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「着いた」
ほんの少し前まで数ヵ月過ごした聖域に戻るとは思いもしなかったと暗くなりそうな気持を振り払い、招かれざる者を阻む結界をすんなりと通ったリナリアは普段ユナンがいる花畑に足を向けた。蕾として生えている祈りの花を眺めては、この花は何色を咲かせるのかとよく観察していた。
リナリアが黄金を咲かせた時は驚愕していたのを鮮明に覚えている。文献にしか載っておらず、歴史上咲かせたのは数例。あらゆる傷病を癒す黄金の花は手に入れたくても不可能として終わるのが常だと開花した時言われた。
あの時は黄金の花さえあればラシュエルを救える、もう一度側にいられる、と考えた自分が甘かった。まさか異母妹が聖女の能力に目覚める等と予想すらしていなかった。
「ラシュエル様……」
何度訴えても、証拠となる黄金の花を見せても、あの人はリナリアの手を振り払い冷たい瞳で拒絶した。
「お父様達の仕業ね、きっと」
弱っているラシュエルにリナリアを陥れる嘘を囁き続け、挙句リナリアに届けた手紙を握り潰し、リナリアが聖域に行く前に送り続けた手紙をも密かに回収して握り潰していたと後になって分かった。
皇太子妃にしたいから母方実家がリナリアを引取りたいとした際には、娘から父親を奪うなと涙ながらに語った父に反吐が出そうになった。母が存命中、一度も父親らしい事をしてこなかった男が欲の為に思ってもいない言葉を口にする姿は正に滑稽だった。
ラシュエルとの関係が良好だったから母方実家も何も言わなくなった。
さすがの父も没落貴族の後妻との間に出来た娘を皇太子妃にするとまでは考えなかった。皇太子妃になれるのは両親共に伯爵家以上の出身者から生まれた令嬢のみ。後妻は元男爵家の令嬢。条件が合わなかった。
慈善活動に力を入れ、隣国の王族と親しいクローバー侯爵家の血を引くリナリアはまさにうってつけだった。
けれど血がどうであれ、聖女の能力に目覚めた異母妹と比べると差が大きく開いた。
今頃、婚約者となったイデリーナはラシュエルと愛し合っている事だろう……。
また暗い気持ちになり、振り払いたくてもこればかりは無理で。ユナンがいそうな場所を探した。聖域には管理者が生活をする一軒家が建てられていて、二人で食事を摂ったリビングに行くとテーブルにリナリアへと書かれた置手紙があった。
“リアへ。君の身に何が起きたのか大教会から速報で届けられた。君の無実は俺が証明してみせるから、事が落ち着くまで聖域で待っててほしい”
「ユナン……」
ユナンはリナリアの為に聖域を出て帝都に戻っていた。暗い気持ちはなくなり、温かな気持ちに包まれた。涙が出そうになるのを堪え、置手紙を置いたリナリアはユナンが戻るまで祈りの花を自分なりに管理しようと思うも。
「そうだわ」
ユナンが何時戻ってもいいように木苺のジャムを作ろうと決めた。昔、母が生きていた時、クローバー家では孤児院の子供達に特製のジャムを振る舞う事があると聞かされ、作り方を教わった。
幸い手持ちは多めに持って来ているので材料を買うお金はある。
厨房には大きな鍋がある。元々あった物らしいがユナンは使っていないと話していたのでジャムに使っても大丈夫だろう。
「早速、買いに行きましょう」
長時間の移動で疲れていた体はジャム作りをしようと元気になり、リナリアは家を出て聖域の外に出た。
聖域から町は徒歩で十分に行ける。大荷物になろうが魔法で物の重さをコントロールすればいくらでも持てる。美味しいジャムを作ったら、ジャムに合うパンを作ろう、どんなパンがいいかなと上機嫌に歩き始めた矢先——
「とても上機嫌だね。侯爵家を追い出されたとはとても思えないくらいに」
氷のように冷たく、以前の親しみが一切消えた声色が突然目の前に現れた。唖然とするリナリアの前にはマントで姿を隠すラシュエルがいて、背後には数人の護衛が控えていた。
太陽のように煌めき、リナリアを視界に入れる黄金の瞳は何時だって輝いて綺麗だったのに……今の黄金の瞳は昏く濁り、濃い翳りがある。何故ラシュエルが目の前にいるのかと必死で考えるリナリアだが、少しずつ近付かれているのに気づき後退って行く。ラシュエルが近付く度にリナリアは震える足で下がる。
