってラシルが言ってきたから見に来たのに」

「……あとでラシルにちょっとお説教しますね」

「あはは、えっとセナちゃん?ごめんね、いきなり」

「いえ。あの、シェルさんにはとてもお世話になってます、ありがとうございます」

「あはは、丁寧な子だね。うちの不詳の弟でよければ、めいっぱい使ってやって。ところで、王都の人じゃないなら聞きたいんだけど、カインって冒険者を知ってるかい?」

「え?」

「左手に古いバンダナを巻いてる、弓スキル持ちの冒険者なんだけどさ」

 困惑したセナがシェルを見ると、シェルが少し困ったように首を振った。

「ええと……その人を探しているんですか?」

「ああ。別に知らないならいいんだ。そのうち会える日も来るだろうからさ」

 ライラが席を離れると、シェルがセナに頭を下げる。

「姉がすみません、セナさん。不躾なことを……」

「いえ。でもライラさんに言わなくていいんですか?カインが今、王都にいるって」

「いいんですよ。実は今日、彼に会ったら、注意喚起をしておくつもりだったんです」

「注意?」

「はい。彼はきっと姉には会いたくないでしょうから……」

 自分の知らないカインの過去がこの街にあるのだとシェルの言葉に感じたセナは胸の奥がもやもやするのを感じた。




 セナがカインに初めて会ったのは、冒険者ギルドの洗濯室に入ってすぐの頃だった。

 オスロの冒険者ギルドの中でも割と実力者で、護衛任務も魔物討伐の依頼もこなすソロ冒険者の彼が、ギルドの洗濯室に来たのはある魔物討伐の依頼を終えた後だった。

「すまない、ここ、洗濯室でいいのかな?」

 ひょいっと顔を出した冒険者を迎えたのは、まだ仕事を始めたばかりのセナだった。見知らぬ青年に緊張したように返事をする。

「はい、そうです。えと……冒険者の方ですか?」

「ああ。君は……初めて会うね。俺はカイン。オスロの街の冒険者だ」

 カインは屈託なく笑い、セナの緊張をほぐそうとしてくれた。

「ええと、さ。お願いがあってきたんだ」

「お願い?」

「ああ。さっき、魔獣討伐を終えて帰ってきたんだが、ちょっと失敗して、これが穢れてしまってさ。神殿に浄化をお願いする前に目に見える汚れだけでも落としておきたいと思って……」

 カインが差し出したのは、古いバンダナだった。

 少しほつれた、だけど長く大事にされてきたのだろうとわかるくらいに直し、手入れされてきたのが分かる。

「本来なら、他の洗濯するものと纏めて提出して申請しなきゃいけないのは分かってるんだ。でも今まで自分の手から離したことのないものを離すのはいやで不安でさ。良ければ、これだけ洗濯してもらえたらと思って……」

 カインの心底申し訳なさそうなお願いにセナは笑って応えた。

「私でよければ、今しますよ?ちょうど今日の洗濯ものは終わったところで、他のみんなは休憩に行ってますので、私しかいませんが……」

「た、助かる……!じゃあ、これ、お願いしたい」

 カインから渡されたバンダナには、泥汚れのほかに、僅かな穢れが見えた。

 これなら落とせる、と分かったセナはカインに笑いかける。

「では、すぐにやりますね。良ければそこで待っていてください」

 と伝え、バンダナを手に井戸へ向かう。

 洗濯室の棚から出してきたのは、最もよく使われているキレール粉という洗剤だ。回復魔力のある薬草から作られている洗剤なので、ギルドの洗濯室だけでなく、一般家庭でも広く使われている。

 セナは桶に水を汲むと、バンダナに少し洗剤をつけて叩いて汚れを落とす。それから≪消臭≫を付与した洗剤を水にとかし、暫く浸け置きしてからバンダナの生地が弱らないように押し洗いをして特に汚れが残っているところを念入りに押し洗いしてからきれいな水で洗剤が残らないようにしっかりとすすぎ、軽く揉むように絞った後で、乾いた布で水分をできるだけ吸い取った。絞るときに捩じってはいけない。生地が傷む原因になる。

 それからシワを伸ばして陰干しにする。

「お天気もいいし、風もあるのですぐ乾くと思います」

「ありがとう。なかなか近くで洗濯を見ることはないんだけど、すごく手際がいいね」

「私、洗濯スキル持ちなんです。だからどう洗濯したらいいか見ればわかるので……」

 カインが食堂から飲み物を買ってきてくれて、バンダナが乾くまでの間に並んで休憩する。

 そこで色々とお互いの自己紹介をした。

 弟のノアに攻撃技術を教えてくれている人だということを知り、セナは感謝を述べた。

「あの子、ご迷惑かけてませんか?」

「いや、全然。将来有望だよ、ノアは。そういえば、洗濯室に姉がいるって言ってたの思い出したよ。ええと……セナって呼んでいいのかな?」

「はい、カインさん」

「さんづけはいらないよ。ノアにも言ったんだ。同じ冒険者同士なんだからって」

「私は冒険者じゃありませんし……」

「でも、ノアのお姉さんだ。ってことは俺の仲間でもある」

 楽しげに笑うカインの笑顔に、セナの胸の奥が音を立てた。

「あ、そろそろ乾いたかな?」

 何だかまっすぐ顔を見ることが照れ臭くなって、陰干しをしていたバンダナを確認する。水分をできるだけ吸い取っておいたおかげか、ほぼ乾いていた。そして汚れも穢れもきれいに落ちていた。

「あの、これくらい乾いていたら大丈夫だと思うんですがどうでしょうか?」

 カインにバンダナを差し出すとカインがまじまじとバンダナを広げて確認する。

「汚れが全部落ちてる……。それにさっきまであった嫌な感じがなくなってる……。穢れも落ちてる……?」

「大丈夫だとは思いますが、念のため神殿で確認してもらってくださいね。穢れも本当に落ちてるか。大した穢れじゃなかったから、キレール粉の回復力で落ちちゃったのかもしれません」

 それはない。キレール粉に含まれる回復力などごくわずかだ。ならば、目の前の少女の力か……?

 カインは一応神殿に持って行って確認してもらおうと決めて、セナに頭を下げる。

「すまない、君の休憩を邪魔しちゃったね。でも助かったよ」

「いえ、これくらいならいつでもどうぞ。ノアの先生だもの。私でできることなら協力しますから」

「ありがとう、セナ。じゃあ、またお願いしていいかな。君の丁寧な洗濯の仕事が、とても気に入ったんだ」

「はい」

 自分の仕事を褒められてうれしくない人間はいない。セナはカインの誉め言葉を素直に受け止め、今日はよい仕事をした、と自分をほめることにした。



 王都の冒険者ギルドは広くてにぎやかだった。セナはシェルに連れられて、王都の冒険者ギルドに来て、すぐにギルドマスターのもとへ案内された。

「失礼します」

 ノックをして、シェルがギルドマスターの部屋のドアを開ける。目の前にギルドマスターの机はあるが、姿が見えない。はて?とセナがきょろきょろしていると、机の向こうから声が聞こえた。

「シェル、その子がオスロの街から連れてきた子?」

「はい、メサヤさん。そうです」

「ああ、確かにアリステア様の祝福の力を感じるね……。そちらのお嬢さん、シェルと一緒に奥のソファにどうぞ」

「さあ、セナさん、こちらへ」

 ソファに座ると、ギルドマスターの机の陰から何かが飛び出してきた。

「わ……!」

 ソファまで飛び跳ねるような足取りで歩いてきたのは獣人だった。長い垂れた耳の種族だ。

 眼鏡をかけていて、知的な印象がある女性の獣人だった。

 体が小さくて、机の上の書類の多さも壁になって見えなかったのだと気づいた。

「セナさん、ご紹介しますね。こちらは王都の冒険者ギルドマスターの、元冒険者でフロップ族のメサヤさんです。メサヤさん、こちらはオスロの街の冒険者ギルドの洗濯室にお勤めのセナ=ロアードさんです」

