僕がただ竜を殺すだけの物語 第1章 運命の出会い 第86話
涙目になっている審判が僕たち二人を中央に呼び寄せ、まだざわめいている中で簡単にルールを説明して強引に試合を開始した。僕はほとんど聴き取れなかったけれど、相手は百戦百勝の姫様だから不備が有ろうとすぐに試合は終わるだろうし、なんやかんやでここまでに時間も押してしまったため、僕への説明がどうなろうとも特に問題は無いと思われているのだろう。
姫様を正面に捉えて一呼吸すると、僕の頬を風が撫でて行った。すると姫様の口元が少し緩んだのが見えた、そこで僕はようやく気が付いた、ああ、僕はもうすでに2回も死んでいるんだなと戦慄した。
僕は負けを認めて試合会場から降りても良かったのだけれど、これからの僕の人生で、このお姫様と戯れの剣を交わせる事など二度と無い事かもしれないと思ったら、勿体なくてせめて負けが決まる瞬間まではこの場に立って居ようと心に決めた。
すると再び頬に風が当たったが、その風には礫が混じっていたのか、僕の頬から軽く出血をした。
今、この瞬間まで僕の両目は姫様を捉えていたけれど、剣を振る初動を捉える事は出来なかった。
わかっていた事では有るけれど姫様ははるか高みに居て、地面に這いつくばっている僕に手を差し伸ばしている。僕はその手を掴みたいのだけれど、微かに触れるどころかどんどんと離れていっている様な気にさせられる。控室で棄権の相談をしていた奴らは、今の僕を見てどう思うのだろうか、当然の結果だと馬鹿にするのだろうか、それとも、こんなにも弱い僕でも姫様と戦っている事を評価するのだろうか。
そんな事は今ここに立っている僕には何の関係も無い、他人の目を気にする事に意味は無い、姫様の前に立っている僕を姫様に評価して貰っている。ただ立って居るだけで評価をして貰おうなんて烏滸がましい、僕は意を決して一歩前に出た、凄まじい寒気と全身を倦怠感が包む、すでに僕の心は姫様によって折られていたのだ。歯を食いしばり二歩目を踏み出した、手を伸ばせば届きそうな距離まで近付いたけれど姫様はまだ動いていない。試合が始まってどれくらいの時間が経ったのかわからない、あれだけ周りが騒がしかったはずが、今は僕と姫様の心臓の鼓動しか聞こえない。
僕は剣を握った手を伸ばした、それは剣で攻撃をしようとしたのではなくて、ただ姫様に触れたくて手を伸ばした。いまにも手が届きそうだった姫様は僕の視界から消え、僕は訳もわからずに踏鞴を踏んだ。体勢を立て直して振り返ると、姫様はまだそこに居た。再び僕が手を伸ばすと、さっきと同じように姫様は視界から消え、僕は踏鞴を踏んだ。また体勢を立て直して振り返ると、少し首を傾げた姫様が居た。
二度も同じことをされれば僕でもわかった、レイは剣は横から払うと教えてくれたが、姫様は僕の剣を後ろから払い、僕は体勢を崩されていたのだ。
今の僕には到底真似が出来る事では無いけれど、後ろに回り込むだけでは無く、よたよたと体勢まで崩す事が出来れば後は好き放題できるだろう。
力に力で対抗するのではなく、その力を利用する。ただ手を伸ばしただけの僕がこれだけ体勢を崩されるのだから、本気で降り抜いた力を利用されたら一体どうなってしまうのだろう。
僕は後ろ脚に体重をかけ蹴り出そうとした瞬間、姫様が左手を前に突き出して僕の覚悟の一撃を妨げてきた。
「これ以上は危ない、これで終わり」
戦っている相手に制止されて、それに従う僕もどうかしていると思うが、僕の身を案じた姫様もどうかと思う。しかしその言葉とは裏腹に、姫様からは今まで感じた事の無い程の恐怖、脅威、殺意を感じた僕は後ろに飛び退いた。筈だった。