「な、何故、此処にいるのですか、皇太子殿下っ」
「ラシュエルと呼んでくれないの」
「私はもう、ヘヴンズゲート侯爵令嬢ではありませんから……だ、大体貴方にはイデリーナがっ」
「君が城から追い出された後、もう一度考えたんだ。本当に君が私を捨てて他の男の許に行ったのか、君が持ってきた祈りの花は本当に偽物なのか、と」
どうして今になってそのような言葉を出せるのか、あの時リナリアが必死で本物だと訴えてもラシュエルさえ信じなかったのに。顔に出ていたらしく、端正な相貌が苦し気に歪められた。
「あの時は君への憎しみで頭がいっぱいだった。どうして返事をくれない、私を捨てて誰の許へ行ったのだと、そればかりが頭を占めていた。私が治ってから戻った君を見たら憎しみは膨れ上がったんだ」
「……」
「だが君が聖域に入ったのを見て分かった。君は嘘を言っていなかった、嘘だらけなのは君を除いたヘヴンズゲート家の連中だと」
「あっ」と発したリナリアは背に当たった木でもう後ろに行けないと気付き、左右どちらに行き聖域に逃げ込むか考えるも。ほんの一瞬考えた間がラシュエルに時間を与えてしまった。
「リナリア」
「きゃっ」
強く腕を引っ張られラシュエルに抱き締められた。背中と頭を強く抱き締められ身動きが一切取れない。
「私とおいで。君はずっと私の側にいたらいい」
「どういう……」
頭に回っていた手で顔を上げられ、最後まで言葉は続かなかった。眼前に迫った黄金の瞳に魅入られていると唇に温かさを感じた。
キスをされていると気付き、慌てて離れようにも強い力で抱き締められているせいで叶わず。息をしたくて口を開けたら、そこへラシュエルの舌が入り込み逃げるリナリアの舌に絡めた。
「ん、んん」
「リナリア……ずっと君に触れたかった……ん」
目を閉ざしたいのに、熱が孕んだ黄金の瞳に見つめられるとその視界に自分を映してほしくて閉ざせず。胸を押していた手を大きな背に回した。
ラシュエルの黄金の瞳が微かに瞠目するも、嬉し気に目を細めキスを続けた。
その時の瞳に陰りは消えていた。
キスを終えてぐったりとしているリナリアを抱き上げた、ラシュエルは待機させている転移魔法陣へ向かった。
顔を赤く染めて胸に顔を埋めるリナリアの頭にそっと口付けた。
——次にリナリアが目を覚ますと見慣れない天井が見えた。ゆっくりと身体を起こし、室内を見渡した。自分がいるのは大きな寝台。肌触りが良いシーツやデューベイ、置かれている調度品、どれも最高級と言っても過言ではない。ぼんやりと此処は何処なのかと考えていると「リナリア」と耳元で囁かれ吃驚して悲鳴を上げた。
いつの間にか側にラシュエルがいて、シャツにズボンという服装の彼に違和感を持つも、ふと自分の着ている服が気になって下を見てみるとネグリジェに変わっていた。寝ている間に着替えさせられ、軽く混乱しているとラシュエルに肩を押されベッドに倒された。
「これはどういうっ」
「この部屋は今後君が過ごす場所さ。不便がないよう出来る限りは対応しよう。外には私が偶に連れ出してあげるから」
「そういう事を聞いているのではなくて、わ、私の服が……」
「ああ、これ? 寝ている君を侍女に洗わせた。気に入らなかった?」
着せられたネグリジェは可愛らしいデザインで個人的に好きだと思えても、ベッドに押し倒されている現状何も言えない。
「リナリア、ずっと此処にいて。此処には君を虐げる者は誰一人いない」
「ま、待って、だって貴方にはイデリーナが」
「……あんな嘘にまみれた女も侯爵家も必要ない。と言いたいが聖女の力は利用させてもらう。向こうだって、侯爵の地位も聖女の力も失いたくないだろうから」
「一体何を……」
「話は終わり。……私だけを見るんだリナリア」
「んっ」
状況がどうなっているか知りたいリナリアはキスをされて何も言い出せず、ネグリジェを脱がすラシュエルの手を止めなかった。
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