「神殿から話は聞いてるよ。王都へようこそ」

「は、はじめまして…!あの弟がお世話になってます……!」

「弟?……ああ、シェルが連れてきたあの子か。今日は一緒に来た冒険者と一緒に、日帰りの採取依頼をお願いしてるから、夕方には戻ってくるはずだよ」

「あの子、ちゃんとお仕事できてるんですね、よかった」

「ちゃんとどころか、まだここにきて5日目だというのに、元からいる冒険者たちと比べても遜色ない仕事をしてくれてます。大変助かってます」

 メサヤの言葉に、セナはノアとカインを誇りに思った。

「ところで、うちの洗濯を手伝ってくれると聞いてますので、早速洗濯室へ行きましょうか」

「はい!」

 メサヤに案内されて、ギルドの建物の裏手にある独立した小屋へ連れられて行った。

「コール!コールはいるかい!」

 メサヤの声に、建物の裏手から年若い少女が顔を出す。

「あ、ギルドマスター」

「コール、昨日話をしたオスロの冒険者ギルドの洗濯室からの協力者が来てくれたよ。早速仕事の案内をしてやってくれ」

「はい、分かりましたぁ。ええっと、私はコールディア。みんなはコールって呼んでるわ。はじめまして」

 コールディアと名乗った少女の、ほんわりとした優しい空気にセナの顔に笑みが浮かぶ。

「はじめまして、セナです。頑張りますので、よろしくお願いしますね、コールさん」

「コールでいいよ。年も近いみたいだし。私もセナって呼ぶから」

 オスロの街にいるユーリを思い出したのは、友達になれそう、という予感からだった。



 さすが、王都の冒険者ギルド。洗濯指示の量が桁違いだ。

 洗濯室の人数自体もオスロの倍以上いたが、洗濯ものの量は5倍近い。だが、やりがいがあるというものだ。

「えっと、このマントからやればいいの?」

「あ、できれば、こっちに山積みの補助防具のアレコレから先にお手伝いしてほしいかな。補助防具のグローブとかスカーフとかどんどん回ってきていて追いついてなくて……」

「わかった。洗剤は?」

「あっちの棚にあるの好きなの使ってくれていいよ。井戸と桶と物干し場はこの小屋の裏手にあるから」

「ありがとう」

 キレール粉の入れ物と、持ち手のついている桶に洗濯前のグローブをいくつか入れて井戸へ向かう。

「わ、井戸がポンプ付きだ……!」

 1回だけ見たことがある、釣瓶を使わなくても井戸水を使えるものだと教えてもらった。

 使い方がわからなくて立ちすくんでいると、コールが来てくれた。

「あ、井戸のポンプ?」

「ええ。使い方を知らなくて……」

「ちょっと力は必要だけど簡単だよ。一緒にやってみよ」

 コールがポンプにつまりがないか視界確認をし、呼び水を入れてポンプを上下に動かす。何度か空振りの音がした後に、ゴボゴボッと音がして、射出口から冷たい水が噴き出した。

「こんな感じで水を出すの。簡単でしょ?」

「うん、よく分かった、ありがとう。釣瓶じゃないのはいいね。オスロにもつけてほしいなぁ」

「オスロの街にも鍛冶ギルドはあるんでしょ?冒険者ギルドから要望出してみればいいよ。うちはギルドマスターにそうしてもらった。ギルド同士なら設計図とかもやりとりできるしね」

「帰ったらお願いしてみる。じゃあ、お仕事するね」

「ええ、よろしく。私はちょっと洗剤の補充に行ってくるから」

「はい」

 コールを見送って、セナはさて、と洗濯物に向き直る。

 皮のグローブが一番多いので、まずは皮のグローブだけを選別して綺麗な拭布に水で薄めた洗剤をしみこませて、丁寧に汚れをぬぐっていく。それから乾いた布で水分をふき取り、並べて陰干しにしていく。少し穢れもついていたが、セナの使った拭布にクレイナートの紋章が浮かび上がったおかげか、穢れは綺麗に消えていた。

 次にこれまた大量にあるスカーフを種類ごとに分けていく。一番多いのは、炎織布で作った炎をガードする補助防具だ。

「これならまとめてやっても大丈夫かな……」

 割と丈夫な素材ということもあり、≪消臭≫を付与した洗剤を溶かした水桶に纏めて放り込み、しばらく浸けておいてから優しく揉み洗いをする。それから3回ほど水を替えて濯いでから乾いた布で水分をできるだけ吸ってからシワを伸ばし陰干しに。

(カインのバンダナを洗うのと同じ要領だから、これは簡単だわ)

 それから山積みになっていた洗濯物を片っ端から洗っていく。少し手こずったのは、魔物の皮と金属、両方を使って作られているハーフアーマーだった。先に金属部分を拭き清めてから、皮部分を洗剤で揉み洗いする。

「ふう……とりあえずこれで全部かな……?」

 マントを含め、用意されていた洗濯物をすべて干すところまで終わらせた。

 セナは洗濯を終わらせたこの瞬間が大好きだった。風にはためく洗い立ての洗濯ものを見る瞬間の満足感と達成感は何にも代えがたい喜びだ。誰かの役に立っていることが実感できるから。

「おーい、セナー」

 聞きなれた声がして振り返ると、ノアとカインが笑って手を振っていた。

「ノア、カイン、お疲れ様」

「セナもお疲れ。俺たち、今日の仕事終わったんだけど、食堂でお茶してから宿に帰ろうって話になってさ。セナは?」

「私も一応、頼まれたのは全部終わった。まだ帰っていいかはわからないけど、乾くまではもうやることないし一緒にお茶していい?」

「ああ、もちろん。じゃ、いこうか」

 風に乾いていく洗濯物を背に、3人で食堂に行くと、シェルもそこにいた。

「ああ、セナさん、ノアくん、カインさん、お疲れ様です」

「シェルさんもこちらにいたんですね」

「ええ。先ほどまでギルマスと色々と話がありまして……。ちょっとのどが渇いたので、お茶を飲んでから、セナさんの様子を見に、洗濯室へ行こうかと思っていたところでした。皆さんは?」

「俺とノアは今日の依頼が終わったんで、お茶飲んでから宿に帰ろうかって話になって、じゃあ今日はセナも来るって聞いてたから、洗濯室へ行ってみたら、セナもちょうど頼まれた分が終わったとこだったんで、一緒にお茶しようって」

「そうですか。皆さんお疲れ様です」

 そのまま、シェルも合流して4人でお茶を飲む流れになった。

 冒険者ギルドの食堂はいつも賑やかだが、端のテーブルまで行くと喧噪も気にならない。4人分のお茶が運ばれてきたところで、シェルが少し口調を固くして、カインに話しかける。

「カインさん」

「はい。何ですか?」

「私はあなたにお伝えしなければならないことがあります」

「俺に?てか、どうしたんです、シェルさん。顔が怖いですよ」

 少し茶化すようなカインの言葉に、シェルは無理に笑みを作って見せた。

「ライラ=マナス。この名前に聞き覚えは?」

 シェルの言葉に、カインの笑みが消える。

「どうしてシェルさんがその名前を……」

「私の名前はシェル=マナスと言います。フルネームは名乗っていませんでしたね」

「マナス……」

「ライラは私の姉です。もしあなたが姉の探しているカインさんでしたら、どうか早めに王都を出ることをお勧めします。姉は今は引退したとはいえ、現役の頃は一級の攻撃特化型の冒険者でした。あなたに会ったら何をするかわかりません」

「……」

 カインの表情はセナもノアも見たことがないほど暗く思いつめたものだった。いつもの明るいカインとは雲泥の差だ。

「オスロの街であった時、あなたが姉の探しているカインさんでなければ良い、と思いましたが、その手のバンダナであなただとわかりました。王都まで連れてきてしまったのはもう仕方ないことではありますが、できれば早めに出たほうが……」

「いえ。セナとノアと一緒に帰ると決めてますから、俺はまだここにいます」

「……しかし」

「王都は広い。簡単に会うとも思えません。それに会ったら、俺はこれをライラさんに返さないといけないですが、まだその決意が固まらないんです」

 カインの右手が、そっと左手のバンダナに触れる。

「セナ、ノア、ごめん。今から俺の過去の話をしたいんだが、聞いてくれるか?」

 少し震えているカインを見て、ノアが言う。

「それならここよりは、静かな部屋に戻ってにしよう、カイン。姉さんもシェルさんもいいですか?」

「ええ」

 と決めて、4人でノアとカインの滞在している冒険者ギルドの隣にある宿まで移動した。

 狭い部屋だが、座る場所はあるので、各々ベッドや椅子に腰を下ろし、カインの言葉を待つ。

「俺は王都の一般家庭で生まれ育ったんだけど、両親は早くに亡くなって、親せきの家に引き取られた。あれは10歳の時だった。学校に通っていた俺は、課外授業で王都を出て近くの森で課外授業を受けていたんだが、めったに王都の外に出ることなんかないから大興奮で、気づいたら他の生徒や先生たちとはぐれてしまってた。大して深い森じゃなかったけど、子供の俺にはまるで迷路のように思えて、うろうろしてたらうっかり森の奥深くに迷い込んでしまった時にツルノワって魔物いるだろ?あまり強い魔物じゃないが、子供から見たら魔物なんて全部脅威だ。あいつに遭遇して、俺は足を取られた。ツルノワは、あの蔓で獲物を捕らえて、獲物の体の中から栄養を吸い取る魔物だという知識のなかった俺は、とにかく逃げようともがいたけどダメだった。で、あいつの蔓が、俺の口をこじ開けようとしたとき、ナイフが一本飛んできて、俺の口をこじ開けようとしていた蔓を切ってくれた」

 呆然としていると、一人の青年が駆け寄ってきて、カインに絡みつくツルノワの蔓を全部切ってくれて、ツルノワはその場で息絶えた。

「おい、大丈夫か!?」

 助かった、という安心感からその場で泣き出したカインを、青年はカインが泣き止むまで見守ってくれた。

「それがあの人……ルヴェークだった。王都の冒険者ギルドの冒険者だと自己紹介してくれ、たまたま討伐依頼が終わって、帰るために近道をしようと森を抜けようとして、俺がツルノワに襲われているところに遭遇したらしい。それから森の入り口まで送ってくれて、先生たちにしこたま怒られたけど無事に帰ることができたんだ。それから俺は冒険者になろうと思った。ルヴェークのように誰かを守れる人になりたいって。俺は7歳の時に弓スキルを授かっていたから、冒険者向きではあったんだよな。何より早く自分一人で暮らせるよう、一人前になりたかった」

 ふう、と息をついたカインが、水を一口飲んでから続きを話し始める。

 「それから学校を卒業して、12歳で冒険者登録をした。最初の頃は採取依頼とか掃除依頼とかそんなのばっかりでちょっと腐ってたんだけど、ルヴェークが俺を気にかけてくれて、あまり危険な討伐じゃなければ、一緒に連れて行ってくれるようになった。それで順調に腕を上げていった俺は己惚れていたんだよな。もう俺は一人前の冒険者でなんだってできるって……」

 悔恨の響きを感じたセナが、まっすぐにカインを見つめる。

「14歳になった俺は、ルヴェークの指示を聞かないで、1人で盗賊の討伐依頼を受けた。王都の近くの山の洞窟が根城になっているって情報をもらって、俺は盗賊たちの洞窟を崩すことを考えて、多めに攻撃魔法を詰めた投爆球を用意して向かおうとして、ルヴェークに止められた。俺一人ではまだ無理だ、手伝うから数日待てって。でも俺はそれを無視して、討伐に向かった。俺なら問題なくできるって根拠のない自信があった。結果は最悪中の最悪だった。向かう途中で、投爆球の暴発を引き起こして、盗賊たちの洞窟どころか、大事な採取場でもある山の一部をえぐり取る大事故を起こしてしまったんだ。その時、俺を追いかけて来たルヴェークが崩落に巻き込まれて……。俺が気が付いたときは、ルヴェークは倒れていて……慌てて駆け寄った時にはもう……。呼びかけたらちょっと笑って、このバンダナを俺にくれた。お守りにしろ。おまえは必ずいい冒険者になる、って。なんで、って聞いたら、おまえは今、怖さを忘れているだけだ。それを思い出したら、いい冒険者になれる。って。ルヴェークが初めて俺を助けてくれた時にあんなに怖かったのを俺は忘れてしまってたんだなってそこで気づいた。ルヴェークは俺の腕の中で息を引き取って、俺は俺とルヴェークを追いかけて来た冒険者ギルドの冒険者たちに事情を説明して、その中にライラさんがいた。ライラさんがルヴェークの奥さんだったって、そこではじめて知ったんだ。冒険者仲間と結婚したっていうのは聞いてたけど、ルヴェークにはまだ紹介してもらってなかったから。ライラさんの泣き叫ぶ声が痛くて辛くて、俺は自分に絶望した。俺なんて何もできないって。何もできないどころか、ライラさんから大事な人を奪ってしまったんだって。一度は冒険者をやめようと思ったけど、ルヴェークのくれたこれを俺は二度と裏切りたくなかった。それをしたら、俺は冒険者どころか、人としておしまいだって」

 ひざの上の拳を震わせるカインを見て、セナもノアも、あまりに取り返しのつかないカインの深い悔恨に言葉がない。

「それから王都を出て、あちこちを冒険者として過ごしてきて、オスロに落ち着いたのは6年ほど前だ。今回、王都にセナの護衛で来ることになって、そろそろ覚悟を決めないといけないなって思ったんだよ。冒険者ギルドにも覚悟を決めて行ってみたけど、俺の知っている人たちはもう誰もいなかった。ギルドマスターすら変わってた。そりゃもうあれから10年以上だ、当然だよな」

「姉は、夫を亡くしてから、冒険者を引退し王都で料理店を始めて、今も繁盛して忙しくしていますが、王都以外からくる旅人に、カインという冒険者を知らないかと聞いて回っているんです」

「私も聞かれました……。驚きすぎて何も答えられませんでしたが……」

「そうかぁ……。ライラさんは俺を許してないよな、そりゃ当然か」

 バンダナを強く握って、何とも言えない表情で笑うカインを見て、セナは胸の奥が苦しくなった。

 カインは、出会った時からずっと優しくて、ノアを鍛えてくれて、いつも笑顔で朗らかな人だった。

 いつも明るいカインの裏側にあった重い過去を知り、言葉がない。

 慕っていた大事な人を自分のせいで亡くした痛みは今もカインを蝕んでいる。

「俺、ライラさんに会いに行かなきゃ……」

 ゆらりと立ち上がったカインがシェルに問いかける。

「シェルさん、ライラさんの店の場所を教えてもらえますか?」

「カインさん……あなたの決意は素晴らしいものです。なので止めることはしませんが、その前に姉の現状を聞いてもらえますか?」

「ライラさんの現状……ですか?」

「はい。姉へ会いに行くのなら、今の姉のことを知ってからあなたが言うべき言葉を探してほしいんです」

 わかりました、とカインが頷き、もう一度ゆっくりと座り、シェルを見る。

「姉はルヴェーク……夫を亡くした後、妊娠していることに気づきました。その子は今では神官見習いをしながら、姉の店を手伝っています」

「お子さんが……」

「ラシルという女の子です。まだ子供ですが、ルヴェークに……父親に似たのか、とても人懐っこい子ですよ。姉はあなたを探すために食堂を始めたのだろうと思います。王都の食堂なら、いろんな人が来ますからね」

「なら、猶更行かないと。俺はあの時のこと、まだライラさんに謝れてないんです。許してもらえなくても、それだけはしないといけない」

「カインさん。それなら私が場の手配をしましょう。姉とラシルの二人を神殿の私の私室に呼びます。そこであなたが姉に謝りたいことを告げてください」

「はい、そうさせてくれると助かります、ありがとうございます、シェルさん」

 そこで場は解散になったが、セナは冒険者ギルドでの仕事の仕上げがあったため、シェルに頼んで一度ギルドに戻ることになった。




 セナのした洗濯物の乾いた後の仕上がりは素晴らしいもので、ギルドの洗濯室では、セナにコツを教えてもらおうと洗濯室ギルド職員が待ち構えていた。

「あんなに汚れていたものがシミ1つない状態になってるなんて……!」

「こっちのグローブなんて、穢れがついてたのになくなってる。神殿にはまだ持って行ってないのに」

「こっちのマントも、呪いの血がしみこんでたのになくなってるわ」

 冒険者たちの仕事の後の洗濯は基本的に大変なものが多い。特に討伐された魔獣の断末魔の返り血は呪いになることが多く、洗濯には一苦労なのだ。それが山のようにあったはずなのに、神殿への持ち込みの必要がないほどに全てきれいに洗濯が完了している。なんなら、少し良い香りもするくらいだ。

「みなさん、どうしたんですか?」

 驚いたのはセナのほうだ。あとは洗濯ものを片付けて帰ろうと思っていたのに、来てみれば物干しにあったものは全て片付けられていて、人だかりができていたのだから。

「あ、セナさん、おかえりなさい!これいったいどうやったの!?」

 コールディアが興奮して、セナの目の前に乾いたマントを突き出してくる。

「えっと……どう、とは?」

「穢れまで洗濯で落とすなんて、聞いたことないわ!特にマントはほぼ全部穢れか呪いが染みついていたのに、全部綺麗になってる。神殿へ穢れ払いをお願いしたわけでもないのに」

「わ、私の洗濯スキルは少しの穢れなら落とせてしまうみたいで……。だからそれをしただけです」

「だからどうやって!?」

「どうやってと言われても、洗濯スキルを付与した拭布や洗剤を使っただけです」

 そう、セナは洗濯物をきれいにしたい、という気持ちをスキルを通して洗剤や拭布に込める。セナにとって洗濯は、ノアやカインを始め、冒険者のみんなを守る為のスキルであり、常に彼らを守れるように願いを込めていたから。

「洗濯スキルにそんな付与効果あったの?」

「え、私も洗濯スキルあるけど知らない……」

「やり方に決まりがあるのかな?」

 周りで上がるそんな声に、セナはならば目の前で見せるのが早いと考えた。

「あの、なら今何か小物でも洗ってみますか?」

「「「ぜひ!」」」

 差し出されたのは、僅かに穢れのついた額当てだ。

「えっと、額当てはまず額の金属を先に処理します。そうしないと、巻き布のほうに穢れや呪いが移ってしまうこともあるので」

「私、巻き布と一緒に洗ってたわ……」

「私も……」

「まず金属に清めた塩をまぶします」

 額当ての金属にパラパラと塩をかけるセナ。

「それから浄化の効能のある薬草の煮汁を含ませた拭布で全体を丁寧に拭いて、油をつけます。これで錆と穢れは落ちます」

 実際、セナが洗ってみせた額当ての穢れは綺麗に落ちていて、輝きすら戻っていた。

「それから巻き布のほうですが、こっちはしばらく洗剤につけておきました。この洗剤に洗濯スキル持ちなら皆さんあるはずの≪消臭≫を付与します。これで巻き布のほうの穢れも落ちるはずです」

「≪消臭≫にそんな効果あったの……?知らなかった……」

「これは、洗剤に付与しないと効果が出ませんので、それだけは気を付けてください。私もたまたま見つけた効果なんです」

 カインのバンダナを洗濯しようとした時、いつもなら干すときに付与する≪消臭≫をうっかり洗剤に付与してしまい、もったいないのでそのまま使ったところバンダナに微かについていた穢れが消えたのだ。それで同じようにあれこれ試したらやはり小さな穢れであれば落ちたし、大きな穢れでも少しは薄くなった。

「大きすぎる穢れや呪いは除去できませんが薄くはなります。神殿の負担も少しは減るでしょう」

 セナの手際の良さに感心しながら、職員たちはセナの教えてくれるポイントをメモを取ったり、質問を交えて洗濯スキルの使い方の勉強を始めた。

 その話がギルマスまで伝わり、神殿にも共有され、セナはギルドから正式に洗濯スキルの使い方の講義をしてほしいと依頼を受けた。ノアやカインにも相談したところ、それが冒険者たちを守ることになるのならぜひ引き受けるべきだと背中を押され、引き受けることになった。そのためにまずシェルと相談して、自分の見つけた洗濯スキルの使い方の資料を作ることから始めた。

「ほう……こう使えば、こんな効果があるのですね……」

 シェルがセナの話を聞き取りながら、ペンを走らせながら感心する。

「セナさんの見つけた洗濯スキルの効果をみんな使えるようになれば、神殿の負担はかなり減ります。実際、持ち込まれる穢れや呪いに汚された防具は毎日山盛りですから。神殿側も穢れ払いだけで大変で……」

「ですよね。オスロの街ではこの洗濯スキルでかなり神殿の負担が減ったと言われました」

 実際、セナの洗濯スキルの方法で、オスロの街ではかなり神殿の穢れ払いの負担が減り見習いたちの修行時間を増やすことができたのだ。

「王都でも同じようになれば、冒険者のみんなも神殿のみんなも楽になるのかなって期待します」

「ええ、期待していいと思います。文字通り、セナさんは洗濯の女神ですね」

「……シェルさんが冗談を言うなんて珍しいですね」

 冗談ではないのだけど、と心の中でだけ呟いて、シェルは今日はこれまで、と書き物をやめる。

「セナさん、この後、お時間ありますか?」

「ええ、特に予定は。今日はカインもノアもギルドからの依頼で出かけてますから」

「では、私に少しお付き合いください」

 シェルがセナを連れて行ったのは、ライラの店だった。

 まだカインがここを訪れていないのは知っているので、少しだけ居心地が悪かった。

「いらっしゃいませ」

 迎えて給仕をしてくれたのはラシルだった。

「ラシル。今日はあなたのご希望通り、セナさんを連れて来たよ」

「ありがとう、シェル様!」

「まあ可愛い姪っ子の頼みだからね」

 席に案内されて、何故かラシルもセナの前に座る。

「えっと……?」

 セナが困惑していると、ラシルがばっと勢い良く頭を下げた。

「私が、セナさんにお願いがあってシェル様に頼みました」

「私に?」

「はい。私、神殿で見習いをしてるんですが」

「ええ、聞いてます」

「私、実は7歳の時、洗濯スキルを授かったんです」

「まあ」

「それで、神殿で洗濯スキルを使って穢れ払いをしたあとの洗濯ものをしていたんですが、なかなかスキルの使い方が上達しなくて……。それで、この間、セナさんのした洗濯物を見たら、ものすごくきれいに穢れも呪いも払われてて……。洗濯スキルって、ここまでできるんだって感動したんです。私はまだまだ未熟なんだって痛感しました。なのでお願いです、私の師匠になってください!」

 お願いします!と再度強く言われて、セナは困惑したままシェルを見た。カインのことを考えたら、ここで自分とラシルが近い距離になってしまうのはどうなのか考えてしまう。シェルにもセナの困惑と葛藤が伝わったのか、隣のラシルにやんわりと言う。

「ラシル。それについてですが、今、セナさんに協力いただいて、洗濯スキル専用の仕様書を作ってます。それではダメなのですか?」

「もちろんそれも拝見したいですが、私はセナさんの洗濯技術を近くで見て習得したいんです」

 ラシルの瞳が使命感に燃えているのを見て、シェルは説得は無理だと頭を振った。

「……ラシルさん」

「ラシルでいいです!」

「……本当に私でいいの?」

少し不安げにセナがラシルを見る。

「私なんかより経験もある洗濯スキルの持ち主なんていっぱいいるのに」

「私はセナさんがいいんです。あのきれいに洗われたローブを見て感動したんです。あれに袖を通す神官は幸福だろうなと感じました」

 そうまで言われては否やと言いたくもなくなった。カインのことは本人とも相談して考えよう。

「私はいずれオスロの街に帰ります。それまでで良ければ、私の知ることは教えられますが……」

「分かってます。王都にいる間だけでも教えてもらえれば嬉しいです」

「あと、私は他に神殿から頼まれていることもありますから、そちらが優先になりますが……」

「ええ、セナさんには我々からの依頼を優先で対応をお願いしています。それでもいいんですね、ラシル」

「はい、シェル様。私だって神殿に仕えてますから。セナさんの神殿でのお仕事も回りまわって、私たちのためになることでしょうから」

 聞き分けの良いラシルの言葉に、セナは、ああこの子は良い子だな、昔のノアを思い出すな……などと優しい気持ちになった。

「それでよければお引き受けします」

「お願いします!」

 即決だった。すでに母親のライラの承諾は得ているらしく、ラシルが自分でセナにお願いして承諾してもらえたら良い、ということだったらしく、ラシルは第一関門を無事突破したのだ。

 


 次の日から、ラシルはセナのいる冒険者ギルドの洗濯室に来るようになった。

 そこでは神殿にはない同世代の少女たちとの交流もあり、数日もすればすっかりラシルは馴染んでいた。

「じゃあ今日は、おそらく神殿へも冒険者ギルドへも一番持ち込みが多いマントの洗濯をします」

 セナたちの目の前には山積みのマント。もれなく穢れか呪いがまとわりつき、魔獣の返り血もこれでもかと浴びて汚れている。

「ラシル。今日は量も多いし、一緒にやってみましょうか」

「はい!」

 ラシルが洗濯室からキレール粉を取ってくると、セナはキレール粉に清めた塩を混ぜた。

「どうして清めの塩を混ぜるんですか?」

「キレール粉に≪消臭≫を付与するだけでも効果はあるんだけど、清めの塩を混ぜると効果のなじみが良いみたいで、穢れや呪いが落ちやすいの。これは必ず、神殿で清められた塩を使ってね。多くなくて大丈夫よ。そうね、1回分のキレール粉に小さじ半分くらいで十分よ」

 それから洗剤を汲んだばかりの冷たい井戸水に溶かし、そこにマントを浸ける。

「血の汚れを落とすのは、できるだけ冷水が良いの。だから必ず汲んだばかりの井戸水を使うこと。それからこれを使うわ」

 セナがラシルの目の前に持ってきたのは、バケツ一杯の灰だった。

「灰ですか?」

「ええ。これは冒険者の方にお願いして収集してきてもらった月影樹という木を燃やして作った灰なの。これをこうして……」

 セナが灰を特に血の汚れがひどい箇所に揉みこんで洗剤を入れた冷水で流すと、血の汚れが落ちていた。

「この灰を使うと血の汚れが落ちやすくなるのを知ったのは偶然なんだけどね。うちの弟が服を血で汚したのをごまかそうとして、竈の中に投げ込んだことがあって、灰がついて燃え残っていたのを拾って洗ってみたら、血の汚れが落ちて……。それで灰を揉みこむ方法を知ったの。いくつも灰の種類を試して、この木が一番血の汚れを落とすってわかったのよ」

 セナの洗濯への探求心にラシルは尊敬が増すばかりだ。

「これは役に立つから覚えておいて損はないと思うわ」

「はい!」

「じゃあ、一緒にマントを洗ってみましょうか」

 それから二人で山積みだったマントを洗う。時々、他の洗濯担当の職員が来て一緒にやるとあっという間に終わった。

「あとは干して終わりね。ちょうどお昼だし、これを干したらお昼ご飯にしましょうか」

「あ、じゃあお願いが」

「何?」

「今日は神殿に戻るんじゃなくて、冒険者ギルドの食堂で食べてみたいです」

「じゃあそうしましょうか」

 午後からは神殿に戻って、神殿に集まっているであろう洗濯物に取り掛かるつもりでいるから、ラシルと一緒にこちらで昼ご飯を食べて戻ればいいだろうとセナは判断した。

 それからマントをすべて干して、冒険者ギルドの食堂へ向かう。

「わあ、広い!それに賑やか!お母さんのお店ともまたちょっと違う感じ!」

 ラシルの素直な感想に、確かに見慣れた神殿の食堂と比べたらかなり広い冒険者ギルドの食堂は新鮮に映るだろう。

「ここはあそこの受付で食券を買って、カウンターで渡したら、空いてるテーブル番号をもらえるの。今日は私、日替わりにしようかな」

「じゃあ私も同じものに」

 受付で日替わりの食券を二枚買ってカウンターの受付に渡すと、テーブル番号を書いたテーブル札をもらう。これをテーブルに立てることで、給仕する側が分かりやすくするシステムだ。

「あれ、姉ちゃん!」

 隣のテーブルからノアの声が聞こえて顔を向けると、ノアと知らない冒険者が一緒に座っていた。カインではなかったことに少しほっとしてしまう。

「ノア」

「今日はこっち?」

「うん、お昼食べたら神殿に行くけど。あ、紹介するわ。ラシル、これは私の弟でノア。冒険者をしてるの。ノア。こちらはラシル。神殿の神官見習いで、洗濯スキル持ちなので、今仕事を教えてるの」

「……あれ?ラシルって……」

「ノア」

 セナの声に鋭さを感じたノアが笑顔を浮かべる。

「そっか。えっと、ラシル、だっけ?うちの姉ちゃんをよろしくね!」

「あ、血で汚れた服を叱られるのが怖くて、燃やして証拠隠滅しようとした弟さん!?」

 あまりにも昔の黒歴史を初対面の少女にいきなり全て言われてテーブルに撃沈するノア。

「ちょっと姉ちゃん、何バラしてんのさ!」

「いや、洗濯の方法の説明時にちょっとね」

 そこにセナたちの注文したものが運ばれてきた。ノアたちはもう食べ終わっていたらしく、テーブルを立つ。

「姉ちゃん、今日は宿のほうに戻る?」

 これは聞きたいことがあるから戻ってこいと言われているのだとピンと来たセナが答える。

「うん、今日はそっちに戻るわ」

「わかった。じゃあ俺行くから」

「午後からも依頼?」

「ああ。月影樹の伐採の依頼でさ。作業する木こりさんたちの護衛」

「そう。気を付けて行ってらっしゃい」

 ラシルと一緒にノアたちを見送ると、今日もおいしい日替わりをいただき、洗濯室に戻って干していた乾いたものを取り込むとラシルと二人で神殿に戻り、神殿の洗濯室に山積みとなっていた洗濯物に取り掛かるのだった。



 宿に戻るのは何日ぶりだろう。ここしばらく神殿に寝泊まりをしていたので、セナは宿にいない自分のために王都へ来た時から確保されている部屋で久しぶりにノアやカインとお茶を楽しんでいた。神殿側が、基本は神殿で寝泊まりで良いけど、王都での滞在場所はもう一つくらいあったほうが良いと、費用は神殿もちで確保してくれている部屋だった。

「これ、シェルさんが、宿に帰るならどうぞ、って持たせてくれたの。疲れが緩和するお茶なんだって」

「それ、姉ちゃんが疲れてるから持たせてくれたんじゃないか?」

「セナ、だいぶ忙しいみたいだもんな」

「私よりシェルさんのほうが忙しいと思う。本来の自分の仕事に加えて、洗濯スキルの仕様書づくりに古書の調べものまでしてるから」

「そりゃまた……」

「で、姉ちゃん、あの子のこと説明してくれよ」

 ノアとしては、気になって仕方ないらしい。

「だから言ったじゃない。洗濯スキル持ちの彼女に仕事を教えることになったって」

「だってあの子……!」

「うん、シェルさんの姪っ子ちゃんだよ。ライラさんの娘さん」

 カインの瞳が鋭くなる。

 セナはそんなカインの反応は分かっていたから、お茶のお代わりをカインに差し出しながら経緯を説明する。

「……まあそれなら仕方ないわな。セナは俺のことも考えてくれたんだろ?ありがとな。彼女は俺のことは知ってるのか?」

「カインのことはまだ言えてない。私から言うのもちょっと違うなって思うし。カインはライラさんに会いに行くつもりなんでしょ?」

「ああ」

「じゃあ、その前にたまたま私とラシルが知り合ったってだけだもの。別におかしなことじゃない」

 セナはラシルとのことはそう割り切るように考えることにしたのだ。

 カインの事情はカインの事情として、ラシルには今関係ないことだ。大人の事情に子供を巻き込んではいけないと。

「あ、でもカインがライラさんのところに行くときにはちゃんと教えてね」

「分かってる。……近いうちに会うつもりだ」

「じゃあその時には、ラシルには私から説明するよ」

「いや、俺が自分でいうよ。それが俺の責任だから」

 カインらしい、とセナが微笑む。

「さて、明日も朝から冒険者ギルドに直行だし寝ようか。二人も仕事あるんでしょ?」

「ああ。俺は今日の続きで、木こりの皆さんの護衛」

「俺は、商業ギルドからの跨ぎ依頼で、薬草採取だ」

「そっか。二人とも頑張って。私は朝から冒険者ギルドで洗濯だから。午後は神殿に戻るけど、夜はこっちに帰るから下の食堂で一緒に晩御飯にしようか」

 頷きあった三人は、そのまま眠った。



 夢だ、これはおそらく夢の中だ。

 セナは真っ白な空間に立つ自分を確認して、宿の部屋ではないことを知る。

「……セナ」

 誰かに名前を呼ばれ顔を上げると、金色の瞳の美しい女性がいた。

「えっと……?」

「あなた方人間にはアリステアという名で呼ばれています」

「アリステア様!?」

 この世界の女神の一柱であり、人々にスキルを授ける天上の神。

 柔らかな笑顔を浮かべた後、アリステアがセナに手を伸ばし、彼女の頬に触れる。

「セナ。私があなたに与えたスキルはもう1つあります。どうかそのスキルを早く目覚めさせてください」

「え……?」

「そのスキルで、今度こそあの災厄を消滅してください。もうあまり時間がありません」

「わ、私……私にそんなスキルが……?」

「あなたに与えた洗濯スキルは三重になっています。通常の洗濯スキル、それから魔障浄化を織るもの、その上位スキルとして終局浄化を付与しています」

「終局浄化……?」

 なんだか少し怖い名前だ。

「黒い霧を纏う獣。あれを終わらせるためのスキルです。以前は魔障浄化を織るもの、で封印まではできました。ですが、そこまででした。あれは、封印された地の底で、少しずつ封印から解かれています。場所はオスロの山の遺跡の近くのクレイナートの群生地の地下です」

「……その上位スキルはどうやったら使えるようになるのですか?」

「神殿の書庫にはスキルの詳細は残されてませんので、私から具体的なことを伝えます。まず、魔障浄化を織るもの、のスキルでできることは封印のための穢れの鎖を編むことです」

「穢れの鎖……?」

「そうです。その鎖で黒い霧を纏う獣を縛ります。そのうえで終局浄化のスキルで洗い上げたピュリファという消滅させるための布で包みこめば消滅して終わりです」

「……あの。黒い霧を纏う獣っていったい何なんですか?」

「そうですね。形のない穢れそのものとでも言いましょうか。穢れは自然に生み出される、世界を作るものの1つですが、時々、どうしようもなく増悪してしまうことがあります。黒い霧を纏う獣はそういうものだと思ってもらえれば」

「……まだよくわからないけど分かりました。私の洗濯スキルは三段階あって、最終段階のスキルを使えばそれをすべて消滅させられるんですね」

「そうです。では、次に穢れの鎖を編むやり方ですが……」

 アステリアに穢れの鎖の作り方を聞き、次に最終段階のスキルについて教授される。それはセナが今まで全く知らない方法だった。

「セナ。どうぞよろしくお願いします。この世界を護って」

 そのアリステアの懇願の声を最後に夢は終わる。




 目が覚めて、一番最初にしたことは、夢の中でアリステアに教えられたことを思い出すことだった。そして少しだけ言われたことを試してみる。大丈夫、覚えてる。あとは実践と練習だ。

「おはよう、姉ちゃん」

 隣で眠っていたノアが起きだすと、ソファで眠っていたカインも大あくびとともに目を覚ました。

「おはよう、セナ」

「ノアもカインもおはよう。下に降りて朝ごはんにしましょうか」

 それからカインとノアは自分たちの部屋に戻り、着替えてセナと一階の食堂で合流し朝食を済ませた。

「あー、セナ、ノア。あの頼みがあるんだけど」

 少し歯切れの悪いカインの言葉にピンときた。

「行くの?」

「ああ。ライラさんと今夜会おうと思う。実はシェルさんに昨日のうちにお願いしておいたんだ、今夜ライラさんと会う場を作ってほしいって。セナとノアも付き合ってくれないか?情けないけど一人じゃ怖い」

「俺はいいよ。カインの頼みだし、俺にできることなら何でもする!」

「私もよ。じゃあ、ラシルに今日会ったらカインのことを伝えておくほうが良い?」

「いいや、いい。ちゃんと俺から挨拶したいから」

「分かった」

 カインが色々考えて勇気を出して決めたことなら、ただ寄り添ってあげたいとセナは思った。

 何度も助けられたし、一緒にいて楽しい人なのだ、カインは。

 だからこそ、カインの心の蟠りを払しょくできるのならさせてあげたいし、手伝えることがあるのならしたいと思う。

 そう、おそらく自分は初めて会ったあのころから、カインにほのかな恋心を抱いているのだと、いまさらのように自覚した。カインのそばにいると、心の中が熱を帯びるのがわかるのだ。

 「それじゃ、今夜は神殿で会いましょう、2人とも」




 昼までに冒険者ギルドでの洗濯物を終えて、ラシルとセナは一緒に神殿に戻った。一緒にいる時間が長いおかげだろうか、今ではラシルはすっかりセナに懐いていた。

「お姉さんがいたらこんな感じかなって、セナさんといると思うんです」

 と笑ったラシルの笑顔が本当にかわいくてセナもうれしくなる。だから少し怖い。ラシルはカインをどんな目で見るのだろうかと。その時自分はどう思うのだろうかと。

「ああ、セナさん、ラシル、おかえりなさい」

 神殿に戻り、洗濯室に向かう途中でシェルに声をかけられた。

「あ、シェル様、こんにちは」

「はい、こんにちは、ラシル。すみません、ラシル。あなたにお願いがあるのですが」

「はい、なんでしょうか」

「今夜、お母さんと神殿の私の部屋に来てもらえませんか?紹介したい方がいるんです」

 ああ、ついに来た、とセナは緊張を覚える。

 ラシルはカインと会ってどう思うのだろう。自分の父の死因となったカインを許せないだろうか。

「えっと……私、何かしちゃいましたか?」

 親呼び出しでのお説教とでも思ったのか、ラシルがおそるおそる聞く。

「お説教だと思いましたか?」

「え、あ……違うんですか?」

「そうですね、お説教ではありませんよ、紹介したい方がいるといったでしょう?」

「あ、そうでした。分かりました、夕食後で良いですか?」

「ええ、もちろん」

 それからシェルと別れて、今日の神殿での仕事に向かったが、セナは上の空で珍しく色々とミスをした。洗剤の量を間違えたり、井戸のポンプを勢いよく押しすぎて水を溢れさせたりと。

 ラシルが、夕食は母のところで食べてから母を一緒に連れてきます、と一旦セナと別れた後、神殿にカインとノアがやってきた。

「お二人ともいらっしゃい。どうぞ、私の部屋へ」

 カイン、セナ、ノアはシェルの部屋に通され、セナがお茶の支度を手伝っていたところでドアをノックする音がした。

「シェル様。お母さんを連れてきました」

 ラシルの声にカインがこわばった顔になるのを見て、ノアがカインの背中を撫でる。

 大丈夫、俺と姉ちゃんが付いてる、とカインに言うノアがセナにはとても頼もしく見えた。

 ドアを開けシェルが一言二言何か話している。

 それからちらりとカインを振り返り、カインが頷いたのを確認してドアを開けてライラとラシルを迎え入れる。

「姉さん、ラシル。私が紹介したいといった方です。彼はカイン。姉さんが探していた人です」

 ライラがびっくりした顔で、シェルとカインを交互に見る。

「それからセナさんは知ってますよね。カインさんの隣にいるのはノアくんという、セナさんの弟さんで……カインさんの弟子の冒険者です」

「そう……冒険者を続けていたんだね」

 ライラは少し困ったように笑って、シェルに促されてラシルと一緒にカインの前に座った。

 ラシルがセナを見て、戸惑っているのが分かる。

「ラシル。私とカインは仲間なの。オスロの街でのね。それで今回は私の王都までの護衛を、弟のノアと一緒にしてくれたのよ」

 と説明をしておいた。

「……ライラさん」

「こうして話をするのは初めてだね、カイン」

「……はい」

 緊張した面持ちのカインが、膝の上でこぶしを握る。

「あんたが王都を出奔したと聞いた時からずっと探してたよ……」

 ライラの言葉にカインは勢い良く頭を下げる。

「ライラさん。今さらですが、あの時は本当に申し訳ありませんでした。俺、あの時はもうどうしていいか分からなくて、とにかく逃げ出すことしか考えてなくて……」

「……うん、そうだと思ってたよ」

「本当に申し訳ありませんでした。俺にできる償いがあるなら何でもします」

「……ねえ、カイン」

 静かなライラの呼びかけにカインが顔を上げる。

「私の隣にいるのがあの人の……ルヴェークの忘れ形見でね。ラシルって言うんだ」

「ラシル……」

「ルヴェークのことは全部話してあるよ。物心ついたころからね。……ラシル、あれを持ってきてるんだろう?」

「お母さん……」

「いいよ、みんなに見てもらおう。それをあんたの父親も……ルヴェークもダメだとは言わないさ」

 一瞬だけ躊躇った後、ラシルが震える手でカバンから出した古い日記帳をテーブルに置いた。

「これは、ルヴェークがずっと書いていた日記なんだ。家から持ちだしたのは初めてだね。ラシルが家を出る前にゴソゴソしてたから、そうじゃないかとは思ったけど、当たりだったね」

「ごめんなさい、お母さん。でも何だか、シェル様の目がとても言いづらいことを言おうとしてるように感じて、それがもしお父さんのことならお父さんの気持ちを分かってもらうなら、この日記を見てもらうのが一番だと思って。勝手なことしてごめんなさい……」

「いいよ。この日記はシェルにもだけど、カインに読んでもらうことが一番だと思うんだ。あのね、カイン。これはルヴェークが亡くなった後に私も見つけてね。ここにはあの人のあんたへの気持ちがある。読んでやってくれるかい?」

 カインが震えながら顔を上げる。

 ライラをまっすぐにみて、それから一度頷いて日記をそっと手に取った。

 セナは全員の前にお茶を置いて、少し下がってドアのそばにある椅子に座った。ここからならカインの表情もノアの表情もライラとラシルの表情もよく見える。シェルだけは少し陰になってしまうけど、カインとノアの表情が分かるここが良いと思った。

「ああ……」

 最初のほうのページを開いたカインが大きく息を漏らした。

 古い紙をめくる乾いた音が、そこに綴られているのは、今は昔と呼べるほど遠い日なのだと教えてくれる。

「これは、俺が初めてルヴェークに助けられた日のことだな……」

 カインが懐かし気に、日記に在りし日の師匠の面影を辿っているのが分かる横顔だ。

「そうか……ルヴェークは俺と会った日のことを残しておいてくれたんだな……」

「私はあなたに直接会ったことはなかったけど、よくルヴェークが話してくれてたよ。生意気で頑張り屋の見込みのある弟子ができたっていつも嬉しそうだった。息子がいたらこんな感じかなって」

「ルヴェークが俺のことをそんな風に……。……嬉しいです」

 パラパラと日記を読んでいたカインが手を止める。

「これが最後の……この日は……」

「ああ。あなたが一人で依頼を受けた日だ。ギルドでその話を聞いてきたみたいだね。本来なら他の冒険者に依頼内容を話すのはルール違反だ。でもルヴェークにギルドから伝えたのは……カイン、みんなあなたを助けたかったんだよ」

 当時のギルドマスターがまだカイン一人では無理な依頼だと思ったが、一度依頼を許可した以上、不許可にはできない決まりがあるので、師匠でもあるルヴェークにカインの説得をお願いしたのだ。


「……ああ、俺があの時、ルヴェークの言うことを聞いていれば……」


 僅かにかすれた深い悔恨の響きがセナやノアの胸に刺さる。

 いつも明るく溌溂としたカインのこんな暗い表情も声も初めて見た。

 ノアが、カインの隣で膝の上でこぶしを握り、その手の行き先を迷っているようにセナには見えた。

 ノアの気持ちがよくわかる。自分も同じ気持ちだからだ。

 ここは仲間として耐えてカインとライラの話を見守るべきか、カインの背中を支えるためにこの手を伸ばすべきか。

 だが、ノアはその手を伸ばさなかった。

 大好きな大事な師匠の心を一番近くで見守ることに決めたのだとセナには分かった。

 ああ、やはりノアは、自分の弟はカインと言う師匠を誰よりも信じ、慕っているのだとわかった。

「……ライラさん。これをお返しします」

 カインがずっと手に巻いていたバンダナを外し、ライラに差し出す。

「ルヴェークが最後に俺にくれたものです。これは今まで俺が持っていたけど、やっぱりルヴェークの家族が持っているべきものだと」

「なら、やっぱりこれはあなたが持っているべきだね」

「え……?」

「あなたもルヴェークの家族だよ、カイン」

「……俺……も……?」

「そうだよ。だからそれはあなたが持っていなさい。最後にルヴェークが託した、あなたへの期待であり希望の証なんだから」

 カインがテーブルの上のバンダナをじっと見つめる。

 思い出すような瞳でバンダナを見つめ、ゆっくりと手に取った。

「……ルヴェーク」

 そこにはあの日永遠に失ったぬくもりが確かに残されていた。

 もう二度と触れることはできなくても、確かにここに、そして胸の奥にルヴェークがくれた優しさは息づいている。



 ライラも最初の頃はルヴェークを亡くす元凶となったカインのことを恨んだことがないと言えばうそになる、と少し寂し気に本音を吐露し、そのあとに隣に座るラシルの頭に掌を乗せ笑った。

「この子がおなかの中にいるってわかったからね。この子をルヴェークの分も愛して育てていくことが私にとっては一番大事な生きる理由になったんだ。いつか私がしわくちゃのババアになってあっちに行ったとき、ルヴェークはきっと私を褒めてくれるはずだって今は思ってる」

「……姉さん」

 シェルがライラの長年の想いを知り、ライラとラシルの後ろに回って両手で二人を抱きしめる。

 「うん、姉さんもラシルも自慢の家族だよ」

 ライラとラシルはくすぐったそうに身をよじるがシェルの手は離れない。

 三人のそんな光景をカインもノアもセナも口元に笑みを浮かべ、温かい目で見つめていた。



 それからセナの淹れてくれたお茶が空になったことで、場は解散となったが、セナはシェルに報告しなければならないことがあったことを思い出し、シェルに言った。

「シェルさん。スキルのことについて、大事な報告がありますので、少し残っていいですか?」

 もちろん良いと言われ、何故かライラとラシルも残ることになる。

 ライラは

「別に他言はしないよ、アリステア様に誓ってもいい」

 と座り直し、ラシルはその隣で

「師匠のスキルのことなら、私も知りたいです」

 と居住まいを正す。シェルが二人とも信用できるから、と苦笑してあきらめたように許可を出す。

「本当に今から話すことは他言無用ですよ、姉さん、ラシル」

「ああ」

「アリステア様に誓います」

 セナは新しくお茶を淹れると、今度はカインとノアの座っていた場所に自分が座った。目の前にはシェル、ライラ、ラシルが並んで座っている。

 この距離感で己の一番悔いている過去と対峙したカインの心の強さがうらやましい。

「まず。シェルさん。ライラさんとラシルに私が受けた依頼のことをお話しいただけますか?」

「……分かりました」

 それから簡単ではあるが、シェルからライラとラシルに神託のこと、黒い霧を纏う獣のこと、セナの上位スキルのことについて話された。

「では、これでここにいる全員の情報共有ができましたね。セナさん報告とは?」

「……夕べ、アリステア様に、夢で神託を授かりました」

「姉ちゃん?え、本当に?」

「起きてすぐ、アリステア様に教わったことを軽く試してみたらできました。だから本当に神託をいただいたんだと思います」

「それはどのような神託だったのですか?」

「まず、私のスキルについてです。私のスキルは三重になっていて、洗濯スキル、魔障浄化を織るものの次に、終局浄化、というスキルがあると言われました」

「三重スキル、ですか。……聞いたこともないし、記録にもないですね」

 基本的に一人につき1つのスキルを授けられると言われているが、二重のスキルは記録にもあるし、実際に二重のスキルを授けられている者も多くはないがいる。実際、ノアが二重スキル持ちだ。

「それで、まず今朝起きた時に、アリステア様に教わった、魔障浄化を織るもののスキルを試してみたんです。結論を言うとできました」

「できた……ですって!?」

 ガタンとシェルが立ち上がり、ライラに座るように窘められる。

「はい。今ここでやってみましょうか?」

「お願いします」

 セナは立ち上がり、茶こしに残された茶葉を皿に入れた。そこに僅かにある穢れに触れると糸のような形状で穢れがセナの指先に絡められ、それを指で編むようにして細い鎖状の糸を作っていく。黒い光の中に白い光が混ざった鎖状の穢れの糸は皿の上で少しの間揺らめいてから霧散した。小さな穢れは空気中であればこうしてすぐ消えてしまうのだ。穢れはどんなものにもわずかながらついているが、多くはこんなふうに自然に消えるものだ。

「魔障浄化のスキルで編むことで、穢れの鎖に浄化の力を編みこみます。これをきちんと固定化して黒い霧を纏う獣を封印してから、終局浄化で消滅させてほしいと」

「なるほど。これはとても貴重な事実ですよ、セナさん。穢れの鎖を作ることが魔障浄化のスキルでできることだということが判明しただけでも大きな前進です。それはこんな小さな穢れでもできるんですね?」

「世界にあるものはどんなものでもわずかな穢れを帯びているので、それを固定して集めて糸状にすればこんなふうに鎖を編むことができるみたいです。ただ、実際に使えるものとなると、もっと頑丈に、例えば、何かを下地にして編むほうがよいのでは、とは考えました」

 穢れそのものだけでは、霧散して消えてしまうので、固定するための下地があれば、と考えたのだ。洗濯して汚れを落とす為に洗剤という下地が必要なように。

「それはこれからいろいろ資料を調べて試してみようと思います。アリステア様はもうさして時間がないとおっしゃってましたので、試行錯誤することにあまり時間はかけられないかと思いますが」

「そうですか……となると、過去の黒い霧を纏う獣が出現した時の知識と記録を調べる人手が欲しいですね。ラシル、手伝ってもらえますか?あなたなら神殿の書庫にも入れますし、書庫の調査のお手伝いをお願いしたいです」

「分かりました、シェル様。では、書庫へ入る許可証をください」

「分かりました。すぐ手配します。姉さんは……一級冒険者だったころのコネがいろいろ生きてるんだろうから、穢れの鎖を定着させる素材になりそうなものを集めてみてほしい」

「分かった、高くつくよ」

「教皇様に依頼料は交渉するよ」

「それ、俺たちも手伝いたいです」

 ノアが挙手する。

「姉ちゃんの助けになることならやりたい。姉ちゃんにしかできないことなら、猶更。カインもそうだろ?」

 答えは分かってる、とばかりにノアがカインを見る。もちろん、とカインは頷いた。

「では、カインさんとノアくんにもお手伝いしていただきましょう。現役の冒険者の知識は役に立つでしょうから」

「ああ、そうだね。私は冒険者を引退してかなり経ってるから知識も古い。頼んだよ、カイン、ノア」

「はい、頑張ります」

 信託の重みを、セナは目の前で色々な人が動くことで重く実感した。

 自分一人ではなく、みんなが一緒に背負ってくれる。なら、できる。きっとできる。




 それからそれぞれの仕事に勤しみながら、2日に一度はシェルの部屋で報告会を行うようになった。

「こんな本を古書棚の奥から見つけました」

 ラシルが見せてくれたのは、アステリアの神託を受けた過去のスキル持ちが魔障浄化を織るもの、のスキルを使ったという記録の一端だった。

「ああ……ここに魔障浄化を織るもの、とありますね。でも、やはりそのスキルの詳細までは記されていない……」

「シェル様。これは私の想像ですが……この時、魔障浄化を織るもの、のスキルについてはわざと詳細を記し残さなかったんじゃないでしょうか?」

 ラシルの指摘に、シェルが疑問を返す。

「わざと?」

「はい。魔障浄化を織るもの、は穢れに浄化の力を混ぜて鎖を編んで作るスキルなんですよね?これを他国との戦争とかに使おう、などと考える不埒な輩から、当時のスキル持ちの方を守ろうとしたのかもしれないと思ったんです」

 ラシルの鋭い指摘に、シェルは、なるほど、それもあり得る、と納得する。

「戦争?」

 ノアが疑問に思ったようにつぶやき、その呟きをカインが拾う。

「ああ、その可能性は大きいな。穢れはあらゆるところにある世界にとっての毒だ。その毒を形にする方法があると知られたら、力を求める国にとってはどうしても欲しいスキルになるだろうな」

「……そんなえげつないことに姉ちゃんのスキルは使わせたくないよ」

「俺もだ。セナのスキルは、アリステア様がこの世界を護るために授けたものなんだからそのために使わないといけない」

 カインとノアの強い言葉にセナの胸が熱くなる。

 穢れと言う危うい力を使うことが正直少し怖かった。だけどみんなが同じ方向を向いて助けてくれる。ならばやるしかない。

 みんなが助けてくれるならきっとできる。いや、やり遂げてみせる。

 「……そういえば」

 カインが少し考え込むように言葉を続けた。

「ツルノワなら使えるかもしれない」

「ツルノワ?」

 とセナが聞き返すと、ノアも身を乗り出す。

「カインがルヴェークさんに助けてもらったって魔物?」

「ああ。あいつは蔓の中が空洞になっていて、水分をため込む性質があるんだ。そこに穢れを閉じ込めたら下地として使えないかな、と思ったんだが……」

「私まだ見たことない魔物だけど、近くにいる?」

「ああ。俺が昔ルヴェークに助けられた王都の外の森にならいる」

「ラシル、ツルノワについての説明を」

 ラシルがシェルに頷いた。

「ツルノワの体は長い蔦のような構造です。あまり強い魔物ではありませんが、数が多いので定期的に冒険者ギルドに討伐依頼が出ていますね。素材としては、繊維として使っていたりします。神官様のローブとか、ツルノワから作られた繊維だったりしますよ」

 蔦のような長さがあり、中が空洞になっているのなら、一度試す価値はありそうだ。

「一度試してみたいです」

 セナの言葉に、カインとノアとライラが頷く。

「わかった、任せな。近いうちにいくつか持ってきてあげるよ。カイン、ノア、私も一緒に行くからね」

「ええ、お願いします」

 これで明日からの方向性は決まった。

 みんなと一緒に世界を護るための第一歩だ。

 

 

 セナはしばらく冒険者ギルドでの洗濯は休みになると告げられた。代わりに、シェルがセナに聞き取って作った洗濯スキルの仕様書が配られ、コールディアがリーダーとなって、セナの洗濯スキルの指示を行うことになった。幸い、洗濯スキル持ちの職員が多かったためスムーズに指示はいきわたった。何より、セナの洗濯スキルの活用方法がとても分かりやすく効率が良く、あっという間に浸透していった。

 その頃、セナは神殿のシェルのところで、穢れ編みの練習を繰り返していた。神殿にはたくさんの穢れが集まるので、練習のための材料には事欠かない。

「シェルさん、穢れと浄化の力の混ぜ方がうまくいきません……」

「確かに少し穢れのほうが多いみたいですね……」

 シェルの手には、今セナが編んだばかりの黒い光と白い光の混ざった縄状の糸がある。そしてこのままにしておくとさらさらと空気中に霧散していくだけなのだ。

「このままではむしろ穢れの力を増幅させてしまいますね……」

「難しいものですね……」

「穢れと浄化の力のバランスの良い魔道具なんて、今まで誰も挑戦しなかったことです。最初からうまくいくわけはないんですから、あまり思いつめないでください、セナさん」

 シェルの励ましは嬉しいし沁みるけれど、セナ自身は早く何とか成功の目途をつけたかった。カインやノアも、ライラもラシルも頑張って協力してくれているのだ。自分のために。だから早く……早く、と気ばかり急いてしまう。

 次に編んだものは、浄化が強くなりすぎてジワジワと穢れを消していってしまう。白い光が黒い穢れを侵食していき、後には白一色の糸が残り、空気中に消える。

 これではだめだ。穢れと浄化を打ち消しあわないバランスを見つけなければ……。

「セナさん、少し休憩しましょう。朝からずっとやってますよ」

 セナの努力を近くでずっと見ているシェルはセナのやり方を決して否定はしない。

「もう1つだけ。そうしたら休憩します」

 これは言っても聞かないと判断したシェルは、せめて、とセナの前に冷たいお茶を置いた。

「喉が渇くと集中力も途切れます。これをどうぞ」

「ありがとうございます、シェルさん」

 冷たいお茶は果物の香りがしておいしかった。僅かな甘酸っぱさが喉にしみて、ああ喉が渇いていたのだとわかった。

「これ美味しいですね……」

「姉の店で出している清香茶に市で買った果実の果汁を加えてみました。試しに作ってみたら、熱いお茶より冷やすと香りが際立って美味しかったんです。なので近いうちに姉の店でもメニューとして出す予定だそうです」

 姉は商売人になってからちゃっかりしたところが際立つようになったんですよ、とシェルが微笑む。

「ライラさんのお店にもまた伺いたいです」

「今は久しぶりの冒険者稼業を楽しんでいて、しばらく店はお休みして、その間に店の改装をするそうです。再開店したらみんなで行きましょう」

「はい、ぜひ」

 ライラの店の再開店までには編み方を完成させようとセナは決心した。



 森へ来たカインは、あの日ルヴェークに助けられた場所まで来た。

 ここには今の己の原点がある。悲しみも後悔も含めた、今の自分の始まりがここにある。

「ここだ……俺はここでルヴェークにツルノワから助けてもらったんだ……」

 あの時の自分は無力な子供で、ただルヴェークに助けられ、守られるだけの存在だった。

 だから今度は守る側になるのだ。

 森の奥深くは風もなく暗く、静かだ。

 苔に足を取られないように慎重に進む。

「なら近くにいるかもね。あいつらはそんなに移動する生態じゃない」

 ライラが周りを見回しながら少し緊張した声を出す。

「カイン、ノア。ツルノワは強い魔物じゃないが、脆い。必要以上の攻撃はツルノワを簡単に消滅させてしまうから、気を付けるんだよ」

「はい」

「わかりました」

 ふと、ノアが足を止める。ノアの索敵のスキルが動いたのだ。

「何……?何か変な気配……。空気が黒い気がする……」

 周りを見回し警戒を強めるノアのそばを弓を構えたカインと短剣を手にしたライラが固める。

「ノア。どっちだ?どの方向に気配がある?」

「……」

カインの声に、ノアは方向を見定めようと一度目を閉じて、それから真上を見た。

「あそこだ!!」

 ノアが指した先に、高い木の枝に巻き付いている黒い蔦が見えた。

「ツルノワだ!」

 ライラの鋭い声に、カインは思わず弓を構えるが、ライラの「ツルノワは脆い」という言葉を思い出す。

 ダメだ、この矢で射貫いてはいけない。

「カイン、あれを落とせるかい?射貫くより難しいよ」

「……やってみます」

 ライラに言われ、少し狙いをずらす。

 落とす。討伐するのではなく落とす。そうだ、空を飛ぶ鳥を落とす時を思い出せ。翼を射抜いて飛べなくしてしまうのと同じだ。

 ツルノワを落とすには……。

 狙うのはツルノワの本体ではない。ツルノワの巻き付いている木の枝のほうだ!

 渾身の力を込めて、弓を引く。

(落とす!)

 カインの弓から放たれた矢が真っすぐにツルノワが巻き付く細い枝を落とし、枝とツルノワが一緒にどしんと音を立てて落ちてきて、すかさずライラが持っていた短剣でツルノワを地面に縫い付け、まるで縄を結ぶように蔓部分を結んでしまう。

「ライラさん、それ……」

「ああ。ツルノワはこうして生け捕るんだ。やり方はルヴェークに教えてもらってた。覚えててよかったよ」

 快活に笑い一仕事終えたライラの中にカインはルヴェークを感じた。常に新しいやり方を考え、実践する人だった。討伐するにしても、素材にできるものはできるだけ損なわずに捕らえるのが一流の冒険者の仕事だと。

「さあ、一匹だけじゃ足りないだろ?あと何匹か生け捕るよ!ノアはさっきみたいにツルノワの気配の探索!カインはすぐ弓を引けるようにしておく!」

 ライラの的確な指示で、カインとノアは己の仕事に集中できた。

 それから夕方近くまでツルノワや自生している素材を狩り、オスロの冒険者ギルドで借りた拡張バッグがパンパンに。今日は終了と言うことになり、街へ戻る。かなり疲れたが、達成感でいっぱいだ。

「これだけあれば、姉ちゃんの練習に足りるかなぁ、カイン」

「そうだな。足りなきゃまた来ればいいさ」

 そう、足りなければまた来ればよい。冒険者とは求められた依頼をこうやって達成することが仕事なのだから。




 神殿に戻って、拡張バッグの中身を全員で確認する。

 生け捕られたツルノワが暴れださないように、シェルがまとめて清められた酒をかけると、痙攣した後動かなくなった。

「じゃあ、一度やってみますね……」

 セナが穢れを纏うツルノワの上に手を伸ばし、その穢れから糸状に穢れを引っ張り出す。そしてそこに浄化の力を少しずつ混ぜ、黒と白の二色の縄を編んでいく。汗をにじませ、呼吸すら忘れるくらいの集中力で作業するセナを見守るノアの瞳が頑張れ、とエールを送っているのがカインには分かった。この姉弟は本当に仲が良い。羨ましいくらいだ。

 何とか編みあがった縄をツルノワの空洞へ入れてみた。

「……」

 だが入れ終わる前に霧散し、中に異物を淹れられたツルノワも霧散して消滅した。

「……ダメかぁ」

 ため息をついたセナの背中をシェルが優しくさする。

「まだ最初の実験が終わっただけですよ、セナさん。一度休憩しましょう」

「……はい」

 重苦しい空気を緩和するために、シェルが冷たい果実水を人数分用意してくれて、ひとまずは休憩することにした。

「……さっぱりしていて美味しい」

 ラシルが嬉しそうにグラスに口を浸ける。

「これはいいね。シェル。これは何の果実水なんだい?知らない味だ」

 ライラの問いかけに、シェルがテーブルの上に赤い1つの果実を転がした。

「クリムという海の向こうの大陸の果実です。甘くさっぱりとしていて、大陸では神が好む果実だと言われていて、神殿経由の伝手でいただきました。果実水にするとすっきりした甘さが際立って美味しいと聞いてましたので作ってみたんです」

 グラスに浮かぶ果実を輪切りにしたものを齧ってみると、シャクシャクとした歯触りが新鮮で、果実の甘いさわやかな味まで楽しめる。

「シェル。これが一般の市場に並ぶことはあるのかい?」

「早速メニューに組み込もうとしてますね、姉さん」

「ああ。改装後には何か目玉の新メニューが欲しくてね。これだったら、清香茶にいれても、そのまま果実水にするのもいいし、甘いもののメニューにも組み込めそうだ」

「……まだ一般の市場に並ぶには早いですが、来年からは輸入を本格化させると聞いてます。その時からなら普通に仕入れられるかと。メニュー作りを試したい、というのであれば、私がいただいた分だけならば差し上げられますよ?」

「じゃあ欲しい」

「わかりました。一応、教皇様へ許可を得てからにします。神殿への贈り物、という形でいただいたものですから」

 ライラがラシルに「これを使うなら、甘いもののメニューを増やせるよ」とニコニコしていて、年頃の少女らしく甘味が好きなラシルも「楽しみにしてる」と笑っていた。

「……」

 果実を見て、カインが何か考え込んでいることに気づいたノアが声をかける。

「カイン、どうかした?何か難しい顔してる」

「あ……ああ。なあ、ちょっとその果実見ていいか?」

 どうぞ、とシェルに手渡され、果実を裏返したりしながら見ていたカインがおもむろに小型ナイフを手にして、果実の皮をむき始めた。

「カイン!?」

 突然のカインの行動に、隣に座っていたノアが驚いた声をあげる。

「ああ、やっぱりだ。これは使えるかもしれない」

 長く剝いたその皮は赤い蔦のようだった。

「セナ。これをツルノワに巻き付けて、それを使ってみてくれ」

「え、ええ……。カインがそういうなら」

 カインが何をひらめいたのかはセナには分からなかったが、きっとカイン視点で気づいたことがあったのだろうと考えた。

 まだ痙攣したままのツルノワを一匹手に取り、カインから渡された果実の皮を縛るように巻き付けていくと、不思議なことにツルノワの穢れが少し消えていく。白い光がツルノワの穢れをわずかながら消していくのを全員で見て、果実の皮に浄化の力があることは一目瞭然だった。

「これなら、穢れを少し多めに残せば……」

 セナはツルノワの穢れをあえて多めに残すように縄を編んでいき、果実の皮を巻いたツルノワの管に入れてみる。

 するとどうだろう、ツルノワが霧散することもなく、穢れと浄化のバランスがちょうどよいものが出来上がった。

「成功した!」

 嬉しくて叫ぶと、カインがセナの頭を撫でる。

「すごいぞ、セナ。よくやったな」

「カインのおかげだよ!なんでこの果実の皮を使おうと思ったの?」

 種明かしをねだると、カインが皮をむいた果実を手に取り噛り付く。

「あ、やっぱ、このまま食ってもうまいな。いや、前にさ、大陸から帰ってきた商団を護衛する依頼を受けたことがあって、帰りに運悪く魔獣に襲われて、その時に荷物にあったこの果実を無我夢中で投げつけたんだ。その時、この果実が光って、魔獣の穢れを少し払ってくれたんだ。おかげで弓を射る時間も稼げたことを思い出したから。じゃあ皮にも同じ浄化の力があるかもって思って、ツルノワに巻き付けるみたいに長く剥いたら使えるんじゃないかなって思ったんだよ」

 カインのおかげで、ピュリファチェインを作る実験はうまくいき、今夜のところは解散となった。

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